第十二幕 退魔師の本領

 そして夜は更け、村人の自警活動を休止してもらった事もあり、打沢村はすっかり夜の帳に包まれて静まり返っていた。この時代、住民が寝静まればその町や村は、完全に闇が支配する静寂の世界になる。光源は夜空から降り注ぐ僅かな月明かりのみだ。


 そんな夜の村に近づくものがあるとすれば、それは良からぬ目的を持った賊や獣の類いか、もしくは……


「……!」


 村長宅の離れで索敵用の『生命勘取』の術を広く浅く発動しながら、その時・・・を待っていた妙玖尼が静かに開眼した。そして弥勒を手に取って立ち上がった。


「紅牙さん、謙信様……」


「……! 来たのか?」


「ようやくかい。待ちくたびれたよ」


 妙玖尼が呼びかけると、勿論眠ったりする事無く緊張感を保って待機していた二人が即座に反応する。二人共既にそれぞれの得物を手に臨戦態勢だ。


「そのようです。妖魔に気づかれないように慎重に近づきますよ。私に付いてきて下さい」


 二人を促して離れから出る。外は暗闇に覆われているが僅かに月明かりが差しているのと、妖魔の発する邪気を探知できるのとで迷ったり見失ったりの心配はなかった。邪気を探知できない紅牙と謙信は妙玖尼の後に続くだけだ。



 やがて一行は村では最も外れにある民家が望める所まで来ていた。そして……そこまで来ると紅牙たちにも見えた・・・


「あ、尼さん、あれ……」


「……奴がそうか?」


 二人が声を潜めて確認してくる。妙玖尼は首肯した。彼女らの見据える先にソレ・・はいた。侵入しようとしている民家の屋根まであるような馬鹿げた長身を屈めた異様な姿勢。垢じみた黒いボロ布を纏い、ざんばらに伸びた蓬髪は長身の腰にまで届きそうだ。


 そして青白いその手には人間の首など一撃で刈り取れそうな巨大な鉈のような刃物を、両手にそれぞれ携えていた。


 その化け物は明らかに目の前の民家を標的にしているような動きであった。一刻の猶予もない。



「皆さん、行きますよ!」


 妙玖尼は弥勒を構えて飛び出す。勿論謙信と紅牙もその後に続く。


『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


 素早く『破魔光矢』の真言を唱える。弥勒から射出された光弾は一直線にその化け物に迫るが、その影は意外なほど素早い挙動で光弾を避けた。だが妙玖尼達が民家との間に割り込む隙は作れた。


 近距離で直接対峙した事で妙玖尼の疑惑は確信に変わった。紅牙がその姿を見て目を瞠った。


「あ、尼さん、こいつ……乳房・・があるよ!」



「ええ、間違いありません。これは……山姥やまんばです」



 その名の通り山に出没して山道を通りかかる人を襲うとされる妖怪だが、その発祥は無念の内に死んだ老女の怨念に邪気が反応して誕生するものだとされている。そして……その怨念を晴らそうとする・・・・・・・・・・ような行動が基本原理とも言われている。だとするならこの妖魔が打沢村を執拗に襲っているのは……


「……! 来るぞ!」


 だが謙信の警告が妙玖尼の思考を中断させた。山姥は奇怪な叫び声を上げると、その二振りの鉈を振り上げて襲いかかってきた。こちらが少人数と見て取って逃げずに攻撃を選択したようだ。それ自体は妙玖尼の狙い通りであった。


 三人は咄嗟に散開して山姥の奇襲を躱す。



「ち……この妖怪ババァが!」


「面妖な奴、そこに直れ!」


 素早く態勢を立て直した紅牙と謙信が、左右から山姥を挟撃するようにそれぞれの得物で斬りつける。紅牙の斬撃はその鉈で受けたが、反対側から迫る謙信の薙刀にまでは対処できなかったようで、山姥の胴体に謙信の刃が届く。だが……


「……!!」


 薙刀の刃は山姥の胴体を確実に捉えたが、精々かすり傷を付けた程度で弾き返される。山姥は妖魔としては一つ目鬼などと同じ中級の妖魔に分類される。法術の通っていないただの武器では傷を付ける事も難しいはずだ。


