第十幕 協力要請

「む……む…………っ!?」


 顔をしかめて何度か唸った後、彼女・・は薄っすらと意識を取り戻した。そして即座に気を失う前の状況を思い出すと、目をカッと見開いて跳ね起きた。


「お……? 目が覚めたのかい?」


「……!!」


 どうやら簡素な宿のような場所で寝ていたらしく、同じ座敷の少し離れた壁際にもたれて座り込んでいた女が声を掛けてきた。素肌の上に赤い甲冑類を直接身につけていて、それ以外には衣類といえる物を着ておらず、その白い肌の大部分を露出した破廉恥極まる『鎧姿』の女であった。


 彼女はその姿に目を剥いた。そしてその特徴的な姿が気を失う・・・・前に見た覚えがあるものだと思い出した。それと同時に急速に記憶が戻ってきた。


「ヤツは……鎌鼬はっ!?」


「憶えてないのかい? あの化け物なら、あたしらを警戒して逃げちまったよ」 


「……! そう、か……」


 彼女はホッと息を吐いた。とりあえず命の危機は回避できたようだ。あの絶望的な状況下においては奇跡としか言いようがない。



「ここは……?」


「ああ、千曲に点在する村の一つだよ。とりあえず女二人で・・・・あんたを運ばなきゃならなかったからね。宿代はこっちで出してるから安心しな」


「……!」


 女二人と聞いて彼女は、気を失う前に見たもう一つの鮮烈・・な光景を思い出した。やはりあれは夢ではなかったのか。


「でも……あんな化け物に襲われてたのもそうだけど、女の身・・・であんな甲冑着込んで武士になりきってるなんて、どんな訳ありだい?」


「……っ!」


 彼女はそこで初めて自分が甲冑を着ていない簡素な寝衣姿である事に気づいた。恐らく介抱してここに寝かせる際に脱がせたのだろう。考えてみれば当然の事だ。反射的に自分のを隠すような体勢となる。


「……助けてくれた事には感謝する。だがこの事・・・は他言無用に願いたい」


 無論彼女に近しい者達は真実を知っているが、民や兵士達・・・・・は彼女の事を特に男だと疑っていないのだ。この事が広まるのは避けねばならない。それを受けて女は肩をすくめた。


「別に好んで言いふらしゃしないよ。言いたくなきゃ無理に聞く気もないしね。ただ……」


 女は少し口の端を吊り上げた。



「あんな剣呑な妖魔に襲われてたとあっちゃ、少なくともアタシの連れ・・は放っとかないだろうねぇ」


「……!」


 この女の『連れ』と言われて、彼女は気を失う前のあの鮮烈な情景を再び脳裏に浮かべた。丁度その時、宿の引き戸が開け放たれて誰かが入ってきた。咄嗟に視線を向けた彼女は息を呑んだ。


 そこには独特の形状をした錫杖を携えた、黒い法衣と白い尼頭巾姿の非常に美しい一人の尼僧・・が立っていた。


「て、天女……」


「目を覚まされたのですね。あいにく私は天女ではありません。金剛峯寺の妙玖尼と申します。以後お見知り置き下さいませ。そちらは私の護衛を兼ねている紅牙さんです」


 そう言って天女……妙玖尼は、全ての男を蕩かすような極上の笑みを浮かべてお辞儀した。


「差し支えなければ、あなたのお名前をお聞きしても?」


「……! あ、ああ、そうだな。うむ……私は……」


 彼女はそこで一旦言い淀んだ。流石にこの場で自分の名前や素性を明かす訳には行かない。だがこのような状況を想定していなかったので、こういう時に名乗れるような別名も用意していなかった。



