第32話 機械仕掛けの外交官

 神暦しんれき九八九年一月十六日。今日はマリンピア民主国の外交官が到着する予定の日だ。


 高官ではないから護衛は不要だと申し出があったため、港には海伐騎士軍王都警衛隊の兵士数名のみを迎えに行かせた。


「さて、そろそろ来る頃だと思うけれど」


 机と椅子が整然と並べられた城内の一室。時計に目を遣って呟くオトに、アカリが心底つまらなさそうにため息を吐く。


「……どんな奴が来るんだろうね〜っ。楽しみだなぁ」


 魔法少女の明るい声音ながらも、本性だだ漏れな態度で言う。

 楽しみだなんて微塵も思っていないでしょうに。


「別にそのキャラを無理に演じることはないわよ。私、秘密は守るタイプだから」


 気遣いのつもりで告げた女王に、アカリが冷めた視線を向ける。それから皮肉げな笑みを浮かべて口を開く。


「あっ、分かった。私の秘密を話そうにも、相手がいないんでしょ? アンタ、友達いなさそうだし」


 少しイラッときた。不毛なやり取りになると分かっていながら、つい反論してしまう。


「友達くらいいるわよ」

「へぇ。どんな人?」

「同い年のオセアーノの子。可愛くて綺麗で、とても優しい子よ。今は事情があって入院しているけれどね……」


 私にとってナギサは唯一の同世代の友達だ。

 彼女のことは本当に大好きで、恋心さえ抱いていた。


 色々あった農神祭のうしんさいの日の夜、ナギサの部屋を訪れたのも下心からだった。辛く怖い目に遭って、弱っている今なら私に依存させられると考えた。心も身体も、全部手に入れられると思った。

 でも彼女は、そんなに弱い人間ではなかった。しっかりとした芯を、強い意志を持っていた。ナギサのその姿を見て、私の脳内からは一人の少女としての欲望が消え、いつの間にか怜悧で冷徹な女王の思考に切り替わっていた。


 そして、マリジア群島在住のオセアーノとの交渉の仕事を与えてしまった。


 結果、これが全ての間違いだった。こんな仕事を与えなければ、ナギサは昏睡状態になんてならなかった。いいえ、きっと彼女は。


 元の世界に、帰ってしまったのだ。


 ナギサにとってはそれが幸せ。だからこれで良かった。

 そう思いたいのに、何故だか素直に喜べない自分がいて。そんな自分が嫌になる。


 どうして友達の幸せを喜べないのだろう。


 暗い表情になったかと思えば、俯いたまま動かなくなってしまったオト。

 アカリはツインテールに結んだ桃色の髪の毛先を人差し指でくるくる弄りながら、どうにか慰めの言葉を口にする。


「あぁもう、友達いなさそうとか言って悪かったって。その子、病気か何かなの? 早く治るといいね」

「ええ、ありがとう……」


 結局私は人を駒としか見られない冷酷な女王で、友達を作る資格なんて最初から無かったのかもしれない。

 アカリの無理やり捻り出したような優しい言葉が、オトの心には逆に棘となってぐさりと刺さって痛かった。



 それから間もなく、部屋の扉が開いて一人の女性が入室してきた。オレンジ色のボブヘアは首の後ろの辺りがグラデーションのようになっていて、毛先は完全な青色。黒い瞳はシャンデリアの光を受けて紫や緑に反射している。一応マリンピア民主国の正装をしているようだが、着慣れていないのかサイズが合っていないのか、リクルートスーツを着た女子大生にしか見えない。


「あれ? 何か変な空気なんだけど、入っちゃってもいい感じ……?」


 オトとアカリが醸し出していた重苦しい雰囲気を察したのか、部屋の入り口で立ち止まる女性。ゆっくりと後退りして、静かに廊下に出ようとしている。


 今は自分を責めている場合ではない。私は急いで笑顔を作ると立ち上がった。


「ごめんなさい、入って大丈夫ですよ。あなたがマリンピア政府の外交官の方ですね? サメシマ副大臣から話は聞いています。私はリューグ王国女王のオト=ハイムと申します。よろしくお願いします」


