第十幕 妖鬼
「お、おおぉぉぉ……! ば、馬鹿な……! 『瘴気溜まり』が……外道鬼どもが……! 数年を掛けた私の計画がぁぁ……!!」
瘴気溜まりが祓われた事によって一瞬にして全滅した外道鬼達の屍の群れを見渡しながら、
「は、はは……凄いよ。ホントに奴等が全滅しちまったよ。ははは……大したモンだよ、尼さん! あはは! ざまぁみろ、海乱鬼!」
間一髪で命が助かった
「はぁぁ……はぁぁ……はぁぁぁ……!」
一方で
「……許せぬ。我が計画を台無しにしてくれた貴様らだけは絶対に許せぬ。せめて貴様らの命を代償にせねば我が怒り、到底収まりがつかぬわ」
「……!?」
地の底から響くような海乱鬼の怨嗟に、妙玖尼も紅牙もギョッとして奴に向き直った。海乱鬼の雰囲気が明らかにそれまでと変わっていた。ただ怒りから人相が変わったというのではない。妙玖尼は奴の身体から
(まさか……あれだけ間近にいて私が気づかなかった!? だとするとこの男はもしや……!)
紅天狗砦で初めて邂逅した時は、かなり間近で奴の姿を見た。その時は紅牙に
「あなたはまさか……
一言で鬼といっても、大きく二種類に大別されると言われている。外道鬼のような人間が邪気に晒されて変じる種類の鬼がその一つだ。外道鬼が代表的だがその形状は多岐に渡るとされており、基本的には下級の尖兵的な怪物だ。
そしてもう一種類が……
彼等のもう一つの特徴として極めて高い人間への潜伏擬態能力があり、巧みに妖気を抑えていて腕利きの退魔師であってもその正体を見抜けない場合があるという。ただし擬態状態の時は自身も妖鬼としての力を発揮できないという難点はあるのだが。
「ふ……妖鬼か。まあお前達人間の決めた分類に従うのならば確かに正解だ。しかし私はあくまで『海乱鬼』という一個の存在。『
果たして海乱鬼は自分が妖鬼である事をあっさりと認めた。その身体から噴き出す妖気が更に強烈に、そして濃密になる。この時点で紅牙もようやく海乱鬼の様子がおかしい事に気づいたらしい。消耗した身体に鞭打って立ち上がり、刀を構え直す。
「おいおい、どうなってんだい? もう終わったんじゃなかったのかい!?」
「残念ながら……真打ちが控えていたようです。むしろここからが
「……っ!」
紅牙の顔が引きつる。その間にも海乱鬼の姿が外見的にも
その異形を見た紅牙が息を呑む。それは角を生やし身体が甲殻に覆われ、背中からは巨大な虫翅が広がった、
『ふぅぅぅぅ……。この姿になるのも久しぶりだ。貴様らごときを相手にするには過ぎた力だが、それだけ我が怒りが大きいと知れ』
その顎や頬の辺りまで昆虫じみた甲殻に覆われた異形の面貌となった海乱鬼が、まるで金属を擦り合わせたような奇怪な声音で喋る。
妖鬼のもう一つ大きな特徴として、彼等は例え邪気や瘴気のない場所であっても異形に変じ、その力を振るう事が出来るというものがあった。邪気から発生した歪な存在ではなく生まれながらの種族としての鬼なので、ある意味では当然の事だ。
しかし妖鬼達はその絶対数が少ない為に、やはり彼等だけでこの日の本を席巻するには不足であった。だからこそこうして海乱鬼のように下級の鬼や妖怪を増やして勢力を伸ばそうと企むのだ。
『死ぬがいい、雌鼠共!』
「……っ!」
海乱鬼が腰に挿していた刀を抜いて斬り掛かってくる。その踏み込みの速さは外道鬼など比較にならない程だ。紅牙が顔を引き攣らせて辛うじて刀を掲げる。直後に海乱鬼の切り下ろしが降ってくる。
「あぎっ……!!」
それを刀で受けた紅牙はあまりの衝撃の強さに変な声が出てしまい、圧力に耐えきれず片膝を付いてしまう。そのまま海乱鬼が追撃を繰り出そうとするが……
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
妙玖尼は咄嗟に『破魔光矢』を放ってそれを妨害する。海乱鬼は光矢にまともに当たり、その身体が破魔の光に包まれる。外道鬼ならこの時点で倒せる。だが……
『無駄だ。私を外道鬼どもと同じとは思わんことだな』
「……!」
海乱鬼が手を振るうと、纏わり付いていた光が弾け飛んだ。目に見えて効いている様子はない。