 思わぬ反動にたたらを踏んで態勢を崩す謙信。そこに山姥が鉈を振り上げる。


「させるかい!」


 だがそこに紅牙が再度刀で斬りつけて妨害する。痛打は与えられないものの牽制程度にはなったらしく山姥の動きが停滞する。その隙を逃さず態勢を立て直す謙信。やはり身のこなしはかなりの物のようだ。だがこちらの攻撃が通じないのでは戦いにならない。妙玖尼は素早く真言を唱える。


『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』


 『破魔纏光』の術をまずは紅牙の刀に掛ける。彼女の刀が淡い光に包まれる。それを見た謙信が目を瞠った。


「それは?」


「はは、まあ見てな!」


 紅牙は勇んで再び山姥に斬りかかる。同時に飛びかかってきた山姥の鉈を避けつつ、その胴体に斬りつける。すると先程は通らなかったはずの斬撃が今度は見事妖魔の身体を斬り裂いた。その現象にも謙信が目を瞠る。


「おらぁ、どんどん行くよ!」


 紅牙が調子に乗って追撃するが、山姥も伊達に中級に分類されてはいない。そもそも先程の紅牙の斬撃も完全に斬り裂くには至らず、寸前で身を躱されて軽傷に留まっている。


 紅牙が再び斬撃を放つが、山姥はそれを自身の鉈で受ける。破魔の法術も鉄鉈にまでその効果は及ばない。そして曲がりなりにも妖魔であるので膂力もその見た目からは想像できない強さだ。


「お? こいつ……!」


 紅牙が競り合おうとするが、相手は妖魔なので押し込む事は出来ない。そして山姥の鉈はもう一本あるのだ。右手の鉈で紅牙と押し合いながら左手の鉈を振り上げる山姥。紅牙はそれに気づくも鍔迫り合いの最中である為すぐには身を躱せない。紅牙が目を瞠る。だがそこに……


「させんっ!」


 山姥の追撃を謙信が妨害する。その薙刀が振るわれると淡い発光・・・・が軌跡を描き、山姥の背中を斬り裂いた。先程までは確かに刃が通らなかったはずだ。視線を巡らせると、謙信に向けて錫杖を掲げた妙玖尼の姿が。彼女の薙刀にも素早く『破魔纏光』を掛けたようだ。


「これで先程の借りは返したぞ!」


「……! ち……まあ礼は言っとくよ!」


 紅牙は舌打ちしつつも素直に礼を言って攻勢に転じる。勿論謙信もそのまま追撃を仕掛ける。二人の得物にはそれぞれ『破魔纏光』が掛かっており、妖魔に対して高い攻撃力を誇る状態だ。その効果は山姥自身が体感したことだろう。そうなると堪らないのは山姥だ。


 破魔の法術の援護を受けた二人の腕利きの戦士が、互いの隙を補うような連携で攻撃を重ねてくるのだ。さらにそれだけではなく……


『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


 妙玖尼も勿論攻撃に参加する。二人と斬り結ぶ山姥に死角から飛んでくる光弾にまで対処する余裕はなく、『破魔光矢』がその背中に直撃した。


 おぞましい悲鳴を上げて大きく怯む山姥。格好の隙だ。そしてそれを見逃すような二人の戦士ではない。


「おお……りゃあぁぁっ!!」


「終わりだ、物の怪め!」


 紅牙の刀が山姥の胴体を貫き、謙信の薙刀が妖魔の首を斬り落とした。それぞれの得物に纏わった破魔の法術の力が、呪われた妖魔を塵に返し浄化していく。同時に村を覆っていた邪気も晴れていく。退魔完了だ。



「はっ、思い知ったかいクソババア! あたしらに掛かりゃこんなモンさ!」


「……今の化け物は決して雑魚ではなかった。恐らく私がそのまま手勢を連れてきていたとて返り討ちに遭っていたであろう。それをこうも容易く……」


 危うい所を謙信に助けられた事も忘れて勝鬨を上げる紅牙をよそに、当の謙信は何やら思う所があるらしく難しい顔で唸っている。


「如何でしょう、謙信様? 私達は合格・・でしょうか?」


 彼女の内心を読んだ妙玖尼は、あえて自信に満ちた微笑みを浮かべながら問いかける。問われた謙信はそれでもしばらく考え込んでいたが、やおら顔を上げた。


「……あの鎌鼬に狙われている以上、奴を何とかするまで自軍に帰投する事はできん。だが私はいつまでも油を売っている訳にはいかんのだ。改めて……鎌鼬を討伐する為にそなた達の力を貸して欲しい」


