<第三話>

 一体、ミツルギは何を知っているのだろう。ずっと読みたかったはずの『ベリーメイルの世界』の最新刊を開くこともせず、グロリアは自室で考え続けていた。




『決まっている、解決策なんか何もないからだ。殺し合いをやめることなんかできない。確かに、俺達は誰もそんなことしたくはないし、“神様”さえいなければと思ったことは誰だって何度でもあるだろう。でも、俺達は“神様”を殺すことはおろか、逆らうこともできない種族だ。“神様”が俺達の目の前に姿を見せたことが一度だってあるか?ないだろう?姿も見えない、この世界に降りてくることさえない相手を一体どうやって倒すというんだ。俺達は、此処から出る術なんか一切持たないというのに』




 神様は神様なのだから、誰も見たことなどなくても仕方ないとグロリアは思っていた。しかし、よくよく考えれば奇妙なことではある。

 見たこともないし、その罰が下ったところも誰も知らない。それならばどうして、みんなはあんなにも神様を恐れ、ルールを頑なに遵守しようとするのだろうか。

 見せしめがあったならわかるが、少なくともグロリアが知る限りではそういう話は聞いたことがない。




『逆らったら、世界が滅ぶってことだ』




――世界が滅ぶ?炎で焼かれてなくなっちゃうとか、つまりそういうこと?




『俺達は人間じゃない。だから殺してもいいし、傷つけてもいい。“神様”は、そう思っている。……それだけだ』




 確かに自分達は人間ではない。エルフ、という妖精の種族のひとつだ。しかし、彼の物言いはそういう意味ではないように見受けられた。妖精だから人間ではない、ではなくて――文字通り“ヒト”ではない、というような。人間と同じ扱いなど必要ないと見なされている、というような。


――あーうー……わかんない!わかんないよ!ミツルギもなんではっきり言わないのかなぁ……!?


 彼が明らかに、何かを知っていながら全力でそれをオブラートにくるんだことをグロリアは感じ取っていた。嘘をついている、ようには見えない。しかしまだ、肝心なことを語っていない。あの聡明な親友が、無意味な戦いをしなければいけないこの堅実に怒りや疑問を感じ取らなかったとは到底思えないというのに。

 初等部の頃から、ずっと一緒にツルんできた仲である。喧嘩の数も数えきれないほどしたし、テストも運動も何かにつけて張り合ってきたライバルなのは事実だが――それ以上に親友だと思ってきたし、辛いことや苦しいことなどは何でも共有できていたと思うのである。

 それなのに、あんな苦しそうな顔で隠し事などされたら――ますます真実が知りたくなる、解決策を探したくなるのは友達として当然ではなかろうか。


「……よし」


 明日も学校は休みだ。グロリアは決意する。

 いずれ真実を調べてやろうとは思っていたのである。この町のおかしさ、奇妙なルール、そして神様と殺し合い。ミツルギが知れたのならば、自分にだって真相を知る方法はきっとあるはずである。恐らく本で調べたか、あるいは大人の誰かに教わったかしたかのはずだ。


――ずっと気にはなってた。でも、どこかでまだ他人事みたいな気はしてたんだ。……今まで選ばれてきた人達は、みんな知らない人ばっかりだったから。なんとなく、身内が選ばれることはないような、そんな気がしちゃってたから。


 だが、今回は違った。グロリアは初めて、よく知る人が殺し合いに駆り出され、傷つき傷つけられ、涙を流すところを目撃したのである。

 昼の戦いで勝ったのは、父親のシュレインの方だった。

 戦いは多くの観客の願いとは裏腹に長引き、父は泣きながら何度も息子の体を殴打する羽目になっていた。そして息子の長剣は、父親の左腕を肩からばっさりと切り落とすに至っていた。

 満身創痍の父親は最終的に、中身がはみ出してしまうほど頭を陥没させた息子を抱き締め、舞台の中央で泣きじゃくったのだった。明日の朝になれば、息子は生き返る。いつものパターンなら、そのはずである。それでも一度息の根を止めたのは事実で、そうしたのが己であるのも現実なのだ。父の苦しみは、いかほどのものであったことだろうか。


――こんなこと、繰り返していいはずがない。


 その光景は、グロリアに決意させるには十分だったのである。――それがどれほど無謀で、絶望的な行いであるかなど露ほども知ることはなく。




 ***




――……昨日の今日で、申し訳ない気持ちはあるけど。


 シュレイン書店の開店は朝の九時だ。みんな遠慮があるのかどうなのか、昨日と比べると開店前に並んでいる人の数は少ない印象を受ける。それでもグロリアが此処に来たのは、本ならばやっぱり書店か図書館を利用するしかない、と考えたからに他ならない。


――此処でそれっぽい本が見つからなかったら、図書館に行こう。古い本なら図書館の方があるだろうし。


 ミツルギ達と会う約束も今日はあったが、メルの家の都合で約束は夕方に、という話になっていた。朝と昼ならまだ時間はある。その間に、できることは何でもやっておこうという魂胆だった。まあ、みんなが隠していることを、そう簡単に暴けると思っていたわけではないけれど。


「いらっしゃいませー!開店時間ですよー」


 シュレインは昨日と同じく、何事もなかったように店を開けてくれた。今日は奥さんもレジに立っているらしい。どちらも笑顔だったが、その目元が赤いことをグロリアは見逃さなかった。

