第十一幕 人妖合戦

「お出でなすったか! だが、あれは……どうみても『人』じゃないな?」


 森から現れて斜面を駆け下りてくるいくつもの影を見ながら雷蔵が目を細める。妙玖尼は首肯した。


「そのようです。あれは餓鬼ですね。最下級の妖怪ですが群れるとそれなりに厄介です。くれぐれも油断はなさらぬよう」


「はっ! 言われるまでもない!」


 雷蔵は不敵に笑うと、両腰に提げていた・・・・・・・・刀を抜き放った。そして両手にそれぞれ抜き身の刀を握る。彼は二刀流の遣い手であるようだ。


「どれ、契約分の働きはしてくるか!」


 雷蔵は二刀を掲げると、既に斬り結んでいる傭兵と餓鬼との乱戦に割り込んでいく。餓鬼は腹だけが異様に膨れて、他はやせ細った体躯をした人間大の妖怪である。目は血のような赤に濁り、不揃いな乱杭歯と尖って不潔な鉤爪を備えているのが特徴だ。飢餓や流行り病で死んだ人々の無念や怨念が邪気として凝り固まって生まれる、この末法の世にあって最も普遍的な妖怪である。


 理性や知性はほぼ無いに等しく、文字通り餓えた獣の如く生きている者を貪り食わんとする本能だけで動いている。最下級の妖怪であり大した手強さではないが、大抵群れているその数と恐れを知らない狂暴ぶりが厄介であり、最下級だからと決して油断していい存在ではない。



「おら! 死ねや、化け物!」


 傭兵の1人が勇んで刀を振り下ろすと、斬られた餓鬼が黒っぽい体液を噴き出しながら倒れる。外道鬼とは違って通常の武器でも有効打を与えられるので、特に退魔の力がなくとも武装していれば充分駆逐は可能だ。


 だが如何せん数が多い。しかも怖れを知らず、仲間が斬られても平然とその屍を踏み台にして襲い掛かってくる。


「のわっ!?」


 傭兵の1人が餓鬼に飛び掛かられてそのまま押し倒される。するとまるで肉食獣の群れのように他の餓鬼たちも一斉に群がってくる。


「ウギャァァァァァァァッ!!!」


 聞くに堪えないような絶叫と共にその傭兵は生きたまま貪り食われていき、やがてその悲鳴も聞こえなくなった。勿論その間にも他の餓鬼たちは食欲を剥き出しにして襲ってくる。


「ひぃ!? な、何だよ、こいつらはぁ!?」

「こ、こんなの聞いてねぇぞ!」

「やってられるか! 命あっての物種だぜ!」


 その光景に傭兵たちが及び腰になる。所詮は端金で雇われているだけの破落戸共だ。形勢が悪くなると容易く士気は崩壊する。だがこの時は……



「オラッ!!」


 気合の入った女性・・の掛け声。連続して剣閃が煌めき、2体の餓鬼が同時に首と胴を別れさせて地に沈んだ。


「……!!」


「ハッ! 最初の威勢はどこへやら、情けない玉無し野郎ばっかだねぇ! こんな雑魚共が怖いのかい? だったら逃げ帰って厠の隅で震えてな!」


 妖艶な露出甲冑姿の美女、紅牙だ。彼女の紅い鎧とそこから剥き出しになった白い素肌は、この月夜の中でも良く目立った。そして目立つだけに敵の注意も引きやすくなる。


 蜜に群がる蟻のように餓鬼どもが殺到してくる。だが紅牙は逃げる事無く刀を構えると再び縦横に刀身を閃かせた。その度に餓鬼が血しぶきを上げて斃れていく。


「ふはっ! なるほど、その刀は伊達ではなかったという事か! お前ら、まさか女を戦わせて後れを取ったまま逃げるような男はおらんよな!?」


 紅牙の戦いぶりをみた雷蔵が歯を見せて笑いながら、他の傭兵たちに発破をかける。勿論その間にも二振りの刀を煌めかせて餓鬼どもを葬り去っていく。彼が敵を屠る速さは紅牙以上だ。それは単に刀の数が多いからという問題ではない。


 二刀を実戦で扱うには相応の技術と習熟が必要だ。でなければ注意が二本の刀に散逸してしまい、一刀よりも却って効率が落ちたり隙が大きくなったりしてしまう。その二刀を巧みに操り、紅牙以上の速度で敵を屠る雷蔵の剣士としての技量は間違いなく本物だ。


