<第二話>

 グロリア達の町に、名前はない。ただエルフの里、とだけ呼ばれる平和なこの地には、絶対的なルールが一つだけある。

 広場の神聖な鐘が鳴ったなら、全員が“観客”か“参加者”にならなければならない。

 赤ん坊も、年寄りも、全員が速やかに広場に来て、広場の闘技場を取り囲み見守らなければならないのだ。


 この町には、コロシアムがある。

 小さな小さな、四角い舞台が、ひっそりとそこに設置されている。


 鐘が鳴り、参加者として選ばれた二名だけが舞台の上に召喚されるのだ。そして、選ばれた二名は、再度鳴り響いた鐘の音と共に殺しあいを始めなければならない。この町では全員が一番得意な武器を常時携帯している。赤ん坊であっても(まあ赤ん坊が参加者に選ばれることは滅多にないが)、魔法などで戦う術を身につけているのだ。

 ゆえに、殺し合いに参加する資格と能力は、どんな幼い子供であっても十分備わっているわけで。否、それは資格というより、義務と言った方が正しいだろうか。

 参加者に選ばれた者は、必ず殺し合いをしなければいけない。相手が誰であっても、相手の息の根が止まるまでえんえんと傷つけあわなければいけないのだ。

 慈悲をかけてはいけない。

 わざと負けてもいけない。

 全力で己の身を守り、相手を殺せ。どんな相手であっても、それができなければならないし、逆らうことは許されないのだ。

 何故なら、それがルールだから。――絶対の、ルールなのだから。


「そんな……!」


 グロリアは絶句した。光と共に闘技場に召喚されたのは、つい先ほどまでグロリアが話していた相手であったからだ。

 シュレイン書店の店長、シュレイン。彼は棍棒を手に握り、血が出そうなほどきつく唇を噛み締めている。

 相対している相手の青年にグロリアは見覚えがなかったが、その面差しはシュレインとよく似ていた。シュレインと違って髭もないし太ってもいないが、血縁者であることは十分に知れる程度には面影が残っている。


「シュレインさんの、息子さんだって。私、ちょっとだけどお話したことあるから」


 メルが泣き出しそうな顔で告げた。


「まだ、高等部の学生さんなんだって。お父さんと同じように本が好きで、卒業したら本屋さんを継ぐんだってそう言ってたの。……酷い、親子で、殺し合いをさせるなんて……!」

「くそが!」


 ミツルギが舌打ちした。


「腐ってやがる……ここ最近ずっとそうじゃないか!なんでわざわざ殺し合いの相手に、親戚や家族やみたいな親しい相手ばっかり選ぶんだ!ただ殺し合いさせられるってだけで最悪だってのに……!」


 それは多分、此処にいる全員の願いであり本心であったことだろう。グロリアも、他の皆も全員知っていることだった。選ばれてしまったら、もう舞台から降りることは許されない。相手がどれほど苦しがっても痛がっても、自らの腕がちぎれても足がちぎれても、必ず決着をつけなければならないのだ。

 そうしなければ。規則を守らなければ罰を受けるから。

 神様はそれを、許してはくれないのだから。


「親父」


 舞台の上で、同じく眼に涙を溜めていたシュレインの息子は。大きく息を吸って、そして自ら腰に差していた長剣を抜いた。


「……ごめんな。頼む、全力で殺しに来てくれ。……母さんと、みんなと、この世界を守るために」

「アルガ……」


 本当は、こんなことなどしたくない。それでも逆らう術を、自分達は誰ひとり持っていない。

 シュレインが息子の名を呼んだ時、二度目の鐘が鳴った。


「ああ、鐘が……」


 聴衆の誰かが絶望的な呻きを漏らした途端、アルガがまず最初に跳んでいた。その剣で、一刀両断で父の首を切り落とさんと向かっていく。父も歯を食いしばって、その一撃を棍棒で受け止めた。

 戦いが、始まってしまった。

 グロリア達に出来ることはただ一つ。――少しでも早く、決着がつくこと。その結末が少しでも、苦痛に満ちたものではないことを祈ることだけである。




 ***




「子供の頃から、ずっと思ってたよ」


 とぼとぼと帰路に着きながら、グロリアは呟いた。


「この町は、おかしい」

「グロリア」

「わかってるよ、突き詰めたって意味がないって言いたいんだろ、ミツルギは。それも正しいよ。でも俺は、やっぱり間違ってることは間違ってるって言いたいんだ」


 メルはまだ泣いている。ミツルギはずっと、その背中を優しくさすり続けていた。言葉数の多くないミツルギだが、多分心の中で話している数は人一倍多いのだろうな、なんてことを思ったりもしている。その中のほんの一部だけを選んで表に出しているだけだ。結構なんでも喋ってしまうグロリアとそこは違う。――そうやって選びすぎているせいで、ミツルギは誤解されることもあるが。本当は、人一倍気遣いができるし、空気の読める少年だと知っていた。


