第20話 心の傷にはフグの甘い毒を

 鈍い銀色の巨体から生える八本の足は、すでに一本が失われていた。斬られた痛み故か、それとも斬られたことへの怒りか。蛸の蒼い目が鋭い眼光を放っている。


「一本目で戦い方が分かったと思ったが、相手もそう簡単にはやらせてくれないか……」

「二本目の足に取り掛かってから、もうすでに一時間半。一本目の時より時間が掛かってるね……」


 ロンボとアーシムは汗を拭いながらそんな会話を交わす。


 この蛸型海異かいいを倒すには、八本ある足を全て切断しないことには始まらない。

 前回の会敵時の経験も活かし、砲撃での牽制と同じ箇所への集中的なソードスキル攻撃を効果的に組み合わせた作戦で挑み、僕たちは一時間弱で見事に足の一本を斬り落とすことに成功した。


 だがそれが、海異の逆鱗に触れた。

 二本目への斬撃を繰り出し始めた頃、複数人の兵士が吸盤に吸いつかれて身動きが取れなくなるという想定外の事態が発生したのだ。

 救助のためにソードスキルの発動先を吸盤のそばに変えることを余儀なくされ、結果として未だ二本目を根元から斬り落とすには至っていない。


「救援要請は出してるんだよな?」


 ロンボに問われ、アーシムは頷く。


「うん。だけど王都からここまでは最低でも六時間。それまで僕たちだけで耐え続けないといけない」

「それはなかなかキツいな……」

「でもやるしかないよ」


 大砲の装填が完了。砲塔が旋回し、再び弾が蛸の顔を狙って発射される。

 命中すると同時に、アーシムとロンボを含む前衛の兵士十二人が一斉に船の床を蹴った。


「ソードスキル、セーブオブディアレスト!」


 剣が赤く発光し、ソードスキルが立ち上がる。

 スキルの補助も受けて高く跳んだアーシムは、真上から思い切り剣を振り下ろした。


「やああぁぁっ!」


 剣先が蛸の足の根元を斬り裂く。しかしまだ胴体とは繋がったまま。

 間髪を入れずに他の騎士たちによって二撃目、三撃目が打ち込まれていく。


 十数発の連続攻撃を受けても尚、まだ斬れぬしぶとい足。

 そこへロンボがとどめを刺すように、二本の剣で襲いかかった。


「ソードスキル、デュアルディスターバンス!」


 身体を捻りながら繰り出された破壊力抜群の十四連撃ソードスキル。二刀流の彼にしか使えない大技。これが千切れかかっていた部位に狙い通り命中、二本目の足が大波を立てて海の底へと沈んだ。


 揺れる船に片膝をつくように着地して、アーシムはロンボと拳を突き合わせる。


「これで残りは六本だね」

「ああ。この調子でどんどん斬っていきたい、ところだが……」

「流石に他のみんなは限界、かな?」


 本来、連続でのソードスキル発動は非常に体力を消耗する。周囲を見回すと多くの兵士は額に汗を滲ませ、肩で息をしている状態で。一度みんなを休息させる必要があった。


「とりあえずみんなは船室に戻って休んで。水分と栄養を補給して、あと怪我をした人は救護班に応急処置をしてもらってね。しっかりと回復してからまた甲板に出てきてほしい」


 アーシムの指示で部下たちがぞろぞろと船内に引き上げる。


 全員が中に入ったのを確認し、蛸型海異へと向き直る。この場に残ったのは自分とアーシムの二人だけ。他の帆船の甲板を見ても人の影はほとんど無い。やはり状況はどの班も同じか。

 しかしここで攻撃を中断する訳にはいかない。インカムで砲撃手に問う。


「大砲の用意は出来てる?」

『いつでも行けますぜ、アーシム大佐!』

「じゃあお願い」


 ドカーンという轟音と共に、放たれた弾が再度蛸の顔に命中。化け物が衝撃に悶えている隙に、アーシムは肩の上に剣を構えた。


「ソードスキル、シバルリープライド!」


 剣身が黄色く光ると同時、力いっぱいに跳び上がる。身体能力で跳べる限界の高さに達した瞬間にスキルの補助で二段跳びのように更に跳躍。巨大蛸の頭を遥かに超えた位置から剣を振る。