 続けてアカリも、立ち上がって自己紹介をする。


「やっほ〜☆ カイビトス衛士団、親衛隊十三番の魔法少女アカリだよ!」


 女王と魔法少女の挨拶を受けて、女性は機械的な丁寧なお辞儀をしてから名乗った。


「どうも初めまして。マリンピア民主国外務省、人権担当特命全権大使のエビナ=サクラです。本日はオセアーノ差別についての調査に参りました。よろしくお願い致します」


 見た目にそぐわず随分としっかりしている。流石にスーツの着こなしだけで能力の判断はつかないか。


「どうぞお掛けになって下さい、エビナ大使」


 着席するように促すと、彼女は椅子に腰掛けながら砕けた口調で言った。


「あぁそんな大使だなんて堅っ苦しいの無し無し。私のことは気軽にサクラって呼んで。敬語も基本禁止で」


 前言撤回。やはり社会人らしくはないわね。


「分かったわ、サクラ」

「じゃあアカリは、サクラちゃんって呼ぶねっ!」


 こうして外交官との距離が少しだけ縮まったところで、使用人のデルフィーノが泡乳珈琲ほうにゅうコーヒーの入ったカップを三つトレイに乗せて運んできた。オトとアカリの前に順番に置いていくと、最後にサクラの前にもカップを置く。


 よほど喉が渇いていたのか、早速アカリが淹れたてのそれを美味しそうに飲み始める。


「ふわぁ、甘くて最高〜っ」


 その様子を見たオトも少しだけ口に含んで、程良い苦みと甘みを味わう。


 しかし、サクラはカップの中身を見つめるだけで一向に口を付けようとしない。もしかしてコーヒーは苦手だっただろうか?


「サクラ、もし違う飲み物が良ければ他のを持って来させるわよ? ジュースでも紅茶でも色々あるから、好きなのがあれば言ってちょうだいな」


 するとサクラは後ろを振り返って、デルフィーノが近くにいないことを確かめると。やや抑えめの声量で話し出した。


「これ、メイドの子には内緒でお願いね。実はボク、機械人形なの。だから飲み物はいらないんだ。一応怪しまれないように飲むふりというか、口から流し込むことは出来るんだけど、タンクに溜めて後で捨てるのはもったいないからさ。どっちかが飲んじゃってよ」


 サクラは機械人形。その衝撃のカミングアウトに、アカリが驚愕のあまり叫んだ。


「はぁっ!? アンタ、アンドロイドなの?」


 あなた、魔法少女キャラを忘れているわよ。

 心の中でアカリにツッコミを入れつつも、私自身も驚かなかった訳ではない。


 マリンピア民主国は確かに科学技術が発展した国だ。海異かいいによって海路が封じられる前は当時女王であった母の外遊に付いていったこともある。けれどその時に見たロボットは人間と見分けがつかないほどの精巧さではなく。もっと機械っぽさというか、不自然に感じられるところがあった。

 たった十年の間に、ここまで技術は進化したのか。近い将来、誰が人間で誰がロボットなのか分からなくなりそうだ。


「ねえサクラ。飲み物以外に私が配慮すべきことはある?」


 人種差別の件について話し合うより先に、彼女のことを知っておく必要がある。

 何が出来ないのか、あるいは出来るけれど不要なのか。そして反対に何かしなければいけないことはあるのか。機械人形であることを他の人間に知られないようにする為に、こちらとしてもある程度把握しておきたい。


 サクラは「もちろんだよ」と頷いてから述べる。


「ボクたち《マリオネット》はまず食事がいらない。まあこれは適当な理由付けて抜きにしてくれればいいよ。あとはベッドもいらないかな。どんな体勢でも電源は落とせるから。代わりに週に一回くらい充電しないといけないんだ。普通の家庭用コンセントでいいんだけど、このお城にもあるよね?」

「ええ、もちろんあるわよ」

「じゃあボクからのお願いはそれくらいかな。ごめんねオト、変に気を遣わせちゃって」


 とりあえず夜はゲストルームでシャットダウンするなり充電するなりしてもらうとして。問題は食事と飲み物をどう誤魔化すか。サクラの分はいらないとだけ伝えたところで、デルフィーノは何も聞かずに「承りました」と言いそうなものだけれど。念のため納得のいく言い訳は考えておくべきだろう。


 申し訳無さそうに両手を合わせるサクラに、オトは首を左右に振った。


「いえ、誰にだって隠し事の一つや二つはあるわ。気にしなくて平気よ。ね、アカリ?」


 それから、名前すらも嘘をついている魔法少女に視線を向けてみる。

 するとアカリは僅かに焦りを見せたものの、何とか可愛い声と仕草で答えてみせた。


「ん、うんっ、そうそうっ。女の子には秘密があるものだよっ」

「二人とも、ありがとう」


 サクラはホッとした様子で微笑みを浮かべる。だがその顔はすぐに真剣な表情へと変わった。


「それじゃ、そろそろ真面目に行こっか」


 マリンピア民主国外務省のエビナ=サクラ、カイビトス公国衛士団のアカリ、そしてリューグ王国女王のオト=ハイム。


 この国の未来を左右する、重要な三カ国会合が幕を開ける。

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