第八幕 相棒
「終わった、な……。手こずらせおって、妖魔風情が」
烏天狗の消滅を見届けた戎錬が息を吐いて、構えていた錫杖を下ろした。そしてギロッと妙玖尼と雷蔵の方に鋭い視線を向けてきた。
「つまり貴様らは到着していたにも関わらずすぐに参戦せず、私達とあの妖魔の戦いを高みの見物していた訳か?」
憤怒を内包したその声を聞くまでもなく、彼が怒っているのは明らかだ。未だに痺れが抜けずに動けないでいる紅牙は勿論、戎錬も充分酷い有り様だ。妙玖尼は途中から参戦したものの、雷蔵に至っては最後の最後に奇襲するまで温存していた。それは戎錬からしてみたら『高みの見物』と取られても仕方のない事だろう。だが……
「戎錬……解ってて言っているのだろう? まあ解っていても一言言わずにおれんという気持ちも理解は出来るがな」
「ぬ……」
悪びれるでもなく肩をすくめて苦笑する雷蔵の言葉に、戎錬は苦虫を噛み潰したような表情になる。そう、結果としてみれば彼等の立てた作戦は功を奏し、烏天狗を無事に討伐する事が出来たのだ。もし妙玖尼と雷蔵も最初から何も考えずに参戦していたら、烏天狗に奇襲で大打撃を与える事は難しかっただろう。
戎錬も頭ではそれを解っているはずだが、彼の性格からして厭味の一つでも言わずにはいられなかったのだろう。
「はは……まあ良いじゃないか。結果としてあたしらも命を拾ったんだしさ。結果良ければ全て良し、だろ?」
「……! 紅牙さん、大丈夫ですか!?」
その時、まだ少し苦しげながら身を起こした紅牙が、こちらに歩いて近づいてきた。ようやく動けるようになってきたらしい。
「ああ、何とかね。……今回は無様晒しちまったね。美味しいとこ皆アンタ達に持ってかれたよ」
紅牙は自嘲気味に呟く。だが雷蔵が真面目な表情でかぶりを振った。
「いやいや! 紅牙殿の働きもそれは見事であったぞ。そなたがいなければこの勝利は無かったといっても過言ではない」
「え……そ、そうかい?」
断言された事で紅牙が若干照れた様子になる。だが彼の言葉には続きがあった。急にニヤついた表情になる雷蔵。
「そうだとも! まさか妖魔である烏天狗を
「……ッ!」
紅牙の顔が引きつる。意図的にやったならともかく、明らかに自分が想定していなかった
「ふん、確かにそうだな。案外
何故か戎錬まで便乗して皮肉げな笑みを浮かべている。紅牙の額に青筋が立つ。
「あんたら……ふざけんじゃないよ。人がしおらしくしてたら調子に乗りやがって!」
目を眇めて刀を振り上げる紅牙。流石に悪ノリが過ぎたと思ったのか、雷蔵が両手を上げて降参の体勢を取る。
「ま、待て待て! 俺が悪かった! 全部冗談だ! なあ、戎錬!?」
「う、うむ、そうだな」
戎錬もやや顔を引きつらせて同意する。だが怒り心頭に発した紅牙は収まらない。
「冗談でも言っていい事と悪い事が――」
「――紅牙さん、落ち着いて下さい。もう戦いは終わりました。彼等の性格は今更でしょう?」
仕方ないので妙玖尼が間に入って仲裁する。正直心底疲れているので、これ以上の諍いは勘弁して欲しいというのが本音だ。妙玖尼の微妙な苛立ちを感じ取ったのか、紅牙が渋々といった感じで引き下がる。
「ち……尼さんに免じて勘弁してやるよ。次からは言葉に気をつけな」
彼女が刀を収めると雷蔵は露骨に胸を撫で下ろして笑った。
「勿論だ、約束しよう! いや、助かったぞ、妙玖尼殿」
おどけたように礼を言う雷蔵だが、そこに自身の軽口を本気で反省している様子はない。しかしある程度とはいえ共に行動してきた中で、妙玖尼にも多少雷蔵の人となりが解ってきていた。
彼は恐らく意気消沈していた紅牙にそれを忘れさせようと、敢えて彼女を怒らせるような言動を取ったのだろう。事実紅牙はすっかり落ち込んでいた事を忘れて元の元気を取り戻しているようだった。
それを読み取った妙玖尼だが、勿論敢えて口に出すような愚は犯さない。心の中で彼に礼をしつつ、表向きは呆れたように嘆息する。
「はぁ……まあ良いですが、紅牙さんではありませんが今後は発言に注意して下さいね」
「さあ、ここでの用件は済んだ。なればこんな所さっさと後にして安曇野へ戻るぞ。私も流石に疲れたのでな」
一方で紅牙への揶揄が演技だったのか本心だったのか判別できない戎錬が、手を叩いて帰投を促す。心底疲れていて一刻も早く人里まで帰りたいのは皆同じ気持ちであったので、異論を唱える者は誰もいなかった。
