第十三幕 不吉の影

 信濃国、千曲。その地域を流れる千曲川近くの山道を三人の女性が登っていた。勿論男装の女武者、上杉謙信・・・・を加えた妙玖尼と紅牙の三人である。彼女らは千曲川の傍にある稲荷山を登っている最中であった。


「この辺りは最初に鎌鼬に襲われてたアンタを見つけた場所にも近いね」


 三人は謙信が先導し、その後を妙玖尼が追随し、紅牙が殿という構成で移動していた。最後尾にいる紅牙が先頭の謙信に確認すると、彼女は首肯した。


「そうだ。奴を討伐するとは言っても、何の指標も無いのでな。とりあえず直近で奴に襲われた場所から当たってみる他あるまい」


「確かに……あの場所から鎌鼬の妖気を辿っていく事が出来るかも知れませんね」


 妙玖尼も賛同して頷く。あれから多少時間が経っているのでまだ妖気の残滓を辿れるか確証はないが、さりとて他に妙案もない。しかし鎌鼬は上級妖魔なのでその妖気の強さも相当なものだ。『生命勘取』で辿れる可能性は十分にある。


「なるほどねぇ。ちゃんと考えがあっての事って訳だ。とはいえ奴はあんたを狙ってるわけだし、あそこに行ったらいきなり襲われる可能性だって無くはないからね。気構えだけはしっかりしといた方がいいと思うね」


 紅牙が忠告する。勿論その可能性も充分ある。こちらの目的は奴の討伐なので、そうなってくれたらむしろこちらから探し出す手間が省けるというものだ。




 それからもしばらく山道を歩いた三人は、まだ日が高い内に例の襲撃場所付近まで辿り着いていた。


「確かこの辺だね、あんたが奴に襲われてたのは」


「ああ……そうだな。思い出したくもないが、そういう訳にも行かん。どうだ、何か解るか?」


 謙信は苦い記憶をかぶりを振って払うと、妙玖尼に確認する。彼女は無言で頷いて弥勒を立てると法術の準備に入る。


『オン・バザラ・アラタンノウ……』


 充分に法力を練り上げてから『生命勘取』の術を発動する。以前に行った戎錬との合術とは比べるべくもないが、それでも今の妙玖尼の法力を全開にした索敵は、驚くほどの範囲と精度を叩き出した。彼女はその広範囲の『生命勘取』で稲荷山一帯の妖気の流れを探査する。


「……!」


 そして一定の手応えを得て目を見開いた。


「どうだ? 何か解ったか?」


「はい。強い妖気の残滓がここから北東の方角に向かって移動した形跡があります。この妖気の強さは間違いなくあの鎌鼬と見て良いでしょう」


 妙玖尼は断言した。場所が場所だし、何よりも以前に短時間とはいえ一度鎌鼬と直接邂逅しているのが大きい。その妖気のに覚えがあったのだ。


「流石尼さんだね。じゃあそのまま先導を頼めるかい? 周囲の警護はあたしらに任せてくれればいいから」


 流石に組んで長い紅牙は『生命勘取』を発動している間は、どうしても周囲への警戒が疎かになってしまうという問題点を把握しているようだった。


「ええ、宜しくお願いします。それではこのまま追跡を開始しますか?」


 妙玖尼が尋ねると謙信は大きく頷いた。


「うむ、そうだな。色々な意味で奴を討伐できるのは早ければ早いほど良いからな」


 謙信が認めるなら勿論妙玖尼たちに否はない。早速『生命勘取』の術を発動しながら、妖気の痕跡を辿る行路が始まった。




 鎌鼬と思われる妖気の残滓を辿って追跡する一行。妖気は北東に向かっている。『生命勘取』の術を発動しながらの追跡になるが、周囲への警戒は紅牙と謙信がいるので安心だ。


「しかしあいつを見つけたとして具体的にはどうするんだい? そのまま正面から突っ込むのかい?」


 紅牙の確認に謙信はかぶりを振る。


「いや、そなた達の力は信用しているが、それでも奴相手に無策で挑むのは蛮勇というものだ。奴を探知できたら付かず離れずの距離を保って、奇襲できる隙を窺うべきだな」


 山姥相手にも豪胆に戦った謙信が鎌鼬には慎重策を提案する。殺されかけた経験がよほど印象深かったようだ。だが確かに鎌鼬の脅威は山姥の比ではない。慎重を期すに越した事はないだろう。折角こちらが追跡している立場なのだからそれを利用すべきだ。