「この……!」
しかしその間に距離を取って体勢を立て直した紅牙が斬りかかる。その手にある『蜥蜴丸』には未だに妙玖尼の破魔の法術が掛かったままだ。これで斬られれば外道鬼なら障子紙のように斬り裂かれる。
『ふん……』
だが海乱鬼は鼻を鳴らすと、腕を掲げてその斬撃を受け止めてしまった。服の袖は斬り裂いたが、その下にある甲殻に覆われた腕はほぼ無傷だ。
「な……!?」
『そら、お返しだ』
驚愕に目を剥く紅牙。海乱鬼はもう一方の手に握った刀を横薙ぎに振るう。紅牙は慌てて跳び退って回避するが、そこに再び海乱鬼が追撃してくる。剣術自体は習得していないようで力任せに振るってくるだけだが、その速度と威力が桁違いだ。紅牙はその軌道を見切るのに必死で、反撃できずに防戦一方に追い込まれる。体力の消耗も著しい。
『ふ、どうした、紅牙よ。息が上がって足がふらついているぞ?』
「く……こ、この……!」
海乱鬼の嘲るような揶揄にも言い返す余裕はない。外道鬼達との戦いから休む間もなく連戦しているのだ。その体力は既に限界に近づいていた。
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
勿論妙玖尼も光矢で援護するが、海乱鬼はそれを煩い蠅でも払うごとくあしらって殆ど足止めにすらならない。そしてそうこうしている内に紅牙の防戦が遂に限界を迎え、彼女はよろめいた隙を突かれ海乱鬼の刀を躱せなかった。
(……! 畜生……このアタシが……!)
彼女の鎧は露出度が高く鎧としての性能は殆ど期待できなかったが、どのみちこんな怪物の攻撃をまともに受けたら例え当世具足を身に着けていても一刀両断されるだけだろう。紅牙は今度こそ死んだと思って、自らの身体を残断する刃を待つが……
『オン・バザラヤキシャ・ウン!』
妙玖尼の真言。その瞬間、紅牙は自分の身体を覆う何らかの力を自覚した。しかし直後に海乱鬼の刀が、彼女の鎧から剥き出しの脇腹に直撃した!
「がふっ……!!」
彼女は脇腹に激しい苦痛を感じて吹き飛んだ。そしてそのまま床の間に仰向けに倒れる。
「あぎぎぎぎ…………えっ!?」
胴体を斬られたと思って脇腹を抱えながら呻く紅牙だが、そこで気づいた。脇腹を押さえる手の平に、彼女にとっても馴染みの深い
(血が……出てない!? いや、それ以前に……
確かに脇腹に激しい痛みは感じるが、そもそも斬られたら『激しい痛み』どころの話ではない。その答えはすぐに出た。
「あなたの身体に『金剛光体』の法術を付与しました! 今のあなたは武器や妖怪の攻撃に非常に高い耐性を持っている状態です! 恐れずに奴に斬りかかって下さい!」
「……!! そういう事かい!」
勿論細かい原理などは分からないが、とにかく妙玖尼の力で死なずに済んだ事だけは理解した。そしてそれだけ分かれば充分だ。
「おら、仕切り直しだ! 行くよ、海乱鬼!」
『ち……あの尼僧、面倒だな。先に奴から始末するか』
斬りかかってくる紅牙をいなしながら、海乱鬼の標的が妙玖尼に向く。厄介な法術を使う彼女を先に殺そうとするのは道理だ。だが……
「させるかっ!!」
『……!』
妙玖尼に注意を向けると紅牙に隙を晒す事になる。そこに彼女が巧みな剣術で海乱鬼の甲殻に覆われていない部分を狙って斬りつけてくる。彼女の刀には妙玖尼の破魔の法術が纏わっており、あれで急所を斬りつけられると海乱鬼でも無事では済まない。
『ええい、邪魔だ!』
海乱鬼は甲殻の部分で紅牙の攻撃を受けると、再び刀を薙ぎ払う。それは彼女に当たるが紅牙は苦痛に顔を歪めながらも怯まず反撃してくる。
「はっ! 痛いけど、こりゃ便利な力だねぇ! 全く大したモンだよ、あの尼さん!」
自分の負傷や死を恐れずに攻撃できるというのは非常に大きな利点だ。防御や回避に割く分の力や意識を全て攻撃に集中できるからだ。掛け値なしの文字通り全力攻撃は、刀に纏わった法術の効果もあり、さしもの海乱鬼も無視できない脅威となる。
『ちぃ……卑しい鼠の分際で調子に乗りおって!』
