Ep.2

第24話 亀が目覚めずとも世界は続く

 巨大蛸型海異かいいの光線によって辺り一面が眩しいくらいに照らされる中、ナギサが海に落下していく。それはほんの一瞬の出来事だったはずだが、僕の目にはとてつもなくゆっくりと見えていた。

 アーシムは帆船の甲板の端まで走って、大きく身を乗り出しながら必死に手を伸ばす。


「ナギサーーーーっ!!!!!!」


 ばしゃんと水飛沫が立って、ナギサの姿が消える。沈んだまま、いつまで経っても浮かんでこない。


「ナギサ、ナギサ! 早くナギサを助けに行かないと……! このままじゃ死んじゃう!」


 あまりの衝撃的な光景を前に激しく取り乱すアーシムに、ロンボが落ち着かせるように声を掛ける。


「待てアーシム。気持ちは分かるが今俺たちがやるべきは蛸を倒すことだ。じゃないと犠牲者が増えるぞ」

「それは、ナギサを見捨てろって言いたいのかい? ナギサは僕にとって、大切な……」

「分かってる、だからこそだ。蛸の脅威が排除されない状況で満足な救助活動は出来ない。救助部隊が準備している間に、俺たちで蛸を倒しておくんだ」


 ロンボはそれから、この危機的局面にあって未だオセアーノへの敵対意思を捨てていない兵士たちに言う。


「お前らも見ただろう? 彼女は命懸けで俺たちを光線から守ってくれた。彼女も銀髪碧眼のオセアーノだ。それでもオセアーノは海異の味方をする敵だと、忌まわしい海族かいぞくだと蔑むか? 今は人間同士で仲間割れしている場合じゃない。蛸を倒すために手を取り合わなければならない時だと俺は思う」


 その捲し立てる様子に圧倒され、兵士たちがサルモーネとクロイに向けていた剣を下ろす。


「よし。サルモーネ、クロイ、援護頼む。俺とアーシムで方を付ける!」


 蛸は再び光線を放つべく力を蓄えている最中。攻勢に打って出る絶好の機会だ。

 まずは先陣を切って、ロンボが両手に剣を携え高く跳び上がった。


「残りの力を全て使うっ……。ソードスキル、デュアルディスターバンスッッ!!!!」


 深緑色の光を帯びた二本の剣が海異の顔面を容赦無く襲う。

 一撃目、二撃目、三撃目。ロンボの続け様の斬撃は止まらない。


 だが蛸がそれを黙って受けてくれる訳もなく。ロンボを払い除けようと、唯一残された一本の足を猛然と伸ばしてくる。


「ロンボ、危ない!」


 アーシムは危険を知らせるべく叫んだ。しかし、二刀流の大佐はまだソードスキルの発動中で回避行動はとれない。


 鋭く尖った蛸の足先がロンボに到達する寸前。突如として間に割り込んだサルモーネが斧を振り回してそれを弾き返した。


「おりゃあっ! クロイ、あとは頼む」

「あいよ〜。ソードスキル、グラデートドローイング!」


 気のない返事を返しながら、サルモーネと入れ替わるようにして今度はクロイが細身の剣を振るう。

 オセアーノ同士の息の合った見事な連携。


「この〜っ、よくもナギサちゃんを〜!」


 クロイはまるで殴り書きをしているかのような力のこもった剣捌きを見せ、吸盤もろとも縦横に斬り裂く。蛸の足の最後の一本が海に沈み、夜空には芸術的な七色の光跡が残った。

