第26話 隣国からやって来た魔法少女

 王城での緊急会議から一週間が経過した、神暦しんれき九八九年一月十四日。

 雪がちらつく軍港に、帆の無い木造の船が入港してきた。これはカイビトス公国の国軍にあたる衛士団の船だ。動力は魔法で、だから帆もエンジンも必要ないらしい。魔法文明の無いリューグの人間には理屈なんて想像もつかないけれど。


 現在、アーシムはロンボらと共に横一列に並んで、カイビトス衛士団の使節を出迎えるべく待機しているところだ。

 その列の中央、一歩前に出ている大柄な男性が騎士軍の大将フォーカ。軍全体を束ねる総司令官である。


「間もなくカイビトスの使節がお見えになる。くれぐれも失礼のないように」

「了解!」


 魔法船が所定の位置で錨を下ろすと、作業員によって甲板と岸壁の間に舷梯が渡される。

 しばらくして甲板に人が現れた。その人は慎重にゆっくりと舷梯を渡ると、ぴょんと跳んで岸に降り立つ。それからこちらに近づいてきて、フォーカの前で立ち止まった。


「初めましてっ! カイビトス衛士団、親衛隊十三番。魔法少女のアカリだよ! よろしくねっ☆」


 あの強面の大将の前で、よくあんなこと出来るな……。フォーカの怖さをよく知る兵士は全員がそう思ったことだろう。


 片目を瞑り、きゃぴっと可愛らしく挨拶をするのは。桃色の長い髪を頭の左右でまとめて両肩にかかる長さまで垂らした少女で。服装も一般的な魔導士の印象とは大きく異なるフリルやリボンをあしらったワンピース。腰の辺りにはうさぎの尻尾を思わせる白い梵天まで付いている。


 この子がカイビトスを代表して送り込まれた使節?


 アーシムだけでなく、隣のロンボも疑わしげに首を捻る。

 今まで数々の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者フォーカでさえも、これには戸惑いを隠せなかったようだ。変な間が空く。


「あれれぇ、おっかしいなぁ? もしかしてアカリ、何かやっちゃいました?」


 唇に指を当てて、上目遣いで不安そうに大将を見るアカリ。

 固まっていたフォーカが慌てて口を開く。


「……失礼した。リューグ王国海伐かいばつ騎士軍大将のラ=フォーカである。アカリ殿、遠路遥々ようこそお越し下さった」


 お互いに右手を差し出し、握手を交わす。


 するとここで魔法少女がまたしてもとんでもない行動を取った。


「えへへっ。フォーカさん、手大きいですねっ」


 あどけない笑顔でそう言いながら、フォーカが差し出していた右手を両手で包み込むと。そのまま手繰り寄せて自らの胸に押し当てたのだ。


「!」


 これにはアーシムやロンボを含め、兵士全員が驚きのあまり目を見開いた。

 天然なのかわざとなのか。どちらにしてもあのフォーカ相手に恐れ知らずにグイグイと行くその姿勢。アカリは見た目に反して相当肝が据わっている。


 おそらく触れてしまったのであろう大将は慌てて手を引っ込めると、一度咳払いをしてから何も無かったように続ける。


「……コホン。それでは早速、王城までお連れしよう」

「うんっ、お願いするね!」


 しかし総司令官が動揺していることは後ろに並ぶ兵士全員に伝わっていた。



 豪奢な内装が施された賓客用の(水上)バス。乗り込んだのは扉の向こう側の操舵室にいる操縦士を除くとアカリとフォーカ、アーシムとロンボの四人だけ。

 魔法少女と大将がテーブルを挟んで向かい合わせに座り、アーシムとロンボは二人を守るように窓際に立って外を監視する。


 城までの水路を完全に通行止めにし、軍の(水上)バイクに全方位を囲まれながらバスは進んでいく。

 十年ぶりの外国からの使節だ。何が起こるか分からない。だから念のため最大級の厳戒態勢を敷いている。


「う〜ん。ちょっとは街の様子が見られるかもって思ってたのに、これじゃあ騎士さんしか見えないや」


 窓の外に視線を向けながら、残念そうに呟くアカリ。

 フォーカがすぐに頭を下げる。


「すまない。だがこれはアカリ殿の安全を最優先にした結果である。どうかご了承願いたい」


 それを受けてアカリは顔を上げるよう促すと微笑んで頷いた。


「うん、分かってるよっ。だから気にしないで! それより一個訊いてもいいかなっ?」

「何かね? 分かる範囲のことならお答えしよう」


 魔法少女からの質問に真摯に回答する姿勢を見せる大将。

 その時ふっとアカリから笑顔が消えた。ただならぬ気配を感じ、アーシムとロンボが横目で様子を窺う。


「この国には銀色の髪の毛で碧い目をした人っていないの? 元々住んでた移民とか、海異かいいのせいで帰れなくなっちゃった観光客とかいたはずだよね? どこに行っちゃったのかな?」