海乱鬼がその注意を完全に紅牙に向ける。それと同時に奴から発せられる妖気が格段に高まった。今までは本気では無かったのだ。
「……!!」
『死ねぃ、雌鼠が!』
海乱鬼がそれまでとは異なる行動を取ってきた。紅牙に向けて空いている方の手を翳したのだ。すると奴の掌から黒っぽい半透明の波動のような物が放出された。それは放射状に広がり、躱す間もなく紅牙に衝突する。
「うあぁっ!?」
「紅牙さん!」
紅牙と妙玖尼の悲鳴が重なる。黒い波動をまともに受けた紅牙は凄まじい勢いで吹き飛ばされて、屋敷の壁に背中から激突した。そしてそのまま壁を突き破って、破片とともに外まで吹き飛んでしまった。黒い波動の威力の凄まじさを物語っている。
『さて、邪魔者はどかした。まずは貴様からだ』
「……! く……」
妙玖尼は歯噛みして弥勒を構える。だが肉弾戦能力では自分より強い紅牙が歯が立たないとなると、自分一人ではまず勝ち目はない。ならば彼女が取るべき戦術は……
『死ね、目障りな力の持ち主よ』
海乱鬼がこちらに向けて手を翳してくる。あの紅牙を吹き飛ばした黒い波動を撃つ気か。妙玖尼は素早く自身も真言を唱える。
『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!』
海乱鬼が黒い波動を放つのとほぼ同時に、妙玖尼も法術を発動させて自身の前に光の壁を張り巡らせる。『真言界壁』の術だ。光壁越しにかなりの衝撃を感じたが、辛うじて黒い波動に耐えきる事ができた。
『ほう、我が一撃を耐えるとはやるな。だが、そこに籠もったまま何が出来る?』
「……っ」
海乱鬼が嗤うが妙玖尼は構わず法力を高めて障壁の強度を上げる。海乱鬼も再びあの黒い波動を放ってくる。黒い波動が障壁を揺さぶる。その衝撃は中にいる妙玖尼の身体にも伝播する。だが彼女はじっと歯を食いしばってそれに耐える。
『そらそら、いつまで耐えられるかな?』
「ぐ……くっ……!」
一撃毎に障壁が揺れ、妙玖尼の身体に衝撃が伝わる。彼女は大量の脂汗を浮かべつつ必死に耐える。瘴気溜まりを浄化した際にかなりの法力を消耗してしまったので、もう流石に限界だ。
『ふん、このままじわじわ嬲り殺しにしてやっても良いが、それすら面倒だ。一気に片を付けてくれる』
「……!」
いつまでも耐え続ける妙玖尼に苛立った海乱鬼は、刀を捨てると両手を揃って前に突き出した。そして妖力を集中させるように前面に集めていく。それを見た妙玖尼は青ざめた。奴は力を集中させてより強力な妖波動を放つ気だ。
ただでさえ限界が近いというのに、更に強力な攻撃を食らったら一溜まりもない。障壁は突き破られて妙玖尼自身も無事では済まないだろう。
『跡形もなく吹き飛べぃっ!!』
奴が溜めた力をいざ発射しようと両手を突き出したその瞬間……
「おお……りゃあぁぁぁっ!!」
威勢のよい気合の叫びと共に、
『ごぁっ!? き、貴様ぁぁぁぁっ!?』
「背中が隙だらけだよ、化け物!」
左腕を肩から切り落とされて大量の黒っぽい血液を噴出しながら、海乱鬼が絶叫する。奴の片腕を鮮やかに切り落とした女武者……紅牙は、自身も苦痛に顔を歪めて肩で息をしながらも光る刀を構えて海乱鬼を追撃しようとする。
常人なら即死していてもおかしくない威力の波動を食らって外まで吹き飛ばされた紅牙だったが、妙玖尼の掛けた『金剛光体』の効力で、無傷とは行かないまでも致命傷は受けずに済んだ。だが流石にすぐには動けなかったのだが、幸いというか海乱鬼は紅牙への追撃よりも妙玖尼の排除を優先したらしく、そのお陰で何とか多少動けるまでに回復する事ができた。
妙玖尼はあの光の壁を展開して何とか海乱鬼の攻撃を凌いでいるという状態であったが、当然ながらこのままではジリ貧だ。海乱鬼はしぶとく粘る妙玖尼への攻撃に集中し、周囲への警戒が疎かになっている。今なら一発だけだろうが、確実に攻撃を当てられる。
そして奴に気づかれないように慎重に忍び寄った紅牙は、見事その斬撃で海乱鬼の腕を斬り落とす事に成功したのであった。
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