第三十三幕 法術と神祓

「ぬぅんっ!」


 太刀を持った鬼武士が凄まじい勢いで得物を斬りつけてくる。既に同胞が倒されているためか、最初から外道鬼の姿に変じている。その太刀筋、威力ともに人間には文字通り太刀打ち出来ない斬撃だ。


「いぎっ!!」


 紅牙がその美貌に似合わないような呻き声を漏らしつつ必死になって回避する。妖怪化した鬼武士とまともに斬り合うのは自殺行為だ。刀で受けても刀ごと折られるか、そうでなくとも弾き飛ばされて大きく体勢を崩してしまう。避ける以外に無いのだが、それすら至難の業だ。


 少なくとも一対一では紅牙に万に一つも勝ち目はない。だが……今は一対一ではない。


『オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ!』


 妙玖尼は前衛で敵を引き付ける紅牙に向けて法術を発動する。見た目に変化はない。だが紅牙の動きが明らかにそれまでより速く、力強くなる。


「これは!?」


「『鬼神天行』の術です! 今なら奴とも渡り合えるはずです!」


「……!」


 一時的に対象者の身体能力を大幅に向上させる法術だ。ただし本当に一時的な上に、効果が切れた後に反動・・があるので多用できる術ではないが、今はそんな事を言っている場合ではない。


「ははっ! こいつは凄いや! アンタの動きがまとも・・・に見えるよ!」


『ぬう!? 貴様……!』


 反動があるとは露知らない紅牙は好戦的に笑うと、自分から猛然と斬り掛かる。その速度も威力も先程までとは桁違いだ。『破魔纏光』が掛かっていなかったら自身の刀が折れていたかも知れない。


『図に乗るな、女風情が!』


 だが人間離れしているのは敵も同じ。紅牙の連撃を受け捌き、反撃の刃を繰り出してくる。こうなると互いの剣士としての技量が物を言う。紅牙は勿論だが相手の武士も相当な腕前で、両者は一進一退の攻防を繰り広げる。


 だがこのままでは時間制限・・・・のある紅牙の方が不利だ。妙玖尼は今度は鬼武士の方に弥勒を掲げる。


『オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ!』


『……!!』


 弥勒から放出された光の玉は速度は遅いものの、紅牙と互角に斬り結ぶ鬼武士に躱す余裕はなく命中した。すると鬼武士の動きが明らかに精彩を欠くようになった。『大聖梵呪』。これは逆に対象の動きに干渉してその力を弱める術だ。


 強い力を持つ妖怪には通じない事も多いが、鬼武士は本人の技量は高く強敵なものの『種族』自体は外道鬼であったためか通じたようだ。だがやはりこちらも効果は一時的なので悠長にしている暇はない。


「今です、止めをっ!」


「……! おうさ!」


 敵の動きが鈍くなったのが妙玖尼の法術の効果だとすぐに見抜いた紅牙は、余計な逡巡や問答に時間を無駄にする事無く即座に刀を一閃する。破魔の法術が掛かった刀は鬼武士の首を一撃で綺麗に斬り飛ばした。





「しゅっ!」


 雫は牽制にクナイを投擲するが、槍を持った鬼武士は被弾しながらお構いなしに突進してくる。やはり破魔の法術が掛かっていない武器では牽制にすらならない。外道鬼と化した槍武士は常人の目には見きれない程の速さで踏み込んで槍を突き出してくる。


「く……!」


 さしもの雫もその神速突きの前に反撃の糸口を掴めず防戦一方になってしまう。このまままともに戦っても勝てない。雫の中で焦りが増幅されるが……


『ヒノカグツチの滅炎!』


 鋭い掛け声と共に炎の矢・・・が幾筋も、まるで独自の意志を持っているように雫を避けて鬼武士に向かう。鬼武士は咄嗟に槍を旋回して炎の矢を払うが、矢は弾かれた際に纏っていた炎を撒き散らす。


『ぬぅ!?』


「今よ!」


 鬼武士が一瞬怯む。伽倻の言葉に従うのは癪だが攻撃できる貴重な機会は逃したくない。雫は破魔の法術が掛かった短刀を構えて低い姿勢で突っ込む。だが鬼武士もさる者。すぐに体勢を立て直すと大きく飛び退って槍を旋回してくる。


 伽倻が何度か追撃で炎の矢を撃ち込むが、鬼武士も徐々に対応してきて隙を作れなくなってくる。



「ち……流石に厄介ね。ならこれならどう!? 『ナキサワメの涙身!!』」



 伽倻は舌打ちすると別の異能に切り替える。矢を番えずに持っている弓自体を薙ぎ払うように振るう。するとその軌跡に合わせていくつもの水滴・・が発生し、鬼武士の周囲に飛び散る。そして目を疑うような現象が起きた。


