第五幕 瘴気石
「な、何と……妖怪、ですか!? それが白川の水を枯れさせていたと……?」
白川の村に戻った妙玖尼達は、その足で村長の助右衛門に報告に行った。話を聞いた助右衛門は当然の事ながら半信半疑の様子であった。妖怪である牛鬼は死体も残っていないので、直接見た者でなければ証明は難しい。
「おいおい、村長さん? まさかアタシらが出任せ言ってるとでも言いたいのかい?」
紅牙が刀の柄に手をかけて目を眇める。助右衛門は途端に及び腰になる。
「い、いや、勿論そういう訳ではないが村の者達に説明するにも、あなた方の言う事を証明できる物が必要なのはお分かり頂けますでしょう?」
「倒したら死体は消えちまったんだから証明するものなんか無いよ! アタシらにタダ働きさせようって腹積もりかい!?」
紅牙は目を吊り上げる。妙玖尼は嘆息しながら割って入った。
「紅牙さん、おやめなさい。それでは
敢えて賊という単語を用いて紅牙に
「こほん! ……連れが失礼致しました。断水の原因が妖怪であった事と、それを討伐した事は事実ですが、残念ながらそれを証明する物は所持していません。数日もあれば白川の水も元に戻るでしょうが、それを以って証明とさせて頂く他ありません」
しかし妙玖尼としては(恐らく)大した物でもないだろう報酬の為に、この村に何日も留まる気はなかった。そもそも水が戻ったとしてもそれを妙玖尼達がやったという完全な証明は不可能なのだ。妙玖尼としてはただ村の水源が戻ったという報告に来ただけであった。
助右衛門は考え込むような素振りとなった。
「ふぅむ……御僧様がそこまで自信ありげに断言されるというのであれば、とりあえずは信じてみてもよいでしょう。実際のお礼は川に水が戻ってからという事で、せめて本日は村の宿でごゆるりとお休み下さい。勿論宿代と食事代は私の方で都合させて頂きます故」
まあ妥当な所だろう。紅牙と違って俗世での物欲がそれほど無い妙玖尼としては充分であった。紅牙は大いに不満そうではあったが、妙玖尼が微笑みながら威圧すると慌てて首を縦に振った。
*****
とりあえず村長の好意を受けて村の宿に逗留する二人。そして人々が寝静まった夜中。月明かりだけが照らす宵闇の中、妙玖尼は宿の外にとある気配を感じて浅い眠りから即座に覚醒した。紅牙は暢気に眠りこけている。
まあ彼女は
「紅牙さん、起きて下さい。紅牙さん……!」
「んあ……? な、何だい、尼さん、こんな時間に……。もしかしてやっと
寝ぼけ眼でそんな事をのたまう紅牙に、妙玖尼は顔を赤らめて目を吊り上げる。
「……! 馬鹿な事言わないで下さい! そうではなくこの宿、
「……!! 何だって……!?」
即座に意味を理解した紅牙が飛び起きる。そして肌身離さず脇に置いてあった蜥蜴丸を手に取る。
彼女は自身の特徴でもある露出甲冑を浴行や清拭の時以外は脱がずに着たままだ。それはまさにこういう事態を想定しての事である。幸いというか何というか彼女の甲冑は極端に
「数は……?」
「正確には分かりませんが、おそらく10人程はいるかと」
「10人か……面倒だね。一体何だってんだい!」
紅牙が毒づくが、勿論妙玖尼も邪気と殺気を感知しただけで、何が起きているのかまでは分からない。
「どうする? 出方を待つかい? それとも先手を打ってこっちから飛び出すかい?」
「……いえ、ここは相手の出方を待ちましょう。万が一ですが何かの間違いという事もあり得ますから」
「甘いねぇ。そんなこっちゃ後手に回っちまうよ?」
紅牙の言葉に妙玖尼は薄っすらと微笑んでかぶりを振った。
「勿論
「お、いいねぇ。そうこなくちゃ!」
紅牙が好戦的に笑う。妙玖尼は早速
「……! 来るみたいだよ」
