第三十二幕 共同戦線

「武田の密偵がなんでこんな所に……って、まあ聞くまでもないね」


 巫女装束の女性……伽倻かやの素性を聞いた紅牙べにきばが肩をすくめた。密偵の役割は主として他国・・の情報収集だ。ましてや彼らの主である武田晴信がまさにその為・・・に、多数の間者を各地に放っているのだ。果たして伽倻は否定しなかった。


「ええ、そうね。義龍と道三の不仲は私達も掴んでいた。美濃攻略・・・・のために付け入る隙がないか探るのが私の任務だったのよ」


「……! 貴様……いい度胸だ」


 義龍の忠実な臣下であるシズクが剣呑に目を眇めて、伽倻の喉元に突きつけている短刀を持つ手に力を込める。そのまま彼女の首を斬り裂こうとする寸前――



「ま、待って下さい、雫さん! 素性がどうあれ彼女は命の恩人です! それに妖魔の首魁が潜む城を前にして人同士で殺し合うなど馬鹿げています!」


 妙玖尼みょうきゅうにが慌ててそれを押し留める。彼女はどこか特定の勢力に仕えている訳ではないので、伽倻が武田の密偵であっても特に問題はない。紅牙も基本的には同様だろう。雫としてはそうもいかないだろうが、どうしても殺し合いたければどこか他所……いや、この件が無事に解決してからにして欲しいというのが本音だ。


 鬼や妖怪という共通の脅威を前にして人間同士での殺し合いやいがみ合いが馬鹿げているというのは、紛う事無き本音だ。


「…………チッ!」


 雫は忌々しげに舌打ちして、それでも渋々刀を納めた。妙玖尼はホッと息を吐いた。いや、息を吐いたのは伽倻も同じだったらしい。


「ふぅ……良かったわ。妖魔の脅威の前に人同士の争いは一旦脇に置いておくというのは私も同じ考えだから。だからこそこうして姿を現してあなた達に加勢したのよ」


 やはりそれが理由か。伽倻の人となりも知らない妙玖尼だが、少なくともその点に限ってだけは信用できると思った。妙玖尼は彼女に向かって頭を下げた。


「あの……伽倻さん。私達はこれからどうしてもこの城に潜む妖魔共の首魁である斎藤道三を討たねばなりません。それも出来得る限り迅速に。しかしいみじくも伽倻さんの仰ったように、私達だけでこの城に乗り込むのはかなり厳しいと言わざるを得ないようです。厚かましいとは存じますが、このまま私達に助力して頂く事は出来ないでしょうか?」


「……っ!? おい、何を言い出す!?」


 雫がこちらの正気を疑うような目を向けてくる。だが反対に紅牙は面白そうな表情で頷く。


「へぇ、良いんじゃないかい? 少なくとも確実に戦力にはなりそうだし。ま、勿論そちらさんが良ければだけど」



「……そっちから申し出てくれるとは意外ね? 構わないの? そちらの斎藤家の忍者さんは勿論だけど、あなたも仏教の僧侶でしょう? 私は見ての通り神仏習合にも習っていない神職だけど」


 神道が日本古来の信仰、宗教であるのに対して、仏教は元は大陸から伝導してきた宗教だ。そして宗教というものは基本的に相容れず、一つの国や地域に異なる複数の宗教が存在すると必ず諍いや争いが起きるのは歴史が証明している。


 日本の『神仏習合』は二つの宗教の融和、融合を試みた稀有な例ではあるが、それは表向きだけで裏ではやはり多くの不和や蟠りが存在していた。「仏教が主、神道が従」とする本地垂迹ほんじすいじゃく説や、それを不満とする神道側の反本地垂迹説などが根強く広まっている事はその典型例と言えるだろう。


 だが妙玖尼はかぶりを振った。


「各寺や宗派のの者達はともかく、私はあくまで一介の僧に過ぎません。この日本に古来より根付く神道には一定の敬意を払っていますし、その信仰を否定するような烏滸おこがましさは持ち合わせていません。この末法の世、人は信じたいものを信じ、縋りたいものに縋るべきです」


 それに加えてそれこそ妖魔という共通の脅威を前にしては、国だけでなく宗教も垣根を超えて協力し合うべきという考えも当然あった。


「なるほどね、納得したわ。私もそれに関しては同じ考えよ。晴信様の密偵ではない八百万の神を奉る一人の神職として、この城に渦巻く強烈な瘴気を放置する事は出来ないわ。そっちさえ構わなければ是非協力させて」


 主に雫の方を見ながら申し出る伽倻。必然、妙玖尼と紅牙の視線も彼女に向く。三人からの視線を集めて雫が盛大に顔を歪めながらも渋々頷いた。


「……思う所は多々あるがその女にとっては本来・・、我らの前に姿を現さない方が都合が良かった事は事実か。……好きにするがいい。ただし何の褒賞も期待するな」


 武田方である伽倻からすれば、本来この内乱によって美濃が疲弊し国力が弱まる事は歓迎すべき事象のはずだ。それを敢えて姿を現して加勢を申し出てきた事自体、伽倻自身が言っているように人同士の勢力争いよりも妖魔の脅威を最重視している事の証左であった。


