<第四話>

 鐘がどれくらいの頻度で鳴るのか、それは誰にもわからない。なんとなく今までの経験から“三日から一週間に一度くらい”と誰もが認識しているものの、場合によってはそれより短いこともあるし、もっと長く間があくことも少なくない。ただ、基本的に鳴る時間帯は日中であるので、日が落ちるまで鐘が鳴らない日があれば誰もがほっと息をつくものなのである。


 ああ、今日は誰とも、傷つけ合わずに済んだ。

 ああ、今日は誰が傷つくところも、見ないで済んだ。


 選ばれる者も悲劇だが、観客も当然悲劇だ。罪もない者達が殺し合い、無残な姿で死んでいく様を見せつけられなければならないのだから。

 選ばれる可能性は全員にあり、その候補者全員が観客として広場に集合しなければならない仕組みになっている。赤ん坊も、未就学児童もなんら関係がない。幼い子供達の目の前でも容赦なく血飛沫は舞い、臓物が溢れ、手足や首がちぎれ飛ぶのだ。立っている場所が悪ければ、それらが観客のところまで飛んでくるケースさえ少なくはない。それが、まだ未熟な子供達の心にどれほどの傷を齎すのかは、語るまでもないことだろう。


――初めて“殺し合い”を見たとき俺は、間違いなく赤ん坊で。でもって、俺の記憶も幼い頃は当然ない。だから、記憶にある一番古い記憶は、幼稚舎くらいの年齢だった頃だ。


 グロリアは唖然と、悄然と、呆然と――目の前の景色を見つめるしかなかった。

 闘技場の上、吹きすさぶ突風に吹かれて立ち尽くしている。己が選ばれる日がこんなに早く来てしまうなどと、一体どうして予想することができただろうか。


――一番最初に見た殺し合いは、綺麗な女の人二人だった。幼い頃の俺の記憶だから、実際は女子高校生くらいだったかもしれない。銃みたいなものを握っている女の子と、短剣みたいなものを握っている女の子が、泣きながら戦ってた。


 四つくらいの年であったはずなのに、恐ろしく鮮明に覚えている理由。それは、彼女達の戦いが長引き、同時に恐ろしく悲惨な内容であったからに他ならない。それは彼女達の戦闘技術が未熟であったというのもあるだろうし、同時に戦うことへの躊躇いが出てしまって本気でやりあえなかったというのもあるのだろう。

 今だから、わかる。半端な同情や容赦は、ここではかえって残酷なものでしかないということを。

 本気で相手を思いやるのなら、全力で、一撃で殺しに行かなければならないのだ。何故ならどちらかが死ぬまで絶対に勝負は終わらず、また自害など断じて許されないルールである。ならば怪我が少ないうちに、痛みを感じないうちに、終わりにさせた方がよほど楽なのだ。それは敗者にとっては勿論、勝者にとっても同じなのである。何故ならば勝者も死なない限り、深い傷を負っても翌朝までその怪我が回復しないのだ。昨日のシュレインもそう。片腕を切り落とされた激痛に一晩耐え、どれほど辛く恐ろしい時間であったことだろうか。


『お願い、もう、もうやめて!やめてぇ……!痛いの、痛いのお……!』


 彼女達はどちらも血だらけ、傷だらけだった。

 短剣使いの少女は中途半端に急所を逸れた弾が手足に食い込み、骨を砕き肉を裂いて地獄の苦しみを与えていた。

 銃使いの少女は骨が見えるほど腕の肉を切り裂かれ、腹からも溢れた内臓が落ちないように必死で手で抑えて血反吐を吐いている状態だった。

 きっと、知り合いか友人、親戚のいずれかであったのだろう。ゆえに、相手を簡単に殺すことができず、手元が狂い、お互いに地獄の苦しみを与えるに至ってしまったのだ。最終的には、銃使いの少女がギリギリのところで勝ったような気がするが、それもよく覚えていない。愛らしい筈の少女達はどちらも血まみれになり、勝者の方も顔の肉が抉れ鼻が削がれ、見る影もない悲惨な姿になってしまっていた。

 そんな光景を――幼い自分は、最後まで見せつけられたのである。

 逃げることは、許されなかった。いくら未就学児童でも、赤ん坊でも、病気の人でも、観客は観客として何故だか最後までそこにいなければいけないのである。まるで、盛大なステージには盛り上げ役が必要だと言わんばかりに。その義務を放棄することは罪でしかないと断ずるように。


――わかんないよ、ミツルギ。俺、全然わかんない。何で俺、此処にいるの?