 その水滴は瞬く間に水たまりと言って良い大きさに広がり、そこから今度はに盛り上がり、見る見る内に人型・・を形成していく。数瞬の後そこには、何体もの水で出来た・・・・・女性の人型のような物が出現していた。


「な……」


 雫も鬼武士も共に一瞬、その奇異な光景に唖然とした。だが水の乙女達は構わず、身体を動かしながら床を滑るような移動方法で鬼武士の方に殺到していく。面妖と言うしか無いが、とりあえずは味方という事らしい。


『奇っ怪な! だがこんな大道芸で俺は倒せんぞ!』


 鬼武士は槍を高速で振り回して水の乙女達を斬り払っていく。水乙女達は抵抗なく弾け飛ぶが、元が水だけあってすぐに元通りになって、腕を水の刃のような形状に変えて攻撃する。その攻撃はそこまで速くなく、鬼武士には容易く躱されてしまう。だが何体もいる事と、倒されてもすぐに復活して群がってくる事から牽制には充分だ。


『ええい、面倒だ! 貴様から始末してやろう!』


「……ッ!」


 苛立った鬼武士が標的を変えた。この水乙女達が伽倻の力で動いているのは明らかだ。ならその大元を始末してしまえばいいという訳だ。伽倻が目を瞠る。彼女も素人ではないようだが、鬼武士に直接狙われたら厳しい。だが……


「させるか!」


『……!』


 雫がそれを妨害するように斬りかかる。彼女の短刀には破魔の法術が纏わっているので鬼武士としても無視は出来ない。そこに水乙女達も群がってくる。


『ぬ、ぬ、ぬ……!』


 さしもの鬼武士も徐々に余裕がなくなってきたのか、くぐもった唸り声を上げる。そこに……


『タケミナカタの風穿!』


 目に見えない幾筋もの風の刃のような物が鬼武士に命中し、奴の体勢を崩す。絶好の機会だ。


「さあ、今よ!」


「言われずとも……!」


 雫は勢いを緩めずに鬼武士の懐に潜り込み短刀を一閃。敵の喉笛を正確に斬り裂いた!





「ふぅ……終わった、ね」


「ああ……何とかな」


 それぞれ目の前の鬼武士の首を斬り落とした紅牙と雫が息を吐いて刀を下ろす。強敵である鬼武士二体を相手に誰も欠ける事無く勝利できた。二手に分かれて、尚且つ双方の連携が上手く行った証拠だ。妙玖尼は紅牙との連携には自信があったので、条件さえ整えば勝つことは不可能ではないと解っていた。だが……

 

「……正直驚きました。神道にはそのような異能があるのですね」


 やはり気になったのはそこだ。あのような自律する水の乙女達を作り出したり風の刃を飛ばしたりと、ただ炎の矢を撃つだけではない多彩な異能は、高野山で厳しい修行を積んできた自分達退魔師に劣るものでは全く無い。


「確かにねぇ。尼さんの力とはまた種類が違うみたいだけど中々のモンじゃないか。そうだろ?」


「……まぁな」


 紅牙に水を向けられ雫も渋々認めた。雫も一人では鬼武士相手に勝てない。勝てたのは紛れもなく伽倻の異能のお陰だ。その伽倻も苦笑しつつ肩をすくめる。


「私だって一人じゃ絶対に勝てなかったからお互い様よ。それに高野山の真言法術もここまで間近で見たのは初めてだけど、やっぱり対妖怪では私達の使う神祓しんばいより一日の長があるわね」


 伽倻も妙玖尼の法術を見て思う所があったようだ。興味深げに妙玖尼と弥勒を見やる。伽倻が使う異能は『神祓』というらしい。雫が手を叩いた。


「まあ味方・・が頼りになるのは良い事だ。殊に今のような状況ではな。……さあ、大分時間を食ってしまった。この上の妨害は勘弁願いたい。他の敵が嗅ぎつけてくる前に道三の元に急ぐぞ」


 確かに話ならこれが無事に終わった後でいくらでも出来る。今は一刻も早く道三を討伐せねばならない。奴の濃密な瘴気はもう間近に感じる。これなら迷う心配もない。


 一行は示し合わせたように頷くと、瘴気の発生源に向けて本丸御殿を駆け進んでいった。なお法術の反動の事を聞いて紅牙が顔を青ざめさせていたのは余談である。

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