「へぇ、やるねぇ、アンタ! 骨のある本物の・・・男もいたんだね!」


「……っ!」


 紅牙が餓鬼を斬り捨てながら敢えて「本物の」という部分を強調すると、逃げ腰だった破落戸共が色めき立った。


「ぬぅぅ……! あの野郎にばっか美味しいとこ持ってかれてたまるか!」

「当たり前だ! こりゃ逃げる振りして敵を誘き寄せる作戦だぜ!」

「そ、そうそう! これから俺様の本気を見せてやるって所だ!」

「おら、行くぜ! 化け物どもをぶっ殺せぇ!」


 全員口には出さないが、何よりも女の紅牙が最前線で戦っているのに自分達だけ逃げるのは男の沽券に関わるという思いが強いようだ。一転して勇猛さを発揮して積極的に餓鬼どもに斬り掛かっていく。



 餓鬼は本来そこまで手強い妖怪ではない。その数や異様さに呑まれず冷静に対処すれば彼等でも充分対処できる範疇だ。


(……紅牙さんや雷蔵さんもいる事ですし、あえて私が動く必要はなさそうですね)


 戦況を見定めつつ妙玖尼はそう判断した。人前で法術を多用しないに越した事は無いし、彼女のような尼僧が錫杖を振り回して餓鬼の頭を叩き潰す様を、出来ればあまり人に見せたくないという思いもあった。変な噂が広まるのは極力避けたかった。


 そして妙玖尼の読み通り彼女が手を出すまでもなく、程なくして襲ってきた餓鬼どもを残らず殲滅する事が出来た。 




「ふぅ……どうにか片付いたみたいだねぇ。アンタ達、よくやったね」


 餓鬼がこれ以上現れない事を確認して紅牙が男達を労う。美女に労われて満更でもなさそうな男達だが、彼等の顔は一様に欲望で歪んでいた。戦いに勝った高揚も手伝っているようだ。


「へ、へへ、約束通り敵は全滅させたぜ? 勿論ご褒美・・・はもらえるんだよなぁ?」


「今更無かった事にはさせねぇぜ?」


 破落戸共は興奮で目をギラつかせ、鼻息を荒くしながら紅牙を取り囲む。もし彼女が約束を反故にしようものなら力づく・・・も辞さない。そんな雰囲気がありありと見て取れた。


「おい、お前ら。余り――」


「ああ、いいんだよ、兄さん。こいつら溜まりまくってんだろうからさ」


 それを見かねた雷蔵が割り込もうとしたが、紅牙自身が笑ってそれを制した。恐らくこれに類似するような状況すら、彼女が盗賊団を率いていた時には何度もあったのだろう。彼女が飛騨ではお尋ね者の盗賊だったと明かす訳には行かないが、妙玖尼も雷蔵に頷いて心配ない事を伝える。


「ほら、順番に並びな。流石にアタシも身体は一つしかないからねぇ。全員一度には出来ないよ」


 紅牙は慣れたもので、むしろ自分からその気になっているように蕩けた表情になって、最寄りの男にしなだれかかる。


「お、おお……そ、そうか。解りゃいいんだ解りゃ、へへへ」


 紅牙がもたれかかってその身体に手を這わせると、最寄りの男は途端に脂下がって満更でもない雰囲気になる。周囲の男達も似たような状態だ。先程までの空気で下手に言い訳したり拒否したりしたら、この男達は容易く暴発・・していただろう。こういう時は却って女性の方から迫ってやると穏便・・に行くらしい。


 紅牙の手管に変な所で感心する妙玖尼だが、それはそれとして現実的な問題も浮上する。


「なあ、おい。あの女、本当にあの数の男達と致す・・つもりか? 俺はもう宿に帰っていいか?」


 雷蔵が刀を肩に担いで、少し呆れたように嘆息する。妙玖尼も同じ気持ちではある。紅牙が自分の約束を果たす、もしくは好きで男達と致すのは勝手だが、それを見せられる方の身にもなって欲しい所だ。



「そうですね。彼等に付き合う義理はありませんし、私もひとまず…………っ!?」


 そこまで言い掛けた時、彼女は強烈な殺気と妖気・・・・・を感知して目を瞠った。ほぼ同時に雷蔵も動いていた。


「馬鹿! 避けろっ!!」


「な――――」


 雷蔵は先程まで戦いでは見せていない凄まじい速度で紅牙に突進し、彼女に抱き着く勢いで飛び付いた。そして2人でもつれ合うように地面に転がる。


「ちょ、ちょっと! いきなり何するん――」


 演技ではなく本当に顔を赤らめて雷蔵を殴ろうとする紅牙だが、その直後先程まで彼女がいた辺りに物凄い大きさの何か・・が落下してきて、轟音と共に着弾・・した。


 何かが潰れるような嫌な音が響き、その後着弾の衝撃によって突風と土砂が撒き散らされる。


「紅牙さん! 雷蔵さん!!」


 妙玖尼は目を瞠って驚いて駆け付ける。紅牙は雷蔵の咄嗟の判断によって辛うじて難を逃れていた。彼女は未だに雷蔵と抱き合って寝転んだ姿勢のまま、上体だけを起こしてその飛んできたモノ・・を見上げた。


