第六幕 脱出行

「貴様、あの時の尼僧か。どうやって脱出したか知らんが、この数の外道鬼を相手にできると思っているのか?」


 海乱鬼かいらぎが外道鬼どもに合図して、妙玖尼みょうきゅうにも標的にしてくる。だが鬼どもが動き出す前に……


『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!!』


 錫杖の柄を地面に打ち付ける。すると床から二つの光の壁が立ち昇って、それが左右に開いていき外道鬼どもを押しのける。一時的に開いたその『道』の先には、まだ呆然としている紅牙べにきばの姿。彼女に向かって大振りに手招きする。 


「さあ、今のうちです! 長くは持ちません!」


「……っ! あ、ああ、恩に着るよ!」


 妙玖尼が自分を助けてくれたと悟ったらしい紅牙は、それ以上余計な問答をする事なく即座に走り出す。女だてらに賊の頭目だっただけあって胆力は中々の物らしい。咄嗟の状況判断能力も高いようだ。


 『道』を走って妙玖尼と合流する紅牙。


「私もこの数を一度に相手には出来ません。今はとにかく一旦逃げますよ! どこか身を隠せる場所はありませんか!?」


「ああ、それなら任しときな。付いてきな!」


 曲がりなりにもここの頭目だっただけあって、その辺りの土地勘は優れているようだ。即座に頷いて再び走り出す。その後に妙玖尼も追随する。背後の広間では恐ろしい咆哮と轟音が響いてくる。流石にあれだけの数ではもう早くも破られそうだ。



「こっちは砦の奥ですよ!? 袋小路にはまってしまいます!」


「いいから付いてきな! アタシしか知らない隠し通路・・・・があるんだ!」


「……!」


 焦る妙玖尼に対して紅牙はそれだけ告げて足を早める。彼女らは先程妙玖尼がやってきた通路を逆走していた。そしてあの宝物庫と思われる部屋に到達する。鍵が壊れて開け放たれた扉を見て、紅牙が妙玖尼を振り返る。


「まあその錫杖持ってるって事はここを開けたって事だよね。他に何も盗っちゃいないだろうね?」


「何も盗んでいません! これは元々私の物ですし、他の物だってむしろあなたが誰かから盗んだものでしょう!?」


 この非常事態に呑気な事を言っている紅牙に、妙玖尼は目を吊り上げて怒鳴る。


「はっ! この末法の世じゃ、奪った物はもう自分の物なんだよ!」


 紅牙は鼻を鳴らしつつもそのまま宝物庫に入り込んで、奥に敷いてある粗末な布をどかす。それから壁の一点を探って小さな突起のような物をそのまま目一杯押し込んだ。すると、先程布が掛けられていた部分の床が両開きで下方向に開いたのだ。下は縦穴になっていて、底には狭い通路と思しき床が見えた。そこまでの高さはないようだ。


「さあ、ここだよ! 早く降りな!」


 紅牙は宝物庫の扉を閉めて中から施錠しつつ妙玖尼を先に促す。躊躇っている時間はない。彼女は思い切ってその縦穴に飛び込んだ。案の定大した高さはなく、すぐに足がついた。丁度人一人分くらいの幅と高さの狭い通路であった。


 すぐに紅牙自身も通路に降りてくる。そしてやはり通路の壁の一点を探ると、何かを思い切り押し込んだ。すると両開きになっていた縦穴の入り口が元通りに閉まった。


「多少バレにくいように偽装しといた。これでしばらくは時間が稼げるはずだよ」


 最低限の照明しか無い暗い通路の中で紅牙が呟く。妙玖尼もホッと息を吐いた。



「このまま進めばとりあえず砦の敷地の外に出られる。三木や豪族たちの軍勢に攻められた時の事を想定して作らせたんだけど、まさかこんな形で利用する羽目になるとはね……」


 狭い通路を進みながら紅牙が自嘲気味に笑う。まさかまんまと入り込んだ獅子身中の虫が、内部から賊共を妖怪化させて反乱を起こすなど誰にも想像できまい。


「……海乱鬼の奴にしてやられたよ。でも……そんなアタシをあんたは助けた。何故だい? 盗賊の頭目。盗みも殺しも数え切れないほどやってきた。更には捕らえたあんたに乱暴・・しようとした。あんたがアタシを助ける理由なんてこれっぽっちも無かったはずだけど?」


 紅牙がある意味で当然の疑問を投げかけてくる。確かに客観的に考えて妙玖尼が紅牙を助ける理由は皆無だ。


「さて、何故でしょうね。自分でもよく分かりません。確かにあなたは咎人といって良いでしょうが、私はただ御仏に仕える身。俗世の人罪を取り締まる立場にはありません。私の討つべき敵はあくまで人ならざる者・・・・・のみです。そしてあなたは『人』でしょう? 妖怪に襲われる者に賊も町人も関係ありません。ただ人に仇なす妖を討ち、邪気を祓い、この世の調和を保つ事こそが我が使命です。」


「……!」


 紅牙が息を呑む。しかしそこで妙玖尼は若干イタズラっぽい表情になる。


「それに……あれだけの数の鬼がいる事は私も想定外でした。となるとこの地に詳しい協力者・・・もいた方が使命を果たすのに役立つかも、と考えたのも事実です」


「ふ、ふふ……なるほどねぇ。損得で助けたって言われた方が納得はできるよ。確かにアタシも海乱鬼にこれだけ虚仮にされておめおめと逃げるつもりはないしねぇ」


 紅牙が好戦的な表情になって口の端を吊り上げる。しかしそこで妙玖尼は小さく咳払いした。


「捕まった事自体は、元々この地の邪気を祓うのが目的でわざと捕まった事なので恨んではおりません。ただ、その……もうああいう事・・・・・はおやめになった方が宜しいかと……」


