第十四幕 惨劇の罠

 稲荷山の麓の村で起きた惨劇。それは上級妖魔である鎌鼬すら使役する、奈鬼羅と名乗る『妖鬼』の仕業であった。奈鬼羅から鎌鼬がこの北にある村も狙っていると奈鬼羅から示唆された妙玖尼たち三人は、これ以上の惨劇を未然に防ぐべく街道を北に向かって急ぎ駆けていた。


「しかしまさか海乱鬼以外にも妖鬼と出くわすなんてね! 何か変な呪いでも貰ってるんじゃないかい、尼さん?」


 街道を駆けながらも紅牙が揶揄するような口調で妙玖尼に視線を向ける。


「紅牙さん、冗談でも笑えませんよ? それに妖鬼となればそれを討伐する事は私達退魔師にとって非常に意義がある事。むしろ望む所です」


 そう。一般人ならともかく退魔師である自分が、妖魔に狙われる事を厭うてはならない。むしろそれを誇りに思うべきなのだ。だが謙信がかぶりを振った。


「……いや、呪い・・を掛けられているのは私だ。私が災いを呼び寄せているのだ」


 深刻な声音と表情。それは比喩ではなく本当に呪いを掛けられていて、しかもそれに心当たりがあるかのような口ぶりであった。


「謙信様……あなたは一体?」


 自分たちに関係なければ詮索しないつもりであったが、こうなると流石に気にはなってくる。


「鎌鼬に狙われてるってだけでも物騒だけど、それに加えてあんな剣呑な妖鬼野郎にまで……。男装の事は置いといても、少なくともただの武士って訳じゃなさそうだね」


 紅牙も同様の気持ちであったらしく確信を抱いているような口調だった。謙信の顔が苦渋に歪む。


「それは……済まん、今は明かせぬ。だがあの鎌鼬を討伐できた折には必ず明かすと約束する。もしどうしても信用できぬという事であれば……」


「ああ、いい! いいって! 別に変な意味で疑ってる訳じゃないよ。言いたくなきゃ構わないさ」


 紅牙がみなまで言わせずに手を振った。妙玖尼も頷いた。


「そうですね。ここまでの道中であなたの人となりは見極めさせて頂いています。あなたは悪意を持って私たちを欺くような人物ではないと確信しています。もしそうでなかった場合、それは単に私たちに人を見る目が無かったというだけの事です」


 そう言いつつも、打沢村での言動を見る限りでも謙信は信用に足る人物だと判断していた。紅牙も同様だろう。


「……済まぬ、感謝する」


 謙信は短くそれだけを呟いた。だがその呟きには万感が込められているようだった。



*****



 そんなやり取りをしつつも、街道を急いで駆け上がっていく三人。そして……


「……!!」


 妙玖尼はただならぬ妖気を、そして紅牙と謙信は風に乗って流れてきた悲鳴・・を感じ取って目線を険しくした。


「こりゃ一刻の猶予もなさそうだね!」


「……急ぐぞ!」


 武人二人は更に走行の速度を速め、妙玖尼は付いていくのがやっととなる。だがその甲斐あってそう間を置く事無く、奈鬼羅に指定されていた件の隣村に到着した。そしてそこには既に地獄絵図が展開されていた。



 村の家屋から家屋に素早く飛び移り、逃げ惑う村人たちを殺戮していく巨大な影。野生のイタチを恐ろしく巨大にし、黒い体毛と血のように真っ赤な目を持つ怪物。それはまさしくあの鎌鼬であった。


 その両前肢にはまるで長い刀を逆手に持ったような刃状の突起が備わっていて、その二本の『刃』は殺戮した獲物……村人たちの血で真っ赤に染まっていた。


 そしてやはり刃のような剣呑な形状をした長い尾を振りまわしてまるで局所的な竜巻のような突風を引き起こすと、その『竜巻』は村の粗末な家々を破壊し、中に閉じこもって隠れていた村人を強制的に炙り出す。 


 そうやって炙り出した獲物にその牙が生え並んだ口で齧り付き、直接貪り食らう。哀れな村人の悲鳴が轟く。その悪夢のような光景は生き残っている村人たちにさらなる恐慌を与え、逃げ惑う人々の悲鳴や怒号などの喧騒が、濃密な血の匂いと共に周囲に無差別に拡散される。



「う……! な、何という事を!」


 その惨劇を直接見た妙玖尼は顔を青ざめさせる。だがもっと激烈な反応を示した者がいた。


「お、おのれぇぇっ!! それ以上の狼藉は許さぬぞっ!!!」


「あ、謙信様!?」


 この地の民を護る事に腐心しているらしい謙信は憤怒に双眸を燃え立たせ、薙刀を振りかざしながら一直線に鎌鼬に突撃していく。


「ち! 作戦も何もあったもんじゃないね!」


 紅牙も舌打ちしつつ刀を抜いて、仕方なく謙信の後を追って走り出す。だが確かに目の前の地獄絵図を放って呑気に作戦を立ててはいられないだろう。まんまと奈鬼羅の思惑に嵌った形だが、こうなったらやるしかない。