「こ、こりゃあ……岩!?」


 それも人間がまとめて5、6人くらいは詰め込めそうな巨大な岩であった。それがどこからともなく降ってきて紅牙を圧し潰しそうになったのだ。いや、狙われたのは彼女だけではない。


 その巨岩には赤黒い液体が大量に付着し、周囲には飛び散った土砂に混じって夥しい量の血や内臓が飛び散り、また武具や人体・・の破片と思しき物体もそこかしこに散乱していた。


 この巨岩に圧し潰された破落戸共の成れ果てだ。紅牙のご褒美・・・を期待して気が緩みまくっていた彼等は、迫りくるこの巨大な物体に気付かずまともに圧し潰されたのだ。


「ひ、ひいぃぃ……!? な、何なんだ。何なんだよぉ、こりゃあ!?」


 運良く外側にいて僅かに生き残った傭兵たちがその光景に腰を抜かしている。だが彼等は果たして運が良かったのかどうか……


 へたり込んでいる彼等の頭上に、月明りを遮る巨大な影が差した。


「へ…………?」


 間の抜けた声で自分の頭上を見上げる破落戸。それが彼が人生で発した最後の言葉となった。上から叩きつけられた巨大な『拳』が彼を原型を留めない肉塊へと変えてしまった。


「な、何だい、あの化け物は!?」


 逃げ惑っている他の生き残りの破落戸共を攻撃しているその怪物を見て、紅牙が目を見開く。身長が成人男性の三倍くらいはありそうな馬鹿げた巨体の人型の怪物。それでいて体型もずんぐりしていて体重は鎧を着こんだ男10人分くらいはありそうだ。何よりも特徴的なのは……



「あれは……一つ目鬼・・・・ですね。餓鬼や屍鬼などの下級の妖怪と一緒に、まるで奴等を率いているような立場で現れる事が多い妖怪です。迂闊でした。餓鬼だけでなくそれを率いているだろう存在を失念していました」



「……!」


 妙玖尼の説明に身を戦慄かせる紅牙。そう、あの怪物の特徴はその顔面の中央に存在する巨大な一つ目だ。


「一つ目鬼か……。噂は何度か聞いた事があったが、直に見るのは俺も初めてだな」


 雷蔵が神妙な表情で頷く。そんな彼は未だに紅牙と密着して寝転んだ体勢のままだ。それを思い出した紅牙が再び顔を紅潮させる。


「ちょっと! いつまで引っ付いてんだい! さっさと離れな!!」


「おっと、こりゃ失礼。もうちょっと役得・・を味わえると思ったが、ま、そんな場合じゃないのも確かか」


 紅牙が拳を振り上げたので雷蔵は若干残念そうな口調で素早く身を離して立ち上がった。どうやら解っていて抱き着いたままだったらしい。腕利きの剣士であろうが男は男だ。



「オホン! ……一つ目鬼を放置する事は出来ません。恐らく奴がこの襲撃騒ぎの主犯・・でしょう。私たちは今からアレを討伐します。あなたは逃げるなりお好きにどうぞ」


 妙玖尼は若干冷たい視線と口調になって雷蔵から顔を逸らすと、真言を唱えて法術を高め始めた。


「んん? 何だい、尼さん? いつもと様子が違うじゃないか。もしかして……?」


「……何を邪推しているのか知りませんが、今はそれどころではありませんよ? あなたも早く支度をなさい」


「はいはい、解ってますよ」


 あまり今の妙玖尼を茶化さない方が良さそうだと判断した紅牙は、真面目な顔になって刀を構える。実際そんな場合でないのも確かだ。一つ目鬼は破落戸達を皆殺しにし終わって、こちらに狙いを変更してきていた。


「逃げるだって? 冗談言うな。俺は一度受けた仕事は絶対にやり遂げる主義でね!」


「命知らずですね。……勝手にしなさい」


 雷蔵も二刀を抜いて臨戦態勢だ。妙玖尼は少し複雑な表情になった。一つ目鬼が恐ろしい咆哮を上げながら、その長くて太い両腕を振り上げて襲いかかってきた。その手は破落戸どもの返り血で汚れている。


「来るよっ!」


 3人はそれぞれの得物を構えて単眼の巨人を迎え撃った。

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