「ああいう事? ……ははーん、何だい、尼さん。もしかして満更でもなかったのかい?」


 言外を察した紅牙が妖艶な笑みを浮かべると、妙玖尼は瞬間的に顔を朱に染めた。


「馬鹿なことを言わないで下さい! 本当に気持ち悪かったんです! 助けたからといって勘違いしないようにと言っているのです!」


「はは、まあそういう事にしといてやるよ」


 紅牙は笑って取り合わない。照れ隠しなどではなく本当に嫌だったのだが、それを改めて伝えようとする前に隠し通路の出口・・に到達した。


 時刻は既に夜になっていた。通路の出口から先は闇に包まれた森が広がっている。



「着いたね。ただこの闇の中で碌な灯りもなしに森に分け入ったらアタシでさえ遭難しかねないね」


「どのみち逃げるつもりはありません。どこか奴等に見つからないように一時的に身を隠して作戦を立てる時間が取れれば充分です」


「そういう事ならうってつけの場所があるよ」


 紅牙の案内で通路を抜けた妙玖尼は、そのまま彼女について森の中に入る。といっても深くは入らず、大きな木が横倒しになってその下に丁度よい空いた隙間があったので、2人でそこに身を隠す。背後には木々の先に砦の灯りが見えるくらいの距離だ。これなら遭難する心配はない。


「近いって事は反面、それだけ奴等に見つかりやすいって事でもあるからね。夜が明けるまでここに隠れてるって訳にはいかないよ、多分」


「構いません。それまでにはあの鬼どもを浄化して、この地にある『瘴気溜まり』も祓ってみせます」



「その瘴気溜まりってのは何なんだい? 邪気ってのがあの鬼や妖怪を惹き付ける良くない代物だってのは分かったけどさ」


 紅牙が基本的な疑問を呈する。確かに退魔を専門としていなければ馴染み薄い概念だろう。


「瘴気は簡単に言えば、邪気が更に濃くなって目に見える形を取るまでになったものを指します」


「め、目に見える形? それってどんなだ?」


「決まった形はありません。一番多いのは黒い靄が凝り固まったような物ですが、完全に固体化して黒い柱のようになっている物もありますし、岩石や鉱物のような見た目をしている場合もあります。しかしどんな形でも共通しているのは、非常に強く濃い邪気を周囲に発散し続けている事です」


「……!」


「邪気はあなたも既にご存知のように、人ならざる者共を呼び寄せます。そしてあやかし達は邪気を吸収してその力を強めていきます」


「……てことはその瘴気溜まりとやらを放置してると?」


「妖怪や鬼どもが強大になっていき、どんどん数も増えていきます。それどころか瘴気溜まり自身が新たな妖怪を産み落とすとさえ言われています」


「た、大変じゃないかい! そんな物、放っておいたらこの飛騨国は妖怪の国になっちまうって事だろ!?」


 ようやく紅牙にも瘴気溜まりの危険性が理解できたらしく、その顔を引き攣らせていた。彼女は賊だが、それは人々にとって妖怪や鬼と大差ない存在……ではない。少なくとも賊は人間であり、同じ人間を食べるために襲ったり、人を根絶やしにしようと狂気や憎悪を抱いたりもしていない。


「あの海乱鬼とやらの最終的な狙いはそれかもしれません。そしてそんな事になったらもうどの国にも止められません。鬼の軍勢に勝てる国などないでしょうから。海乱鬼の軍がこの日の本全体を蹂躙するか、もしくはそれに対抗しようと諸大名も瘴気の力に頼り、鬼同士が争い合う地獄のような世界と化すか……。いずれにせよ人にとって明るい未来は期待できませんね」


「……っ!」


 それは決して誇大妄想ではないのだ。あの外道鬼の群れを見た紅牙にはそれが実感できただろう。ましてやあの鬼どもは直前まで彼女の手下達だったのだ。実際に人間を鬼に作り変えた邪気の力。当然放置していれば鬼どもの数はどんどん増えていく一方だろう。そうなったらもう妙玖尼にも完全に手がつけられなくなる。



「それを止めるにはどうすりゃいいんだい? あんたは元々そのためにここまで来たんだ。何か手立てはあるんだろ?」


 若干縋るような口調の紅牙の問いに妙玖尼は首肯した。


「勿論です。この地にある『瘴気溜まり』を浄化する事。それが唯一の解決方法です。邪気の供給源・・・たる瘴気溜まりを失えば、鬼どもにとって空気・・が無くなるようなものです。間を置かずして瘴気に依存していた鬼どもは全滅するでしょう」


 鬼や妖怪は人とは比較にならない強さを持つが、では何故彼等がこの日の本を席巻していないのかといえば、その答えがこの邪気に依存した脆弱性・・・だ。


 妖の類いは邪気のある場所でしか生きられない。だから連中は普段は闇に潜み、人の目を盗みながら、人に気づかれないよう悪事を働くしかできないのだ。だがその唯一の例外・・がこの『瘴気溜まり』だ。


 無限に邪気を発して拡散し続ける瘴気溜まりは、鬼や妖怪の棲息域・・・を広げていく。奴等の弱点である脆弱性を『瘴気溜まり』の元でだけは克服できるのだ。その邪気の領域がどんどん拡散して広がっていけば……文字通り妖怪の国が出来上がってしまう。


 しかしそれは『瘴気溜まり』によって作られた偽りの棲息域。大元たる瘴気溜まりを消滅させれば、その棲息域も自然と消滅し、それに依存していたモノは生存できなくなるという訳だ。

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