 妙玖尼も覚悟を決めて弥勒を構えると、謙信たちの後を追って惨劇の村へと突入していった。

 



『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


 まずはあの虐殺行為を止めなくてはならない。妙玖尼は牽制として『破魔光矢』の術を放つ。あの鎌鼬はかなり慎重な性質だ。案の定、奴は虐殺を中断して光弾を回避した。その隙に謙信たちが村人を庇うように間に立ち塞がる。


「卑劣な妖魔め! 我々が相手だ!」


「それとも逃げ惑う無力な獲物しか相手に出来ないかい!? そんな為りして臆病な奴だねぇ!」


 二人が大声で妖魔を挑発する。奴が人間の言葉を解するか定かではないが、どのみち主人・・であるらしい奈鬼羅から謙信の抹殺を命じられている以上、こちらを無視する事は出来ないだろう。


 思った通り、鎌鼬が明確に二人に……正確には謙信に標的を変更した様子があった。


「今の内です! 出来る限りここから離れて下さい!」


 鎌鼬の標的が謙信に移った隙に、村人たちを避難誘導する。例え直接の標的ではなくなったとしても、近くに居たら戦闘の巻き添えになる危険がある。謙信も紅牙も優れた戦士なので、法術の援護が無くてもしばらくの間持ち堪える事なら出来るだろう。


「ああ、ああ! 御坊様! ありがとうございます! ありがとうございます!!」


 打沢村の時と同じで人知の及ばぬ脅威に晒された村人たちは、法衣を纏い錫杖を構えた僧侶の姿にまさに地獄に仏とばかりに、誰何すいかをする事もなく本能的にその指示に縋る。こういう時は僧という立場と衣装は非常に有効だ。だがそれだけに……



「御坊様、助けて下さい! 子供が逃げ遅れてしまって……!!」



「え……!?」 


 半狂乱で取り縋ってくる女性に妙玖尼は目を瞠る。だが当然そういう事態はあり得るだろう。その女性を皮切りに他にも家族が逃げ遅れているという村人たちが縋り寄ってくる。


「た、助けて下さい! うちも女房が……!」

「私も子供が家に置き去りなんです……!」

「年老いた母が……」

「子供二人が……」

「旦那が私だけ逃がして……」

「お父ちゃんを助けてぇっ!!」


「ちょ、ちょっと……皆さん、落ち着いて下さい!」


 半狂乱だったり必死の形相で縋ってくる村人たちに取り囲まれてしまった妙玖尼は慌てる。これが強面の武士などだったら人々はその指示に従って逃げるだけだったかも知れない。だが『地獄に仏』が現れたら人々はまず救い・・を求めて殺到するものだ。


 結果として取り囲んで縋ってくる村人たちが邪魔で、肝心の救助にも行けないという本末転倒な状態に陥る妙玖尼。だが半ば恐慌状態にある村人たちはそれに気づかず、自分の家族だけでも助けてくれとばかりに我先にと妙玖尼に群がり彼女の邪魔・・をし続ける。


 同じ僧でもこれが戒錬などだったら強引な手段・・・・・を用いてでも村人たちを退かしただろうが、あいにく妙玖尼はそこまで出来ず必死に彼等を宥める他なく、結果的に為す術もなく揉みくちゃにされてしまう。



「くそ、尼さん、何やってんだい!? 法術も無しじゃこの化け物相手にいつまでも持たないよ!」


 いつまで経っても法術の援護がない事に焦った紅牙が毒づく。


「……どうやら逃げ遅れた者達が相当数いるようだ。これもあの鬼の思惑の内か!?」


 事態を悟った謙信も苦い顔で歯ぎしりする。この地獄のような状況で妙玖尼の僧姿や法術で妖魔を牽制する様を見れば、生き残っている村人たちが文字通り『地獄に仏』状態になるのは必然だ。更には村のあちこちに逃げ遅れた村人たちが取り残されているとあっては、どうしても彼らを庇いながらの受け身の戦闘とならざるを得ない。


 鎌鼬が村で暴れていたのは、単に彼女たちを強引に戦いの場に引きずり出す為だけではなかった。恐らくはこの状況・・・・そのものが、あの奈鬼羅という妖鬼の思惑だったのだ。


 まんまとその思惑に嵌ってしまった謙信たち。ただでさえ強敵である鎌鼬を相手に、重い足枷を付けられてしまったようなものだ。


「くそ、アタシが尼さんを引っ張ってくるよ! それまで――」


 鎌鼬が狙っているのは謙信だ。大変ではあるが何とか彼女単身で鎌鼬の相手をしてもらって、その間に妙玖尼を救出・・して来ようと戦場を離脱しようとする紅牙だが、その瞬間鎌鼬が謙信を無視・・して紅牙に攻撃を仕掛けてきた。


「おわっ!?」


 紅牙は慌てて回避した。完全に背を向けていたら確実にやられていた。これでは離脱は到底不可能だ。


「……これで奴のだと確定したな。おのれ、姑息な輩め……」


 謙信が苦虫を噛み潰したような表情になる。法術の加護も得られず、尚且つ足手まといの村人があちこちにいるという圧倒的に不利な状況下で、絶望の死闘が幕を開けた……

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