「何で、俺達の町って名前がないんだろうね。“エルフの里”ってのもなんだかなって思ってた。名前をつける必要もないみたいじゃないか。この町の外にだって世界は広がってるのに」


 自分達も、いつ選ばれるのかはわからない。そしていつ呼ばれてもいいように、全員が風呂に入っている時以外は武器を携帯しておくのが暗黙の了解だった。今も、自分達は全員そうしている。

 グロリアは大剣。

 ミツルギは双剣。

 そしてメルでさえも、背中には弓矢を背負っている。

 呼ばれたくもないものに、常に備えなければいけない。自分達も、いずれ高い確率でその場所に呼ばれることになるのだ。神様という名の、世界の意思の気まぐれによって。


――闘技場で殺し合いをした二人は、どちらが勝っても負けても翌朝には全ての傷が回復して、死んだ人間も生き返ってる。でも。


 痛みを、苦しみを感じないわけではない。

 むしろ永遠とも思える時間、何度も何度も殺されて生き返ってを繰り返さなければならない。

 あの鐘さえなければと何度思っただろう。こんな規則さえなければ、町の人はみんな優しいし親切だし、争いことなどささいな喧嘩くらいしか発生しない。温和で人を傷つけることを好まないのがエルフの種族の特徴である。そんな自分達が、どうして望みもしない殺し合いなどに駆り出されなければいけないというのか。


「幼稚舎の頃から、俺達全員が戦いの修行をさせられる。町の外にはモンスターが出て危ないから、っていうのが一応の名目だけど、実際はそんなもの誰も見たことなんてないし、襲われたことのある人だっていないだろ。実質、全部殺し合いのための修行のようなものじゃないか。何でこんなことする必要があるんだ?こんなことして、一体誰に得があるっていうんだ……」


 神様がそう決めたから。神様に逆らえば、天罰が下るから。

 大人達はみんなそう口を揃える。しかし、その天罰とやらを実際に見たことがある者もいない。どんな罰が下るかもわからないというのに、誰もが見たことも聞いたこともない神様とやらを恐れて、やりたくもない戦いに参加し続けているのである。

 おかしい。グロリアがそう思うのは、そんなに奇妙なことなのだろうか。


「グロリア、お前の疑問は正しい。でもな」


 ミツルギが、そんなグロリアを諌めるように言った。


「その疑問は、持っても口にしない方がいい類のものだ」

「何でさ」

「決まっている、解決策なんか何もないからだ。殺し合いをやめることなんかできない。確かに、俺達は誰もそんなことしたくはないし、“神様”さえいなければと思ったことは誰だって何度でもあるだろう。でも、俺達は“神様”を殺すことはおろか、逆らうこともできない種族だ。“神様”が俺達の目の前に姿を見せたことが一度だってあるか?ないだろう?姿も見えない、この世界に降りてくることさえない相手を一体どうやって倒すというんだ。俺達は、此処から出る術なんか一切持たないというのに」


 実に正論だった。ただ、その言葉には少々違和感を覚えるグロリアである。彼がいつも、自分達で一緒に読む長編小説では理路整然と分析し、考察し、自分達を驚嘆させてくれることを知っているから尚更である。

 グロリアが思いつく程度の疑問など、ミツルギならばすぐに思いついて然るべきであったことだろう。それなのに、その疑問を突き詰めることさえしない。実際に逆らうかどうかを選ぶのは、全ての答えが見つかってから考えても全然いいはずなのに。

 彼のその物言いはまるで、考えることそのものを諦めているか――あるいは、既に答えがわかっているかのように聞こえてならないのである。


「ミツルギは、ひょっとして知ってるの?何でそんな規則があるのか。神様っていう存在が何で、逆らったら何が起きるのか」


 そう尋ねると、同じ疑問を抱いたのか泣いてばかりいたメルも顔を上げた。ミツルギは少しだけ視線を泳がせて、そして告げる。


「俺が、言えるのは……」


 彼が眼を合わせない時は、嘘をついている時ではない。どんな言葉が相応しいか、頭の中に浮かんだそれの中から必死で言葉を選んでいる時だと知っていた。


「逆らったら、世界が滅ぶってことだ」

「どういうこと」

「文字通りだ。そうとしか言えない」


 それから、と彼は続ける。これこそが真理なのだと、断言するかのように。


「俺達は人間じゃない。だから殺してもいいし、傷つけてもいい。“神様”は、そう思っている。……それだけだ」

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