第十三幕 岐阜の街へ
美濃国の首府、岐阜の街。現在の美濃大名である斎藤義龍のお膝元として栄えている街であり、街を見下ろす金華山には義龍の居城である稲葉山城の威容が聳える。沿岸部の平野に広がる三河や尾張に比すれば小規模ではあるものの、内陸部の街としては充分な繁栄ぶりだ。
「おお、中々の賑わいっぷりだねぇ。アタシは越後から出てきて以来、大きな街にはとんと縁が無かったからねぇ。すっかりお上りさんの気分だよ!」
街道を南西方面に下る事数日、ようやく見えてきた岐阜の街を目にして
「そうですね。豊川や稲沢など沿岸部の都市との交易の中継点でもありますから、街の規模に比して様々な物や人が集まる街と言われていますね」
国府の城下町だけあって街から伸びる路は、岐阜の街に入る者や反対に出ていく者が入り乱れて、山間部では考えられないような数の人々が行き交っていた。にも関わらず以前ほどこちらを注目している人間は少ない。
無論妙玖尼や紅牙の美貌に目を留めたり、女の二人連れという事で物珍し気に視線を投げかける者はいたが、美濃に入ったばかりの頃のような好色な視線を集める事は無くなっていた。
その理由は紅牙が纏っている
勿論有事などで外す必要がある時は、動作1つで簡単に外せるようになっている。露出甲冑姿を辞める気のない紅牙と、彼女の姿が注目を浴びる事で余計な厄介事を引き寄せたくない妙玖尼。二人が話し合った結果の
いつでも簡単に外せるというのと、厚くて丈夫な布なので防寒や防弾、防刀にも割と有効であり、敵に襲われた時の目晦ましに使ったり、また地面に敷いたり
といっても流石に戦いの最中まで着けたままではいられないので、賊や妖怪に襲われた時などはいつもの露出甲冑姿になってしまうだろうが。
しかし少なくとも今この場においては、その『妥協の産物』の効果は如何なく発揮されていると言えた。これが露出甲冑丸出しの姿だったら今頃どうなっていたか。注目を浴びまくって変な輩から粉を掛けられるのも一度や二度では済まなかっただろう。
しかも変な輩だけならまだしも、兵士や武士などに目を付けられると更に厄介な事になってしまう。妙玖尼は自分の
一応戦国の世という世相を反映してか、大きな街になると大抵その地を支配している勢力の兵士が入り口で検問をしている事が多い。といっても現在進行形でどこかの勢力と戦でもしていない限りその殆どは形式的な物に過ぎず、兵士やその上の責任者にちょっと
これは街道に設置されている関所などでも見られる現象で、兵士や下級武士たちの貴重な
この岐阜の街でもやはり街に入る前の街道沿いに武装した兵士達が複数立っており、そうした
「ふん……街道に陣取って道行く旅人や商人から金を巻き上げるアイツらは、あたしらのような賊と何が違うのかねぇ? たちの悪い勢力の検問だと、言う事聞かない奴等は身ぐるみ剥いだり、難癖つけて殺しちまったりさえあるらしいじゃないか」
紅牙がその検問の様子を見ながら不快気に鼻を鳴らす。まあ確かにそう言いたくなる気持ちも分かる。事実大名や豪族の性格によっては、ほぼ賊と変わりないような勢力もあるらしい。
「まあそれを言っても仕方ありません。自分達に災難が降り掛からなければそれで良しとすべきでしょう。この地を治める斎藤義龍が
どのみち大きな街に入る際の検問は避けては通れない。下手に避けようとすれば自分に疚しい所があると宣伝しているようなものだ。紅牙の存在が若干の不安要素ではあるが、彼女がお尋ね者だったのはあくまで飛騨国であり、この美濃国では問題ないはずだ。
「よし、次!」
その時、丁度妙玖尼たちの前にいた行商が兵士達に袖の下を渡して通行を許可された。次は彼女達の番だ。兵士達が無遠慮にこちらを眺め回してくる。
「ふん……? このご時勢に女の二人連れとは珍しいな? 行脚の途中か?」
尼僧である妙玖尼の姿を見ながら責任者らしい下級武士が眉を上げる。妙玖尼は肯定の意味も込めて、手を合わせてお辞儀する。
「金剛峯寺の妙玖尼と申します。こちらは
予め決めてあった
「ふん、確かに今の世の中、仏罰を怖れない不届きものも多いだろうからな」
下級武士も特に不審に思う事無く頷いた。あとは少し
「やっぱり……見間違いじゃない! そ、その女……『
「――――っ!?」
青天の霹靂。妙玖尼も、そして勿論当の紅牙も驚愕に目を見開いて、その糾弾してきた人物を見やった。それは検問している兵士の1人だった。青ざめた顔でこちらを……紅牙を指差している。
「な、何だと? この女が『飛騨の紅天狗』?」
責任者の下級武士がその兵士を問い質す。兵士は青ざめた顔のままはっきりと首肯した。
「間違いない! 俺はあの恐ろしい襲撃を生き延びた一人だ! 絶対に見間違いじゃない! こ、この女は……抵抗した重定殿を手下と一緒に嬲り殺しにして、最後に笑いながらその首を直接刎ねたんだ。俺は命からがら逃げ延びたが……未だにあの時の悪夢で目が覚める事がある」
「……!!」
妙玖尼が咄嗟に紅牙を仰ぎ見ると、彼女は盛大に冷や汗を浮かべて顔を引き攣らせていた。どうやらあの兵士が言っている事は事実であるらしい。
(半年前……? どこかで彼女から聞いたような…………あっ!!)
唐突に思い出した妙玖尼は目を瞠った。あれは美濃に入ってすぐの事だ。道で出会った斎藤道三の私兵達に絡まれた際、紅牙が出した
あの兵士が言っている『鈴木重定』とやらが、その御家人に違いなかった。
(ここで来ますか……!!?)
あの件が厄介事の種にならないか懸念していたものの、旅や戦いを続ける内にいつしか忘れ去ってしまっていた。まさか今になって、しかもよりによってこの状況で露見するというのは最悪だ。
さらに悪い事に斎藤家の兵士達はよく訓練されていて、規律も行き届いていた。びっくりするくらい迅速に二人は、大勢の槍を持った兵士達に取り囲まれていた。街道を挟むように両脇に建つ櫓からは、弓でこちらに狙いを定めている兵士達もいた。
万事休す。この状況は最早如何ともしがたい。弁解しようにも兵士達は殺気立っていて話を聞いてもらえそうな雰囲気ではない。
(いや、そもそも弁解のしようがありませんか……)
紅牙の所業を知っていながら、それを問題視せずに行動を共にしていたのだ。言ってみれば彼女も
「まさかこんな事になるとはね……。巻き込んじまって悪かったね、尼さん」
「……いえ、私も同じ穴の狢ですので」
観念した紅牙が詫びてくるが、妙玖尼はかぶりを振って嘆息した。二人の前にあの下級武士が進み出てくる。
「大名家に仕える武士を強殺したとなれば重罪だ。沙汰は殿より直接下される事になるだろう。二人ともひっ捕らえろ!」
兵士達が包囲を狭めてくる。ここで抵抗しても無意味だ。妙玖尼も紅牙もそれが解っているので無駄な抵抗はせず大人しく縛についた。
数か月ぶりに大きな街に入れると喜んで来た岐阜の街。だが現実には縄を掛けられ、罪人として引っ立てられての入街となってしまうのだった……
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