 そして今、そんな場所に――グロリアは立っている。

 親友を目の前に、立つことを強制されているのだ。


――どうしてこんなことしなくちゃいけないの?俺達が、一体何をしたの?


 真っ青になって震えるグロリアを見かねたのだろう。グロリアと共に、選ばれてしまった哀れな少年は――ミツルギは、ゆっくりと息を吐きだして言った。


「グロリア。……こうなった以上、戦うしかない。それはわかってるよな?」

「いや、だ」

「嫌だじゃない。嫌でも、やるしかない。シュレインさんも息子と戦っただろう。愛する子供とでも戦うことを選んだだろう。そうしなければみんなに迷惑がかかる、この世界全部が大変なことになる……!怖くても腹を括れ、俺を殺す気で来い!」

「嫌だ!!」


 時間がない。次に鐘が鳴ったら、始めなければいけない。わかっていても、叫ばずにはいられなかった。


「何で俺達が殺し合いをしないと世界が滅ぶんだよ!?なんでそれが規則なんだよ!?どうしてみんな、そんなルールを当たり前に守るんだよ!?そうでもしなきゃ、守れない世界って一体何なんだよ、俺達ってなんなんだよ!!」


 分からない。何一つ、分からない。

 自分達はエルフ。妖精の一種。この町に古くから住み、平和を愛し、隣人を愛し、慎まやかに暮らしている一族。

 自分はグロリア。中等部の学校に通う、ごくごく普通で本が好きな、ちょっとオタクなだけの少年。

 そして彼は、ミツルギ。同じく中等部のクラスメートで、クールでカッコよくて、ちょっと皮肉屋なところもあるけど気遣いができて――グロリアのライバル。最高の、親友。

 そんな自分達が殺しあわなければいけない理由が見つからない。そして、“それしか”わからないことにも戸惑いを隠せない。

 ああ、自分達とは何なのだ。自分達の町とは、世界とは、一体何だと言うのだろうか。


「決まってる。昨日も言っただろう」


 ミツルギは心底悔しげに歯を食いしばり、そして告げた。




「“人間じゃない”。それだけの、存在だ」




 鐘が、鳴った。風のように早く、ミツルギが懐に飛び込んでくる。彼の双剣が素早くグロリアの首を跳ねようと狙って来た。慌てて身をかがめることで回避するグロリア。もう駄々をこねることさえできない、嫌でもそれを悟った。

 彼は本気だった。そして、今から自分も本気にならなければいけない。

 出来る限り早くこの戦いを、全力で終わらせる。ミツルギを苦しめないよう可能な限り、一撃で殺さなければいけない。


――何で!何で何で何で何で!


 頭の中でぐるぐると考えながらも、大剣をしっかりと握り直して大地を蹴った。


――人間じゃないって、何?俺達がエルフだからってこと?だから、何を命じられても言うことをきくしかないって、そういうことなのかよ!わかんない、わかんないよミツルギ!俺全然、何にもわかんないよ!!


