第三十一幕 神弓士

 大桑城は山の頂上に本丸が置かれ、それを守るように山の中腹に二の丸、三の丸が置かれ曲輪の長さはかなりの物がある。この長く堅牢な曲輪が大桑城を守る要であり、かつて道三が攻めあぐねた原因でもあった。


 外縁に当たる三の丸の正門には見張りと思しき外道鬼がやはり五体ほど確認できた。更にその周りに番犬よろしく餓鬼が何体も彷徨いていた。


「……どうする? 全員で掛かりゃ倒せはするだろうけど……」


「騒ぎにならずに素早く殲滅とは行かないでしょうね。それに先程のように逃げられたら厄介です」


 紅牙の確認に妙玖尼はかぶりを振る。二体以上の敵に逃げられたら確実に取り逃がしてしまう。雫が肩をすくめた。


「正門の防備が固いのは当然の事だ。だがこれは城攻めではなく潜入・・だ。我々の狙いは道三のみ。迂回して防備が薄い所から忍び込むぞ」


 妙玖尼たちは三人しかいないし、目的はあくまで道三の暗殺なので確かに正門から堂々と乗り込むのは馬鹿げている。大桑城は本丸を囲むように曲輪が連なっているが、それでも防備が手薄になる場所はある。城の裏手に回り込んだ彼女らは、早速その下で侵入の準備に取り掛かるが……


「……!! 散れ!」


「っ!?」


 雫の咄嗟の叫び声に反応して妙玖尼と紅牙は素早く散開する。その直後、今まで彼女たちがいた場所に城壁の上から飛び降りてきた・・・・・・・何かが、持っていた太刀を叩きつけつつ着地する。



「貴様ら……鷺山城で孫四郎殿を討った女どもか。狙いはお館様の暗殺か」



「……!」


 それは抜き身の太刀を携えた甲冑姿の武士であった。その身体からは強烈な邪気が発散されている。言葉からして恐らく鷺山城で道三が付き従えていた武士の一人か。


「く……!」


 妙玖尼は歯噛みした。城全体に漂う邪気が強すぎて、敵の個別の位置把握が難しくなっていた。そのために敵の接近と奇襲を許してしまった。


「ち……迅速に片付けるぞ!」


「おうさ!」


 幸いというかこの武士はこちらを見つけ次第襲いかかってきたようだ。ならばこの場で迅速に倒してしまえば問題ない。雫と紅牙が即席の連携で左右から挟撃を仕掛ける。並の外道鬼が相手なら単身でも問題としない二人の戦士による挟撃。


「ふんっ!」


 だが武士は円を描くような軌道で太刀を薙ぎ払い、紅牙達を牽制する。唸りを上げて振るわれる剛剣に思わず二人の勢いが止まる。その隙に紅牙に向けて今度は太刀を大上段から斬り下ろしてくる。


「き……!!」


 紅牙は思わず頬を引きつらせて必死で回避する。それほどの斬撃であった。


「紅牙さん! 『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』」


 紅牙を追撃しようとする武士を牽制するために『破魔光矢』を撃ち込むと、躱されはしたもののその動きを止める事はできた。


「ふっ!!」


 そこに雫が死角から短刀で斬りつける。だが武士は驚異的な反応で向き直ると払い斬りで反撃してくる。雫は飛び退ってそれを躱す。



「ち……流石に雑魚の外道鬼どもとは違うね」


「そうだな。それに恐らく奴はまだ本気を出していない」


 この武士はあの白川で戦った助右衛門と同等の強さに思える。というより助右衛門が道三直属であるこの武士達の一人だったのだろう。その強さは足軽や破落戸紛いの私兵達とは訳が違う。


 そしてこの武士が助右衛門と同格ならまだ奥の手・・・を隠し持っているはずだ。


「お館様に逆らう痴れ者どもめ。一人として逃さんぞ」


「……っ!?」


 武士が手を挙げると、それが合図だったのか城壁の上からさらなる影が複数降り立ち、妙玖尼たちを取り囲んだ。それはこれまでにも何度か戦った松葉流の忍者たちであった。全部で五人いる。


「しまった! 私とした事が……!」


「おいおい、こりゃいきなり不味くないかい!?」


 妙玖尼達は一転して無勢側に回ってしまい、武器を構えて周囲の忍者たちを牽制する。この忍者たちからも邪気を感じる。間違いなく喜平次の屋敷や鷺山城で戦った連中と同じ外道忍者だろう。それが五体。しかもそれを率いる、助右衛門と同等の強さと思われる鬼武士がいる。


 紅牙の台詞ではないが、いきなり窮地に立たされた形だ。武士が容赦なく合図する。



「殺せ! 油断するなよ!」


 合図と共に外道忍者たちが一斉に襲いかかってくる。連中は既に鬼の姿に変じている。武士ほどではないが、破落戸外道鬼共よりは遥かに強敵だ。


 忍者どもはそれぞれ三人が雫に、二人が妙玖尼に狙いを定めて斬りかかってくる。鬼武士は同じ剣士だからか、紅牙を相手に定めたようだ。雫と紅牙はそれでも何とか迎撃し互角の戦いに持ち込む。だがやはりこういう状況になると妙玖尼が苦しい。