 雫もそれが分からないほど愚かではない。


「勿論よ。というか流石にそこまで恥知らずじゃないわ」


 彼女にとって見返りのない危険な戦いを躊躇いなく了承する伽倻。やはり妖魔の脅威を食い止めたいという意志は本物のようだ。雫は面白く無さそうに舌打ちしたが、特に何も言わなかった。


 予期せぬ意外な助っ人によって戦力を増した一行は、これ以上時間を無駄には出来ないとばかりに改めて大桑城へと乗り込んでいった。




 雫の鉤縄を利用して塀を乗り越えて大桑城に侵入する一行。妙玖尼達は勿論だが、伽倻も危なげなく鉤縄を伝って城壁を乗り越えていた。伊達に密偵として全国を旅していないようだ。


 降り立った場所は本丸御殿にほど近い敷地内であった。ここまで来ると間違いようがない。妙玖尼は御殿の中から吐き気がするほどの濃密な瘴気を感知できた。これは影武者や囮などではない。道三は間違いなく御殿にいる。


「これは……予想以上ね。まるで御殿の中に『瘴気溜まり』があるみたい。早く何とかしないと汚染・・は広がる一方ね」


 退魔僧とは異なる原理でやはり邪気を感知する能力があるらしい伽倻も、その美しい流麗な顔を盛大にしかめていた。


「あたしらには分かんない感覚だけど、それでもこの城がヤバいって事だけは何となく分かるよ。何ていうか……空気が淀んでるっていうか」


 紅牙が周囲に油断なく視線を走らせながらも、悪寒を感じたかのように身を震わせる。


「……最早一刻の猶予もない。ここまで来たら後は迅速に事を運ぶだけだ」


 雫の音頭に従って一行はそのまま本丸御殿へと忍び寄っていく。しかしある程度近づいた所で……



「……!!」


 紅牙と雫、二人の腕利きの戦士がいち早く反応した。それとほぼ同時に御殿の長い引き戸を斬り破りながらいくつもの影が飛び出してきた。


「「っ!?」」


 敵の気配に気づかなかった妙玖尼と伽倻にとっては完全な不意打ちで、二人は咄嗟の反応が遅れて硬直してしまう。そのまま為すすべもなく斬り倒されそうになる所を……


「危ないっ!」


「ふっ!!」


 紅牙が妙玖尼を、そして雫が伽倻を守るように敵の攻撃を捌く。彼女達が反撃に刃を薙ぐと、影は飛び退って距離を取った。


「大丈夫かい、お二人さん!?」


「は、はい。ありがとうございます」


 妙玖尼が少し顔を青ざめさせながらも体勢を立て直して弥勒を構える。自分も伽倻も異能を持っているが、その分戦士としての技量は紅牙や雫に劣る。それを改めて浮き彫りにされた形だ。


「……よりによって私を助けるなんて意外ね?」


「勘違いするな。道三にまみえる前に戦力・・を損なう事は出来んからな」


 雫は敵の姿を見据えて短刀を構えたまま答える。実際その言葉に嘘はないのだろう。道三を討伐するという至上の命題を達成するのに伽倻の力も必要だと冷静に判断しているのだ。



「哨戒に出ていた忠興が戻らんのは貴様らの仕業か」


「お館様の命を狙う愚か者共、生かしては返さんぞ」


 現れた敵は完全武装の武士二人であった。間違いなく先程倒した武士(恐らく忠興という名前)と同じく外道鬼と化しているだろう。つまりは相当の強敵という事だ。一人は太刀、一人は長槍を構えていた。



「鷺山城で道三と一緒にいた連中も、大半は長良川の方に出張っているはずだ。こいつらを排除すればもう邪魔者はいない。全力で行くぞ!」


 雫の音頭に真っ先に紅牙が太刀を持った方の敵に突撃する。


「二手に分かれるよ! 尼さん、アタシらはこっちだ!」


「承りました!」


 こちらは四人で敵は二人なので、敵を分断する意味も含めてそれが尤も妥当な戦術ではあるだろう。そして紅牙と妙玖尼は元々組んでいただけあって互いの呼吸も解っているので、二手に分かれるとなると必然的にその組み合わせになる。となると残りは当然……


「おい! 勝手に……クソ! やむを得ん、援護しろ!」


 思わず毒づく雫だが、そんな場合ではないと解っている為に仕方なく伽倻と組んで長槍の敵に当たる。


「勿論よ。早速さっきの借りを返してあげられそうね」


 伽倻も苦笑しつつ素早く後ろに跳んで弓矢を番える。道三への行く手を阻む最後の関門との集団戦が幕を開けた!

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