第31話 見えない真相、聞こえない足音

 城の敷地内の聖堂の中。ステンドグラス越しに差し込む朝日が色鮮やかに照らすその場所で、修道服に身を包んだサラーキアはいつも通りのパーカー姿のネプトゥヌスに話しかける。


「ねぇ、あの魔法少女の日本人。ウルカヌスと関係あると思う?」

「今の段階で断定してしまうのはリスクだが、奴くらいしかこんなことはしないだろう」

「やっぱりそっかぁ……」


 サラーキアは聖堂内に並べられた長椅子に腰を下ろし、肘をついて考え込む。


 私は向こうの世界で箱崎はこざきたまてと名乗り、この世界に転生する予兆のあった兎田とだ御影みかげとの接触を試みた。しかし、彼女の通う高校に同学年の生徒として潜り込んだ時には既に御影は不登校状態で、学校には全く登校していないようだった。

 それでも私は近くにいれば何かヒントを得られるかもしれないと判断し、普通の女子高生としての生活を続けた。結局は一度も本人に会うことは出来ず、ウルカヌスに繋がるヒントの一つすらも得られなかったのだが。


 まあ何せ相手は争いが大好きなだけの凶暴な戦神せんじんだ。場を引っ掻き回したい以外に理由は無いのだろうし、どうして彼女を転生者に選んだのかなど深く考えるだけ無駄だと思うけれど。


 だとしても、私はネプトゥヌスのサポート役として些細なことも見逃したくない。だから考える。なぜ兎田御影だったのか。なぜ魔法能力を付与したのか。なぜカイビトス公国領に飛ばしたのか。


 真剣な顔のまま俯いて、思考を巡らせるサラーキア。

 そんな真面目すぎる修道女を見兼ねたのか、水神すいじんが呆れた表情で声を掛ける。


「おいサラーキア。別に俺はあいつの行動の意味など気にしていない。世界の安定を保てればそれでいいんだ」

「でも、もしも何か裏があったとしたら? それこそ世界の秩序が崩れるような」


 過度な心配を口にするサラーキアの前で、ふらふらと歩いていたネプトゥヌスが不意に立ち止まった。


「その辺は大丈夫だろう。奴は戦いが好きなだけの脳筋だ。その場限りの小さな衝突を一回起こせれば良い方で、国家同士の戦争を勃発させるほどの策略を企てられるはずがない。……それに、俺がウルカヌスごときに負けると思うか? 安心しろ、お前を一人にはしない」


 いきなり頭を優しく撫でられて、驚いて顔を上げる。


「っ。あ、ありがと…………」


 少年の見た目をした神の、翠緑の瞳と目が合う。座っているサラーキアと立っているネプトゥヌスの目線の高さはちょうど同じだった。



 神暦しんれき九八九年一月十五日。海伐かいばつ軍病院、先進医療研究部。

 その病棟の最上階、七階に昇降機(エレベーター)が到着する。扉が開いて、中から降りてきたのは。


「アーシム先輩。ここにナギサちゃんがいるん?」

「うん、そうだよ。一番奥の病室で眠ってる」

「容体は?」

「落ち着いています。医者曰く命の危険がある状態ではないと」


 クロイとサルモーネ、その二人を連れたアーシムの計三人。


 オセアーノである二人がマリジア群島を離れて王都のど真ん中にあるこの病院に来た理由。それは二人が海伐軍に正式に入隊したからだ。


 女王の強行採決によって可決されたオセアーノ差別禁止法案。これによって無人島や廃棄フロートに散り散りになっていた銀髪碧眼の海洋民族は、希望すれば海伐軍の保護の下に王都に戻れるようになった。しかし、彼らを忌み嫌う国民からの反発は未だ根強く、それを警戒した多くのオセアーノ達は島やフロートに残ることを選んだ。


 でもそんな中、先陣を切って王都に戻る決断をしてくれたのがクロイとサルモーネの二人だった。しかも驚きなのは、仕事も国が斡旋するという条件にも関わらず、自ら海伐軍への入隊を希望したこと。クロイは元々海伐軍の一員で部隊に復帰したかったというのもあるだろうが、何より大きかったのはナギサの存在だろう。二人にとってナギサは、差別なき世界への希望に見えたはずだ。だから彼女の手助けをしたいと思ってくれたのではないか。