「く……!」


 弥勒を振り回して忍者どもを打ち据えようとするが、奴等は素早い身のこなしで攻撃を躱し、僅かな隙を狙って反撃の刃を煌めかせてくる。


 妙玖尼とて退魔僧として修行は積んでおり、棒術の扱いもそこいらの破落戸や兵士、雑魚の妖怪程度なら充分余裕を持って相手取れるくらいの腕前はあった。だがやはり女性であるが故に、法術はともかく近接戦闘能力に関しては、同門の男性退魔僧に比べて一歩譲るのは事実だ。


 忍者、それも鬼と化した外道忍者を、更に二体同時に相手取っては苦戦は免れなかった。強敵や集団を相手取った場合、彼女の真価は法術による後方支援でこそ発揮される。最初こそ何とか戦えていたものの、それも次第に苦しくなり、反撃もままならずに追い詰められていく。


「尼さん!?」


 それに気づいた紅牙が咄嗟に援護に向かおうとするが、彼女が斬り結んでいる相手は当然そんな隙を見逃すほど生易しくはない。


「余所見とは余裕だな!」


「……っ!!」


 武士の鋭い斬撃に背中を向ける余裕はなく、紅牙は足を止めての対処を余儀なくされる。しかしこちらもかろうじて互角には戦えているが厳しい状況に変わりはなく、少なくともすぐに倒して妙玖尼の救援に駆けつける事は出来そうになかった。


「ちぃ……!」


 雫も三体もの外道忍者を同時に相手にさせられ、さしもの腕利きの女忍者も苦戦を強いられていた。これが対人戦であればまだクナイや鎖鎌なども織り交ぜた様々な攻撃手段が取れるが、外道忍者どもには妙玖尼の法術が掛かった短刀でなければまともに攻撃が通らない。必然的に攻撃手段は限定され、結果対処もされやすくなる。


 雫の短刀だけを警戒して、逆に奴等の方が中距離からクナイや鎖鎌などの武器で攻撃してくる。雫は反撃の機会を奪われ防戦一方となっていた。こちらも到底妙玖尼の援護に駆けつけられる状況ではない。



(ま、不味い……このままでは!)


 妙玖尼は激しく焦った。既に完全には受けきれなかった攻撃によって、あちこちに手傷を負っている状態であった。傷の痛みや出血は疲労を蓄積し、集中力を奪う。結果更に追い詰められるという悪循環に陥っていた。


 そしてついに疲労による足のふらつきから、躓いて大きく体勢を崩してしまう。格好の隙だ。


(しまった……!!)


 後悔も後の祭り。勿論その致命的な隙を見逃すような忍者達ではなく、一体が短刀を振りかざして斬りかかってくる。今の彼女にそれを躱す術も受ける術もない。終わりだ。妙玖尼は死を覚悟した――――



火之迦具土神ヒノカグツチの滅炎!!』



 ――直後、斬りかかってきた忍者の背中に燃え盛る矢・・・・・が突き立った。そしてその矢の炎は内側から外道忍者を焼き尽くしてしまう。一瞬の出来事であった。


「な…………」


「えっ!?」


 敵も味方も……何が起きたのか分からず一様に目を瞬かせて、その火矢・・が飛んできた方向に視線を向けた。そこには独特の意匠のを構えた一人の女性の姿があった。緋袴と白い上衣という所謂巫女装束・・・・を旅用に改造したような衣装が印象的であった。髪は肩までの高さで綺麗に切り揃えられている。


 その旅巫女のような女性は既に番えていた次矢を再び撃ち放つ。その矢は非常に速く、そしてまるで独自の意志を持っているかのような軌道でもう一体の外道忍者を撃ち抜いた。その忍者も炎に包まれて消し炭になる。



「……! おのれ、何奴だ!? あの女も始末しろ!」


 我に返った武士が憤怒の形相になって残りの忍者に指示する。雫を追い詰めていた三人のうち一人が、その巫女装束の女性の方に向かう。同時に妙玖尼たちも我に返った。


 あの女性の正体は全く不明だが、とりあえず敵ではないらしい。外道鬼を一撃で倒した謎の力といい正体は気になるが、今は敵ではないという事が分かれば充分だ。


「行かせるか!」


 雫も同じ結論に達したらしい。女性の方に向かおうとした忍者を斬りつけて妨害する。九死に一生を得た妙玖尼も意識を切り替えて、法術で雫と紅牙を援護する。勿論巫女風の女性もあの炎の矢で忍者達への攻撃を継続する。


 彼女の登場で戦局は一瞬で逆転した。武士自身があの女性の元に向かおうとするが勿論紅牙が妨害する。


「おっと! さっきまでとは立場が逆になったねぇ?」


「……! ち……忌々しい!」


 程なくして外道忍者共が全滅したのを受けて舌打ちした武士は、その身に秘めていた邪気を全開にした。一瞬で筋肉が盛り上がり、角や牙が生え、目が赤く発光して鬼の姿に変じる武士。やはり白川で戦った助右衛門と同じだ。



