第七幕 断罪の雷
「ち……ようやく来たか。さっさと手を貸せ、愚図が!」
戦列に復帰した妙玖尼を見て戎錬が、その無事を喜ぶでもなく居丈高に命令する。咄嗟に紅牙が反発した。
「おい、糞坊主! 助けてもらっといてその言い草は何だい!」
「紅牙さん、私なら大丈夫です。今は妖魔を優先しましょう」
だが戎錬の性格を熟知している妙玖尼は、今更そんな事で気分を害したりもしない。それに事実そんな場合でないのも確かだ。
「モウ一人ノ退魔師……生キテイタノカ。一ツ目鬼ヲ退ケルトハ悪運ノ強イ奴ダ」
事態を悟った烏天狗が唸る。だがすぐに気を取り直すと、妙玖尼に対しても殺気を向けてくる。戎錬にやっていたように錫杖を構えて急降下を掛けようとする。だが……
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
「……!!」
今度はそれによって体勢を立て直した戎錬から『破魔光矢』が飛んだ。躱されたがそれによって奴の注意が戎錬に戻ると、今度は妙玖尼が『破魔光矢』を飛ばす。烏天狗は常にどちらかの対空攻撃を警戒しておかなければならず、急降下のような隙の大きい攻撃を使えなくなる。
「はは! いいぞ、もっとやってやりな! ざまぁみろ、カラス野郎!」
二人の退魔師の光弾に翻弄されて右往左往する烏天狗を見て、紅牙が喝采をあげる。そしてもし奴が光弾を受けて墜落してきたら止めは自分が刺してやるとばかりに刀を構える。
「オノレ、人間風情ガ、調子ニ乗リオッテ……!」
二人の退魔師の反撃で形勢逆転された烏天狗は忌々しげに唸ると、今までと違う行動を取った。これまでのように錫杖を下に向けて急降下の体勢を取らず、逆に頭上に掲げ上げたのだ。そしてそれを猛烈な勢いで旋回させ始める。すると……
「……! 何だい、これは? 風が……!?」
紅牙が戸惑ったように視線を巡らせる。まるでこの場所にだけ局所的に嵐が起こったように、猛烈な風が渦巻き始めたのだ。その原因は明らかだ。
烏天狗が錫杖を旋回させる毎に、渦を巻くように風が吹き荒れる。奴がこのつむじ風を巻き起こしているのだ。その風速は見る見るうちに上がっていき、すぐに立っているのも辛いほどになる。まるで突風だ。
「く……『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』」
妙玖尼は突風に抗いつつも烏天狗に『破魔光矢』を放つ。今なら奴の動きが止まっているので当たるはずだ。だが何と奴の周囲に『風の障壁』のような物が形成されているらしく、妙玖尼の光弾は障壁に当たって虚しく弾かれた。
「あ……!?」
「尼さんっ!?」
法術を放つ為に一時的に無防備な体勢となっていた妙玖尼は、猛烈な突風に抗えずに吹き飛ばされそうになる。近くにいた紅牙が咄嗟に彼女を抱え込むようにして一緒に地面に伏せる。
「あ、ありがとうございます、紅牙さん」
「どう致しまして! でも凄い風だね、こりゃ!」
地面に伏せながらも、紅牙が暴風に負けないように怒鳴る。既に局所的な嵐のような状態だ。戎錬も地面に伏せてやり過ごすのがやっとになっている。迂闊に攻撃しようとすれば先程の妙玖尼の二の舞いだ。だがこちらが動けない間にも烏天狗が巻き起こす暴風はどんどんその強さを増していく。そして……
『喰ラエィ!!!』
烏天狗が旋回させていた錫杖を大きく振りかぶった。そして自身ごと降下しながらその錫杖を思い切り地面に叩きつけるような動作を取った。
「――っ!!」
その瞬間、地面が
「きゃああああっ!!」
妙玖尼と紅牙は抱き合うようにして一塊で吹き飛ばされ、大きな岩に衝突して崩れ落ちた。戎錬も巨木に衝突しながら森の奥まで突っ込んでいった。
「うぅ……」
「ぐ……あ、尼さん、大丈夫かい……?」
紅牙は何とか身を起こすが、妙玖尼は激痛から低く呻いて立ち上がれない。
「フゥゥゥ……! フゥゥゥ……!! 吾ニコノ技ヲ使ワセルトハ、人間ニシテハ中々ダ。ダガ……ココマデダナ」
地上に降り立っていた烏天狗は
「グフフ……死ニ損ナイ共メ。後ハ吾自ラ止メヲ刺シテヤロウ。否、ソノ前ニ
「……っ! こいつ……!」
それを見て取った烏天狗が余裕を取り戻して、傲然と歩いて近づいてくる。そして信じがたい事に紅牙に対して、その鴉の面貌を
男相手にはいくら注目を集めてもむしろ快感にすら感じる紅牙も、流石にこのような人外の妖魔から好色に見られる事は想定外であったらしく、嫌悪感に激しく顔を歪める。
「ククク……イイ顔ダ。オ前ハサゾヤ良イ声デ啼イテクレソウダ!」
紅牙の反応にむしろ気をよくしたらしい烏天狗が錫杖を振りかざして襲いかかってくる。まだ妙玖尼は衝撃から立ち直れていないので、どの道この化け物を食い止める必要がある。紅牙は逃げる事なく刀を構えて立ち向かう。
烏天狗の振るう錫杖を身をかがめて躱した紅牙は、そのまま斬り上げるように切っ先を突き出す。だが奴は驚異的な身のこなしで、まるで回転するように紅牙の斬撃を躱す。そしてそのままの勢いで錫杖を薙ぎ払う。
「ぐっ……!?」
