<第五話>

 グロリアの方には大した怪我がなかったのは、ミツルギが死ぬ気で配慮してくれた結果であったのか、それともただの偶然なのか。いずれにせよ、呆然と血だまりの中で佇むしかなかったグロリアは、その後しばらくの記憶がない。気がついたら自宅のベッドの上だった。ミツルギの遺体は彼の家族に回収され、自分も両親に自宅まで連れて行かれたのだろう、ということは想像がつくのだけれど。

 一度腹の底から湧き上がった怒りは、そう簡単に鎮火するものではなかった。それは親友と傷つけあってしまったことによる悲しみを覆い隠すためのものであり、同時にグロリアというひとりの存在が持つ根源的な感情の一つでもあったのだろう。




――なあ、ミツルギ。




『“人間じゃない”。それだけの、存在だ』




――なあ、シュレインさん。




『だって私達は、“人間”ではないのだから』




――あんたらはそう言ったけど。俺はやっぱり、認められないよ。それを認めたら……自分で諦めて受け入れちゃったら、それは理不尽な神様に本当の意味で負けるってことなんじゃないのか。


 自分達は、人だ。人間ではなくても、確かに同じ“人”ではないのか。エルフの種族だからなんだと?だから、その命の尊厳を無視され、心を蔑ろにされていい理由にはならないはずではないか。

 真実は、想像以上に重くて、絶望でしかないのかもしれない。けれど、このままその理不尽に屈して、愛するものを自ら壊して傷つけて苦しめて――そんな地獄を続けるくらいなら。そんな世界に、一体どれほどの価値があるというのだろう。

 楽しいもの、好きなものはこの町の中にいくらでもあった。

 けれどたった一つの恐ろしい規則という名の暴力のせいで、どれほど笑っていても人々の笑顔にはいつも影があり、誰もが心のどこかで怯え続けていたのは事実だ。いつ鐘が鳴るか、選ばれてしまうか、惨劇を見せ付けられるか。見えない神様のせいで、一体どれほどの人が心を壊され、そして涙の川を作ってきたことだろうか。


――俺達にだって心がある。魂がある。拳がある。脚がある。……それを、神様気取りのクズのせいで、踏みにじられるなんてまっぴらごめんだ。


 翌日。学校があったが、休んでいいと両親には言われたし学校からも通達があった。“戦士”に選ばれてしまった人間の勝者は、学校であれ仕事であれ休んでもいいという暗黙の了解が自分達の中では出来上がっているのである。それでも仕事をしている方が気楽だと、店を開けることにしたシュレインのような人間もいるにはいるが。グロリアは今日ばかりは、その言葉に甘えさせて貰うことにしたのである。

 そして、ある事実を知った。翌朝になってもまだ――ミツルギが、生き返っていなかったのである。


『どうしよう……ミツルギが、このまま死んだままだったら。もう二度と会えなかったら、どうしよう……!』


 ミツルギの母はそう言って泣き崩れた。けして、彼を殺したグロリアを責めることはしなかった。それは一番苦しんでいるのがグロリアであるということをわかっていたというのもあるのだろうし、そもそもグロリアとて被害者のひとりであるということを理解していたというのもきっとあるのだろう。

 希に、復活まで時間がかかることはあるらしい。それは風の噂では聞いていたものの、よりにもよってそれがミツルギなんて。そして、今このタイミングでなんて、とグロリアは思わずにはいられなかった。

 町の住人を殺し合わせるのが神ならば、朝日と共に復活させるのも神の御技であると言われている。

 だが、自分達は涙と血と流しながら神の命令に殉じてきたのに、その神はといえば簡単に自分達で定めた規則も破るというのか。グロリアはそう考え、さらに暗い憎悪を募らせるのは無理からぬことであっただろう。


――どうすれば、神様に一矢報いてやれる?


 足は自然と、シュレインの元へ向かっていた。そして店の前まで来た時、グロリアはメルとばったり出くわすことになるのである。


「グロリア……!」


 青ざめ、しかし強い意思をその目に宿した彼女の眼を見た時、グロリアは悟った。彼女も自分と、同じ目的で此処に来たのだということを。

 つまり、真実を知るためにこの場所に居るのだということを。


「メル。君もシュレインさんに話を訊きにきたんだね?」

「……うん」


 それは疑問の形を取っただけの、実質確認の言葉。彼女はこくり、と頷いた。


「グロリアが、一昨日言っていた言葉。実は私もずっと考えてたの。この町の規則は、何のためにあるんだろうって。どうして神様なんて存在の命令に、私達が従わないといけないのかって。神様って一体何で、私達ってどういう存在なんだろうって。……本当はずっと前からおかしいと思ってた。それは、私も同じなの。でも、見て見ぬフリをしてた。町の雰囲気が……それは絶対触れてはいけないタブーだって、そういう感じがして。怖くて誰にも訊くことができなかったの」