******
「俺達は引き続き『瘴気溜まり』の痕跡を探しつつ鉢盛山の方へ向かう予定だ。戎錬によるとそこに『瘴気溜まり』がある可能性が高いとの事なのでな」
数日後。安曇野の街へ戻ってきた彼等は、妖魔を無事に討伐した旨の報告を終えて激闘の疲れを癒した後、再び旅立つために街の外れに集まっていた。
雷蔵が自分達の行き先を告げる。鉢盛山はここから南西の方角に聳える山岳だ。妙玖尼はかぶりを振った。
「私達は長野に向かう予定です。長尾氏と武田氏の戦が長引いている事で妖魔が跳梁しやすい状態になっているはずですから」
主戦場となっている川中島は長野の街から程近い地域だ。そこが主戦場になっているのは単に立地上の問題だけではなく、『瘴気溜まり』が影響しているのではないか。妙玖尼はそう睨んでいた。安曇野は途上に立ち寄っただけで、元々は長野を目指していたのだ。
「ふむ、確かにこの信濃の地には
戎錬が得心したように頷いた。確かに彼は出会った当初、そんな事を言っていた。
「という訳だから
残念という部分を強調した紅牙が、言葉とは裏腹に笑顔で雷蔵の肩を叩く。戎錬とはとことん相性が悪いようで、彼と別れられる事がよほど嬉しいらしい。その戎錬が鼻を鳴らした。
「ふん、こちらこそ
「ああ? 何だって、糞坊主……」
「――ご忠告ありがたく承ります、戎錬導師」
とっさに絡みかけた紅牙を制して妙玖尼がお辞儀する。今回の件で戎錬の人となりが多少解ってきた彼女は、これが彼なりの
「ふん……ではな。
戎錬は一方的にそう告げて踵を返した。そして後はもう振り返る事なく、安曇野から南方面に伸びている街道を下っていく。その背中を見て雷蔵が苦笑する。
「ふ、とことん不器用な奴よ。だがあやつといれば退屈はせん。お主が妙玖尼殿と同道している理由も似たようなものだろう?」
「……まあね」
紅牙は言葉少なに認めた。それだけでなく退魔師という特殊な生業だからだろうか、その強さとは裏腹にどこか危なっかしくて放っておけないと思ってしまうのだ。それも雷蔵と共通の認識なのだろう。無論口には出さないが。
「という訳で俺も奴に付いて鉢盛山に向かう。お主らとはここでお別れだが……またどこかで会える事を願っているぞ」
「……鉢盛山にも『瘴気溜まり』があるのなら、強力な妖魔や鬼もいるかも知れません。くれぐれも油断する事なきようお願いします」
別れ際に忠告する妙玖尼。雷蔵は一瞬目を瞠ったが、すぐに不敵な表情になって頷いた。
「無論言われるまでもない。それはそっくりお主等にも言える事だからな。お互いにまた生きて会おうぞ」
「ああ……約束するよ」
紅牙もこの時ばかりは神妙に請け負った。雷蔵は満足げに再び頷くと、後は戎錬を追って振り返る事なく駆け去っていった。その背中を見送った妙玖尼は一息吐くと気持ちを切り替えた。
「さあ、それでは私達も出発しましょうか。長野に向かいますよ」
「ああ、それは良いけど残念だったね、尼さん? 糞坊主はともかく雷蔵の奴には一緒に来て欲しいと思ったんじゃないかい? 正直あいつはアタシより強いよ?」
紅牙が若干複雑そうな表情でそんな事を言う。確かに雷蔵の剣士としての腕前は紅牙以上だ。それを認められないほど彼女は狭量ではない。単純に
「それを言うなら戎錬導師の退魔師としての実力は私よりも遥かに上です。でもあなたは戎錬導師の供として同道したいと思いますか?」
「私が? あの糞坊主に? 冗談じゃないよ! 絶対お断りだね! 確かに退魔師としては強いんだろうけど、相性ってモンがあるだろ。あいつに背中を預けようとは思わないね」
紅牙は躊躇なく断言する。今回図らずも相棒役を
「私も同様です。確かに雷蔵さんは優れた剣士ですが、それと戦いにおける相性は別の話です。私は
「……ッ!」
はっきり言葉にして出すと紅牙が息を呑んだ。ややあって彼女は顔を逸らして頬を掻いた。その頬は珍しく僅かに赤みを帯びていた。
「あ、あー……さて! それじゃさっさと出発しようかね! ここから長野までは結構な距離だし、明るいうちになるべく進んでおかないとね!」
顔に赤みを差したまま紅牙は殊更大仰に呟いて、街道を北に向かってさっさと歩き始めた。妙玖尼は微苦笑しつつその後について自身も安曇野を後にしていった。
向かうは長野、川中島の地。人心乱れる戦の世において退魔師達の旅に終わりはない……
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