 どんな事情があれ、規則であれ、父親が息子を惨殺したのである。それを間近で見せられた奥さんも、相当なショックを受けていたに違いない。たとえ、朝になれば生き返ることが確定していたとしても、だ。


「シュレインさん、大丈夫?あたしらがこんなこと言うのもなんだけど、元気だしてね」

「息子さんはちゃんと目を覚ましたの?どこか欠けてたりってことは?」

「皆さんありがとうね、大丈夫ですよ。息子は念のため今日は家で休んでますが、ちゃんと生き返りましたしね。ほら、私の腕もこの通り!」


 心配の声をかけてくれる奥様方に、シュレインは笑顔で切断されていたはずの左腕をぶんぶんと振って見せた。死者が甦れば、同じ時に勝者が受けた傷も修復されることになる。しかし、死者が生き返るのは翌日の夜明けと同時に、だ。

 彼は一晩、腕がないまま痛みに歯を食いしばって耐えたのだろう。そう思うと、あまりにもやるせない。


――……おじさんは、いい人だ。本についての知識も深いし、面倒見はいいし、俺達みたいな子供のことも馬鹿にしたりはしないし。


 そんないい人が、どうしてあんな目に遇わなければならなかったのだろう。グロリアは彼の明るい声に背を向けて、とことこと店内に足を踏み入れた。目指すはいつもならまず向かうことのない、難しい蔵書の並ぶコーナーだ。

 一部の仕事の人を除けば、この町の外に出ていく機会のある人は殆どいない。この町には食べ物が豊富な農園も牧場も併設されているし、それ以外に必要なものは全て商人たちが運んで来てくれるシステムだ。一生町の外に出ない住人が大半だろうと思われる。外の世界にはモンスターがうじゃうじゃいて危ない、と言われていることも大きな要因の一つだ。

 ゆえに、外の世界の情報は、本を読まなければわからないことが大半である。今回グロリアが探すのは町の外の情報というより町そのものの成り立ちや規則に関する本ではあったが、置いてあるコーナーは似たような場所とみて間違いはないはずである。


――うーん……ありそうでない、なあ。


 端から順々にタイトルを目で追うが、意外なことに“神様について”や“広場の鐘と規則について”詳細を知れそうな本はなかなか見つけることができなかった。町の外の、幻想小説のようなお伽噺や、簡単な町の成り立ちについての本はそれなりに見つけることができたのだけども。

 みんなが知っていて、当たり前のように遵守しているルールなのに――それについて詳しく書いた本が何故たが一冊も存在していない。さすがにこれは、奇妙が過ぎるのではなかろうか。


「おや、グロリア。どうした、どんな本を探してるんだ?」


 不意に声がかかった。見れば恰幅のいい、エプロン姿の男性が一人。店主のグロリアである。


「いつもはこんなコーナー来ないだろ。何か宿題でも出てるのかい?グロリアは頭は悪くないのにすぐ宿題を忘れてしまって先生に怒られてるって話じゃないか。この間の夏休みも散々なもんだったんだろ?」

「なんでそんなこと知ってるの、おじさん……」

「メルとミツルギがそれはそれは楽しそうに話してくれたぞ。これからはグロリアの宿題は自分達が監視しないと、とな」

「あの裏切り者めー!内緒って言ったのに!!」


 夏休みのことは誰にも言うなとしっかり釘を刺したというのに、ご覧の有り様である。何が酷いってグロリアは宿題を“やるのを忘れた”以前に“持って帰るのさえ忘れた”パターンだったから尚更である。今年は少なくていいなーと思った時点で何故自分は気付くことができなかったのだろうか。


「宿題じゃないです。えっとその……あの、おじさん、大丈夫ですか?」


 できればシュレインにも話を聞いておきたかったところではある。躊躇いがちに尋ねれば、ありがとうね、と彼は笑顔を見せてくれた。


「まあ、ちゃんと息子が生き返ってくれたし、私の怪我も治ったんだ。いいってことにしないと、バチが当たるってもんだよ。ただ、“殺し合い”に勝った人間は、今後も呼ばれる確率が上がるって話だからね。そこは気を付けないとなとは思うけどね」

「そういえば、聞いたことあります。負けた人より、勝った人の方がまた呼ばれやすくなる。酷いと連日で殺し合いに呼び出されちゃう人もいるって……どうしてなんでしょうか」

「…………さあねえ。神様が考えてることは、私にはわからんからね」


 あ、と思った。今、彼は明らかにグロリアを見なかった。文字通り、何かを隠したのだ、彼は。


「あの……おじさん」


 直感する。シュレインも――何かを知っていて誤魔化している一人だ、と。


「おじさんは、知ってるんですか。神様の正体と……ルールを破ったら、何が起きるのかって話」


 グロリアが尋ねた途端、シュレインの顔から笑顔が消えた。彼は視線を泳がせ、困ったように口を開く。


「……神様は、神様だ。我々にはどうにもできない、我々を創物した存在だよ」

「だからって、こんな……」

「確かに私たちとて理不尽は感じているさ。でも、神様と呼ばれる存在が我々を容易く滅ぼせるだけの力を持っているのが紛れもない事実なら……逆らうことなどできるはずがない、そうだろう?」


 そうさ、と彼は続けた。


「だって私達は、“人間”ではないのだから」


 それは、ミツルギが言ったのと同じ台詞だった。それはどういう意味なのだ、とグロリアが尋ねようとしたその時である。


「――!」


 広場の鐘が。再び絶望を、鳴り響かせたのだ。

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