第十一幕 打沢村の怪

「とはいえ、奴の力は強大だ。確かに一度は撃退したようだが次もそう上手く行くとは限らんだろう。具体的にはどのような作戦でいくのだ?」


 妙玖尼たちと正式に協力関係を結んだ上杉謙信・・・・(恐らく偽名)と名乗る女武者が早速問いかけてくる。妙玖尼はそれを受けて頷いた。


「確かに私と紅牙さんだけでは厳しいかも知れません。しかし今はあなた・・・もいます。鎌鼬の攻撃から単身で生き延びる事が可能だったあなたが」


 妖魔が本気で襲っていなかったというのも勿論あるが、それを差し引いても並みの剣士や武者であればとうに死んでいてもおかしくない状況だった。それを生き延びていたという事実が、謙信の腕前が相当なものである事の証明となっていた。


 彼女を法術で援護しつつ妙玖尼と紅牙が加勢する事によって、鎌鼬を倒す事自体は決して不可能ではないはずだ。あの妖魔もそれを警戒して一旦撤収したのだろう。それを受けて謙信が腕組みして唸る。


「つまり正面からでも勝機はあるという事か? 勿論妙玖尼殿を疑うような真似はしたくないのだが……正直信じられぬ。あの鎌鼬の力は生半可ではないぞ。私の連れていた兵士達は為すすべもなく奴に虐殺された。あれは悪夢以外の何物でもない」


 その時の光景を思い起こしたのか、謙信が僅かに身体を震わせる。彼女からしたらその時の体験はよほど衝撃だったのだろう。対して妙玖尼たちの力はまだ殆ど見せていない状態だ。これでは確かに不安に思うのも致し方ないと言えた。


「何だ。助けてやったのに、あたしらの実力を信用できないってのかい?」


「紅牙さん、おやめなさい。確かに謙信様が不安に思われるのも解ります。あなたの信頼を得るにはどうすれば宜しいでしょうか?」


 胡乱になりかけた紅牙を宥めつつ謙信に問う。退魔師の法術は対妖魔に特化しているので、模擬的に実力を示すという事が出来ない。だが謙信自身が納得して妙玖尼たちを信頼してくれないと、いざ鎌鼬と戦うとなった時も十全の力を発揮しきれずに、結果思わぬ不覚を取る可能性も高い。


「……ここは私が襲われた場所からそう離れていないと言ったな? ならばお誂え向きの機会があるぞ」


 謙信は少し口の端を吊り上げた。



「この近くに打沢という村があるはずだ。有明山の麓に位置する村だが、どうも……最近になって現れた謎の怪物・・・・の被害に悩まされているらしい。私は元々兵を連れてその村の調査及び支援に向かう所だったのだ」



 その途上であの鎌鼬に襲われたという事らしい。


「怪物などと言われていたが、当初は武田方の何らかの工作を疑っていたのだ。だが実際にあのような化け物に襲われた事で、その認識を改めねばならなくなった。恐らく村に怪物が現れたという話は事実・・なのだろうと」


「ははん、それでその村に出た妖魔を試金石・・・替わりにしようって事かい?」


 彼女の話の意図を察した紅牙が鼻を鳴らすと、謙信は特に悪びれる事もなく頷いた。


「そなたらは妖魔退治を生業としているのであろう? ならば何も問題あるまい。ただ民草を脅かす怪物を討伐するついでに・・・・そなたらの実力を見極めるというだけの話だ」


 確かに実際に打沢村に妖魔が出現しているなら、それを討伐する事は全く吝かではない。妙玖尼もまた異論なく頷いた。


「問題ありません。確かにそれが私達が信頼に足る存在だと謙信様に納得して頂ける最も分かりやすい方法ですし。それに実際に人里に妖魔が出没しているとあっては放置できません。紅牙さん、宜しいですね?」


「そ、そんなに睨まなくたって解ってるよ! 誰も嫌とは言ってないだろ」


 妙玖尼が念を押すと、紅牙は慌てて居住まいを正した。一々相手と悶着を起こしかけるのは彼女の悪い癖だ。


 こうして急遽、打沢村での妖魔退治に向かう事となった。謙信も体力は回復していたようなので、再び甲冑を着込んであの薙刀を携える。謙信がこちらを試すように妙玖尼もまた、鎌鼬と戦う前に謙信の実際の戦力を直に確認しておきたいと思っていたので、その意味でもこの妖魔退治は渡りに舟であった。




