第5話 心に秘めたもの

高濱監督と古島コーチの金言をもらった後

不動は前より増してボールを投げ込んだ。

「球速よりも、コントロールを意識して投げろ。どんなに球速が早くてもストライクゾーンに入らなければ意味がない。」古島コーチから言われた言葉を胸に不動は一心不乱にボールを投げ込んでいく。そうしてボールを投げている姿に高濱監督も感心し、「もう一度二軍で投げてみるか?」と不動に声をかけた。

「やらせてください。よろしくお願いします。」と不動は力強く応えた。

 「試合は一週間後、名古屋ブレイブサンダース戦だ。こないだの二の舞になるなよ。

俺もコーチ陣も”橋本監督”も期待しているんだ。」高濱監督は不動に檄を入れた。「わかりました。」

 それから1週間彼は腕を振り続けた。

「3日前からはキャッチボール程度にしとけ。肩と肘は消耗品だ。そこが壊れちまったら元も子もないからな。」手嶋先輩からはこんな言葉をもらった。不動もその言葉に従おうと思ったが、「名古屋戦で結果が出なかったらどうする。このまま、また薄井とのさができちまう。そうしたらまた、2軍のトレーニング施設に幽閉されちまう。いやだ。早く薄井との差を縮めたいんだ。」という思いが不動を練習場へ誘った。夜9時過ぎだった。「ドスッ、ドスッ」夜闇の中に、壁にボールがぶつかる音だけが響いていた。その姿を陰から見つめていた人物が2人いた。「不動のやつ、こんな夜中なのにボール投げてますよ。よっぽどこないだ打たれたのが悔しかったんでしょうな。あいつについてどう思います?橋本監督?」「ああ、あいつについてか?あいつはプライドは高いが素材は一級品だ。あのスライダーにコントロールが加われば、2軍で無双はおろか1軍だって通用するだろう。」

そう、高濱2軍監督と橋本1軍監督だ。

「しかし、僕にはわかりません。なぜあれほどの選手をずっと2軍でトレーニングを積ませるんです?不動のことを「あいつの実力が本物なら即支配下登録で1軍で投げられる。」っておっしゃってたじゃないですか。」

「………」少しの間、橋本監督は沈黙した。

「俺は、あいつには常勝軍団のエース、いや日本のエースになって欲しいんだ。何度も言っているが、あいつは才能の塊だ。あいつが覚醒したら、間違いなく日本の未来は10年は安泰だろう。ただ、あいつがエースになるには足りないものはいくつかある。あいつと昔の俺がいろんなことに重なるんや。甲子園優勝投手として注目を集めたが、結局育成指名。その時は「何でや。俺は甲子園優勝投手だぞ。U18に選ばれてるんやぞ。」って。俺はすぐにチーム内ですぐに頭角を表して1軍でボールを投げていた。でも、1軍に行ったって、いくらボールを投げたって、打たれる、打たれる、打たれる、そんなことがあったんや。ただ……気づいたんや。プライドが高くても良いことは一つもない。『甲子園優勝投手』とか『U18日本代表』とか、所詮肩書きに過ぎないんやって。周りには甲子園にすら出場してないのにチームの中心選手になってる人がわんさかいる。そこで俺はエースとして必要なものを知ったんや。ただ、それに気づいたのが32の頃やった。もう体が1番使えるところを通り過ぎてたんや。だから、不動に俺と同じ運命を辿らせたくない。それが俺の本心や。」

 古島コーチは夢中になって聞いていた。

「懐かしいですね。その時ボールを受けていたのが、僕だったんで、よくわかります。」

 その時、夜闇に響いていたのはあくまで、「ドスッ、ドスッ」という壁にボールがぶつかる打撃音だけだった。


注、ストライクゾーン 

→投手が投げた球がストライクと判定されるゾーンのこと。ここにボールを3回、もしくは

ストライクを3個取ることによって投手は打者を打ち取ることができる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る