 これにより巨大蛸型海異に生えていた八本の足は全て斬り落とされた。


 二人の援護もあって、ロンボは途中で邪魔をされることなく最後の斬撃を加える。二刀流の彼だけが使えるソードスキル、デュアルディスターバンスの十四連撃目。


「はああぁぁっっ!!」


 切っ先が光線の発射口である漏斗(普通の蛸が墨を吐く場所)を完璧に捉える。


 直後、青白い閃光が漏斗から迸った。蓄えていた力が暴発し、自ら損害を喰らったようだ。


「アーシム、とどめを刺せ!」


 甲板に着地するなりこちらに合図を出すロンボ。

 僕は即座に剣を構えて床を蹴った。


「ソードスキル、セーブオブディアレスト!」


 ナギサ、今助けてあげるからね。


「やああぁぁっっ!!」


 身体を捻りながら、渾身の一撃を蛸の額に叩き込む。


 すると、最後の抵抗のつもりか蛸は蒼く光る目でアーシムを強く睨みつけた。

 だけど僕はその程度では動じない。真紅の剣身を更に奥へ、深く深く突き刺していく。


「そのまま倒せ!」

「行けるぞ!」

「やっちゃえ先輩!」


 ロンボ、サルモーネ、クロイの心強い声援が耳に届く。


「ああああああぁぁぁぁっっ!!」


 アーシムは仲間の想いも剣に込め、ソードスキルの限界を超えた力で蛸の頭を貫いた。


 剣が蛸を突き抜け、勢いそのままに空中に放り出される。

 落下しながら振り返ると、蛸の後頭部から額にかけて大きな穴が開いていた。その穴からは本来なら蛸の頭に遮られて見えないはずの、向こう側の空に輝く星がよく見えた。


 僕が三番艦の甲板に着地したのと同時、蛸の巨体が轟音と共に海に沈み始めた。波で船が大きく揺れる。

 ナギサのこともあるので早くロンボたちの乗る船に戻りたかったが、これでは身動きが取れない。焦る気持ちを抑え、しばらく待機する。


 やがて、ザッパーンっと派手な水飛沫が上がり海異の姿が完全に消え去った。


 アーシムたち海伐かいばつ騎士軍は、見事に巨大蛸型海異の討伐に成功したのだ。


「やったー!」

「よっしゃー!」

「うおぉぉっ!」


 兵士たちから一斉に歓喜の雄叫びが上がる。


 そんな中、インカムにパラからの通信が。


『アーシム君、ちょいと待っててね。今から潜ってナギサちゃん引っ張り上げてくるから』


 どうやらパラは、すでに救助の準備を整えていたらしい。

 僕は引き止めないよう手短に応答する。


「ありがとう。きっとナギサは海の中で息が出来なくて苦しんでる、寒くて凍えてる。早く助けてあげて」

『言われなくても。じゃ、行ってくるよ』


 通信終了。同時にクルーザーから海に飛び込む人影。


 アーシムはそっと目を閉じ、ナギサの無事を静かに祈った。



 あれから二日後、神暦しんれき九八九年一月七日。海伐軍病院の一人用病室。

 アーシムは寝台のそばに置いた椅子に座り、すやすやと眠るナギサの顔を見つめていた。


 救助活動開始から十分ほどが経過した頃、パラがナギサを抱えて海面に上がってきた。しかし冬の海に長く沈んでいた彼女の身体は酷く冷たくなっていて。呼びかけにも反応が無く、完全に意識を失っているようだった。

 そのままパラがクルーザーで王都の海伐軍病院まで搬送。医師のガラ=ルファの処置により一命は取り留めたものの、速度の遅い帆船で王都に戻ったアーシムが港から直行でお見舞いに来た今も、未だに目を覚ましていない。


 心拍も呼吸も安定している。だから命の危険は無いとガラは言った。

 でも、もしこのまま意識が戻らず植物状態になってしまったら。ナギサの寝顔を眺めていると、そんな風に嫌な想像をしてしまう。


「……ナギサ、君は今どんな夢を見ているんだい? 起きたら教えてほしいな」


 聞こえているはずがないと分かっていながらも、それでも僕はナギサに優しく話しかける。たとえ無意味でも、そうすることで自分の気持ちを少しでも落ち着かせたかった。


「その様子だと、悪夢じゃなさそうだよね。楽しい夢かな? 何か良いことでもあったかい?」


 答えなんて返ってくる訳もない、これは単なる独り言。の、つもりだったのに。


「やったよ、金メダルだよぉ。えへへ……」


 いきなりナギサが声を発した。


「ナギサ!?」


 僕は驚いて立ち上がり、彼女の顔を覗き込む。

 けれどナギサはむにゃむにゃと気持ちよさそうに眠ったままで。


「何だ、寝言かぁ」


 再び椅子に腰を掛ける。


 それにしても、キンメダルって何だろう? 喜んでいるみたいだったし、多分貰って嬉しい物なんだろうけど。今度ブランツィノにでも訊いてみよう。


「お〜い、そろそろ戻るぞ〜」

「うん、今行く。それじゃあまたね、ナギサ」


 廊下からロンボに呼びかけられて、アーシムは後ろ髪を引かれながら病室を後にした。

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