 手を抜くことは許されない。それもまた、ルールに反するとされているからだ。手を抜いて負けたりしたなら最後、“神様”の機嫌を損ねて世界そのものが破滅する可能性があるという。

 戦いから逃げてもいけない。わざと負けてもいけない。

 戦いから眼を背けてもいけない。自ら死を選ぶことも許されない。


「何なんだよ、俺達って!」


 ミツルギの身体を真っ二つにするべく、大剣を振りかぶる。そして泣きながら、振り下ろす。


「何なんだよ……何様なんだよ、神様ってのは!!」


 彼はすぐさま身体を転がして、一撃を避けた。大剣が食い込んだ地面が砕け、余波で突風が巻き起こる。今日は風が強い。重い大剣は、威力はあるものの風の煽りを受けやすい。今の攻撃も、普段通りのスピードで放つことができていたのならよけられずに済んだのかもしれなかった。

 ミツルギはとにかく足は速い。腕力ではグロリアに勝てないものの、手数と機動力では圧倒的に優っている。何度も彼とは組手をしたし、喧嘩もした。だから、彼の攻撃パターンは大体グロリアには予想がつくのだ。

 彼は直様体勢を立て直すと、即座にグロリアの背後に回った。重い大剣は一度振り下ろしてから、再度振り上げるまでどうしても時間がかかる。そのタイムラグは、そうそう埋められるものではない。攻撃の直後に背後から急襲すれば、リーチの差があったところで反撃はそうそう喰らわない――それが、彼の見立てであったのだろう。

 だが、全てはグロリアにとって十二分に予想の範疇だった。ゆえに。


「ぐぁっ!」


 振り下ろしたままの大剣を、思い切り後ろに引いた。そして柄で、すぐ後ろに迫っていたミツルギを振り返ることもせずに攻撃したのである。

 鋭い柄は、ミツルギの脇腹に食い込んだ。普通の人間ならば、柄で殴ったところでさほどダメージなど与えられないだろうがグロリアは違う。大剣を自在に振り回す腕力で鋭く尖らせた柄の一撃は、短剣での攻撃に、十分匹敵するものだ。

 肉を裂き、肋骨を砕く感触を知った。

 ミツルギの悲鳴と、手に飛び散った生ぬるい血の感触がグロリアに現実を教えた。


――ああ、今こそが、現実。


 ダメージを受けよろめいた拍子に、突風に煽られて吹き飛ぶミツルギ。仰向けに倒れた彼に向かって、剣を振り上げてグロリアは跳躍した。これで全部を終わりにしなければいけない。終わらせなければ、いつまでもミツルギの苦痛を長引かせてしまうことになる。

 ダメージから動けない彼に、空中で狙いを定めるのは――そうそう難しいことでは、なかった。




「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」




 まるで、死ぬのがグロリアの方であるようではないか。断末魔に近い悲鳴を上げて、グロリアは体重を乗せた一撃を見舞った。大剣は、まだ身体が出来上がっていないミツルギの心臓付近を真っ直ぐ貫き――一瞬にして、その機能を破壊する。

 骨が砕け、内臓がミンチになり、噴水のように血が噴き上がった。ミツルギの胸からも、口からも、赤い色は太陽に溢れて戦場を派手な色へと染め上げていく。


「あ、ぁ……」


 僅か、数秒。ミツルギの全身が痙攣して、やがて止まった。あっという間の出来事だったはずである。しかし、その時間はグロリアにとってはあまりにも長く、それこそ永遠に近いものに感じられたのだ。


――ごめん、ミツルギ。……ごめん。


 グロリアは血だまりの中に膝を突き、声を上げて泣いた。即死を狙ったつもりだった。けれど、即死だったからといって痛みを一切感じなかったなんてことはきっとない。その前にもダメージを与えてしまっていたから尚更である。


――痛かったよね。苦しかったよね。……本当に、ごめんね。


 底なし沼のような絶望と、悲哀。同時に、じわじわと湧き上がってきたのは――己では制御しようのない、純粋な怒りだった。

 彼をこんな目に遭わせた神様とやらが、憎い。

 自分にこんなことをさせた創造主とやらを、殺してやりたい。


――どうすればいいんだ。どうすれば……神様とやらに、喧嘩が売れるんだ。


 視線を感じて顔を上げると、観客の中から悲痛な顔でこちらを見ている男と眼があった。今にも倒れそうなメルを支えたシュレインは、血の気の引いた顔で――やがてゆっくりと、頷く。


 それはグロリアの、あるいはこの世界の、運命が決まった瞬間でもあったのだ。

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