 方針を決めた一行が更に追跡を続け、稲荷山の麓にある小さな村に近づいて来た時、まず紅牙と謙信がほぼ同時にそれ・・に気づいた。


「……! なあ、これって……」


「うむ……」


 二人の戦士が難しい顔で目配せし合う。妙玖尼は法術に意識を割いていた事もあって気づかなかった。


「二人共、どうしたのですか? 妖魔の気配はまだ感じませんが……」


「化け物の気配はあたしらには判らないけど……血と死・・・の臭いなら感じ取れるよ」


「……!!」


 妙玖尼は目を瞠って息を呑んだ。謙信が増々渋面となる。



「そうだ。この先・・・から大量の血の匂いを感じる。そしてこの先には麓の村があるはずだったな?」



 嫌な予感に突き動かされた三人は急いで山を駆け下りて麓の村まで急ぐ。そして……自分達の予感が的中していた事を悟った。ここまで来ると流石に妙玖尼にも解った。


「う……こ、これは!」


皆殺し・・・かい……。一体何があったんだい?」


 妙玖尼は青ざめて口元を覆う。紅牙は青ざめこそしなかったが、それでも眉をしかめて不快気な様子になる。


 その小さな村は死に満ちていた。村の入口に村人と思われる死体が積み重なっており、血の池を作っていた。それを潜って村の中央にある広場まで到達すると更に凄惨な光景が出迎える。


「こいつぁ……随分猟奇的だねぇ」


 それは元山賊の紅牙ですら若干顔を引き攣らせる程の現場であった。元が人間であったと判らない程に裁断・・された肉片や身体の一部などが、広場中に散乱していた。辺り一面は鮮やかな赤に染まり、濃密な死の匂いが立ち込めていた。


 ここに生者の気配を感じ取る事は出来なかった。この村は……徹底的に蹂躙され、死に絶えたのだ。


「こ、こんな……一体何が? 賊か武田方の仕業でしょうか?」


 この辺りはまだ武田方の領域ではないが、戦の中心地である川中島にも程近いので侵攻してきた武田方の軍勢の仕業という可能性もなくはない。だが謙信はかぶりを振った。


「いや……いくら武田方とはいえ、無辜の民相手にこのような常軌を逸した殺戮はしないはずだ。それに火が掛けられた様子もないのに、家屋も殆どが半壊している。これは……人間の仕業ではない・・・・・・・・・ぞ」


「……っ!!」


 妙玖尼は息を呑んだ。確かに村の家屋もその多くが何かに切断された・・・・・・・・ように半壊していた。妙玖尼はこれが出来そうな存在に心当たりがあった。


「ま、まさか、これは……」


「……うむ、鎌鼬の仕業である可能性が高いな」


「……!!」


 謙信に自己の予想を裏付けられて妙玖尼は唇を噛みしめる。確かにあの妖魔ならこの眼前の惨劇を引き起こす事自体は可能だろう。だが腑に落ちない事がある。


「あの妖魔はあんたを狙ってるんだろ? 何で人里に降りてきてまでこんな無関係な殺戮劇をする必要があるんだい?」


「それは分からん。推測なら出来るが…………むっ!?」


 紅牙の疑問に答えようとした謙信が目線を鋭くして、背負っていた薙刀を引き抜く。ほぼ同時に紅牙も刀を抜いて臨戦態勢になった。


「ど、どうしたのですか、お二人共?」



「尼さん、この現場に呑まれて感覚まで鈍ってんのかい? お客さん・・・・みたいだよ」



「え……!?」


 妙玖尼は慌てて周囲へ意識を向ける。すると確かに彼女の感覚に反応する気配があった。これは……


 半壊した家屋や山積みになった死体の陰から、ぞろぞろと何かが這い出してきた。牙や鈎爪を備えた、人間に似て非なる姿形。下級妖魔の餓鬼だ。優に二十体ほどはいる。どうやら待ち伏せされていたようだ。


 妙玖尼は歯噛みした。本職の退魔師たる自分がよりにもよって妖魔の存在に気づかずに、逆に紅牙達に警告されるという不手際。確かにこの村の凄惨な光景と死の臭いに気を取られ過ぎていたようだ。



「来るぞっ!」


 謙信の警告と共に、餓鬼共が一斉に襲いかかってきた。最下級の妖魔だが数が多いので油断はしない。妙玖尼も弥勒を構えて迎撃に徹する。


「はっ! 雑魚どもがあたしを殺そうなんて百年早いよ!」


 紅牙が刀を縦横に振り回すと、その度に餓鬼が切り裂かれて醜い悲鳴と共に倒れ伏す。だが数が多いので流石の紅牙も対処しきれずに、回り込んだ餓鬼が背中から飛びかかる。


「紅牙さん!」


 妙玖尼は弥勒を振り下ろしてその餓鬼の頭を叩き潰す。そして紅牙と背中合わせのような態勢を取って敵の大群に当たる。


「貴様らもこの虐殺に加担したか!? 報いを受けるが良いっ!」


 謙信は常ならぬ怒りを燃え立たせながら、むしろ自分から餓鬼に斬りかかり屠っていく。必然敵の注意が彼女に集中しやすくなるが、それは妙玖尼と紅牙への圧が減るという事でもある。


