第五幕 雪辱戦

「なあ、妙玖尼殿。いい加減に機嫌を直してはくれぬか?」


 安曇野の山中。かすかに感じられる妖魔の反応を辿って進む妙玖尼に、雷蔵が情けない声で阿ってくる。

「直すも何も、特に機嫌を悪くなどしていません」


 そう答えつつも雷蔵の方には一切振り向かずに、スタスタと山道を登っていく妙玖尼。


「いやいや、どう見ても怒っておるだろうが。全く……女人の心ほど難解な万華鏡もないというもの」


 雷蔵の呟きに足を止めた妙玖尼は、初めて彼を振り返った。普段は柔和に垂れ下がっているその眦が吊り上がっていた。


「あなたはどうしてそう一言多いのですか!? その人の心の機微に疎い性質を直される事を強くお薦めします!」


「ひえっ!? わ、悪かった! 俺が悪かったから!」


 反射的に降参の体勢を取る雷蔵。根本的に分かってなさそうな彼の態度に、妙玖尼はため息をついて移動を再開した。こんな情けない男を一時でも好ましく思っていたなど信じられなかった。雷蔵に愛想を尽かした妙玖尼が、彼を捨て置いて歩調を早めようとした時……



「危ないっ!!」



「っ!?」


 雷蔵が突然飛びかかってきたので、妙玖尼は驚いて硬直してしまう。だが彼は構わず彼女を抱えて大きく横に跳ぶ。するとその直後、巨大な岩・・・・が今まで妙玖尼が歩いていた地点に直撃した。轟音と共に土埃と瓦礫が飛散する。


「な、何が……一体!?」


「ぼさっとするな! だ!」


 雷蔵の叫びに目を瞠る。彼の警告を証明するように、木々を割って何か巨大な物がその場に乱入してきた。見上げるようなずんぐりした巨体。そしてその顔面の中央にある大きな一つ目・・・が妙玖尼達をギロッと見下ろす。


「こ、これは……一つ目鬼!」


 その特徴的な外観は見間違えようもない。美濃でも戦った妖魔、一つ目鬼だ。奇しくもあの時も雷蔵が一緒だった。


「あの坂道で岩を転がしてきた奴か!? まさかここまで俺達を追ってきたのか!」


 雷蔵はその事に気づいて険しい表情になる。妙玖尼は敵の首魁の妖気を感知するのに集中していた事と直前までの雷蔵とのやり取りで注意力が散漫になっていたのとで、こんな妖魔の接近に気づかなかった事を恥じた。


 だが後悔や煩悶は後でも出来る。今はこの眼の前の脅威に対処する方が先決だ。



 一つ目鬼が恐ろしい唸り声を上げて襲いかかってきた。妙玖尼は咄嗟に躱そうとするが、山道の悪路に足を取られて大きく体勢を崩してしまう。一つ目鬼は容赦なく迫ってくる。尻もちをついた妙玖尼は青ざめた。


「妙玖尼殿!? ちぃ……!」


 それを見た雷蔵は電光石火の勢いで一つ目鬼の懐に飛び込み、その二刀でヤツの丸太のような脚に斬りつける。 


「ぬ……硬いな!」


 雷蔵が顔をしかめてたたらを踏む。一つ目鬼は上位の妖魔で、法術の通っていない武器では傷を付ける事も難しい。だが多少の痛痒は感じたらしく、ヤツの注意を引き付ける効果はあった。一つ目鬼の巨眼が彼の方に向く。


「ふは! どうした、デカブツ! お前の落石なんぞ屁でもなかったぞ!? 人間一人殺せんとは大した妖魔だな!」


 雷蔵は敢えて妖魔を挑発しつつ、妙玖尼から引き離すように動く。そして僅かに目線だけで彼女に合図をしてくる。


「……!」


 彼の意を察した妙玖尼は様々な感情を堪えて即法術の真言を唱えはじめる。その間にも一つ目鬼を引き付けて大立ち回りを演じる雷蔵。だが単身で法術の加護もなしでは、如何に彼が腕利きの剣士といえど厳しい。


「ぬ……ぬ……!」


 攻撃が通じずに一方的に追い詰められる雷蔵の顔に焦燥が浮かぶ。だがその時……



『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』


 妙玖尼の『破魔纏光』が発動し、雷蔵の二振りの刀に破魔の光が纏わる。これで彼は妖魔に対する攻撃力を手に入れた事になる。


「おお、戎錬のヤツと違って優しいな! 流石は妙玖尼殿!」


 雷蔵は喜色を浮かべて一気呵成に反撃に出る。一つ目鬼の巨拳を躱すと、ヤツの脛の辺りに斬りつける。今までは殆ど刃が通らず弾かれていたのが……


 ――ギェェェ!!