その紅牙が警告する。宿を囲んでいる者達のうち、3人ほどが忍び寄ってくる気配がある。まあ確かに宿の中にいきなり10人ほどが踏み込んできても狭くて満足に武器も振るえなくなる。だがそれでも尚、戦力分散は悪手である。
『オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ!』
妙玖尼は準備していた法術を発動させる。それとほぼ同時に宿の引き戸が静かに開けられた。鎧姿に顔だけ覆面で隠した見るからに怪しい男達だ。全員刀で武装している。彼等の害意は明らかであり、最早遠慮する必要はないだろう。
だが彼等が扉を開けた瞬間に強烈な閃光が迸って、男達は揃って視界を灼かれて大きく怯んだ。こんな夜中に宿に踏み込んだ途端に、陽の光より強烈な閃光を浴びるなど誰も予想できるはずがない。
「ふっ!」
妙玖尼に言われて視界を布で覆っていた紅牙は、閃光が収まった途端に布を外して一気に飛び出す。閃光の収まった夜の闇に、今度は白刃の煌めきが鞘走る。
「ぐぇ!」
「ぎゃっ!!」
男達の悲鳴が轟き、首筋を切り裂かれた侵入者達が崩れ落ちた。流石の手際だ。普段は隙の多そうな言動が目立つがその剣術の腕は確かだ。
法術による閃光。そしてその隙を突かれて斬り倒される仲間たちを見て、残りの男達も既に襲撃が気づかれていた事を悟ったようだ。全員が刀や槍を構えて包囲を狭めてくる。
「あなた達は何者ですか!? 見ての通り襲ってくるというなら私達も抵抗させて頂きますよ! 引き下がるなら今のうちです!」
あえて大声で誰何の声を上げる。襲撃者たちの動きが止まる。
「……お前たちは危険だ。白川の水源を穢していたのが妖怪だと
「……! あなたは……村長!?」
男達の指揮官役と思しき男が覆面を脱ぎ捨てる。その下から現れた顔は妙玖尼達が見知った顔であった。それはこの村の村長である金村助右衛門であった。ただし昼間に会った時のような無害で小心者といった様子は鳴りを潜め、冷徹で酷薄な
「ちょっと……こりゃ何だか、変な陰謀に巻き込まれた感があるねぇ……!」
紅牙も眉を顰めて刀を構え直す。助右衛門は義龍という名前を口にしていた。恐らくは美濃大名の斎藤義龍の事か。どうも単純な妖怪退治という訳ではなかったらしい。
「今のは法術か。
「……!」
助右衛門が合図をすると、残りの男達が
「これは……外道鬼!? そんな……」
「おいおい、どうなってんだい!? こいつらは『瘴気溜まり』の近くじゃないと生きられないんじゃなかったのかい!?」
「あくまで長時間は棲息できないというだけです。しかしそれにしてもいずれは必ず死ぬはずです。こんな所に現れるはずが……」
慌てる紅牙に、妙玖尼も不可解な現象に眉を顰めた。
「我らがいつまでもその欠点を放置しておくはずがあるまい? 形を得るまでに実体化した『瘴気溜まり』を
「瘴気石、ですって!?」
こちらの困惑を嘲笑うような助右衛門の言葉と、奴が懐から取り出した真っ黒い輝きを放つ球体に妙玖尼は目を瞠った。
実体化した『瘴気溜まり』はどんな方法でも破壊する事は不可能なはずで、それはつまり削り取るなどといった行為も不可能という事だ。しかし現実に助右衛門が持つ球体からは、今この瞬間も邪気が噴き出している。妙玖尼が最初に感知した邪気の正体は、この球体の物だったのだ。
「い、一体どうやって……」
「それを貴様らが知る必要はあるまい。『瘴気石』は邪気の量と範囲において『瘴気溜まり』に劣るが、それを補って余りある利便性が特徴だ。これがあればどこにでも鬼や妖怪を引き連れる事が出来るようになるのだからな!」
助右衛門が再び合図を出すと、周囲の外道鬼どもが一斉に距離を縮めてきた。
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