第七幕 遭遇戦闘

「その為には瘴気溜まりを浄化しなくてはなりませんが、生憎発生源を探る前にこのような状況となってしまいました。あなたは先程の私の話を踏まえて、瘴気溜まりと思われる物体に心当たりはありませんか?」


 仮の隠れ場所に身を置きながら妙玖尼みょうきゅうに紅牙べにきばに尋ねる。


「……そう言われりゃ心当たりはあるよ。あれは海乱鬼の奴が来て間もなくの頃だった。砦の敷地の真ん中にいきなり真っ黒い二尺くらいの小さな岩が出現したんだ。あんな不気味な色をした石や岩なんか見たことがない。なんなのか分からないし、誰がそこに運び込んだのかも結局分からなかった。あんたがさっき瘴気溜まりは岩のような形を取る事もあるって聞いて間違いないと思ったよ。あれがその瘴気溜まりとやらだったんだ」


「間違いありませんね。……その黒い岩は今どこに?」


「海乱鬼の屋敷だよ。『自分が責任を持って調査する』って言って引き取ったんだ。今にして思えばあいつは最初からあれが瘴気溜まりだって知ってたんだね」


 その瘴気溜まりの力を用いて、紅狼衆の賊どもを外道鬼に作り変えたに違いない。だがこれで解決への道筋が見えた。


「海乱鬼の屋敷というのはどちらに?」


「この砦の敷地の外れの方に建ってる離れの建物だよ。紅天狗砦の次に大きい建物だから結構目立つよ」


 そういえばここに連れてこられた時に、砦以外にも他の建造物より頭一つ大きな建物が見えた気がする。恐らくあれが海乱鬼の屋敷なのだろう。瘴気溜まりはそこにあるに違いない。


「安全にその屋敷まで到達する方法は?」


 流石にあの数の外道鬼を相手にはしきれない。ましてやあそこに居た以外にも、恐らく紅狼衆の殆どが外道鬼になっているかも知れないと考えれば、正面突破は蛮勇以外の何物でもない。



「アタシもあんたに聞きたいんだけど、あの外道鬼って連中は感覚とかも人間より優れてるのかい? 夜目が利くとか物凄く耳や鼻が良いとかさ」


「私の知る限りでは……外道鬼は鬼としては下級の尖兵ゆえ、そういった特殊能力はないはずです。身体能力以外の感覚的には人とさほど変わらないでしょう。無論上級の鬼になればなるほどその限りでもなくなりますが……」


 妙玖尼の答えを聞いた紅牙が考え込むような体勢になる。しかしそう間を置かず顔を上げた。


「なるほど、だったら砦の外縁を回り込んで裏から侵入するのが良さそうだね。砦を見失わない程度の距離を保って、夜の森の中を木々に隠れながら進めば、そうそう奴等に見つかる事はないよ」


 正面から砦の敷地に潜入するよりは余程現実的だろう。妙玖尼は頷いた。どのみち彼女には土地勘がないので、ここは紅牙の判断を信じる他無い。


「では善は急げです。時間をかければかけるほど奴等の態勢が整ってこちらが不利になります。早速行動に移りましょう」


「賛成だ。こっちから行くのが近い。付いてきな」



 紅牙が頷くと率先して歩き出す。妙玖尼は暗い森の中で彼女の姿を見失わないように付いていく。幸いというか紅牙は、紅い甲冑とそこから艶めかしく露出した素肌が目立つので、夜の森でもそこまで付いていく事は苦ではない。


(……しかし私だから良いような物ですが、ここにいたのが殿方の僧侶であったなら彼女の姿を間近で見ていて平静を保てるものでしょうか?)


 妙玖尼は高野山で修行していた頃の同門の修行僧達や師である僧侶の姿を思い浮かべて、ふとそんな事を考えてしまった。それくらい紅牙の姿は蠱惑的な魔性の色香に溢れていた。


 同性でありそういう趣味・・・・・・のない妙玖尼をして若干妙な気分になるくらいだ。これが男性の僧侶であったなら例え師であろうとも破戒してしまっていたのではないか。そう思えるほどであった。


 彼女が女だてらに賊共をまとめ上げられていた理由の一端がこれ・・だったのは想像に難くない。 



「……!」


 そんな埒もない事を考えていたのがいけなかったのか、彼女はかなり近い距離まで迫ってきている邪気・・の気配に気づくのが遅れた。気づいた時にはもう隠れるのは不可能な距離に、二体の外道鬼の姿が闇夜の森の向こう側から出現していた。


「……っ! しまった!」


「ちぃ……! 哨戒か何かかい!」


 妙玖尼と紅牙は慌てて自身の得物を構える。妙玖尼は『弥勒』を、紅牙はあの朱塗りの鞘に収められていた刀を抜き放った。


『ハハハ! 見ツケタゾ、女共! 他ノ奴等ニ見ツカル前ニ俺達ガ喰ラッテヤル!』


 妙玖尼達の姿を認めた外道鬼共も戦闘態勢に入る。一体は鉈のような形の蛮刀、もう一体は槍を持っている。妙玖尼はその武器構成を見て瞬時に相性を判断した。


「私は槍の方を倒します! あなたはその間、蛮刀の方を抑えていて下さい!」


「……っ! わ、分かった! 早めに頼むよ!」


 二体を同時に相手にするのは避けたい。紅牙の腕がどの程度のものかは不明だが、仮にも賊の頭領だったのだ。少しの間外道鬼を一体抑えておける程度の腕はあると信じるしか無い。



『女! 女ァァァ!! 喰ワセロォォ!!』


 外道鬼どもが喜び勇んで襲いかかってくる。紅牙が上手く蛮刀の方を引き付けてくれたので、妙玖尼の方には槍持ちが迫ってくる。


 外道鬼が槍を突き出してくる。人間離れした膂力になっているだけあってかなり速い突きだ。だが筋力は増えても技術まで向上する訳では無い。いや、むしろ鬼になった事によってその力に溺れ、技術は低下しているくらいであった。


