第44話 木の帆船と鉄の戦艦
日が沈みかけて空が紫色に染まった、午後六時前。王都から南に二十五キロの海上。
長さが五百メートルもあるという途轍もなく巨大なウミウシ型
「っ! 聞いていた話と違う……!」
水平線の向こうからこちらに接近してくるのは、サクラが言っていた情報の半分から四分の一ほどの大きさの黒影が三つ。
想定していたより小さいのは構わないが、三体いるとは聞いていない。
「距離がどんどん近づいてきてる。どうするロンボ、一旦下がるかい?」
『そうだな……。マリンピア兵と合流する前に戦闘になるのは避けたい』
別の帆船に乗るロンボとインカムを通じて相談し、ここは一度転進することに。
するとその時、インカムに微かに雑音が交じった。
雑音が収まると、続けて見知らぬ女性の声が届く。
『あー、あー。聞こえてますかね? こちらマリンピア国防軍海軍、戦艦あわらです。あっ、ちょっと。せっかく会えたのに、どこか行かないでください!』
挨拶をし始めたかと思えば、途中で急に慌て出したマリンピア海軍の乗組員の女性。
どうやら向こうの船からは僕たちの船が見えているらしい。
だが、僕たちの船からはマリンピアの船の姿は確認出来ていない。
彼女の乗る船の現在位置を確かめるべく、アーシムが応答する。
「要請を受け応援に参りました、リューグ王国海伐騎士軍、遠洋遊撃隊大佐のアーシム=アタローです。すみません。こちらからはマリンピア海軍の船が見えていないのですが、どの辺りにいらっしゃいますか?」
『いやいや、明らかに見えてますよね? 見た上で離れようとしてますよね?』
「えっ?」
見渡す限り、海伐軍所属のもの以外の帆船は周囲に見当たらない。
視界に捉えているのはこちらに徐々に迫ってくる三体の海異の巨影のみだ。
いや、まさか。そんなはずがあるのだろうか……?
俄かには信じがたいが、ある一つの結論が脳裏に浮かぶ。
半信半疑のまま口に出してみる。
「あの、マリンピアの船は三隻で行動していたりしますか?」
果たして、女性乗組員は肯定した。
『はい。私は現在、駆逐艦はやさめ、補給艦しこつと共に作戦行動を展開しています。って、やっぱり分かってるじゃないですか!』
海異だと思っていた近づいてくる三つの影がマリンピアの船だと判明したため、アーシムとロンボは再び舵を切って帆船をそちらに向かわせた。
近づいてみて、改めてその大きさに驚かされる。
旗艦である戦艦あわらは、長さが二百五十メートル弱、幅も四十メートル近くあり、見上げるほどの高さがあった。また、随伴する補給艦しこつも、長さ約二百二十メートル、幅約二十七メートルとこちらも巨大だ。そして、この中では一番小さい駆逐艦はやさめでさえ長さは約百五十メートル、幅は約十八メートルもある。
僕らの乗る帆船とは全てが桁違いだ。
そもそも、マリンピアの船は灰色の鋼鉄のようなもの出来ていて、動かす仕組みも根本から異なるようだった。
加えて、戦艦あわらの広く平らな甲板には、上部に細長い板が取り付けられた不思議な形の白い物体が四つ並んでいる。
大きな窓や扉があることから、何らかの乗り物のように思えるけれど……。
この世界で最も発達した科学技術を持つ国は、やはり軍事力も異次元の規模である。
アーシムが帆船を戦艦に横付けすると、鋼鉄の船体の側面が開いて渡り板が伸びてきた。
それがこちらに届いたと同時、戦艦から出てきたのは藍色の髪と黒い瞳が印象的な凛とした女性だった。真っ白な制服の肩には金色の四本線の階級章が輝いている。
僕の目の前までやって来た女性乗組員は、敬礼してから挨拶を述べる。
「リューグ軍の皆さん。今回は応援要請を受諾して頂き、大変感謝しております。私は戦艦あわらのプロセッサーマリオネット、識別名MNDF-EF2-DDH184と申します。私と戦艦あわらは同一の存在ですので、どうぞ私のこともアワラとお呼びください」
「あっ、えっと。えっ……?」
この女性が、機械の人形……?
