第六幕 烏天狗

 散発的に襲い来る妖魔の群れを撃退しつつ紅牙と戎錬の二人は安曇野の山中を進んでいた。襲ってくる妖魔は大半が餓鬼であったが、一部鉄鼠などの強力な妖怪も混じっていた。そしてそんな敵に対しては流石に……


『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』


「……!」


 戎錬の錫杖から破魔の光が飛んで紅牙の刀に纏わる。


「そら、お望みの物だ。精々私を失望させるなよ?」


「ち……誰に物を言ってんだい!」


 恩着せがましい戎錬の言葉に舌打ちしつつ、今はそんな場合ではないと目の前の敵に集中する紅牙。鉤爪を振るってくる鉄鼠と距離を取りながら刀を薙ぎ払う。通常の刀ではかすり傷を負わせるのがやっとだろうが、今の彼女の刀は違う。


『ギゲェェッ!?』


 腕ごと綺麗に切断された鉄鼠が動揺して大きく怯む。あまりの切れ味に、牽制だけのつもりだった紅牙自身も驚いた。妙玖尼の法術ではここまでの切れ味は無かったはずだ。



(ち……いけ好かない糞坊主だけど、退魔師としての腕は尼さん以上みたいだね。まあだからってこんな奴といつまでも相方なんて真っ平御免だけどね!)


 それが紅牙の感想であった。退魔師としての腕前は認めるのも吝かではないが、生理的に合わないものはどうしようもない。


 この戎錬の傲岸な性格や言動は、紅牙が故郷を出奔・・する羽目になった原因である『許嫁』の男を思い起こさせた。あの記憶が心理的外傷となって、彼女はこの手の性格の男がどうしようもなく嫌いになっていたのだ。



 しかし幸か不幸か、状況は彼女にいつまでも昔の忌まわしい記憶を想起させてはいなかった。腕を失った鉄鼠が怒り狂って、その鼠の口から不浄の息を吐きつけてくる。鉤爪による攻撃ならともかく、この手の攻撃は紅牙とは相性が悪い。彼女は思わず顔を青ざめさせるが……


『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!』


 戎錬の錫杖から再び法術が飛ぶ。しかしそれは攻撃ではなく『真言界壁』の術であった。妙玖尼のそれよりも更に速く展開した光の障壁は、鉄鼠の吐きつけた不浄の息を完全に遮断した。


 また戎錬に助けられた事に内心で歯噛みする紅牙だが、これは役割分担、適材適所の範疇だ。そう思い直して一々反応する事をやめた。代わりに格好の攻撃の機会を逃さず、刀を構え直して一息に踏み込む。鉄鼠は毒息を吐きつけた直後で隙だらけだ。


「おらっ!」


 破魔の光が纏わった刀を一閃。狙い過たず鉄鼠の首を一撃で斬り飛ばした。同時に戎錬も自身の錫杖に『破魔纏光』を掛けて、自らに向かってくる別の鉄鼠の頭を叩き潰していた。やはり接近戦の腕もかなりのもののようだ。


(ちっ……ちょっとくらい弱点や苦手なモンとか無いのかね。尼さんに比べて強いのかも知れないけど、人間味って点ではずっと劣るね!)


 戎錬の有能さに紅牙は心の中で毒づいた。多少の気は散らしつつもそこは優れた剣士である紅牙の事。『破魔纏光』を付与された事もあって、襲い来る妖魔共を次々と斬り倒していく。戎錬も同様に棒術や法術を駆使しながら紅牙に負けず劣らずの勢いで妖魔の数を減らしていく。



 程なくして遭遇した妖魔の群れを無事に殲滅した二人。これ以上敵の増援がない事を確信した戎錬が錫杖を下ろした。


「終わったか……。ふん、これで敵の戦力は大分削れたはずだな。この機を逃す訳にはいかん。一気に首魁の元まで向かうぞ。遅れるな」


「あ、ちょっと……!?」


 特に疲れた様子も見せずに、休む間もなく歩き出す戎錬。あまりに性急というかせっかちというか、流石の紅牙も面食らって一瞬唖然とするが、戎錬はそんな彼女に構わずさっさと進んでいってしまうので、慌ててその後に追随していく紅牙であった。




