第2話 過去の過ち
ここから先は、不動がプロ野球選手になる前の話である。
一体なぜ、不動はここまでのエースとして
活躍できたのか
それは彼の少年時代に遡る。
青森県で生まれ育った不動は、幼い頃は決して運動ができるわけではなかった。
むしろ、徒競走をするにしても毎回後ろの方だった。
そんな彼に転機が訪れたのは
5歳の頃父親がファンだった橋本昌俊選手のプレーを見てからだ。そのプレーを見てから彼は「野球がやりたい」と強く思うようになったのだ。彼は両親に「野球がやりたい」と伝えた。すると両親は「途中で諦めないで努力し続ける事が条件だ」と父の言葉で、野球クラブへの入団が決まった。その後彼は努力を続けクラブ球団のエースになった。
その後彼は地元の津軽中学校に入学。
そこで野球を続けた。決してその中学校は強豪というわけではなかったが一部のプロ野球のスカウトからは一目置かれる存在となっていた。中学時代もエースとしてチームを引っ張り、県大会ベスト4という功績を収めた。
その後全国各地の名門校からスカウトを
受けたが彼は地元の強豪山手高校に進学
理由は「生まれ育った青森で優勝したい」
だった。
その後、県内の山手高校に入学。1年次からその能力は評価されており1年目からベンチに入れてもらえた。しかし2年生には、絶対的エースの手嶋勝大(てじましょうた)がいた。150キロを越える直球と落差の大きいフォークボールを武器に三振を量産。U18日本代表にも選ばれて、世代No. 1投手と呼ばれていた。
彼は手嶋に憧れていた。それは、彼が5歳の時に感じたものと同じものだった。やがて手嶋が引退した後エースを引き継いだのは不動だった。しかし、彼には絶対的な武器がなかったのだ。球速は最速150キロと高校平均くらい、変化球も手嶋に遠く及ばない。「どうすればあいつみたいな投手になれんだよ……」と途方に暮れていると、ある選手のことを思い出した。そう、橋本昌俊選手のスライダーである。彼のスライダーは、あまりに変化が大きく、バッターがバットに当てるのも困難なボールだった。そんな選手が9回に出てくることから『ジェノサイド橋本』と呼ばれ、
彼のスライダーは『死神の鎌』と呼ばれた。
不動は彼のスライダーを徹底的に研究して
何とか習得する事ができた。しかし、どうやってもあそこまでの変化にならない。
悩んでいる時、「どうしたんだ、浮かない顔して」と声をかけられた。声をかけられた方を向くといたのは手嶋だった。「本当ならお前に聞きたくないんだが………何でお前はこんなに変化のあるボールを投げれんだ?」と
彼に打ち明けると、「実際にやってみたほうが早い。」と、肩の使い方、リリースポイントなどを細かく教えてくれた。教えてもらった上で投げてみると、面白いように曲がるようになった。
去り際に手嶋は「お前は人に比べてプライドが高い。プライドを高く持つことはいい。ただ、それを持ち続けると、いつかそのプライドは崩れる時が来る。その時にプライドが高い奴は耐えられなくなってしまう。お前は努力して努力して、俺よりも良いピッチャーになるんや。」と言い残し去っていった。
こうして『死神の鎌』を使えるようになった不動は、『死神の鎌』を武器に甲子園で快投を連発、決して名門校というわけではないのにU18日本代表としてサムライブルーを着るまでの投手になったのである。
注
甲子園→
全国高等学校野球選手権大会の通称
各県の代表校がトーナメント制で戦い
優勝を目指す。優勝校には錦の旗が
学校に1年間置かれる。
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