「はああぁぁっっ!!」


 腕だけでなく肩や腰など、全身を使って剣の威力を増加させる。それにソードスキルの打撃力が加わり、重力によって速度も増した一撃が三本目の足の根元を正確に捉えた。

 ズザッと深く抉った感覚。海異のおどろおどろしい緑の鮮血が海面に飛び散る。

 けれどまだ攻撃は終わらない。光ったままの剣は急激に進行方向を変え、二撃目、三撃目を叩き込む。


 アーシムが習得した技の中で最も強力な技。三連撃ソードスキル、シバルリープライド。

 弱きを助けるためにどんな敵にも立ち向かう、騎士の誇りをかけた技。


 三度の斬撃を受けた足は半分以上も千切れていて今にも取れてしまいそうだ。出血も多く、蛸は痛みに苦しんで足をばたつかせる。


「ロンボ、あとは頼んだ!」

「任せろ!」


 アーシムと入れ替わるように、今度はロンボがソードスキルを発動。

 彼が繰り出したのは基本単発技だったが、その一撃は極端に重いもので。千切れかけの足をあっさりと斬り落とした。


「よっしゃ、三本目!」


 ロンボが拳を握り締め、喜びに顔を綻ばせる。


 残りの足は五本。僕は勢いそのままに四本目に取り掛かった。

 砲撃に合わせ、剣を構えて床を蹴る。


「ソードスキル、シバルリープライ……」


 先ほどまでと同じ手筈で技を発動しようとしたその時。蛸の蒼い眼がばっちりとこちらを捉えたのが分かった。海異特有の気味の悪い異質な視線に、思わず姿勢を乱してしまう。


「しまっ……!」


 立ち上げかけていたソードスキルが中断される。

 船に戻ろうと慌ててもがくも、空中ではどうすることも出来ない。


 海に向かって自由落下するアーシムに蛸の足が迫る。


「おいアーシム! そいつに捕まったら駄目だ!」


 ロンボが甲板から身を乗り出し、必死の形相で叫ぶ。


 僕は何とか絡みつかれることだけは回避しようと試みた。だがいくら身体を動かしても落ちる軌道は変わらない。


「くっ、ここまでか……」


 続け様にソードスキルを連発していた疲労は、気付かぬうちに僕にも蓄積していたようだ。明らかに瞬発力も判断力も低下している。部下を休ませた時に自分も少し休むべきだった。無理はするものではない。

 でもせめて最後にもう一発入れてやろうと、迫り来る足に剣を突き刺そうとした。刹那。


「っ!」


 七色に輝く光芒が芸術的な軌道を描き、目の前で蛸の足がバラバラに散った。


 何が起こったのか理解できないままアーシムは落下していく。

 そして、そろそろ海面かと身構えたと同時。僕の身体は柔らかい何かに受け止められた。


 瞑っていた目を開け、ゆっくりと見上げる。すると青髪の女性のホッとした顔がすぐ近くにあった。


「アーシム君、無事かい?」


 この声は、パラキャントゥラス=ヒパタス中佐? 救難信号を受けて助けに来てくれたのだろうか。


「うん、大丈夫。ありがとう……」


 ぼんやりしつつ答えると、パラは頷いてからにやりと笑った。


「で、どうだい? 超絶美少女パラちゃんにお姫様抱っこされた気分は?」


 そこではたと我に返る。

 自分は今、年下の後輩女性にお姫様抱っこをされている?


「あっ、ごめん! もう下ろしていいよ」


 慌てて下ろしてもらってから、ちらりと帆船を見上げる。心配そうに見つめていたロンボに手を振りつつ、他に人が居ないことを確認。

 こんな恥ずかしいところ、部下に見られなくて良かった。


「お姫様抱っこするの、普通逆だろってね。ま、そんなことは置いといて。助けに来たよ」


 ここはパラのクルーザーの屋根の上。たまたま近くを航行していたのか、駆け付けてくれたらしい。


「ありがとう、本当に助かったよ。それで、さっきのあれはソードスキル……だよね? 他に誰かいるの?」


 パラは剣で戦わない。そして基本は単独で行動している。

 では、アーシムを絞め殺そうとした蛸の足を瞬く間にぶつ切りにした七色の剣筋、まるで夜空に架かった虹の如きあのソードスキルの使い手は?