「尼さん、今が攻め時だよ!」


「ええ!」


 鬼神の如き謙信に敵の攻撃が集中している隙に、彼女を援護するように餓鬼の数を減らしていく二人。程なくして二十体以上はいたと思われる餓鬼の群れを殲滅する事が出来た。敵の攻撃が集中した謙信が若干被弾したものの重傷は負わずに済み、何とか全員無事であった。


「終わったね……。しかしこいつら何でこんな所で? まるであたしらを待ち伏せ・・・・してたみたいだ」


 紅牙が刀を納めつつ疑問を呈する。だがそれに対する答えは別の人物・・・から齎された。




『ふむ……に掛かったか。折角助かったというのに、やはりすぐに自らの軍に戻らなかったようだな。愚かな事だ』




「「「……っ!?」」」


 三人は一斉に目を瞠って、弾かれたように振り向いた。彼女らの見据える先……山積みになった死体の上にゆったりとした黒い装束に黒い頭巾で全身を覆い隠した、見るからに怪しい風体の男が立っていた。先程まで確かにいなかった。いつの間にそこに現れたのか。


『これは邪気の残滓を利用した幻影に過ぎん。攻撃するだけ無駄だぞ』


「……!」


 咄嗟に武器を構えた三人の様子に、黒装束の男が先手を打って忠告する。


「貴様……何者だ? 網だと? それに助かったとか何とか。今の言い方だと貴様はあの鎌鼬という妖魔と関わりがあるように聞こえたぞ」


『関わりがあるも何も、アレは私の命令で動く忠実な猟犬・・だ』


「な……りょ、猟犬だと? ではつまり貴様が……」


 謙信の驚愕に満ちた問に男はあっさりと首肯した。



『如何にも。アレを使ってお主の命を狙い、この村をアレに滅ぼさせたのも私の命令だ』



「……っ!! き、貴様ぁぁぁぁっ!!!」


 事もなげに認めた男への怒りに眦を吊り上げた謙信は、薙刀を振りかぶって斬りかかる。だがその怒りの刃は無情にも男の体をすり抜けてしまう。その際に男の体が若干だが陽炎のように揺らめいた。幻影という言葉は嘘ではないようだ。恐らく法術でも結果は同じだろう。


『愚かな。無駄だと言ったろう?』


「ぐ……おのれ……! 何故だ! 何故、あのような怪物を使ってまで私を狙う!?」


『お主が狙われる理由。それはいくらでも心当たり・・・・があろう?』


「……っ」


 謙信が歯噛みした。奴の言葉を否定できないらしい。彼女に代わって妙玖尼が進み出る。


「あなたは一体何者ですか? 少なくとも人間ではありませんね?」


 その確信があった。いかなる法術や妖術の類いを用いたとしてもこのような精度の高い幻影を作り出す事など出来ないし、あの鎌鼬のような剣呑な怪物を従える事も不可能だ。それらが出来るとしたら恐らくは……



『我が名は奈鬼羅なきら。お主ら定命の者が妖鬼・・と呼ぶ存在よ』



「……っ!?」


 紅牙が目を剥いた。妖鬼は彼女らにとってある意味で因縁深い存在であった。当たり前だが海乱鬼以外にも人の世に紛れ込んでいる妖鬼はいるという事だ。


「妖鬼が何故謙信様のお命を?」


『謙信? ……ふむ、自分の素性・・を伝えてはおらぬのか。まあ当然か。だがお主らにはいつまでもここで私と話をしている余裕はないぞ? お主らにはこれから我が猟犬が待ち構えている場所へ赴いてもらわねばならんのでな』  


「待ち構えてるだって? のこのこそんな所に出向くと思ってんのかい?」


 紅牙も口を挟む。奇襲せねば倒すのが難しいと見做していた相手が待ち構えている所に、態々正面から出向くのは愚の骨頂だ。だが奈鬼羅は肩をすくめた。


『別に来ぬなら来ぬで構わんぞ? その時はこの道の先にある村がここと同じ憂き目に合うだけの事』


「……っ!!」


 謙信と妙玖尼が目を瞠った。


無辜の民・・・・が犠牲になるのを避けたいなら急ぐ事だ。我が猟犬は人間の肉が大好物な故、な』


 一方的にそれだけを告げると奈鬼羅の幻影は消え去った。つまり鎌鼬と戦うのに、禄に作戦や戦術を立てる余裕もないという事だ。完全に後手に回り、奈鬼羅に主導権を握られている状況であった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る