第34話 乙姫が何よりも怖いこと
オセアーノに女王の座を禅譲するという方針は決まったものの、それは今すぐに実行出来るものではない。適任者選びや引き継ぎなどを考慮すると、かなり長い時間を要する可能性が高かった。
けれど、それまでの間も人種差別への対策は着実に進めていかなければならない。
そこでサクラは、女王交代までの間の一時的な措置としてこんな二つの提案をした。
・国として差別問題への対策がきちんと行われているかを常時把握するため、リューグ王国政府にマリンピア民主国政府とカイビトス公国政府から各一名ずつ監視官を派遣すること
・監視官は定期的に女王や軍幹部、貴族、財界人らを交えて各分野ごとの委員会を開き、あらゆる方面における人種差別根絶への取り組みを評価すること
オトはこれを了承した。人種差別を許せないマリンピア民主国側からみれば、この程度の要求は至極真っ当なものだと思えたからだ。
一方アカリは、これではまだ不十分ではないかと一つ条件を付け加えた。
・女王の交代に関わらず、差別問題が完全に解消されたと見なされるまでは監視官の駐在と委員会の活動は継続とする
世界征服を目論む魔法少女のことだ。何かまたとんでもないことを言い出すのではと構えていたが、提示してきたのは意外にもごく普通の条件だった。
別に拒む理由も見当たらないのでこの条件も受け入れた。
と、ここまで決まったところで時刻は夜の九時を過ぎていたため、会談の続きは翌日に持ち越しとなり現在に至る。
「さてと、ここからが一番の難題だよね。重要オブ重要な次期国王探し」
会談二日目。
真っ先に口を開いたサクラに、オトはこくりと頷く。
「ええ、そうね。国王になってくれるオセアーノを見つけるだけでも、相当大変だと思うわよ」
「そうかなっ? アカリだったら『王様やって?』ってお願いされたら、二つ返事で受けちゃうけどなぁ」
「それはあなただからでしょう」
相変わらずの態度のアカリに呆れつつ、話を続ける。
「オセアーノの人達は未だに私や軍、国民に対しての強い不信感や反感を抱いているの。だからオセアーノ差別禁止法案が成立して以降も、王都に戻ってきた人は二人だけ。それも一人は元
悩ましげに懸念を口にするオトに、サクラも難しい顔をしながら同調した。
「王都に戻ってきた二人についてはボクも把握してる。けど、どっちも国を治めるのに必要な資質に欠けるんだよねぇ。それにそもそも、差別禁止法案はオトが強引に成立させただけで国民のオセアーノ嫌いはそのままだから、みんなが戻りたがらないのも無理ないって感じだし」
あの限られた人間しか立ち入れない会議の場でオセアーノ差別禁止法案を強行採決したことを当然の常識のように知っている機械人形には怖さを抱かなくもないが、言っていることはその通りだと思う。
国民に差別感情がある限り、彼らが王都に戻ってくることはない。
しかし、誰かが戻ってきて国王になってもらわなければこの状況が変わることもない。
今は地道に国王になってくれそうなオセアーノを探して説得していく以外に方法は思い浮かばなかった。
「別に延命を図ろうというつもりでは無いけれど、立候補者探しはゆっくり進めていくべきじゃないかしら。これはリューグ王国だけではなくて、マリンピア民主国やカイビトス公国にとっても大きな問題でしょう?」
オトがそう問いかけると、サクラは首を縦に振った。
「うん、確かにそうだね。監視官と委員会のルールさえ守ってくれれば、最低限の差別対策にはなるし。私からも女王交代までの猶予をもらえるように上に掛け合ってみるよ」
海路再開通後の国交断絶という事態を回避出来るよう、サクラはマリンピア外務省の上層部や政府に取り計らってくれるらしい。
続けてアカリもキラキラの笑顔を浮かべて答える。
「分かったっ! 別にいいよっ☆」
どこかふざけたような軽い返事はまた何か良からぬことを企んでいる気がしたが、表向きは賛意を示してくれた。
「二人とも、ありがとう」
その後は差別問題以外の事項、交易再開後の経済協力や巨大
日付も変わった深夜二時。
浴場でお湯に浸かって長い論戦の疲れを癒したオトは、淡い水色の上質なシルクのネグリジェを着て廊下を歩いていく。そして、自室の前まで来たところで思わぬ遭遇をして足を止めた。
「あら? 私に何か用かしら、サクラ?」
私の部屋の扉のそばで壁に寄りかかって立っていたのは、会合中と変わらぬスーツ姿のサクラだ。どうやらオトが戻ってくるのを待っていた様子。こんな夜中に一体何の用件だろうか?