『かぁっ!!』


 鬼武士は烈火の咆哮を上げると、凄まじい速度で紅牙に斬りかかる。


「おわっ!?」


 紅牙が顔をひきつらせて守勢に回る。腕利きの剣士である彼女でも殆ど見きれないほどの剣速。そして辛うじて受けが間に合った紅牙を身体ごと大きくよろめかせる剛撃。助右衛門の時と同じで紅牙一人では到底勝ち目がない化け物だ。だが今は……


「ふっ!!」


『……!』


 雫が鬼武士の死角に回り込んで短刀を突き入れる。鬼武士は人間離れした動きと反射神経でそれに反応し、雫に反撃の刃を斬りつけようとするが、


「させないよ!」


 体勢を立て直した紅牙が即座に斬りかかって妨害する。鬼武士はそれにも反応して受け止めるが、雫への攻撃は中断せざるを得なくなる。更にそこに駄目押しが掛かる。


『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


 妙玖尼の『破魔光矢』だ。当たれば鬼武士といえど只では済まない。


『ちぃ……小娘どもが!』


 鬼武士が唸る。一対一なら勝ち目がない相手もうまく連携が機能すれば優位に立てる。ましてや今は……


『火之迦具土神の滅炎!』


 再びあの巫女装束の女性が燃え盛る矢を放ち、それは狙い過たず鬼武士の背中に突き刺さった。やはり一対一なら対処できた攻撃も三人から同時に攻め立てられている状況では不可能だ。


『おおぉぉぉぉぉっ!!』


「止めだよ、化け物!」


 驚異的な耐久力でその炎だけでは燃え尽きなかった鬼武士だが、流石に苦しみ悶えて隙だらけになる。そこに紅牙が文字通り止めの一撃を加え、その首を撥ね飛ばした。 




「ふぅ……何とか終わったな。だが……」


「ええ、私達だけでは厳しかったでしょうね」


 敵の全滅を確認した雫が息を吐いてそちら・・・に油断ない視線を向ける。妙玖尼も頷いてやはり同じ方向に注視する。勿論紅牙もだ。


 三人が見据える中……その巫女装束の女性が弓を下ろして歩み寄ってきた。こちらに敵意は無さそうだが……


「危ない所だったわね? あなた達だけでこの城に潜入しようなんて無茶が過ぎるんじゃないかしら。勇敢と蛮勇は違うわよ?」


 あでやかな声と口調で揶揄する女性。年の頃は紅牙と同年代くらいだろうか。ややキツめの顔立ちだが、紅牙とは別の意味で女性らしいつやっぽさを感じる。命を助けられた事は事実なので妙玖尼は素直に頭を下げる。


「お陰様で助かりました。確かにそう言われても仕方ない体たらくでした。私は金剛峯寺の妙玖尼と申します。こちらは仲間の紅牙さんと雫さん。失礼ですがあなたのお名前を伺っても?」



「私は宇波刀うわと神社の伽倻かや。見ての通り歩き巫女よ。……といってももう信じては貰えないでしょうけど」



 女性――伽倻は自嘲気味に苦笑した。それは当然だ。外道鬼を一撃で倒したあの技を見せられては、ただの歩き巫女などという話を信じる事は不可能だ。あれは法術とは全く異なる力だ。


 妙玖尼が続けて口を開こうとした時、鋭い剣振音が鳴った。驚いて視線を向けると雫が伽倻の喉元に短刀を突きつけていた。その表情はまるでを見るかのような厳しい物だった。


「え……雫さん?」


「ちょっと、いきなり穏やかじゃないねぇ。助けられたんだし話くらいは……」


 妙玖尼は勿論紅牙でさえ眉を顰めるが、雫はそれらの反応を黙殺する。



「歩き巫女……。そしてその武芸の腕や面妖な力……。貴様、武田の密偵・・・・・だな?」



「え……!?」


 妙玖尼と紅牙は揃って目を瞠った。伽倻は否定せずに再び苦笑しつつ嘆息した。


「まあ、他国とはいえ隠密にはバレちゃうわよねぇ。はぁ……こんなはずじゃなかったんだけど」


「武田の歩き巫女……。言われて思い出したけど、アタシも噂だけなら聞いた事があるよ。本当にいたんだね」


 紅牙が珍しいものを見たかのようにマジマジと伽倻を凝視する。



 現在の甲斐大名である武田晴信……通称【甲斐の虎】は若い内から頭角を現し、情報というものの価値をいち早く見抜き、甲斐国内だけでなく隣国や周辺諸国、果ては全国の大名たちの動きや国内の様子などの情報収集に余念が無いという。


 その晴信の手足となって実際に情報収集の任務に当たる密偵達は、行商人や旅芸人など全国を回るのに不自然ではない職業に扮して日本中を旅して回る。旅先で神事や祈祷、舞踊などを行って糧を得る『歩き巫女』もそんな職業の一つだ。


 伽倻もそうした密偵の一員だという事を否定しなかった。尤もこうして自分達の前に姿を現して、その異能まで披露した事は彼女にとって想定外な状況ではあるようだったが。


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