 その後は妖魔の襲撃もなく、順調に歩を進めた二人は遂にその場所・・・・へと到達した。そこはちょっと開けた滝壺のような場所で、崖の上からは少量の水が常に流れ落ち続けていた。その滝壺の中央辺りに大きめの岩が鎮座しており、その岩の上にそいつ・・・はいた。


「ふん、我々が近づいてきているのを知っていながら堂々のお出迎えとは、舐められたものだ」


 戎錬が不快げに吐き捨てる。そいつは一見するとまるで修験道・・・の僧侶が着るような衣装を身にまとっていた。だが明らかに修験者、いや、人間ではあり得ない。何故ならそいつの頭部は人間のそれではなく、巨大な真っ黒いのようなそれであったから。


 頭部だけでなく服から露出した腕や足先なども、黒い羽毛に覆われた巨大な猛禽を思わせる形状をしていた。極めつけは背中から生える一対の巨大な黒い翼だ。それは両翼で優に人間の背丈三人分くらいの長さがあると見えた。


 更に鉤爪の生えた手には長大な錫杖のような武器まで携えていた。明らかにこれまでの雑魚妖魔とは『格』が違う。妖力を感じ取れない紅牙にもそれがすぐに解った。


「な、何だい、あいつは……?」



「……あれはからす天狗、か。ふん、貴様は確か『飛騨の紅天狗』とか呼ばれていたそうだな? 喜べ、同族・・だぞ」



 戎錬が皮肉げに口の端を歪める。奴の皮肉はともかく、紅牙は激しい精神的緊張を感じていた。間違いなくこの烏天狗とやらが安曇野一帯を荒らし回っていた妖魔共の首魁だ。


 二人の姿を認めた烏天狗が岩の上に立ち上がり、その翼を大きく広げた。優に七尺はありそうな堂々たる体躯であった。それに巨大な黒翼が加わって、見た目の威圧感はかなりの物だ。


『ココマデ辿リ着クトハ、人間ニシテハヤルナ。ダガ人間ヲ超エル力ヲ手ニシタ吾ノ敵デハナイ』


「……! 喋った!?」


 紅牙が目を瞠った。聞き取りにくい人外の音声ではあったが、それは確かに人間の言葉を喋った。力を手にしたという言葉からも明らかにこの妖魔は……


「ふん、元は本物の修験者だったようだが、瘴気に侵されて妖魔に堕したか。曲がりなりにも僧の風上にも置けん奴だ」


 不快げに眉を顰めた戎錬が法術の態勢に入る。


「『破魔纏光』は事前に掛けてある。貴様は死ぬ気で奴を足止めしろ」


「アタシに命令すんじゃないよ! でも……今はそれしか無さそうだね!」


 眼の前の敵は好き勝手に戦って勝てる相手ではない。個々の役割を明確に分担した連携が必要だ。そう判断した紅牙は前衛が自身の役割と心得て、気合を入れて烏天狗に斬り掛かっていく。



「おらっ! アンタの相手はアタシだよ!」


 自分を鼓舞するように声を張り上げて岩の上に飛び上がるようにして斬りつける。だが烏天狗は手に持っていた錫杖を動かしてその斬撃を受け止める。錫杖に対しては『破魔纏光』も効果が及ばない。純粋な膂力勝負の鍔迫り合いになるが、奴は片手で把持しているだけなのに紅牙の両手持ちの斬撃を軽々と受け止めてビクともしない。


 当然というか身体能力では勝負にならないようだ。烏天狗の嘴が歪む。


『クク、人間ノ、ソレモ女ノ力ナドタカガ知レテイルナ』


「ち……だったらこれならどうだい!」


 力で敵わないなら技と速さで勝負するまでだ。紅牙は一旦刀を離すと、縦横無尽にあらゆる方向から斬撃を繰り出す。だが烏天狗は長大な錫杖をまるで棒切れのように軽々と取り回し、紅牙の連撃を全て捌き切ってしまう。一つ目鬼のような鈍重そうな妖魔と違って、ある意味では見た目通りの機敏さではあった。