 妖魔の苦悶の叫びが轟く。雷蔵の刀が一刀両断とまではいかないものの、かなり深い傷を一つ目鬼に負わせたのだ。


「ほっ! 戎錬の術にも劣らん切れ味よ! ……妖魔め、好き勝手やってくれた借りを返してやらねばなぁ!」


 確かな手応えに満足気に頷いた雷蔵は獰猛な笑みを浮かべて一つ目鬼に攻勢を仕掛ける。先程まで防戦していただけあって既にヤツの動きは見切っているらしく、敵の反撃を危なげなく躱しつつ的確に斬撃を当てていく。その度に一つ目鬼の傷が増えていく。


 やはり性格はともかく非常に優れた剣士だ。それは妙玖尼も認めざるを得なかった。そもそも性格云々を気にするならあの紅牙を旅の友としてはいない。



 しかし如何に彼が腕利きの剣士であっても、流石に単身では中々一つ目鬼に決定打を与えられない様子だ。何と言っても相手はそれなりに強力な妖魔だ。いくら法術の加護があったとしてもそう簡単には倒せない。しぶとく頑強に抵抗を続けてくる。妙玖尼は弥勒を構えた。


『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


 錫杖の先から『破魔光矢』の術を放つ。的はデカいし、敵の注意は完全に雷蔵に向いていたので、まず外す心配はなかった。一つ目鬼の背中に光弾が命中する。


 ――ギェェェ!?


 再び驚愕と苦悶の呻きを発する妖魔。ヤツの体勢が大きく崩れ、その注意が妙玖尼に向いた。これだけで倒せるとは思っていない。彼女の目的は最初からこれ・・だった。


「今です!」


「……! ありがたいっ! 止めだ、デカブツ!」


 当然その隙を見逃す雷蔵ではない。彼は大きく跳躍すると、二刀を交差するように振り抜いた。破魔の法術の掛かった二刀はその使い手の腕も相まって、一つ目鬼の太い首を鮮やかに斬断する事に成功した!


 地響きを立てて崩れ落ちる巨大な妖魔。他に敵がいない事を確認して雷蔵は刀を納めた。



「ふぅ……手こずらせおって。だがこれで罠に嵌められた借りは返せたな。妙玖尼殿も法術での援護、誠に感謝する。いやぁ、こと妖魔相手に退魔師はやはり頼りになるものだ」


「……それが私達の生業ですから当然の事です」


 雷蔵の手放しの賛辞に妙玖尼は若干こそばゆくなって、それを誤魔化すために不機嫌な様子を装って・・・呟く。そしてそれだけでなく……


「その……ありがとうございました。あなたは命の恩人だというのに、それを忘れて大変失礼な態度を取ってしまった事をお許し下さい」


 彼が助けてくれなかったら一つ目鬼の奇襲で死んでいた可能性は高い。そもそもあの斜面での落石でも彼が庇ってくれていなかったら、妙玖尼はそのまま岩に埋もれて押し潰されていただろう。多少人間的に難がある性格であっても、そんな事は関係ない。


 素直に礼を述べる妙玖尼に、雷蔵は少し困ったような表情で頬を掻いた。


「ああ……まあ、そなたのような美しい女人を守るというのは男の本望……いや、本能・・のようなものだからな。俺が好きでやった事だから、そなたが気にする必要はない」


「……! あ、あなたは……また、そんな」


 美しい女人と言われた事で妙玖尼は顔を赤らめて、それを誤魔化すようにそっぽを向いて足早に進み出す。雷蔵はそんな彼女の様子に苦笑すると、しかし勿論余計な事は言わずに黙って追随していった。

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