人間離れした体術に反応が遅れた紅牙は、咄嗟に刀を掲げて防御したものの、烏天狗の薙ぎ払いをまともに受けてしまう。到底耐えきれる威力ではなく、地面と並行に吹き飛ばされた紅牙は再び背中から岩に激突して、尻餅をつくように崩れ落ちてしまう。
「クク……堪ランナ。人間ヲ超越シテ以来、コノヨウナ感情トハ無縁ニナッタト思ッテイタガ、コレハ相当ニ楽シメソウダ」
岩にもたれて無防備に脚を投げ出して尻餅をついている紅牙の姿に、烏天狗の声が異様な興奮を帯びる。露出甲冑から剥き出しの太ももやお腹にその視線が吸い寄せられる。妖魔をも虜にするとはある意味で恐るべき魔性の色香だが、流石に本人にとっても嬉しくはないだろう。
「ぐ……クソ、この……!」
おぞましい欲望を発散させながら迫ってくる烏天狗の姿に、焦った紅牙は必死に立ち上がろうとするが、身体が痺れて思うように動けない。そんな彼女に妖魔の手が容赦なく伸びて……
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
「……!」
『破魔光矢』の術が飛び、烏天狗が咄嗟に身を躱す。妙玖尼……ではない。彼女はまだ衝撃で呻いている。
「妖魔め、図に乗るなよ?」
木立の向こうから姿を現したのは戎錬であった。既にボロボロの状態であったがその闘志は全く衰えておらず、目を炯々と輝かせて烏天狗を睨む。彼は同じ目を、未だに蹲っている妙玖尼にも向けた。
「……
「……っ」
戎錬の発破に妙玖尼は歯噛みして、弥勒を杖代わりに強引に立ち上がった。いつまでも戎錬に
『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!』
痛む身体で強引に『真言界壁』の術を発動し、紅牙をおぞましい欲望の手から守る。その間に戎錬も新たな法術を発動して烏天狗を牽制する。
「オノレ、コノ死ニ損ナイ共ガッ!!」
その甲斐あって奴の注意を紅牙から逸らす事ができた。だがその代わりに今度は自分たちが奴の攻撃の標的となってしまう。怒り狂った烏天狗が錫杖を振りかざして襲いかかってくる。
前衛の紅牙が負傷している状態ではその攻勢を足止めできる者がいない。妙玖尼も戎錬も体術は人並み以上だが、やはり本職の戦士には劣る。烏天狗のような強力な妖魔に直接襲われたら対処しきれない可能性が高い。まして二人共消耗している状態では尚更だ。だが……絶望的な状況にも関わらず、妙玖尼は微かな笑みを浮かべた。
それに烏天狗が不審を抱く間もあればこそ……
――ガサァァッ!!
烏天狗の頭上を影が舞った。木立から跳躍したらしいその影は、そのまま烏天狗の背中辺りに取り付く。
「何……!?」
妖魔は妙玖尼達を攻撃しようと疾走している最中だった事もあって咄嗟に反応が遅れた。その間にその影は持っていた
「ヌガァァァァッ!!」
烏天狗が苦悶の叫びを上げてのたうち回る。ただの刀ではそもそも奴に刃が通らない。予め武器に『破魔纏光』でも掛かっていない限りは。
「ら…………」
「
戎錬と、まだ動けないでいる紅牙が目を瞠る。暴れまわる烏天狗から素早く飛び退った影……雷蔵が、会心の笑みを浮かべる。
「はは! あの竜巻で妙玖尼殿が吹っ飛んだ時は本気で飛び出しかけたが、血を吐く思いで我慢した甲斐があったな!」
これが彼等の作戦であった。二人は強力な妖魔である烏天狗を警戒してすぐには参戦せずに、烏天狗と紅牙達の戦いを少し離れた所で見ていたのだ。そしてまず妙玖尼だけが参戦して烏天狗の隙を作り、そこを雷蔵が奇襲するという作戦を立てた。
それは見事功を奏し、烏天狗の背中に『破魔纏光』の掛かった刀を突き立てる事に成功したのであった。
「ヌガガ……貴様ラァ!! 絶対ニ許サン!」
だが驚くべき事にそれでも烏天狗は死んでいなかった。その鴉の面貌を憎悪に歪めて怨嗟の唸り声を上げる。
「化け物め! だがもう一押しだな。妙玖尼、『孔雀天雷』だ!」
「……! は、はい!」
戎錬の指示に妙玖尼も慌てて法術の準備に取り掛かる。『孔雀天雷』は威力は高いが発動にやや時間の掛かる術だ。当然その間、敵を足止めしておく役が必要になるが……
「今まで我慢してきた分、ここで発散させて貰うぞ!」
雷蔵が二刀を構えて恐れ気もなく、怒れる妖魔に突進する。烏天狗の錫杖や鉤爪を掻い潜りつつ、自らも反撃の刃を煌めかせる。確かに今まで雌伏していた分を補って余りある奮戦ぶりだ。お陰でその間に二人の退魔師の法術の準備が整った。
『『オン・マユラギランデイ・ソワカ!!』』
二人同時に『孔雀天雷』の術を発動する。図らずも簡易的な『合術の儀』を形成した法術は、常ならぬ威力を内包して烏天狗に落雷となって降り注ぐ。雷蔵が慌てて飛び退って退避する。
「オゴワァァァァァァァァーーッ!!!」
さしもの強力な妖魔も『孔雀天雷』の
安曇野一帯を恐怖に陥れていた妖魔の首魁を無事に、そしてようやく討伐できた瞬間であった。
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