見た目は完全に人間そのもので、一瞬アワラが何を言っているのか理解出来なかった。
戸惑っていると、隣の帆船から乗り移ってきたロンボがアーシムの左側に立って呟く。
「間違いなくこいつはマリオネットだ。マリンピアの騎士に人間はいないからな」
「へぇ、そうなんだ」
初めて知った。
危険な場所に生身の人間を送り込まないという人道的な考え方に基づいたものか、はたまた他国との戦争は決してしないという平和主義を体現するためのものか。いずれにしろ、いかにも世界の最先端を行くマリンピア民主国らしい規則である。
「ついでに言うと、さっきの会議にいた外務省の職員も多分マリオネットだろう。流石に官僚級のサクラさんは本物の人だと思うけど」
すると、いつの間にかアーシムの右隣にいたアカリが、ロンボの方を見ながらニヤニヤしていた。
「……アカリ監視官?」
何かおかしなことでも言ってしまったかと首を傾けるロンボに、アカリは右手を振って否定する。
「ごめんごめん、何でもないのっ。気にしないでっ!」
「? そうですか……」
と、こちらの会話が一段落したところで、ずっと静かに待機していたアワラが口を開く。
「では皆さん、そろそろよろしいでしょうか?」
「あっ、すみません。お待たせしてしまって」
慌てて謝るアーシムに「いえ」と感情も無く答えて、アワラはそのまま今回の海異討伐の手筈の説明を始める。
「本作戦の目標は超巨大ウミウシ型海異の撃破です。その手順ですが、攻撃は全て私とハヤサメにお任せください。あのサイズの海異には、私たちの火力でないと恐らく目に見えるダメージが入らないと考えられますので。しかし私たちが攻撃をするにあたって、一つ問題がありまして。電波水平線以遠の敵に攻撃を命中させるためには、敵を直接観測する必要があるのです。そこでこの度は、リューグ軍の皆さんのお力をお借りしたく応援を要請させて頂きました」
今回の応援要請の内容を要約すると、僕たちの役割は人形のアワラを海伐軍の帆船で海異の近くまで連れて行くこと。
海異に接近したら戦艦のあわらと駆逐艦はやさめの修正射をアワラが観測して座標を修正。あとは二隻が効力射をひたすらに叩き込んでいくというわけだ。
「皆さんには相当なリスクを負わせる形になってしまいますが、引き受けて頂けるでしょうか?」
一通りの説明を終えて確認を求めるアワラに、僕とロンボ、アカリは互いに見合ってから頷いた。
「はい、もちろんです」
「ああ、当然だ」
「うん、いいよ〜っ」
「ありがとうございます。現在地から海異がいる海域までは私がご案内します。それとここから先は、海異に見つからないようにこの一艘のみで行動することを推奨します」
一艘、か。
アーシムの乗る帆船はリューグ王国の中では最大級の船なのだが、マリンピア海軍の基準から見たら小型船の扱いになるようだ。まあこの見上げるほど大きな艦船を三隻も目にすればそれも当然だと思えるが。
それから僕たちはアワラの案内の下、超巨大ウミウシ型海異の出現地点へと向かった。
現場に到着して、アーシムは海異のその異様な姿に言葉を失ってしまう。
分かっていたことだが、まずはとにかく大きさが異次元だ。戦艦あわらの比ではない長さと幅と高さは、これが本当に生物なのかと疑いたくなるほど。
そしてウミウシ型と称されるだけあって、頭の上には二本の触角、後ろには花のように開いたエラ(正確には
だがこの海異の最も特徴的な部分は、何と言っても体の側面に対称に入った計六本の縞模様だろう。左右にそれぞれ三本ずつ入っているそれは、真ん中の縞は緑に、上下の縞は七色に発光していて、暗い夜の海を昼間のように明るく照らしていた。
海伐軍の大佐二人が呆気に取られている傍らで、超巨大な異形の怪物を前にしてもまるで恐れを抱いていない様子の魔法少女がぽつりと言う。
「何こいつ、ゲーミングウミウシじゃん」
いつもより低い声で、半笑いを浮かべながらアカリが口にしたゲーミングという言葉の意味は不明だが、その態度にはどこか余裕すらも窺える。
カイビトス衛士団の親衛隊に選ばれるほどの実力者は、きっと自分の能力に絶対の自信を持っているのだろう。
「アワラよりハヤサメ。観測及び発射準備完了」
『こちらハヤサメ。私もいつでも行けるよ!』
戦艦の頭脳たる人形二体が僕らにも聞こえる形で通信を行う。
どうやら修正射を発砲する準備が整ったようだ。
およそ四キロメートルも離れた地点からの砲撃。
果たして威力はどの程度のものなのか。そもそも命中させられるものなのか。
僕とロンボが無言のまま見守る中、アワラとハヤサメの声が重なる。
「撃て」
『てー!』
ドン。
遥か遠方の海上から轟音が響く。
それから待つこと数秒。
『だんちゃーく、いまっ!』
ハヤサメの合図と同時に、上空から二発の弾が落ちてくる。
「グアッ!」
一発は僅かに手前に落下したが、もう一発が海異の背中を掠めた。
超巨大ウミウシが小さく呻き声を漏らす。
「弾着確認完了、弾道計算中。……計算完了、修正量を送信したわ」
『ハヤサメ了解。……座標修正完了、いつでもどうぞ!』
間髪入れずに続けて効力射。本格的な攻撃を開始する。
「撃ち方始め」
『うちーかたーじめー!』
ドン、ドン、ドン。
轟音から数秒遅れて、空から砲弾の雨が降り注いだ。
……ドカーン!
