第八幕 再潜入

 戦闘が終わると武器を覆っていた光は自然に消滅していく。


「いつまでも夜の闇で光っていては余計な注意を引いてしまいますからね」


 妙玖尼みょうきゅうにが意図的に法術を解除したのだった。紅牙べにきばは光が消えてもしばらく自分の刀を眺めていた。


「いや、今のは凄かったね。岩みたいに硬いはずのあいつらがまるで障子みたいにすっぱりと切れちまった。今のがあったらあいつらが何匹掛かってこようと怖くないよ。何だったらこのまま正面から突入しちまうかい?」


 冗談なのか本気なのか、紅牙がそんな事を言い出すので妙玖尼はギョッとして向き直った。


「馬鹿な事を言わないで下さい! 奴等がどれくらいの数いるか、あなたが一番良く知っているはずでしょう? 法術は万能ではありません。過信は禁物ですよ!?」


 紅狼衆が全員外道鬼に変えられているとしたら、例え紅牙の刀に再び破魔の力を宿らせて、尚且つ自分が力の限り法術を駆使して戦ったとしても、敵の数が多すぎて必ず限界を迎える。ましてやあの海乱鬼もいるのだから間違っても油断はできない。


 紅牙は苦笑して頭をかいた。


「いやいや、解ってるよ。勿論冗談に決まってるだろ? 全く……尼さん相手じゃ冗談も通じないかねぇ」


「あなたが言うと本気に聞こえるのですよ。それにそもそも冗談を言っているような場合ではありません。先を急ぎましょう」


 今の遭遇戦闘で思わぬ時間を食ってしまった。時間を掛ければかけるほど奴等は防備を固めてしまうだろう。



「はいはい、じゃあ行きますかね。ついてきな」


 肩をすくめた紅牙が再び移動を再開し、その後を付いて進む妙玖尼。今度は油断せず索敵用の法術を発動させておく。森の中にいる一定以上の大きさの動物や、砦の敷地内にいる奴隷の人々の反応まで拾ってしまうが、鬼や妖怪はそれらとは違って明確な邪気を発散しているので区別をつけるのは容易だ。


 その甲斐あってそれ以上敵と遭遇する事なく目的の場所へ辿り着く事ができた。


「さあ、着いたよ。この壁の向こうがすぐに海乱鬼の屋敷になってる。ここからならあいつらに気付かれずにその『瘴気溜まり』の元まで行けるんじゃないかい?」


 紅牙が指し示す先には木や石を集めて作られた高い塀が聳え立っていた。高さは優に九尺以上はありそうだ。


「……ここを登って乗り越えろと?」


「まさか。ま、それでもいいんだけど、もっと楽に入れる手段はあるさ」


 紅牙は苦笑すると、壁のある一点を探る。そして彼女にしか分からない何らかの目印を探り当てると、それを目一杯押し込んだ。すると……


「……!」


 ゆっくりと音を立てながら壁の一部がドンデン返しのように回転して、丁度人一人が通れるくらいの幅の抜け道が空いた。


「さ、ここを通りゃ海乱鬼の屋敷はすぐ目の前だ」


「……一体どれだけの仕掛けがあるのですか、ここには?」


 妙玖尼が半ば呆れたように尋ねると紅牙はニッと口の端を吊り上げた。


「敵に攻められた時にアタシがいるのが砦の中とは限らないだろ? この敷地を囲む塀には同じような仕掛けがいくつかあって、いざって時はどこからでも脱出出来るようになってるのさ。あの海乱鬼には教えてないよ。あいつは最初から信用してなかったからね」


 豪快な見た目や言動とは裏腹になんとも用心深いことだ。いや、この用心深さもあるから賊達の上に立っていられたのかも知れない。


「……ま、偉そうなこと言って、まさか手下共が全員鬼になって裏切るなんて予想もしてなかったけどね」


 自嘲気味に苦笑する紅牙。流石に退魔を生業とする者以外で、この事態を予測できる人間は皆無だろう。こればかりはどうしようもなかった。




 2人はドンデン返しの隠し扉を潜る。するとすぐ目の前にあの大きな建物があった。海乱鬼の屋敷だ。砦正面の入り口からはかなり奥まった場所にあり、正面から侵入してここまで辿り着くのは至難の業であったろう。紅牙に協力を仰いだ甲斐があったというものだ。しかし……


「見張りがいますね……」


 近くにあった大きな樽のようなものに身を隠して屋敷の入口を窺う2人。そこには賊兵が3人、門番よろしく見張りに立っていた。槍を持った兵士が2人に、弓を持った兵士も1人いる。3人共鬼には変じておらず人間の姿だが、砦内にいた宝物庫の見張りも鬼に変じた事を考えると楽観視はできない。


「どうする? 飛び出して一気に片を付けるかい? あまり時間をかけると海乱鬼の奴に気付かれちまうかも」


 紅牙が作戦を伺ってくる。確かに外道鬼共はまだ大半が砦内に留まっているようだが、いつこちらにも向かってくるか分からない。あの3人を素早く制圧できなければ騒ぎになって、やはり海乱鬼の注意を引いてしまうだろう。妙玖尼は僅かな時間、黙考した。そしてすぐに結論を出した。


