第十二幕 不穏の予兆
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
妙玖尼の錫杖『弥勒』から破魔の光が放たれ、一つ目鬼の巨体に直撃する。一つ目鬼は僅かに揺らいだものの大きな打撃を受けた様子もなく突進を再開してくる。恐るべき耐久力だ。
「ほう、それが密教の退魔法術か! 以前にも
「……!」
雷蔵は好戦的に笑うと、二刀を振りかざして一つ目鬼に突撃していく。高野山の退魔僧は当然妙玖尼以外にも何人もいる。むしろ彼女はまだ
「おい、化け物! お前の相手はこっちだ!」
挑発する雷蔵に向かって一つ目鬼がその丸太のような腕を振り下ろす。当たったら破落戸共と同じように原型を留めない肉塊へと変わり果てるだろう。だが雷蔵は過度に怖れる事も無く、冷静に振り下ろしの軌道を見切ってそれを避ける。そして振り下ろされたその腕に二刀で斬り付ける。
一つ目鬼の腕が薄く斬り裂かれて体液と思しき物が噴出するが、それだけだ。斬断はおろか深手を負わせるにも至らない。
「おら! アンタの相手はこっちにもいるよ!」
敵の注意が雷蔵に移ったのを見計らって紅牙が反対側から、一つ目鬼の脚に斬り付ける。だがこちらも同じように硬い皮膚と筋肉に阻まれて有効な傷を与えられない。
「ち……妖怪ってのは無駄に硬い奴ばっかだね!」
「雑魚ならともかく
2人は舌打ちしながらも、暴れ回る一つ目鬼の暴威を上手く躱しつつ反撃を重ねていくが、一向に一つ目鬼の動きが鈍る様子はない。だが苛立たせる効果はあったらしい。一つ目鬼がそれまでとは違う行動を取った。
何と奴は近くに木を両手で掴むと、どのような怪力かそれを根元から引っこ抜いた。そして土を飛ばしながら振り回して両手でしっかりと把持した。それはどう見ても……
「……
「あれに比べたら大男が振り回す六尺棒も小枝みたいなモンだね……!」
2人の剣士が顔を引き攣らせる。それとほぼ同時に一つ目鬼が咆哮して、文字通り丸太を振り回して突進してきた。
「気を付けろ! 枝に当たっただけでもヤバいぞ!」
「解ってるよ!」
流石に振り回される丸太相手では2人も迂闊に踏み込めない。だが近距離が駄目なら
『オン・マユラギランデイ・ソワカ!!』
紅牙たちが一つ目鬼を引き付けてくれていた間に真言を唱えて法力を高めていた妙玖尼は、『孔雀天雷』の術を発動させる。一つ目鬼の上空辺りに小規模な雷雲が発生し、そこから発生した幾条もの落雷が暴れ回る単眼巨人を打ち据えた!
「おお、こりゃ凄いな! 法術ってのは本当に大したモンだな、全く!」
雷撃とその熱による衝撃で煙を上げる一つ目鬼の巨体を見上げて、雷蔵が感心したように唸る。
「……いえ、皆さんが時間を稼いでくれたお陰です」
彼の称賛を受けて妙玖尼も満更でもない気分になる。だがそうして
黒焦げになった一つ目鬼が自分の持っていた大木を抱え上げた。そしてそれを妙玖尼に向かって投げ付けてきたのだ。
「っ!? 尼さん……!!」
「あ…………」
まさか敵があの距離から直接自分を狙ってくるとは思わなかったという油断。そして大きな法術を発動した直後で消耗していた事。結果として妙玖尼は回避動作を取れずに、自分に向かって降ってくる巨木を呆然と見上げる。紅牙の悲鳴が妙に遠くに聞こえた。
「ちぃ……!!」
だがその時、一早く動いた者がいた。雷蔵だ。彼はまるで矢のような速度で妙玖尼に向かって突進し、彼女に抱き着くような形で体当たりした。そして一緒に大きく転げる。奇しくも紅牙を大岩から救った時と同じような体勢だ。今度は妙玖尼が助けられてしまった。
すぐ側で大木が地面に落ちる衝撃と轟音が響いた。雷蔵が飛び込んでこなかったら妙玖尼はこれの下敷きになっていたのだ。
「あ、尼さん、無事かい!? ……よくもやってくれたねぇ、死にぞこないの化けモン風情が!」
妙玖尼の無事を確認した紅牙はホッと胸を撫で下ろすと、一転して怒りに目を吊り上げて一つ目鬼に向き直った。『孔雀天雷』をまともに受けた妖怪は既に死に体だ。今なら『破魔纏光』がなくても倒せるはずだ。
紅牙は刀を構えて突っ込むと大きく跳び上がり、一つ目鬼の特徴でもあるその巨大な単眼に刀の切っ先を突き入れた。奴が膝をついて木を投げた姿勢で固まっていた為に届いたようなものだ。
『ゴアアァァァァァ……!!!』
単眼巨人は断末魔の叫びを上げると、そのまま仰向けに倒れた。一つ目鬼は強力な妖怪だが、その目立つ単眼が弱点とも言われている。歪な生命力を断たれた妖怪は、地面に溶け込むようにして消滅していく。その死体が消えた後から握り拳大の黒い球体が転がり落ちる。これはあの助右衛門が持っていた『瘴気石』と同じものだ。