 確かに鎌鼬を放ったまま自分の軍に帰れば、奴の襲撃に自分の部下や仲間たちが巻き込まれる可能性が高い。謙信としてはそれは避けたいのだろう。そして鎌鼬ほどではないが強力な妖魔である山姥をあっさり討伐できた事で、謙信も妙玖尼たちの実力を信頼する気になったようだ。


「勿論です。この地を脅かす妖魔を討伐し『瘴気溜まり』を浄化する事は我が使命です。必ずや達成致しましょう」


 お辞儀で返す妙玖尼。これで正式に謙信との協力関係が成立した。と、そこに提灯や松明の灯りと共に大勢の足音が聞こえてきた。



「お坊様! 凄い物音やあの怪物の叫び声がこちらにまで聞こえてきましたが……どうなりました?」


 村長の新六郎を始めとした村の男衆のようだ。戦いの喧騒は遮断できないのでこれは致し方ない事と言えた。すると妙玖尼が答える前に、彼女たちが守っていた家(最初に山姥が狙っていた家)の戸が開き、中から家の主と思しき村人が顔を覗かせた。


「み、見た! 見てた! あのバケモンだ。でもお坊様たちが見事退治しちまったよ! おら、あんな凄ぇモン初めて見たぞ!」


「お、おお! では、本当にあの化け物を退治して頂いたと? す、素晴らしい! 流石はお坊様です。お見逸れいたしました! 村を救って頂き誠にありがとうございます!」


 新六郎を始めとした村人たちが歓声に湧き、しきりに妙玖尼たちへの感謝を重ねる。妖魔の脅威から解放された喜びは本物のようだ。だが彼らを見る妙玖尼の表情は昏い。


「尼さん、どうしたんだい? なにか気になる事でも?」


「ええ、まあ……。村長、あれは山姥と呼ばれる妖怪でした。死した老女の怨念・・・・・が邪気によって凝り固まって誕生するものとされています。そしてその怨念を晴らす・・・・・・ような行動を取るという特徴も。何か……お心当たりはありませんか?」


「……っ!!」


 問われた村長は大きく目を瞠って硬直する。他の村人たちも一転して不穏そうな様子でざわめく。


「ふむ、どうやら何か心当たりがあるようだな?」


「……! い、いえ、そんな……そんな事は……。あ、あれ・・は事故だったのです!」


 謙信の確認にあからさまに動揺する村長だが、その事故・・の詳細を話す気はなさそうだ。そして妙玖尼もそこまで詳しく聞く気はない。この末法の世であれば僻村であってさえどんな事でも起こり得る。彼女はあくまで僧侶であり、俗世の罪を暴いたり裁いたりする立場にはない。


 妙玖尼にとって重要なのは退魔だけだ。しかしだからこそ念を押しておかねばならない。


「このような言い方はしたくありませんが、あの妖魔はあなた方の身から出た錆・・・・・・とも言えます。もし今後も同じような『罪』を犯せば、それは形となって何度でもあなた方の前に現れるでしょう。そしてその時にはもう私達もここにはいません。努々お忘れなきよう」


「は、ははぁっ!! き、肝に銘じまする……!!」


 村長も村人たちも自分達の『罪』から目を逸らすように、一斉に平伏して地面にぬかづいた。あの山姥の恐ろしさが彼らの記憶にある内はとりあえず大丈夫だろう。妙玖尼が謙信の方を仰ぎ見ると、彼女は嘆息しつつも小さく頷いた。


 彼女もまた(恐らく)外様の武士であり、この信濃の村人たちを裁く立場にはない。ここはこれで納得してもらうしかないだろう。



 こうして打沢村での妖怪騒動は幕を閉じた。互いの実力を確かめあった妙玖尼たちと謙信は、改めて鎌鼬討伐に向けて決意を新たにするのであった。

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