 今彼女たちがいるのは千曲川沿いにある新田という村で、村の者に聞くと打沢はここから東に歩いて半日ほどの距離らしい。今は早朝といって良い時間帯なので、暗くなる前には打沢に着けるだろう。そして村に妖魔が現れるのはご多分に漏れず夜らしいので、村の様子を見てからそのまま妖魔退治に移行できそうだ。


 新田村とはたまに人の行き来があるようで道は開かれており、村人の言葉通り夕刻になる前に打沢村に到着する事が出来た。典型的な山麓の小さな農村といった風情だが、まだ日も落ちていないのに表に出ている村人も殆どおらず、淀んで打ち沈んだ空気が醸し出されているようだった。これは戦の影響によるものだけではなさそうだ。


「何だか暗い雰囲気の村だねぇ。ま、無理もないけどさ」


「直近で妖魔に脅かされているとあっては暗くなるのも当然でしょうね。一刻も早い討伐が望まれますね」


 村の状況を見て紅牙と妙玖尼が嘆息する。


「具体的に何か被害が出ているのかどうかだな。……む、あそこにいる村人に聞いてみるか」


 謙信が示す先には、村の中央にある共用の井戸で何か水仕事をしている女性がいた。例え妖魔に脅かされていても日々の必要な仕事はしなくてはならない。


「もし、そこの者。少々聞きたい事がある」


 謙信が声を掛けると、村の女性はあからさまに不審と警戒の目を向けてくる。唐突に全く村には似つかわしくない甲冑姿の武者に声を掛けられたら、まあ似たり寄ったりの反応にはなるだろう。謙信はやはりとうか、あまり世俗慣れしていないようだ。紅牙も今は外套を纏っているが村の景色からは浮いており、怪しさという点では大差ない。


 仕方ないので自身が前に出て折衝役となる。


「お仕事中に失礼致します。私は金剛峯寺の妙玖尼と申します。この者達は私の護衛で、決して怪しい者ではありませんのでご安心下さい」


「……お坊さん? 行脚の途中ですか?」


 僧侶の法衣姿と穏やかで優しい笑みに多少警戒心を解いたらしい逆に女性が尋ねてくる。大きな街ではなくこうした田舎の村に好んで行脚する僧侶もいるので、この時代の人々にとって仏教の僧侶は都村を問わず比較的馴染みが深い存在であった。


「行脚といえばそうですが……実は最近この村で、何らかの怪異・・のような事象が起きているという噂を耳にしまして。その真偽のほど――」


「――え!? ま、まさか、この村を救いに来て下さったのですか!?」


 反応は予想以上に劇的であった。怪異の話をした途端、女性は目を剥いて取り縋らんばかりの様子となる。


「え、ええ、まあ。もし何かお困りの……」


「ああ! ああっ! ありがとうございます、お坊様! お坊様に来て頂けたのなら安心です! す、すぐに村長を呼んできます! 村長! 村長ぉっ!!」


「あ、ちょっと……!?」


 妙玖尼が慌てて呼び止めようとした時には女性は既に大声で叫びながら駆け出していた。その騒ぎに家に閉じ籠もっていたと思われる他の村人も、何事かと戸を開けて顔を覗かせる。俄にざわめき出す打沢村。妙玖尼は呆気に取られる。


「はは、正に地獄に仏ってやつじゃないかい? 御仏のご威光ってのも捨てたモンじゃないねぇ」


「うむ、私と兵士達だけで来ていたら警戒されて、こうすんなりとは行かなかっただろうな。流石は妙玖尼殿だ」


 紅牙と謙信が揶揄するように(謙信は本気かもしれないが)妙玖尼を褒める。彼女は若干釈然としないものを感じつつ嘆息するのだった。



*****



「いや、遠路はるばるようこそおいで下さいました。村長の新六郎と申します。この度は村に現れた化物を退治して頂けるとの事で感謝に堪えません。ささ! どうぞ遠慮なさらずにお召し上がり下さい」 