「ふぅぅ……何とか倒せたね。一瞬焦ったけど大丈夫かい、尼さん?」
紅牙が一つ目鬼の討伐を確認してから息を吐いて妙玖尼に視線を向けると、彼女はまだ寝転んでいた。……雷蔵と抱き合った姿のまま。
「むぅ……これは何とも、たわわな……」
「っ!! こ、こら! はな……離れなさい、慮外者!!」
雷蔵が自分に抱き着いたまま神妙な表情と口調で呟くのを聞いて、ようやく今現在の自分達の
「いてて! こら、叩くな! 解った、離れる! 離れるから!」
雷蔵は情けない悲鳴を上げて、しかし若干名残惜しそうな調子で妙玖尼から離れた。一見硬派そうな雰囲気をして、実はかなり油断のならない男なのではと妙玖尼は思った。
「……ぷ。あははは! 自分の欲望に正直な男は嫌いじゃないよ! それでいて腕も確かだしねぇ。とりあえずお礼は言ってもバチは当たらないんじゃないかい? ま、それはアタシにも言える事だけど」
2人のやり取りを見ていた紅牙が噴き出す。そして妙玖尼が
「アタシもバタバタしてて礼を言えてなかったからね。ありがとうよ。アンタのお陰で岩の下敷きにならずに済んだよ」
「……! オ、オホン! その……助けて頂いた事は感謝致します。あたなのお陰で私も大木の下敷きにならずに済んだ事は事実ですから」
紅牙の思惑通り彼女が先に礼を言った事で妙玖尼も自分だけ何も言わない訳にも行かず、その流れで礼を言えたようだ。
「いいって事よ。美女2人から礼を言われて感謝されるってだけで充分な果報者さ」
雷蔵は肩をすくめて笑いながら立ち上がった。どうやら彼も怪我などは無いようだ。妙玖尼はホッと息を吐いた。
「さて、とりあえず他に敵が襲ってくる様子はないみたいだな。流石に今ので打ち止めって事で良いんだよな?」
雷蔵が妙玖尼に確認してくると、彼女は頷いた。
「そうですね。邪気や妖気の類も感じませんし、無事に殲滅できたようです。皆さん、お疲れ様でした」
「ホントに疲れたよ。少なくとも今夜はこのままぐっすりと休みたい所だねぇ」
妙玖尼が労うと、紅牙は本当に疲れたような表情で溜息を吐いた。確かに今の激闘の後だ。誰でも休みたくなるというものだ。
「そうだな。それに幸いというのも変だが、他の奴等が全滅したのでその分報酬も上乗せされるかもな」
雷蔵だけはそう疲れた様子もなく、報酬を気にしていた。宿に戻った3人だが、破落戸共が死んだ分の報酬は上乗せされなかった。主に雷蔵と紅牙が抗議したが、
「報酬はあくまで一人頭の額だけに決まってるだろ。上乗せなんてしたらアンタら互いに殺し合いしかねないだろ?」
という宿の主人の至極尤もな意見によって黙らざるを得なかったのは余談だ。
そして翌朝。宿の前の街道で妙玖尼たちと雷蔵は互いに向き合っていた。
「岐阜へ行くのか。俺は信濃方面に向かう予定だから、名残惜しいがここでお別れだな。
雷蔵は元々は畿内(今の近畿地方)で活動していたのを、武田氏と長尾氏の戦が長期化しているという噂を聞きつけて信濃に向かっている最中であったらしい。
「そうだったんだね。まああんたなら大丈夫だろうけど、随分デカい戦らしいから気をつけなよ」
「……道中の無事をお祈りします」
妙玖尼と紅牙もそれぞれに別れを告げる。雷蔵はそんな彼女らを見てふっと笑った。
「勿論くたばる気はない。というより昨夜
「……っ! は、早くお行きなさい! 信濃はまだ遠いですよ!」
妙玖尼が顔を赤くして怒鳴ると、雷蔵は笑いながら肩をすくめた。
「はは、悪い悪い。さて、それじゃ達者でな! これは真面目にまた会える事を願ってるぜ!」
そう言って踵を返すと、後は振り返る事なく街道を東方面に向かって歩き去っていった。それを見送って紅牙が妙玖尼の肩を叩いた。
「中々面白いヤツだったねぇ。さて、それじゃアタシらも行こうかね?」
「……そうですね。昨夜あの一つ目鬼が落とした『瘴気石』も気になりますし」
紅牙に促されて妙玖尼も気持ちを切り替えると、岐阜の街に向かって歩き出した。昨夜の妖怪達の襲撃はあの『瘴気石』によってもたらされた異常行動の可能性が高い。助右衛門の主とやらが一枚噛んでいるのかも知れない。
紅牙と連れ立って街道を進みながらも、妙玖尼はこの美濃を覆う暗雲は晴れていないどころか増々濃くなっている事を予感するのだった……
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