第22話 蛸の墨より黒い悪意
どうしてナギサが、こんな危険な場所に……。
突然耳元でナギサの声がしたことに驚きと戸惑いを感じつつも、今は彼女が乗っているこの船を守ることが何よりも重要だとアーシムは床を蹴った。両手で握った剣を頭上に構えて叫ぶ。
「ソードスキル、セーブオブディアレスト!」
直上から迫り来る鋭く尖った蛸の足の先端と、真紅に輝くアーシムの剣が正面から激しくぶつかる。
一振りが重い単発技は防御にも使える。お互いの力が拮抗し、ぎりぎりと金属が擦れ合うような音が響く。やがて同時に弾き返されてアーシムは帆船の甲板へと着地、蛸の足は空中でぶるんと大きくうねった。
そしてその無防備な蛸の足に、隙を見逃さなかったクロイが容赦無く襲いかかる。筆を持つ手のような独特の握り方で細身の剣を操り、ソードスキルを発動させる。
「行くぞ行くぞ〜。ソードスキル、グラデートドローイング!」
彼女の剣が赤、青、緑、黄色と忙しなく色を変え、日が沈んですっかり暗くなった夜空に鮮やかな色を塗っていく。まるで絵を描いているかのような繊細且つ大胆な剣筋は、速さや重さ、正確さよりも美しさが際立っていて。
これは戦う為だけの技ではなく、魅せる為の技でもある。
アーシムの目にはそんな風に映った。
けれど決してこの技の攻撃力は低い訳ではなく。一本の足に無数に付いている吸盤全てに深い傷を負わせることに成功した。
アーシムの隣に片膝をついて着地したクロイは、すぐに立ち上がるやこちらを見て強気に言う。
「よし、このまま一気に二人でやっちゃおう!」
「うん!」
僕は一切の躊躇いもなく、大きく頷いた。
クロイと連携して戦うのは十年ぶりだが、その感覚は心に深く染み付いていた。当時よりもお互いに強くなっているけれど、戦い方や癖は大きく変わっていない。だから自然と息が合う。
「ソードスキル、シバルリープライド!」
「ソードスキル、リクロマティックスラッシュ!」
コンマ数秒のズレすら無い、完璧な同時。アーシムとクロイは全力で床を蹴った。
確実に斬り落とすなら、やはり連撃技に限る。
「やああぁぁぁっ!」
「はああぁぁぁっ!」
騎士の誇りをかけた斬撃と絵師の祈りのこもった斬撃が、蛸の足の根元へ交互に刻み込まれていく。化け物の血が海をおどろおどろしい緑色に染める。
そして、二人の三連撃技で合計六回斬りつけられた蛸の足は見事に引きちぎれた。
再び帆船の甲板に着地して、クロイと顔を見合わせる。
「凄いじゃないか。あんなソードスキル、いつ覚えたんだい?」
「いやいや、先輩に比べたら私なんて全然ですよ」
「そんなことないよ。もし今君と戦ったら、僕は負けるかもしれない」
「えぇ〜っ? んなことあります?」
照れているのか謙遜しているのか、苦笑いを浮かべながら頭を掻く後輩。
アーシムが見ていない間にクロイは成長した。だけどもし、この空白の十年間もちゃんと軍の教育を受けられていたなら。きっと僕なんかとっくの昔に実力も階級も追い越されて、部下としてクロイを追いかける側になっていただろう。十年はあまりに長すぎた、本当にもったいないと思う。
『アーシムさん、クロイさん、大丈夫でしたか?』
と、そんな想像をしていたらインカム越しにナギサの声が聞こえてきた。アーシムは慌てて返答する。
「うん、僕は大丈夫だけど。それよりナギサはマリジア群島で仕事をしているんじゃなかったのかい? ここは危ないから今すぐ離れた方がいい。何かあったら困る」
オトは確かナギサをマリジア群島に行かせたと言っていたはず。距離的にはそう遠い場所ではないが、戦えない彼女がここに来る意味が分からない。
『えっと、それは……』
言葉に詰まるナギサに代わって、なぜかクロイが口を開いた。
「あっ、ごめん。それナギサちゃん何も悪くないわ。怒らんといて」
「どういうことだい?」
「そもそもナギサちゃんは交渉官としてマリジアに来たのね? まあ内容としては青髪ちゃんがいつも言ってるやつだったんだけど。ナギサちゃんはやり方が上手いというか、優秀なのかな? ちょっと話がまとまりかけたのよ。けどおじさ……頭領は素直じゃないからさ。なかなか首を縦に振らなくて。やっぱダメかぁってなりそうだったところに、今こんなことになってるで〜って情報が入ってきまして。で結果として助けに行くことになったんだけど、青髪ちゃんの船に乗せてもらうとなると流石に置いていけへんやん?」
つまり、ナギサが女王に頼まれた仕事はマリジア群島に住んでいるオセアーノとの交渉で。危急の事態があったとは言え彼女はそれを成立させた? 過去には自分もその交渉をしに行ったことがあるが、取り付く島もなかったというのに。