「あっ、ごめんねオト。今少しだけ時間大丈夫?」
「ええ、構わないけれど……」
急ぎでは無さそうだが、何か話したいことがあるらしい。
廊下で立ち話というのもなんなので、とりあえず部屋に招き入れる。
「サクラはその椅子使っていいわよ」
私はベッドに腰掛けながら、作業机の椅子を指差した。
機械人形はその椅子を引き寄せて座ると、黒いレンズの瞳をこちらに向けた。
「ねえオト。次期国王のことなんだけどさ」
恐る恐るそう切り出したサクラに、オトは月の白の目を鋭くする。
彼女のことがバレている。根拠は無いが、直感した。
そして、その悪い予感は的中していた。
「王都にもう一人、オセアーノの少女がいるよね? 海伐軍病院に入院してる、カメアリ=ナギサさんだっけ? ボクはそのナギサさんが適任じゃないかと思うんだけど、どうしてオトは隠そうとしてるのかな? オトはあの時、ナギサさんの存在を念頭に置いてオセアーノに王位を譲るって言ったんだと思ったけど」
マリンピア民主国はこちらの事情をどこまで把握しているの? これではまるで全ての情報が筒抜けになっているみたいだ。
「あなたはどこでナギサのことを知ったの?」
強い口調で問い詰めると、サクラは人形とは思えないほど自然な困った表情を浮かべる。
「う〜ん、それはちょっと言えないかな」
「あなたはリューグ王国の国家機密に触れた。ならマリンピア民主国側も何か開示してくれないと不公平だわ」
サクラはしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「いいよ、じゃあ特別に教えてあげる。海異が出現するより前から、マリンピア外務省はマリオネットを世界各地に送り込んで、市民の中に紛れ込ませていたの。その人形たちが記録してくれた映像は外務省の人形全員に共有されて、いつでもアクセスすることが出来る。だからボクたちはどこにいても、世界中のあらゆる出来事をリアルタイムで把握することが可能なんだ。歩く監視カメラ、とでも表現したらいいのかな? ナギサさんのことを知ったのは、その情報網のおかげだよ」
「なるほど。つまりマリンピア民主国は同盟国にもスパイを潜り込ませていたってわけね?」
「スパイって言われるとあれだけど、まあ否定はしない」
科学と民主主義の国は随分と恐ろしいことをするものだ。
これで一つ謎が解けたが、まだ疑問は残る。
「で、ナギサを適任者だと考える理由は?」
半年近く共に過ごしてきて性格も考え方もよく知っている女王と違って、機械人形は氏名や顔、体格といった表面上の情報しか持たないはず。なのになぜ、サクラは彼女を次期国王に向いていると判断したのか。
「マリオネットが見聞きしたことを分析した結果っていうのが一番の理由だけど。あとはボクの勘、かな」
「勘?」
プログラムによって動いている人形のくせに、不思議なことを言う。
「ナギサさんには多分、この国を、この世界を、平和で幸せにする力がある。何となくそんな気がするんだ。オトはそう思わない?」
訊かれてオトは、無意識に頷いていた。
「ええ。どこまでも優しいあの子ならきっと、世界平和だって実現させてしまうでしょうね……」
ナギサのことは私が守ると約束した。だから彼女を女王なんかにしてはいけない。
それなのに私は、どうしても想像してしまう。
輝くティアラを頭に乗せたナギサが、この国を率いていく未来を。
そして同時に思う。
ナギサが導く世界に、復讐を目的に生きる私は不要な存在だと。
私は本当に、無責任で冷たい人間だ。
「まあ本人の意思も大事だし、オトにも考えはあるだろうから。答えはまた今度でいいよ。遅い時間に押しかけちゃってごめんね。オトはもう眠いよね? おやすみ」
サクラは立ち上がると、椅子を元あった場所に戻してからそそくさと部屋を後にした。
「…………」
静かになった部屋に一人残されたオトは、ベッドに倒れ込むように寝転がって目を瞑る。
「ナギサ。あなたはこんな私でも、許してくれる……?」
母の仇さえ討てるなら、女王の座も命すらも惜しくない。
そんな風に考える私を、ナギサはそれでも優しく受け止めてくれるのだろうか。
あの女神のような美しい笑顔で、あの聖女のような広い心で、認めてくれるのだろうか。
でも、もし、許してくれなかったら。受け止めてくれなかったら。認めてくれなかったら。
彼女を失望させてしまうことが、今は何よりも怖いと思った。
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