「俺もだよ。大人はみんな何かを知ってて、隠してる様子だった。それなのに教えてくれないのはきっと意味があって、それは俺達を守るためなのかもしれないって思うよ。でも……自分が当事者になって、やっぱりそれじゃダメだってさ、今更になって思ったんだ。だってさ」


 次は、メルの番かもしれない。

 そして、ミツルギはこのまま、二度と蘇ることはないのかもしれない。

 そして、自分達はどれほど理不尽を感じても、それを誰かに訴えることもできなければ何かを変えることさえできないというのなら。




「俺達……“人間”だよね?」




 それは、息をしているだけの人形と、一体何の違いがあるだろう。

 自分達は、生きている。意思がある。断じて、チェスボードの上で踊らされるだけの、無残な駒ではないはずなのだ。


「……二人とも」


 そんな自分達の話をじっと聞いていたシュレインは、やがて腹を括ったように口を開いた。


「確かに……私達大人は、全ての真実を知っている。知っていて、成人になるまでは子供達にそれを伝えないという暗黙の了解を持っている。子供にそれを伝えるとしたらそれは……私達が、真実を伝えても耐えられると信じた者だけだ」


 その言葉で察した。ミツルギにこの世界の真実を伝えたのは、目の前の彼であるということを。


「真実を知れば、この馬鹿げた運命に風穴を開けられる、君達はそう思っているのかもしれない。だが、現実はそんなに甘いもんじゃない。真実の底にあるのは絶望だけだ。救いなど一片たりともない。ミツルギ君の言葉が、反応がその証拠だ。聡明な彼は、抗う術などないと早々に諦めたんだよ。あのミツルギ君がだ。……君達が知りたがっているのは、そういう絶望しか存在しないパンドラの箱だ」

「それは違うよ、シュレインさん」


 グロリアは首を振る。これで、全てが繋がった、そう感じたからだ。


「ミツルギは、風穴を開けることはできなくても……抗う術はゼロじゃないって、俺にそう教えてくれました。……本気で戦うフリをすれば、神様からの天罰とやらは下らないんだ。だって、昨日の戦いで俺、殆ど怪我なんかしなかった。余裕がなかった俺と違って、ミツルギは致命傷以外、中途半端な怪我を負うような攻撃は一切してこなかった。……だからミツルギが復活してない今でも、俺は痛みに苦しむこともなく此処に立ってることができるんです。規則の中でも、命令の中でも、戦う方法はきっとある。ミツルギは諦めたんじゃない、きっとその方法を探してる最中だったんだと思う」


 このまま、彼が二度と目覚めない可能性もある。ならば。

 彼が望んだ未来を掴み取り、戦うのは――その命を貰った、自分の義務ではないのだろうか。


「私も、覚悟は決めました」


 まだ泣きはらした痕が痛々しいメルも、きっと強く前を見据えてシュレインに告げた。


「本当のことが知りたいです。戦うのも、抗うのも、真実を知らなかったらきっとできないこと。次に選ばれるのは私かもしれないし、またグロリアかもしれない。私は、私にできる方法でみんなを救いたい。もう、あんなものを見せつけられて、何も出来ないなんてごめんなんです……!」

「……知ったらもう、知る前の自分には戻れないんだぞ。下手をしたら、真実を知った結果、そこから一切身動きがとれなくなるなんてこともあるかもしれない。それでもか?」

「それでもです」


 グロリアは、メルの手をぎゅっと握り締めた。

 前を向くしかない。それ以外に道はない。そう決めることができることこそ、不条理なこの世界にある自分達に許された最後のカードだ。

 自分達が、ただの駒ではないことの――証明なのだ。


「それでも。俺は……俺達は、神様に喧嘩が売りたいんだ」


 そんな自分達の姿に、言葉に、シュレインは何を思ったのか。いや、昨日の観客席での彼。本当は彼も、既に腹を括っていたのではないかと思うのだ。

 あの時確かに眼があったシュレインは、諦めていたようには見えなかった。

 だから自分は、親でも他の知り合いでもなく、彼のところに来ることを選んだのである。


「……わかった」


 そして彼は、ゆっくりと眼を閉じ、息を吐いて――そして。


「来なさい。……真実を、君たちに見せよう」


 店の奥へと、自分達を案内したのである。

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