「……事情は分かったよ。別に怒ってる訳じゃないんだ。ただ今は本当に危険だから、あの
『分かりました』
「あとパラ、聞いているかい? もし君が危険だと判断したらこの海域を離脱してほしい。その船の装甲は硬いけど、多分あの蛸の攻撃には耐えられない」
『こちらパラ。ちゃんと聞いてるよ〜。了解、ナギサちゃんは絶対に死なせないから』
ひとまずこれでナギサが襲われたり怪我をしたりする可能性は減らせた。
彼女の頑張りに報いるためにも、犠牲者無くこの戦いを終わらせねば。
通信が切れた直後、ロンボが長髪のオセアーノ男性と共に甲板に着地した。この人が先ほどクロイの話に出てきた頭領だろうか。
「俺とサルモーネさんで一本斬って、残りの足が一本ってことは。アーシムが一人でやったのか……って、その子誰だ?」
ロンボがクロイを指差しながら首を傾ける。部隊が違ったのでこの二人に面識は無かった。
とりあえず四人で軽く自己紹介をして、それから再び蛸の方に向き直る。
「残る足は一本だけど、相当苛立ってる様子だから注意してね」
「急に行動が変化することもあるからな。何かおかしいと思ったらすぐ報告してくれ」
「ああ。それは俺も何度か経験したことがある。全く、海異は往生際が悪くて嫌いだ」
「往生際以前に海異は普通に嫌いだが?」
アーシム、ロンボ、サルモーネ、クロイ。それぞれが自分の得意な形で剣を構え、蛸の蒼い眼と睨み合う。一斉にソードスキルを叩き込んで決着を付けるつもりだった。
だがその作戦は背後からの声によって遮られた。
「待ってください! 我々も加勢します!」
「大佐ばかりに任せて休んではいられません!」
「最後くらい参加させてください!」
「この程度の怪我、どうってことありやせんぜ」
休ませていた兵士たちが船室から戻ってきたのだ。インカムを通じて戦局は把握していたはずなので、最後は全員で倒そうという話にでもなったのだろう。
もちろん気持ちはありがたい。けれど今だけはやめてほしかった。
せめて、邪魔をしないで。
そんなアーシムの願いも虚しく、恐れていた最悪の展開になる。
銀髪碧眼の剣士二人に気付くや兵士の一人が憎々しげに大声で叫ぶ。
「おい! どうしてここに
それを皮切りに、オセアーノ二人に対する罵詈雑言や憶測が飛び交い始める。
「この船は神聖なる騎士軍の船だ。お前らみたいな汚らわしい連中が乗っていい船ではない!」
「とっとと海異に食い殺されちまえ、死に損ないの海族が!」
「もしかしてこいつら、あの蛸の仲間なんじゃないのか? だから今まで生き残ってきたんだ。そうに違いない」
「なら敵ってことだよな? 邪魔される前に斬っちまおうぜ」
兵士の間に憎悪の感情が広まっていく。ここまで来るとアーシムやロンボの声は誰の耳にも届かない。
「みんな、一旦落ち着いて!」
「やめろ! 今は蛸を倒すのが先だ!」
上官の指示を無視して、部下たちが一斉に剣を抜き放つ。彼らが切っ先を向けるのは海に浮かぶ巨大蛸ではなく、甲板にいる人間二人。
「フンッ、結局はこうなるんだな」
「おっ? やんのか、やんのか?」
宣戦布告と受け取ったサルモーネとクロイが剣の柄に手をかける。圧倒的な人数差も気にせず、真っ向から戦うつもりのようだ。
アーシムはぎゅっと拳を握った。
ここで本格的にやりあってしまったら、二度とオセアーノとの溝は埋まらなくなる。分断が決定的なものになる。
ナギサやクロイ、その他大勢の生き残っているオセアーノの未来のためにも、それだけは何としても避けなければならない。だから。
「クロイ、サルモーネさん、待って。君たちは剣を抜いたらダメだ」
僕は一歩前に出て、二人を左手で制した。
「先輩……?」
「お、おう」
困惑した様子ながらも、クロイとサルモーネが柄から手を離す。
それを確認してから更に前へ進み出ると、剣を構えた部下たちは怪訝な表情を浮かべた。
「大佐、どいて下さい」
「アーシム大佐は誰の味方をしているのですか?」
「我々の使命は海異を倒すこと。海異の同類である海族を倒すことも使命である。大佐は軍に叛逆するつもりですかな?」
歪んだ正義心。間違っているのはどちらなのか、彼らは正常な判断が出来なくなっているらしい。
アーシムは無表情のまま歩き続け、向けられた剣に触れるぎりぎりで立ち止まった。
「階級は僕が上だ。僕の指示に背いた場合、君たちが反乱分子と見なされる。それでも僕が間違っていると思うなら、僕を斬ればいい」
『アーシムさん!? ちょっと待って下さい!』