 おっかしいなぁと唇に人差し指を当てて小首を傾げる魔法少女。ずっとキラキラと明るく輝いていた赤い瞳は、まるで陰のように暗い燕脂色になっている。


 彼女はこの国でオセアーノが差別されていることを知っている?

 アーシムとロンボは無言で目を合わせた。

 このバスは密室空間で、万が一の時に動けるのは僕達のみ。外の監視をやめ、船内に警戒の目を向ける。


 そんな中、脅しだと気付いているのかいないのか大将が平然と答えを口にする。


「王都にはほとんどいない、それは事実である。だが離島には多くのオセアーノが住んでいる。決してどこかに消えた訳では無い」

「ふ〜ん、そっかぁ……」


 腕を組み、なるほどねぇと何度か首を縦に振るアカリ。でも表情からして明らかに納得はしていなさそうだ。


 リューグ王国にはカイビトス公国のような魔法文明が存在しない。そしてマリンピア民主国のような魔法と比肩するほどの高度な科学技術も有していない。あるのは己が剣とソードスキルだけ。つまり僕らは誰も魔法に対抗する術を持っていないのである。

 もしもアカリが魔法を発動させたなら回避するのが精一杯で。しかもこの戦うには狭いバスの中ではそれも難しい。彼女の圧倒的優位な状況。


 それでもアーシムは剣の柄に手をかけた。海伐軍の総司令官であるフォーカを、ここで失う訳にはいかないから。


 しばらくしてアカリがぱっとこちらに顔を向けた。攻撃されるかもと、剣を握る手に力が入る。


 直後、立ち上がった魔法少女は胸の前で両手を握ると怯えた様子で身体を震わせた。


「騎士のお兄さん、どうして剣を抜こうとしてるの? 私、何かやっちゃいました……?」


 元通りのキラキラとした赤い目を潤ませて、真っ直ぐにアーシムのことを見つめるアカリ。その今にも泣き出しそうな顔からは、先ほどまでの異様な殺気のようなものは完全に消え去っていて。


 あれは気のせい、だったのだろうか?

 僕は急いで剣の柄から手を離した。


「ご無礼を働き申し訳ございません。アカリ様を怖がらせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」


 深々とお辞儀をして、謝罪の言葉を述べる。

 するとアカリはそこまでするのかとびっくりしたらしい。桃色の髪を大きく揺らしながらぶんぶんと首を左右に振った。


「そんなっ! お兄さんはただ仕事をしただけだよね? 悪いのは私。私が変なこと訊いちゃったから……」

「いえ、アカリ様の抱かれた疑問は極めて当然のものだと思います」


 確かに彼女の質問には裏がありそうだったが、アーシムはとにかく自分に非があったと言い続ける。

 賓客を悪者にするなど言語道断。本来ならクビにされてもおかしくないほどの大失態なのだから。


「そうだ、お兄さんの名前は?」


 不意に問われて、僕は立場もわきまえず反射的に答えてしまう。


「あっ、アーシムです」

「アーシムさん。素敵な名前ですねっ」


 答えてからやってしまったと思ったがもう遅い。

 失敗を重ね焦るアーシムに、そんな心の内を知らないアカリは優しく微笑みかけると。フォーカの方に向き直って言った。


「フォーカさんっ。アーシムさんのこと、怒らないであげて? あんまり大事おおごとにしたくないの。お願いっ!」


 両手をパチンと合わせて、顔を俯ける魔法少女。

 部下を叱責するな、などと言われたことはきっと無いだろう。けれど外国の使節からそんなにお願いされては流石の大将も受け入れるしかない。


「了解した。アーシムの行いは不問とする」

「ありがとうっ! 良かったね、アーシムさんっ!」


 こうしてアカリのおかげでお咎め無しとなったアーシムだが、自らを魔法少女と名乗る彼女には未だ不信感が拭えずにいた。


 間もなくバスは目的地に到着。

 王城の観音開きの大扉の前で、紺青のドレスを纏った女王が久しぶりの海外要人を出迎えた。

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