 速いが軌道は読みやすい槍の突きを妙玖尼は斜め後ろに下がるようにして回避。奴が追撃してくる先に弥勒を突き出す。


『オン・アミリティ・ウン・ハッタ!』


『……!』


 弥勒の先から不可視の衝撃波が迸る。無手の時とは比較にならない威力で、外道鬼を大きく仰け反らせて吹き飛ばした。その隙に彼女は弥勒を縦に構えて別の法力を発動させる。


『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!!』


 真言に合わせて弥勒全体が神々しい光を帯びる。光輝く弥勒を振り回して構える妙玖尼。


「さあ、どこからでも掛かってきなさい!」


『ヌガァァァァァッ!!』


 外道鬼が狂乱したように襲いかかってくる。高速で何度も槍を突き出してくるが、それは妙玖尼の棒術によって全ていなされる。業を煮やした外道鬼が今度は足元を狙って槍の穂先を薙ぎ払ってくる。


「ふっ!!」


 だが妙玖尼はそれを大胆に跳躍する事で回避した。ゆったりした法衣に身を包んだ尼僧という外見からは想像もつかない身のこなしだ。外道鬼が一瞬だが唖然とする。


「滅誅!」


 彼女は跳躍しながら振り被っていた光り輝く弥勒を、その外道鬼の頭に全力で叩きつけた。


『ゲべッ!!?』


 巨大な蛙が潰れたような醜いうめき声と共に、外道鬼の頭が原型を留めないくらいに破壊された。彼女が弥勒に纏わせた法力は、鬼や妖怪に対して比類なき攻撃力を付与するのだ。




『ギ、へへ! カ、頭ァァ。イ、一度デイイカラ、アンタヲ滅茶苦茶ニ犯シテヤリタカッタンダ!』


「……っ! こ、この……!」


 一方で紅牙の方はやはりというか大苦戦を強いられているようだった。とはいえ鬼相手に持ちこたえていられるだけでも紅牙が本来はかなりの腕前である事が窺える。しかしどれほど剣術や武術に熟達していても、それだけでは鬼や妖怪の相手は厳しい。何故ならば……


 外道鬼が振るう大振りの蛮刀の一撃を躱した(当然刀で受けるような事はしない)紅牙は、奴が纏っている鎧の隙間を縫うようにして刀を斬り入れる。鮮やかかつ的確な一撃だ。これだけで彼女が賊を纏め上げられていた理由が色香だけではない事が窺える。しかし……


『ハハハ! 効カネェ! 効カネェゾ、頭ァ! 非力ナ人間ッテノハ哀レダナァ!』


「……っ! くそ、アタシの『蜥蜴丸』が……!」


 哄笑しながら反撃に蛮刀を振り回してくる外道鬼から距離を取りつつ紅牙が呻く。彼女の持つ打刀の刀身が刃こぼれしていた。それなりの業物のようだが、人相手ならともかく鬼や妖怪相手には無意味だ。


 奴等の共通点として、単純な物理的侵害に対して極めて高い耐性を持っているという点が挙げられる。人間が妖の類いに抗する術を持たない最も大きな理由だ。外道鬼一体で人間の兵士10人に相当すると言われるのもその膂力だけでなく、この物理耐性が主な要因と言えるかもしれない。



『ギハハハハ! オ頭ァァ、アンタノ内臓ハ美味ソウダ! 犯シ抜イタ後、内臓ヲ貪リ食ッテヤル!』


「う……! く、くそ……!」


 攻撃が効かないために一方的に反撃され追い詰められる紅牙。だが彼女は外道鬼の動き自体は見切っている。攻撃さえ通れば倒す事は難しくないだろう。そう判断した妙玖尼はあえて加勢に割り込まず、紅牙の戦力を検証・・・・・する事にした。


『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』


 法力を高め再び真言を唱える。ただし今度は法術の対象は自分ではない。妙玖尼は弥勒の先を紅牙が持つ刀……『蜥蜴丸』に向けた。錫杖の先から法術の光が指向性を持って放たれ、紅牙の『蜥蜴丸』の刀身を覆った。


「……! な、何だい、これは……!?」


 紅牙が自身の光り輝く刀を見て驚く。


「あなたの刀に私の法力を付与しました! 今なら鬼にも攻撃が通るはずです!」



「……!! なるほど、そりゃありがたいねぇ!」


 事態を把握した紅牙が獰猛な笑みを浮かべる。そして外道鬼が斬りかかってくるのを避けると、反撃に刀を一閃させた。今までは攻撃が通らず逆に刀が刃こぼれするだけだったが……


『ウギャアァァァッ!?』


 外道鬼の絶叫と共に、赤黒い不浄の血潮が舞った。外道鬼の蛮刀を持つ腕が切断されていた。鮮やかな切り口だ。法術の力だけではなく、そこに紅牙の確かな剣術が上乗せされた結果だろう。


「ひゅぅ! こりゃ……たまげたねぇ!」


 自分でやった事ながら、その予想以上の効果に紅牙が驚いている。妙玖尼も自身の検証・・の結果に満足していた。これは自分が錫杖を振るって直接戦うよりも効果的かも知れなかった。


『ヒィ……! イ、痛ェェ……! 痛ェヨォ……! ユ、許シテクレ、オ頭ァァ……』


「今さらどの面下げてんだい! さっさとお似合いの場所に行きな!」


 情けなく命乞いする外道鬼を文字通り一刀両断する紅牙。脳天をかち割られた鬼は一溜まりもなく血溜まりに沈んだ。

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