「くそ……!」


『モウ終ワリカ? ナラバ今度ハコチラノ番ダナ!』


 哄笑しつつ烏天狗が手に持った錫杖を横薙ぎに振るってくる。外道武士に勝るとも劣らない凄まじい剛撃。受ける事は自殺行為と判断した紅牙は必死になって躱す。烏天狗は次々と追撃で錫杖を振るう。一撃でも受けたら即死の強撃に追い詰められる紅牙。だがそこに……



『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


 後方の戎錬から『破魔光矢』が飛ぶ。紅牙と戦闘中の烏天狗には躱しようがない角度からの攻撃。戎錬の法術が当たれば強力な妖魔といえどかなりの打撃を与える事が出来るはずだが……


『甘イワ!』


 烏天狗はその黒翼をはためかせると、何と上空に飛び上がって光弾を躱したのだ。あの翼は伊達ではなかったらしい。奴は空中で錫杖を戎錬の方に向けると、再び翼をはためかせて物凄い勢いで急降下・・・してきた!


「何……!」


 さしもの戎錬も目を剥いて驚愕した。辛うじて飛び退って躱すが、烏天狗は構わずそのまま地面に衝突・・。地面が抉れ大量の石礫と共に衝撃波が発生し、戎錬を吹き飛ばした。


「ぬぐ……!!」


「……! ち……この野郎!」


 無視された紅牙が歯噛みして烏天狗に斬りかかるが、奴は再び上空へと飛び上がってしまう。こうなると彼女には手が出せない。戎錬の法術ならその限りではないが、だからこそ烏天狗はまず戎錬を集中的に狙う戦術に切り替えたようだ。


『死ネ、退魔師ヨ!』 


 彼を狙って集中的に何度も急降下を繰り返してくる。戎錬は法術を使う間もなく、ひたすら回避に徹する以外になくなる。だが烏天狗の急降下攻撃はその衝撃波だけでも相当の威力で、直撃は躱せても余波の衝撃や飛び散る石礫だけで戎錬は傷ついていく。


「おのれ……妖魔風情が! 馬鹿女、何をしている!? 前衛の役割すら満足に果たせんか!」


「っ! うるさいよ、糞坊主! こんなのどうしろってんだい!」


 戎錬の悪罵に紅牙も毒づく。勿論その間にも彼女は烏天狗に斬りかかるが、奴は素早い動きで空中に逃げてしまう。そもそも宙空を自在に飛び回れる相手に前衛も後衛もない。


 かといってあの急降下攻撃の前に飛び出して斬りつけるというのも余りに危険が大きすぎる。防御用の法術もあるはずだが、戎錬が敵の集中攻撃を受けている状態では法術自体を使う暇がない。八方塞がりだ。



 せめて……あと一人・・・・法術の使い手がいれば、この烏天狗相手にも有効な戦い方が出来るはずであった。紅牙がまさにそう思ったその時……



『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


『……!!』


 一条の光弾が空中にいる烏天狗に向かって放たれる。烏天狗は一瞬動揺したが、翼をはためかせて器用に光弾を回避した。今のは『破魔光矢』の法術だ。そして当然、現在進行系で烏天狗から攻撃されている戎錬が放ったわけではない。となると……


 光弾が飛んできた方向に振り向いた紅牙の目が限界まで見開かれる。


「あ……よ、良かった……。無事だったんだね、尼さん・・・!」


「紅牙さん……お待たせして申し訳ありませんでした。私も加勢させて頂きます」


 静かな、それでいて力強い声音で錫杖を構える美しき尼僧の姿。それは紛れもなく、落石の雨に巻き込まれ崖下に転落してから安否不明となっていた妙玖尼その人であった!

 

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