「時間がありません。このまま一気に突入して、なるべく素早く見張りを倒しましょう」


 結局それしかないだろう。そもそも彼女の目的はこの奥にある『瘴気溜まり』なのだ。ここで尻込みしていては本末転倒だ。敵は3人いるが彼女と紅牙の実力なら突破は難しくないはずだ。勿論紅牙には先程と同じく『破魔纏光』の法術を掛けておく前提だ。


「はっ、いいねぇ! またアレで鬼どもをぶった斬ってやれる訳だ。じゃあさっさとやっちまうかい?」


 強行突入となるが紅牙はむしろ好戦的な笑みを浮かべて刀を構えた。やる気は充分すぎる程あるようだ。そうと決めたからには妙玖尼にも躊躇いはない。頷くと弥勒を構えて紅牙の刀に向ける。


『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』


 小さく、しかし力強く真言を唱えると、再び紅牙の刀……『蜥蜴丸』が刀身に淡い光を纏った。これで相手が外道鬼だったとしても、彼女は必殺の攻撃力を持つ事になる。


 今隠れている場所から見張り達の所まで他に遮蔽物はない。ここから飛び出したらすぐに気付かれるだろう。あとは殺るか殺られるかだ。


「よし……私は後方から援護しつつあの弓兵を倒します。あなたは槍持ちの2人を相手にしてもらいますが大丈夫でしょうか?」


「はっ、任しときな! あんな奴等、二人がかりだろうと問題ないさ」


「その言葉、信じますよ。では……行きます!」


「応ッ!!」


 紅牙が勢いよく隠れ場所から飛び出す。当然すぐに見張りに見つかる。



「あれは……お頭!? なんでこんな所に!?」


「逃げたんじゃなかったのか!?」


 槍持ちの2人が紅牙の姿を見て動揺するが、そこに後ろにいる弓持ちの声がかかる。


「あの女はもうお頭じゃねぇ。ただのだ! 海乱鬼様の命令だ! 殺せっ!!」


 どうやら弓持ちは少し高い立場のようだ。槍持ち2人に命令しつつ自身も素早く弓をつがえる。そのまま紅牙に矢を射掛けようとするが……


『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


「……!」


 妙玖尼が飛ばした破魔の光矢がそれを妨害する。弓持ちは光の矢を躱すが、その注意を妙玖尼の方に引き付けるのは成功した。あとはその間に紅牙が2人の兵士を倒してくれれば問題なしだ。




「へへ、お頭。馬鹿だなぁ、さっさと逃げりゃいいものを、ノコノコ戻ってくるなんてよ!」


「あんたの肉は程よく柔らかくて美味そうだなぁ!」


 槍兵2人は笑いながらその身体を肥大させて、外道鬼の姿に変身する。やはりこいつらも人間を辞めていた。だが既に分かっていた事なので今更動揺はない。紅牙は逆に好戦的な笑みを浮かべて斬り込む。


『ギヒャアァァッ!!』


 外道鬼の一体が奇声を上げながら槍を繰り出してくる。その膂力も相まって人間の時とは比較にならないほど速い突きだが、軌道さえ読めていれば受けるのは難しくない。


「ふっ!!」


 刀で正面から受けるような事はぜずに、槍の柄の部分に横から刀を打ち当てるようにして突きの軌道を逸らす。反撃に斬りつけようとするが、そこにもう一体が側面から回り込んで槍を突き出してきた。


「ち……!」


 紅牙は反撃を中断して飛び退る。やはり二体いると格段に面倒になる。何とか奴等の連携を分断しないと反撃ができない。


『ヒハハ! ホラホラ、ドウシタ、オ頭ァ!』


『アンタノ内臓ヲ喰ワセロォ!!』


「くっ……!」


 嵩にかかって攻め立ててくる外道鬼ども。一撃でも当たったらほぼ決着だろう。紅牙は必死に敵の攻撃を躱し続ける。防戦一方。当然このままではジリ貧だ。そもそもいつ他の敵が駆けつけてくるか分からない状態なので、長期戦にする訳にはいかない。


 紅牙は防戦に徹しつつも、反撃の隙を作るために立ち回りを意識していた。狂ったようにこちらを攻め立てる外道鬼どもは気付かない。そして遂に……


(今だ……!!)


 二体が丁度直線上に並び、後ろの外道鬼が前の外道鬼の姿で隠れた瞬間に、紅牙は反撃に移った。


『オワッ!?』


 前の外道鬼が目を見開いて慌てて槍を突き出してくるが、今更そんなものに当たる紅牙ではない。後ろの外道鬼は前の仲間が邪魔で援護が間に合わない。


「っぇいっ!!」


 槍を躱し、気合と共に刀を斬り下ろす。妙玖尼の法術で破魔の力を宿した刀身は、不浄の魔物の肉体を脆い紙細工のように斬り裂いた!