 下にも置かない扱いで村長の家に通された妙玖尼達は、広い座敷で村長と向かい合って座っていた。彼女らの前にはそれぞれ盆の上で湯気を立てる里芋と山菜の煮付け、盛られた黒米、そして何と味噌がたっぷり塗られた焼き魚が並べられていた。千曲川が近いとはいえ、基本的にこのような内陸の農村では焼き魚は嗜好品に近い扱いだ。


 それはそのままこの村の妙玖尼に対する歓迎と期待・・の度合いと言えた。村長に遠慮なくと言われた事もあって、紅牙などは早速目の色を変えて膳に箸を付けて舌鼓を打っていた。金品の類ではなくこうした現物支給・・・・は妙玖尼も固辞しない主義であったので、礼を言ってありがたく頂戴しながら本題を進める。


「ご歓待痛み入ります。して……先程化物・・と仰いましたが、今この村で何が起きているのか詳しくお聞きしても?」


「勿論でございます。アレ・・が現れるようになったのは一月ほど前からです。夜な夜な村に現れて最初は鶏などの家畜や作物を荒らすくらいだったのですが、すぐに人も襲うようになってきました。特に……子供を好んで狙うのです」


 村長が顔をしかめる。


「勿論皆怖がって夜には絶対に外に出ないようにしていたのですが、そうしたら戸を破って家の中にまで侵入してくるようになって、村はずれに住む十蔵の一家が襲われました。子供は攫われ、抵抗した十蔵とその妻は無惨に殺害されました」


「……!」


 既に人的被害が出ているとなると早急な解決が必要だ。


「臆病な性質らしくて大勢の村人が見張っていると襲撃してこないのですが、戦で若衆が徴兵されているのもあって、交代で夜通し見張るというのも限界に近付いていまして……」


 村の雰囲気が打ち沈んでいて日中から人の姿がなかったのは、そうした夜警・・活動の疲れや反動から来るものだったようだ。


「……念の為確認するが、賊や落ち武者の類いではないのだな?」


 謙信だ。確かに今の話だけ聞くとそのようにも思える。特に今の時勢は武田方の武士や兵士が大量に信濃に入り込んで各地で戦を繰り広げている状態なので、落ち武者が出現しやすい状況ではある。だが村長はかぶりを振った。


「勿論私共も最初はそれを疑いました。ですが十蔵の家が襲われた際に私も村の者達もはっきりと見たのです。七……いえ、八尺はあろうかという異様な長身に、暗闇でも妖しく光る赤い目。両手に持った巨大な鉈には十蔵達の血がべっとりと……。そしてあの耳をつんざくような奇怪な叫び声! ああ、思い出しただけでも怖気が……!」


 その時の光景を思い出して身体を震わせる村長を宥め、その『化け物』の姿などを詳しく聞き出す妙玖尼。そして退魔師としての知識と経験からその正体に当たりを付ける。 


「……なるほど、お話はよく解りました。この村を脅かすその化け物、私達が必ずや討伐致しますのでご安心下さい」


「おお、何卒! 何卒宜しくお願い申し上げます、お坊様!」


 自信を持って請け負う妙玖尼の姿に感動した村長は何度も頭を下げる。彼の勧めで村長宅の離れに逗留して夜を待つ事となった。食事の礼を言って村長の家を辞す妙玖尼達。



「ふぃー……食った食った。まさかこんな僻村で焼き魚の味噌漬けにありつけるとは思わなかったよ。で、結局敵の正体は解ったのかい?」


 離れに腰を落ち着けると、村長宅では一言も会話に参加せずに食事にだけ集中していた紅牙が暢気に尋ねてくる。


「……やはり村人が闇夜や恐怖で落ち武者を妖怪と錯覚したのではないか?」


 謙信はやや懐疑的であったが、妙玖尼はかぶりを振った。


「いえ、村に僅かですが邪気の残滓が漂っていますし妖魔で間違いないようです。その正体も類推は出来ましたが……断定するのは実際に相まみえてからですね。という訳でここで夜まで待ちますよ」


 妖魔を敢えておびき寄せる為に、夜間の『哨戒』を中止するよう村長に頼んである。妙玖尼達は夜間での活動に備えて思い思いに休息を取るのであった……

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