ナギサの慌てた声がインカムから響く。
無茶をしてごめん、ナギサ。でもこれは君のためでもあるんだ。だから許してほしい。
「さあ、どうするんだい? 斬るのか斬らないのか。蛸が暴れ出してる、猶予は無いよ」
斬られる覚悟なんて、ある訳ない。殺されるのは怖い。死にたくない。
だけど僕は守ると決めた。二度と見捨てないと誓った。もう誰かを裏切るような真似はしたくないんだ。
「くっ、やるしかないのか……」
「大佐はもう頭がおかしくなっちまってんだ。負い目を感じる必要はない」
「斬られたい奴を斬って何が悪い! そうだろう?」
「階級なんて関係ない。海族、いや海異の味方をした時点でそいつはもう敵だ!」
部下たちの意見がまとまっていく。やはり僕を斬るか。
アーシムは抜剣し、兵士数十人と対峙する。
一人では到底敵うはずがない、不利な戦いだ。
「どうしてお前が戦う? 本来そこにいるべきは俺のはずだ」
「私のために先輩が死んだら、今度はこっちが背負うことになるじゃん。それは嫌なんだが? 私にも戦わせてよ」
サルモーネとクロイが共に戦うと申し出てくれる。
気持ちは嬉しいが、それでは駄目なんだ。
僕は後ろを振り向いて、微笑みながら言った。
「君たちはそこで見てて。自分の身を守る以外で剣を抜かないようにね」
刹那、アーシムの頬を剣が掠めた。
兵士の一人が不意打ちを狙ってソードスキルを発動させたようだ。精度が低かったおかげで助かったが、一歩間違えれば死んでいたかもしれない。彼らは本気だ。
「ソードスキル、ジェットガスト! ぐっ……!」
「ソードスキル、クイックリープ! うぁっ……」
連携して技を繰り出す相手を最低限の動作で躱し、峰打ちで打撃を与える。
殺しにかかってきていても部下であることに変わりはない。それにまだ海異との戦いが残っている。極力怪我をさせたくはなかった。
だがこの戦い方はすぐに限界を迎える。
「ほらほら、どうしたんです大佐? 囲まれちゃいましたよ?」
「降参するってんなら牢屋送りで済ませてやってもいいですぜ」
あっという間に四方を取り囲まれてしまった。逃げ場どころか回避のしようもない。絶体絶命の窮地。
「……降参はしないよ。僕はもう、同じ過ちは犯さない」
それでも僕は剣を構えた。クロイのために、ナギサのために、最後まで諦めるつもりはない。
「じゃ。さよなら、大佐」
アーシムに向けられた剣が一斉に光を帯びる。
全てを攻撃を防ぐのは不可能と分かっていながらも、少しでも抵抗すべくこちらもソードスキルを立ち上げる。
その時だった。
『ちょいちょいみんな、何か蛸の口が光ってるよ!』
突然、パラの叫び声が全兵士の耳を劈いた。
全員が動きを止め、海異に視線を向ける。
すると、蛸が墨を吐く場所(正確には口ではなく漏斗というらしい)が不気味に青白く光っていて。蒼い目はこの帆船を真っ直ぐに見つめているようだった。
あれは一体……?
「っ! 三番艦、大砲用意! 今すぐ撃ってくれ!」
何かに気付いたらしいロンボが必死の形相で声を上げる。
直後、海異の背後に陣取っていた帆船から砲弾が発射された。背中に砲撃を喰らった蛸は体勢を崩しながら、空に向かっていきなり青白い光線を放つ。
夜闇を切り裂いた光の筋に、誰もが言葉を失った。
海異は瀕死状態になると急に行動が変化することがある。けれど光線を撃つ海異など今まで聞いたことがない。こんなの、生物の常識から逸脱している。
「三番艦退避! 狙われるぞ!」
再びロンボが大声で指示を飛ばす。
巨大蛸は攻撃を妨害されたことに怒り、その妨害してきた船に狙いを変えたようだ。
しかし帆船の機動力は低く、ゆっくりとしか動けない。
『こちら三番艦。乗組員の緊急離脱許可を』
「そんなのどうでもいい! 船なんか捨てて早く飛び降りろ!」
インカム越しに許可を求めた兵士に、ロンボが怒鳴るように言う。
すでに蛸の漏斗からは青白い光が漏れている。脱出も間に合わないか。
犠牲者が出る。
アーシムは悔しさのあまり歯噛みした。こんな余計な争いさえ無ければ、とっくに蛸を倒せていたのに。
海異が光線を発射する、その寸前。
補給艦である五番艦の甲板から聞こえるはずのない声が突如として響き渡った。
「タコさん、こっちです!」
その声に巨大蛸が反応し、攻撃を中止。五番艦の方へ身体の向きを変える。
僕は遠くに見える人影に、インカムの存在も忘れて咄嗟に叫んだ。
「ナギサ、君は何をやっているんだ! 早く逃げて!」
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