「確かアーシム君も知ってる子のはずだけど、あの技に見覚えは無かったか〜。まあ、顔見れば分かるっしょ。お〜い!」


 中佐が大声で呼ぶと、物凄い勢いで人影が空から降ってきた。

 クルーザーの狭い屋上に華麗に着地したその人は、立ち上がるなりパラの喉元に剣を突き付けながら言う。


「大きな声出さないでもろて。蛸に狙われるやんけ」


 この甘い声と特徴的な訛り、どこかで聞いたことがある。


「それで? 用件は何でございましょうか、よわよわ中佐?」

「ちょい、誰がよわよわ中佐じゃいボケ! って漫才やってる場合じゃないわ。ほらアーシム君、覚えてるよね?」


 水を向けられて、少女の宝石のような碧い瞳と目が合う。

 その瞬間、アーシムは思わず息を呑んだ。


 まさか、生きていたのか。クロイ。

 十年前に王都から追い出され、化け物の蔓延る大海原に小舟で旅立っていったクロイが。今再び僕の前に立っている。こんな奇跡があるのだろうか? 信じられない。


「本当に……クロイ、なのかい?」


 震えた声で訊くアーシムに、あの時からほとんど見た目の変わっていないオセアーノの少女は細身の剣を腰に吊るしてから答えた。


「そうだが? クロイだが?」

「本当の本当に、クロイなのかい?」

「だからそうだって言ってるじゃん。私の偽物とかおらんやろ」


 そうそう、この感じ。会話を交わして確信する。間違いなくクロイだ。

 ようやく実感が湧いてきて、再会の嬉しさに涙が込み上げる。


「また会えて、良かった……。あの時、守ってあげられなくてごめん。僕はずっと後悔してたんだ……」


 優しく抱き寄せると、クロイもアーシムの背中に手を回して。それからぽんぽんと二回、僕の背中を叩いた。


「えぇ〜っ? そんなに引きずってたん?」

「怖い思いをさせてごめん。辛い目に遭わせてごめん。もう、もう大丈夫だから。信じてくれるか分からないけど、絶対に、もう二度と見殺しになんてしないからね……」


 これで十年前の罪を償えるなどとは思っていないが、とにかく謝り続けた。そして、強く抱きしめながら二度と見捨てないと誓う。


「いや重いて……」


 不意に、クロイがぼそっと呟く。

 アーシムは強く抱きしめすぎたかなと急いで身体を離す。


「ごめん、苦しかった?」


 クロイはぶんぶんと首を左右に振った。だが何故か顔はげんなりとしている。


 我慢しているだけで、やっぱり本当は苦しかったんだ。

 そう解釈したアーシムは謝ろうとしたが、それより先にクロイが口を開いた。


「ちゃいますって先輩。そういう意味じゃなくてですね? 私は君の想いが重いって言いたいの。十年間も私のこと引きずってたとか普通に引くんですけど。あっ、駄洒落じゃないですよ〜? 連続で駄洒落とか言ってないで〜す」


 僕はどう返していいのか分からなかった。

 あの日、守ってあげられなかったことを後悔して。以来、毎晩思い出しては深く刻まれた心の傷が痛んで。再会できても尚、僕がクロイを殺したようなものだという罪悪感は消えなくて。

 なのにクロイはこの十年なんて無かったみたいに、昔と変わらぬ素っ気ない態度で。しかも僕の抱えてきた感情を重いとまで言った。


 僕のことを恨んでないの? 見捨てたことを憎んでないの?

 何で。どうして君は、そんなに心が強いんだ。


「……怒ってよ、クロイ。僕がそうしたように、君も十年間溜め込んできた感情をぶつけてよ!」


 泣きながら叫ぶ。心の中はぐちゃぐちゃで、そうしてもらわないと整理がつかない。


 けれどクロイは怒らなかった。母親のような柔らかい微笑みを浮かべ、少女らしい可愛い声で言う。


「アーシム先輩。私さぁ、別に溜め込んでないんだよね。確かに当時は見捨てられた感あったけど、今はどうとも思ってないし。それに一週間前くらいの話ならまだしも、十年前のことをそんな熱量で怒れやんやん? 君の囚われ方は異常なんよ。もっと気楽に生きろ」

「気楽になんて無理だよ。僕は許されない罪を犯した。この罪は、ずっと背負っていかなきゃいけない」

「いやいや、そんなもんどっかに置いてきなよ。すごい重そうだけど、多分どうでもいい中身しか入ってないし」

「どうでも、いい……?」


 アーシムははっとして目を見開いた。

 つまりクロイはあの日のことを許したんじゃなくて、ただどうでもよくなっただけ?

 日々を過ごす中で、怒りが冷めた、感情が薄れたと?

 そこでふと気付く。


 ああそうか。クロイはちゃんと前に進んでいて、僕だけが立ち止まっていたのだと。


 二つあった深い心の傷の一つが、少しづつ癒えていく。

 十年間止まったままだったアーシムの時計の短針が、二秒毎に進み出した。

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