第十幕 あやかし紅天狗
夜を待って宿の外に出ると、そこには他にも雇われた用心棒が何人も屯していた。既に日が落ちているため街道を行き交う人々の姿はない。一部真っ当な(?)侍と思われる剣士もいるようだが、大半は食い詰めたやくざ者のような賊と大差ない雰囲気の男達ばかりであった。
(……まあこの戦乱の世にあってどの大名や豪族にも仕官できずに、食い詰めて用心棒を稼業にしている者など、大半はこのような輩達なのでしょうが)
そしてこの男達の顔ぶれを見た時点で妙玖尼には、
「ヒュゥゥ! おいおい、見ろよ! 随分色っぽい姐ちゃんがいるぞ」
「こいつはたまげたな! えれぇ上玉じゃねぇか!」
「何だ、俺達への慰労か何かのつもりか? 宿の主人も粋な事してくれるじゃねぇか!」
「一緒にいる尼はなんだ? それにあの姐ちゃんも刀なんか挿してるぜ」
「そういう趣向のお飾りかなんかだろ。よく見たら尼の方も随分な別嬪だぜ。おい、姐ちゃん! これから一仕事あるんでしっぽりやってた所だ。こっちに来て酌しろよ!」
宿から出てきた二人の姿を見て男達は一瞬目を丸くするが、すぐに(主に紅牙の方を見て)その顔が
ここで余計な問題を起こすのは得策ではない。妙玖尼がどうやってこの場をやり過ごそうか思案していると……
「おや? 兄さんら、見た目通りイケる口だねぇ。勿論酌くらいいくらでもしてやるよ。アタシにも呑ませてくれたらねぇ?」
「……!? 紅牙さん……?」
何と紅牙は下卑た目で見られて妓女のように扱われても特に嫌な顔一つする事無く、それどころか乗り気な様子で気さくに応える。妙玖尼が信じられない面持ちで彼女を仰ぎ見ると、紅牙は他人には解らないくらい小さく片目を瞑って合図を送ってきた。
(……! この場は任せろという事ですか?)
紅牙が自信ありげな様子だったので、とりあえず成り行きに任せてみる。
「おお、勿論だぜ! 俺ら全員に酌してくれたらな。だがこいつは女にはちっとキツい地酒だぜ?」
「アタシは酒には目がないのさ。下手な男衆には負けないくらいにはね。ほら、お望み通り酌してやるから盃を出しな」
刺激的な格好をした気風の良い美女が、嫌がりもせず積極的に酒を注いでくれるのに気を良くした男達は自然と紅牙の元に群がるようになる。彼等に勧められて自身も気前よく盃を呷る紅牙。男達が喝采を上げる。
言葉通り本当に酒にも強いようだ。因みに僧侶なので当然だが妙玖尼は酒は全く嗜まない。
「へへ、本当にいい女だなぁ。名前は? どこから来たんだ?」
「この辺にはよく来るのか?」
「へへ、もっとこっち来いよ。夜は少し冷えるからな」
酒が入って大胆になった男達は紅牙に対してより
その光景に流石に眉根を寄せた妙玖尼が止めに入ろうとするが、それに気付いた紅牙に視線だけで制止される。そうして紅牙は嫌がるどころか蕩けたような妖艶な表情になって、自分の身体をまさぐってくる男の……
「お……」
「ふふ、お兄さん方、随分お盛んだねぇ? アタシ、強い男は好きだよ。でも
美女から逆に股間をまさぐられてビクッと身体を震わせる男。紅牙は頬を上気させて蕩けきった顔を男の耳元に近付ける。
「襲ってくる賊を無事に退治出来たら……ここにいる全員に
「……っ!」
耳に息を吹きかけるように語り掛けると、男の震えが更に強くなった。いや、周囲の男達も一様に生唾を呑み込んで前屈みになり、紅牙の言葉に聞き入っている。いつしか彼女がこの場を支配していた。
「敵を一番多く斬った男には、この世の物とは思えない
「……!!」
そこで一転して凄んだ雰囲気で男達を睥睨すると、彼等は前屈みの姿勢のまま顔を青ざめさせて一様に首を何度も縦に振った。まるで主人の歓心を買おうと必死な犬のような有様だ。既に最初に見た時の賊まがいの荒くれ者の雰囲気は欠片もない。
(……なるほど、伊達にあの大きな山賊団を纏め上げてはいませんね。この程度の破落戸共の掌握などお手の物という訳ですか)
紅牙が山賊団の頭領として賊共を率いてきた
「ふん、あの破落戸共、すっかり骨抜きだな。お前もあの女の仲間か? 随分妙な取り合わせだが一体何を企んでいる?」
「……!」
と、その時、紅牙の
「俺は雷蔵だ。尼さんがあんな女郎連れでこんな危険な仕事に出張る理由はなんだ? ただの盗賊退治じゃないのか?」
「……金剛峯寺の妙玖尼と申します。あちらは紅牙さん。何も企んでなどおりません。ただ……これは普通の盗賊退治ではありません」
「何だと?」
剣士……雷蔵はピクッと眉を上げる。
「信じて頂けるか解りませんが……宿を襲っている盗賊は恐らく人間ではありません。この仕事でどれだけの報酬を約束されているかは知りませんが……命が惜しければ今の内に降りる事をお勧めいたします」
「ほぅ……人間ではないと? つまり
「え……?」
まさかすんなり受け取るとは思わず、妙玖尼は雷蔵の顔を仰ぎ見た。雷蔵はニヤッと不敵な笑みを浮かべていた。
「何だ、意外か? そっちこそ経験があるようだが、物の怪と
「……!」
意外と言えば意外であった。だが考えてみればおかしな話ではない。今の戦国の世にあって人心は乱れ、例え人里であっても邪気は発生する。全国を渡り歩いていれば時には鬼や妖怪に遭遇したとしてもおかしくない。
そして雷蔵は『戦った』と言った。それが嘘でないのなら、妖怪と戦って生き延びたという事だ。
「あなたは……」
妙玖尼がそこまで言い掛けた時だった。
「き、来た! 来たぞーー!! 気を付けろ! 奴等――」
付近の森を見張っていた斥候役と思しき男が血相を変えて駆け戻ってきた。しかし……直後に、後ろから跳んできた
「や、やめ……助け……ギャァァァァァァァッ!!!」
聞くに堪えないような悲鳴と共に男の声が途絶える。その間にも森の木立から次々と同じような影が飛び出して宿の方に向かって走ってくる。
「な、何だぁ!?」
「こっちに向かってくるぞ!」
「な、何だ、ありゃ!? 猿か何かか!?」
「いや、猿にしちゃデカくねぇか!?」
その光景に破落戸どもが動揺して浮足立つ。本来であれば算を乱したまま敵の奇襲を許していた事だろう。だが……
「ボサッとしてんじゃないよ! その股にぶら下げてるモンは飾りかい! あいつらが『敵』だ! 全滅させたら
「……!!」
紅牙の発破に男達の動揺が鎮まる。彼等の顔が動揺や恐怖を上回る
「へ、へへ! 確か一番敵を斬った奴が一番のご褒美を貰えるんだよな! 俺のモンだぁ!」
「あ、てめぇ、抜け駆けする気か! そうはさせねぇぞ!」
「どけ、コラ! 奴等を殺るのは俺だぁ!」
破落戸たちはむしろ我先にと得物を抜いて、迫ってくる影たちを迎え撃っていく。『敵』もそれを見て退いたりする事無く、奇怪な雄叫びを上げながら次々と殺到してくる。
月明りと篝火が照らす夜の宿先で、凄絶な殺し合いが始まった!
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