 ナギサが眠る病室の前。壁に寄りかかるロンボの姿が見えた。


「お疲れロンボ。二人を連れて来たよ」


 アーシムの声に、二刀流の大佐がこちらを向いた。


「おお、やっと来たか。久しぶりサルモーネ、それにクロイも」

「久しぶりだな」

「どうもどうも」


 挨拶が済んだところで早速本題に入る。


「クロイとサルモーネさんにはこれからナギサの護衛任務に当たってほしいんだ。と言っても、今のロンボみたいに病室の扉の前に立っていてくれればそれでいいんだけどね」


 僕が二人に与える最初の任務。ナギサの護衛。

 病室の寝台で寝たきりのナギサは無防備で、悪意を持った人間が近づいてきても自分では逃げることも身を守ることも出来ない。そのために誰かが病室の前で見張りをする必要があるのだが、この役目は信頼出来る人にしか任せられない。だから今までは基本的に、半日ずつアーシムとロンボで交代しながら護衛をしていた。けれどこのやり方では限界があるし、大佐二人が現場から離れている状況も問題があった。


 仕事内容自体は剣さえ扱えれば誰にでも出来るものだ。元々軍人だったクロイと、オセアーノの頭領として仲間を守ってきたサルモーネにとっては簡単な任務だろう。


「了解だ。怪しい人間が来たら追い払えばいいんだな?」

「追い払ってもいいけど、ナギサちゃんに近づこうとした時点で任意同行で良くね? まあ細かいことはともかく、ナギサちゃんは私が絶対に守るから!」


 サルモーネとクロイは護衛の任務を快く引き受けてくれた。


「ありがとう。それじゃあ今からよろしく頼むよ」


 アーシムの言葉に、二人は大きく頷いた。


 ロンボと共に病室を離れた僕は、ボタンを押して昇降機を呼ぶ。

 二台あるうちの左側の扉が開いたので、そちらに乗って一階へ。


「これでもう俺は護衛から外れていいのか?」


 首を傾げる王都警衛隊大佐に、遠洋遊撃隊大佐は首を縦に振る。


「うん。この先はあの二人と僕で交互に回すから平気。ありがとうロンボ」

「いやいや、俺は大したことはしてないよ。じゃ、また困ったことがあったら呼んでくれ」


 昇降機が一階に到着する。

 ロンボは急ぐ用事でもあるのか、扉が開くなり一足先に駆け足で病院の出口へと向かって行ってしまった。


 そのあとアーシムはゆっくりと昇降機を降りる。

 それからふともう一台の昇降機の階数表示に視線を向けると、何故か七階に止まっているようだった。


 最上階である七階にはナギサの病室以外に患者はいない。


「まさか、ナギサを狙って……?」


 疑問に思ったがすぐに思い至る。医師や看護師と入れ違いになった、僕が釦を押した時に二台とも呼んでしまったなど、可能性は様々にあるではないか。考えてみれば特段不審なことでもない。


「それに、あの二人がいてくれれば安心だよね」


 ナギサの護衛においてクロイとサルモーネに絶対の信頼を寄せるアーシムは、そんな言葉を呟いて海伐軍病院を後にした。



 一方その頃、七階では。


「いや、ここ静かすぎじゃね?」

「病院の中はこんなものだ」

「にしても無音すぎひん?」

「まあ俺ら以外に誰もいないからな」


 クロイとサルモーネがそんな内容の無い会話をしていた。


「誰もいない病院って怖くね?」

「下の階には普通に医者も病人もいる。無人なのはこの区画だけだ。って、おいどこに行く」

「……ナギサちゃんとお話ししてくる」

「勝手に部屋に入るな」


 そろりと移動して病室の扉を開けようとしたクロイは、呆気なくサルモーネに首根っこを掴まれてしまう。猫のように持ち上げられて、しゅんと肩を落とす。


「だって暇なんだもん」

「暇ではない、任務中だ。そもそもお前、十年前は軍にいたんだろう? その時からこんなだったのか?」

「えぇ、まぁ……」

「全く。この絵描き馬鹿が」


 どうしようもない奴だと、ため息を吐きながらクロイを解放するサルモーネ。

 それと同時、ピンポンという音が廊下の奥から聞こえた気がした。


「ん? 昇降機か?」


 サルモーネが視線を向けるも誰かが来る気配は無し。

 でも今のは、間違いなく昇降機が到着した時の音だ。この静寂の中で聞き違えるはずがない。


「怖っ。めちゃ不気味やん」


 クロイがぼそりと言う。

 同感だが、何事もないのならばそれで良い。サルモーネは警戒を続けつつ、軽い冗談を口にする。


「確かに不気味ではあるが、大人数に襲撃されるよりはマシだ」

「それはそう」


 結局その後、アーシムとの交代の時間まで七階を訪れる者は誰もおらず、ただただ静かな時間が流れた。

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