『ウギャァァァァァッ!!!』


 外道鬼はおぞましい叫び声とともに真っ黒い血を大量に噴き出しながら崩れ落ちた。



『ンナ!? 馬鹿ナ、俺達ヲ一撃デ!? ソノ刀ノ光……ソイツガ原因カ!?』


 本来は鬼となった事で非常に高い耐久力を得ているはずの自分たちを一撃で斬り殺した紅牙を見て目を剥いた残りの一体は、遅まきながら異常に気づいたようだ。だが今更気づいても遅い。


「はっ! ようやく気づいたかい! アタシを裏切って海乱鬼の奴に付いたんだ。覚悟は出来てるだろうねぇ?」


『チ……ホザケ! 人間ガァ! 俺達ハ鬼ニナッタンダ! イツマデモ頭気取リデイルンジャネェェ!!』


 外道鬼は叫ぶとそれまでと違う行動に出た。異様に口を大きく開くと、そこから黒っぽい色合いの見るからに不浄の液体を吐きつけてきたのだ。


「……!? うおっと!」


 紅牙は驚いて大仰に身を躱す。地面に着弾した黒い液体は蒸気のような音を立てて、その場所の土や石などを溶かしてしまう。いわゆる溶解液というやつだ。


「こんな事も出来たのかい! 冗談じゃないよ!」


 これをまともに被った時の事など想像したくもなかった。再び吐きつけられる黒い液体を横に跳んで躱した紅牙は、これ以上の追撃を封じるべく一気に距離を詰める。


「ふっ!!」


 刀を横薙ぎに一閃。法術の力で妖怪に対して絶対の切れ味となっている刀は、外道鬼の首を一撃で斬り落とす事に成功した。首から噴水のように黒い血を噴き出しながら横倒しになる外道鬼。これで二体。後は妙玖尼の方だが……




『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』


 弥勒の先から再び破魔光矢を飛ばすがやはり弓使いに避けられてしまう。元々警戒されていると正面から撃っても当たりにくいが、あの弓使いはそれなりに出来そうだ。


「貴様、その力は危険だな! ここで排除させてもらうぞ!」


 弓使いが立て続けに矢を放ってくる。正確な射撃だ。妙玖尼は弥勒を振るって矢を弾くが、立て続けに飛んでくる矢に関しては転がるようにして避けた。そして素早く体勢を立て直して再び光矢を放つ。だがやはり当たらない。


「埒が明かんな。紅牙も始末しなけりゃならんし、悠長にしてる暇はないな」


 弓使いは呟くと自身も外道鬼の姿に変じた。ただし通常の外道鬼よりもやや細身の体型で、その分俊敏そうな外見をしていた。外道鬼の変異体・・・のようだ。


 鬼や妖怪には通常の個体以外にも、同じ種族の『変異体』が生じる事がある。総じて通常個体よりも強い力を持っており、発生条件はよく分からないが、鬼の場合は『元』となった人間の素養などが関係しているらしい。


『ケヒャアァァァッ!!』


 変異体となった弓使いは人間の時より遥かに速い挙動で次々と矢を放ってくる。しかも矢の速度と威力自体も段違いだ。


「……っ! 『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!』」


 受けたり躱したりが困難だと判断した妙玖尼は、咄嗟に『真言界壁』を展開して矢の速射を防ぐ。障壁越しにかなりの圧力を感じたが辛うじて防ぎ切る事ができた。


『小癪ナ! ナラバ直接攻撃スルマデヨ!』


 弓使いは弓を捨てると、腰に提げていた刀を抜いて直接襲いかかってきた。通常の外道鬼よりも素早い挙動。妙玖尼が次の反撃を講じる間もない。突進の勢いも加味して刀を叩きつけるように振り下ろしてくる。


「うぐ……!」


 妙玖尼は衝撃に呻く。奴が刀を叩きつける度に衝撃が伝播する。反撃の法術を繰り出したいが、それには真言界壁を解除しなくてはならない。同時に二つの法術は使えないのだ。しかしこの状況で障壁を解除すればそれは死を意味する。


 さりとてこのままではジリ貧だ。打開策を見い出せずに妙玖尼が焦っていると……



「ちょっと! しっかりしな!」


「……!」


 威勢のよい掛け声と共に変異体に向かって刀を斬り下ろすのは紅牙だ。どうやら無事に二体の外道鬼を倒す事が出来たらしい。予想よりも早い。望外の成果だ。


『チィ……! 役立タズ共メ……!』


 変異体は毒づきながらも、飛び退って紅牙の攻撃を躱した。しかしそれによって障壁に加えられていた圧力が止んだ。絶好の機会だ。


(今……!!)


 妙玖尼は真言界壁を解除すると、素早く新たな印を結ぶ。


『オン・マユラギランデイ・ソワカ!』


 相手の頭上に小規模な雷雲を発生させて、破魔の力を宿した落雷で攻撃する法術『孔雀天雷』。妙玖尼が使える法術の中でもかなりの高威力を誇る。


 紅牙と相対していた変異体は頭上から迫りくる雷光に対する反応が遅れた。奴の身体が丸ごと破魔の雷光に打たれた。


『オゴワァァァァァァァァッ!!!』


 絶叫とともに一溜まりもなく焼き尽くされて消し炭となる変異体。これで何とか三体、倒す事ができた。

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