「私は……上杉。上杉、謙信・・……だ。まずは私の命を救って頂いたこと心より感謝致す、妙玖尼殿」



 咄嗟に思いついたのは彼女も何度か会った事のある関東管領・・・・上杉憲政の名字と、いつか仏門に帰依した際に改名しようと思っていた法号・・であった。


「上杉……? 関東管領の上杉憲政の血族か何かかい?」


「まあ、そんな所だ。ここには長尾氏・・・の援軍としてやってきていた」


 大名の情報に詳しいらしい赤甲冑の女……紅牙の問いに、彼女は曖昧に首肯する。それを聞いて妙玖尼が納得したように頷いた。


「確かに関東管領としては武田氏のこれ以上の勢力拡大は阻止したい所なのでしょうね。でも私が関心があるのはそこではありません」


 妙玖尼がぐっと顔を近づけてきた。その美しい面と吸い込まれそうな瞳にどぎまぎして、彼女は反射的に目を逸らしてしまう。


「あの妖魔……鎌鼬の事です。通常あれほどの上級妖魔が人前に姿を現す事は滅多にありません。私は退魔師としてこの信濃の地に『瘴気溜まり』があると確信しています。そしてあの鎌鼬は『瘴気溜まり』の影響を受けているのではとも推察しています。ならば……あの鎌鼬を追う事で、この地の『瘴気溜まり』の手がかりを得られるやも知れません」


「瘴気溜まりだと……? 何だそれは?」


 彼女が眉根を寄せると、妙玖尼ではなく紅牙が答えた。


「平たく言うと妖魔共の発生源・・・みたいなモンさ。というか妖魔が活動しやすくなる『邪気の発生源』って言った方が合ってるかね。なんかでその地が荒廃して人心が乱れると、この『瘴気溜まり』が発生しやすくなるらしいよ」


「……! 戦で……妖魔が?」


 彼女は僅かに顔を青ざめさせる。今この地は日本でも有数の『戦』の主戦場となっていた。だとするとその戦を起こしている当事者達・・・・こそが、この地に妖魔を呼び寄せている張本人という事になってしまう。妙玖尼が神妙な表情でお辞儀をする。



「私達はその『瘴気溜まり』を滅するためにこの地にやって来ました。あの鎌鼬は恐らくまたあなたを狙ってくるでしょう。どうか私達にあなたを護衛・・させて頂けませんか」



「…………」


 確かにあの怪物は依然として脅威だ。それを一度は退けた妙玖尼達を護衛として雇う事は理に適っている。ましてや本人達がそれを望んでいるのだ。そしてそれだけではなく……


「……その『瘴気溜まり』とやらを消す事が出来れば、この地から妖魔どもを追い払えるのか?」


「はい、お約束いたします。勿論人の営みがある限り大なり小なり邪気は発生して、散発的に妖怪が現れるという事はあるかも知れませんが、少なくとも大群を成して組織的に人々を襲ったり、あの鎌鼬のような上級妖魔が現れて人に害をなす事はなくなります」


 妙玖尼は自信をもって断言した。つまり『瘴気溜まり』とやらを祓う事によって、戦によって荒廃したこの地の民に僅かでも安寧をもたらす事は出来る様だ。そしてこの尼僧ならそれを成し遂げられる。ならば何を迷うことがあろうか。



「そう……だな、解った。いや、寧ろこちらから頼もう。再び私を狙って現れるだろうあの怪物を討伐し、そしてこの信濃の地を妖魔の脅威から救うために、是非ともお主たちの力を貸してくれ」



 彼女はそう言って真摯な表情で、旅の尼僧と傭兵に頭を下げた。紅牙が意外そうに眉を上げた。


「へぇ、お武家様がアタシらみたいな流れ者に頭を下げるとはねぇ」


「紅牙さん、失礼ですよ。謙信様……己の命だけでなく、この地の民を思いやって私達にも礼を尽くすあなたの心意気に感服いたしました。是非ともあの妖魔を討伐し、この地を蝕む『瘴気溜まり』を浄化するために協力させて下さい」


 彼女の真意を汲んだ妙玖尼は紅牙を窘めつつ、柔らかく微笑んで再び嫋やかにお辞儀した。その姿を見た彼女は再び心臓が跳ねた気がして、自身の感情・・に戸惑うのであった……

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