「グアアァァッッ!」
見事全ての弾が命中。
円柱と円錐が組み合わさったような形をした弾の先端が爆発し、全身を痛めつけられた海異は苦しげな叫び声を上げる。
「全弾命中。そのまま継続して」
『りょーかい! じゃんじゃん撃っちゃうよ!』
二隻からの容赦ない攻撃を浴びて悶えるウミウシを眺めながら、アーシムはロンボと言葉を交わす。
「これは、僕たちの出番は無さそうだね……」
「だな……」
帆柱に寄りかかりながら戦況を見つめるアカリも、あくびをしながら退屈そうに言った。
「ふぁ〜あっ。高みの見物って感じだね〜」
その後しばらく海異の様子を観察していて、アーシムはふとある事に気付く。
「あれ? 真ん中の緑の縞、最初よりも短くなってる?」
僕の発言を聞いて、ロンボもそれに気が付いたらしい。
「ん? あっ、本当だ。最初は上下の縞と同じくらいの長さだったのに、今は半分くらいになってるな。しかも色がちょっと変わってないか?」
攻撃開始前は頭部から尻の方まで長く伸びていた光る縞模様。その真ん中の緑の縞だけが、現在は頭部から側腹部の辺りまでと短くなっていて、しかも色味もやや橙色に変化している。
この現象にもきっと何か意味があるはずだ。
でも一体、何を表しているのか……。
思考を巡らせていると、甲板に座り込んでいたアカリが不意に立ち上がって口を開いた。
「多分あれ、HPゲージじゃないかなっ?」
「エイチ、ピー……?」
またしてもよく分からない単語を使うアカリに、アーシムは首を傾げる。
「えっとっ、日本語だと何て言うんだろ? う〜んとねぇ、言い換えるなら……。残りの体力がどれくらいかを示す計量器みたいなもの、ってところかなっ」
「なるほど、計量器……」
もし仮に、あれが本当にウミウシ型海異の残りの体力を示しているとしたら。
砲撃を一発喰らうごとに五パーセントずつ体力が減っているという計算になる。
ドカーン、ドカーン!
「グアアアアァァァァッッ!!!!」
と、そんな話をしている間にも、夜の闇を切り裂いて彼方から飛んでくる弾が再度海異の体を直撃。弾頭の爆弾が炸裂し、あまりの熱さと痛みに巨躯を震わせ悶絶する。
同時に、真ん中の縞が更に短くなって元の長さの四分の一を下回った。
縞の色が、橙から赤へと変化した。
「オオオオオオオォォォォォォォッッッッ!!!!!!!!」
その色の変化に合わせるように、耳を劈くほどの一際大きな咆哮。
刹那、二本の触角の間に稲妻に似た青白い電流が走る。
何か、すごく嫌な予感がした。
するとその時、ロンボの緊迫した叫び声が甲板に響いた。
「みんな、跳べ!」
「っ!」
僕は考えるよりも先に、反射的に床を蹴って跳んだ。
アカリもスカートを押さえながら膝を曲げて跳び、アワラも重たい機械の身体を数センチ空中に浮かせる。
直後、ウミウシ型海異の触角を中心として、同心円状に海面を電流が駆け巡った。
電流はアーシム達が乗る帆船にも襲い掛かり、跳んでいた僕らの足元を通過する。
間一髪のところで電流を回避して着地したアーシムとロンボ、アカリの三人とアワラ。
しかし、助かったと思ったのも束の間。四キロメートル離れた海上にいるハヤサメとシコツの悲鳴が通信機越しに届く。
『うっ!』
『ひゃあっ!』
ノイズと共に、通信途絶。
まさか、あの距離まで今の電流が到達したというのか?
「ハヤサメ、シコツ!」
アワラの呼びかけに、二体が応じることは無かった。
「無事なのはあわら一隻だけか……」
駆逐艦のはやさめを失ったのは痛い損害だが、仕方がないと呟くロンボ。
アーシムも海異の残りの体力量を考えれば、一隻で十分倒しきれると判断する。
けれど、事態はもっと深刻だった。
感情を持たぬはずの人形の顔に、僅かに焦りが滲んでいる。
「機関停止、全電源喪失。予備電源、起動不可。どうして……? そうか、雷サージ……」
「どうしたんです?」
今度は何事かと問いかけたアーシムに、ぶつぶつと独り言を言っていたアワラが最悪の事実を告げる。
「すみません、アーシム大佐。先ほどの過剰な電流の影響により、あわらも行動不能になってしまいました」
「っ! それってつまり……」
「ああ。あのどデカい怪物を、俺達だけで倒さなきゃいけないってことだ……」
超巨大ウミウシ型海異。あの化け物を、この剣一本で……。
絶体絶命。
一転して絶望的な窮地に追い込まれたアーシムが見据えた先、巨大な海異のおぞましい雄叫びが夜の暗い海に不気味に響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます