第19話 鱗で覆った本心は

「よし、こんなもんかなぁ」


 クロイの絵が完成したのは、すでに日が傾いた夕方だった。

 まさかここまで時間がかかるとは思っていなかったが、サルモーネとの会話が存外弾んだのでそれほど待たされた感じはしない。


「クロイさん、どんな絵を描いたんですか?」


 途中ちらちらと凪沙なぎさのことを見ていたので、もしかしたら私の似顔絵でも描いてくれたのだろうか。


 クロイは最後にちょいちょいっと微修正をしてから、画用紙をこちらに見せた。


「じゃじゃ〜ん! どうですか?」


 するとそこに描かれていたのは。アニメキャラクターっぽくデフォルメされた凪沙(実際はこんなに可愛くない)と、隣のこの茶髪赤目のイケメン男性は……。

 驚きのあまり目を見開く凪沙に、クロイは得意げにふふんと笑う。


「ナギサちゃん、アーシム先輩と知り合いだったんですね」

「アーシムさんのこと、知ってるの?」

「うん。だって私、元々は遠洋遊撃隊所属だもん」


 そうなの!? まさかこんな可愛らしい少女が元軍人だったとは。

 でもそうなると大きな疑問が。


「えっ、クロイさんっておいくつですか?」


 パラのように若く見えるだけで本当は二十代、というパターンもあるのでは?

 しかし彼女の答えは見た目通りのものだった。


「十六歳ですよ。永遠の」


 なんか余計な付け足しがあったような気もするが、サルモーネがツッコミを入れないので十六歳というのは嘘ではなさそうだ。つまり海異かいいが現れる十年前、六歳の時にはすでに軍人だったということ……あれ?


「ってかさ、ナギサちゃん訊くべきところそこじゃなくない?」


 筆を指先でくるくると回しながらクロイが言う。


 パラのこともあって実年齢と過去の経歴に気を取られていたが、言われてみれば確かにもっと謎なことがある。

 どうして凪沙とアーシムが一緒にいる絵を描いたのか。

 サルモーネとの雑談の中でもアーシムの名前は一度も出していないので、私たちが知り合いであるとクロイは知らなかったはずなのに。


 理由を尋ねると、絵描きの少女はおもむろに筆をパレットに置いた。そして、自らの瞳を指差しながら答える。


「ユニークスキル、イマジネーションスケッチ。筆記具を持つとね、相手が頭の中で一番強く考えてることが紙に線画で浮かび上がって見えるの。つまり、ナギサちゃんの妄想してることが私にはえちゃうんですわ」


 どうだすごいだろ、とドヤ顔をしてみせるクロイ。


 前に女王に貸してもらった本に書いてあったスキルとはこういうものなのか。ただ文章で説明されるより、実際に目の当たりにした方がその凄さがよく分かる。


 でもちょっと待って。彼女のスキルが今言った通りの能力なのだとしたら。私はサルモーネと話している間も、アーシムのことを一番強く考えていたことになってしまう。それは、何だかとても恥ずかしい。


「私、そんなにアーシムさんのこと考えてました?」

「うん。めちゃめちゃはっきり線画見えたからアタリ描かんかったもん」


 そうですか、それはそれは……。

 顔が熱い。おそらく私の顔は真っ赤になっていることだろう。

 今さら誤魔化せないとは分かっていながらも、凪沙は顔面を両手で覆い隠す。


「こら、人の心を勝手に覗き見るなと何度言ったら分かる?」

「えぇ〜。視えちゃうもんはしょうがないじゃ〜ん」

「だとしても、それを晒すのは違うだろう」

「うるさいなぁバ〜カ」


 隣ではサルモーネがクロイのことを叱っているようだったが、もはや凪沙には何も聞こえていなかった。



 クロイも満足したみたいだし今度こそ帰るか、と思い始めた頃。唐突にパラの叫び声が外で響き渡った。


「やばいやばいやばばばやばば」


 声と共に足音が近づいてきて、ドンっと勢いよく小屋の扉が開かれる。


「うわびっくりした……」


 呟いて舌打ちするクロイを気にかけることもなく、パラが口を開く。


「ナギサちゃん大変だよ! アーシムが乗った船がでっかい蛸の海異と戦ってるって! しかも結構苦戦してるっぽい」

「えっ!?」


 凪沙は思わず立ち上がった。

 アーシムが追い込まれている。そう聞いただけで胸が苦しくなった。彼は無事だろうか、怪我していないだろうか。不安と心配が津波のように押し寄せる。


 パラは耳に手を当てて、インカムから流れる情報を聞き取る。そして、その内容を掻い摘んで伝えてくれた。


「場所はここからかなり近い。私の船なら十五分もあれば行ける距離だと思う。戦ってるのは遠洋遊撃隊五隻と、王都警衛隊が一隻。全部主力の部隊。それが応援要請を出すくらいだから、かなり厳しい状況とみて間違いない」


 するとそこへ、魚が大量に入った籠を背負った銀髪碧眼の若い男性が小走りでやって来た。


「どけ青髪女」

「ちょい押すんじゃねぇ」


 男性は扉の前に佇むパラを強引に押し退けて小屋に入ると、サルモーネの前に籠を置いて報告する。


「頭領、今日は活きの良い魚がたくさん獲れました。みんなでお腹いっぱい食べられますよ。それと漁から帰る直前に、遠くの方で煙が上がっているのが見えました。方角からして蛸の縄張りかと。きっと軍の馬鹿どもがちょっかい出したんでしょう」


 船から煙が……。ますますアーシムのことが心配になる。


「そうか、報告ありがとう。お前はこれを料理担当の所へ持って行って、ついでに夕飯の準備を手伝ってあげてくれ」

「分かりました」


 再び籠を背負って小屋を去っていく男性。

 それを見送ったサルモーネは何か思い悩んでいるような、難しい顔をしていた。彼の立場からすれば大漁を喜ぶべきところなのに。


 そんな彼の様子を不思議に思っていると、いつの間にか筆を持ち真っ白な画用紙を見つめていたクロイが一言。


「素直に協力すればいいじゃん」


 最初、凪沙には彼女の言わんとしていることが理解出来なかった。

 だがサルモーネはその言葉に過剰なほど強く反応した。睨みつけながら詰め寄ると、クロイを壁に押し付ける。


「そんな簡単な問題じゃないんだ! 俺がいなくなったら、この島の仲間はどうなる? お前がまとめてくれるのか? 無理だろう。根暗なお前に頭領など出来るはずがないもんな。人の気持ちを軽々しく考えるのはやめろ!」


 怖いくらいに声を荒らげ、罵倒するサルモーネ。

 けれどクロイは怯むどころか真っ向から反論した。


「いやいや簡単でしょうよ。あなたは内地の人のようにはなりたくなくて、だから嫌いな人であっても見捨てる真似はしたくない。ならそれでいいじゃん。しかも何で死ぬ前提な訳? 勝ちゃあいい話だろうが」

「俺が一人であの蛸に勝てるとでも?」


 そうか、クロイはスキルを使ってサルモーネの本心を読んだんだ。

 そして彼は、アーシムたちを助けたいと思ってくれていた。


「まあ確かに? 誰にも頼ろうとせずに全部一人で抱え込んじゃうあなたには無理かもしれませんけど?」

「どういう意味だ?」

「とにかく、つよつよ神絵師の私も一緒に戦ってあげるって言ってんの。しかも軍の人がいるんだからそもそも一人ではないやろ」


 聞いているうちに、言い争いが段々と漫才の掛け合いに近くなってきたような。


「だが危険なことに変わりはない。死ぬかもしれない戦いにお前を巻き込みたくない」

「はぁ? 私死なないが? ナメてんのか?」

「そんなつもりはない」

「なら決まりね。一緒に蛸をやっつけに行こう! やるぞやるぞ〜」


 どうやら話の決着がついたらしい。

 クロイは立ち上がると小屋の収納から細身の剣を取り出した。それを腰に差しつつ、小屋のすぐ外でインカムに耳を傾けていたパラの方へと歩み寄る。


「船出して。私とサルモーネで蛸やっつけるから」

「は?」


 オセアーノ二人によるやり取りを知らないパラは、急すぎる展開に面食らった表情をして素っ頓狂な声を漏らした。しかしすぐに状況を飲み込んで大きく頷いた。


「了解。今すぐエンジンかけるね」


 パラが一足先にクルーザーに乗り込み、出航準備を始める。

 次いでクロイも乗船し、浜辺には凪沙とサルモーネの二人だけ。


「ナギサ。お前には感謝しないとな」


 不意に話しかけられて、振り向いた凪沙はきょとんとしてしまう。


「俺はオセアーノの居場所なんて王都からはとっくに無くなったものだと思っていた。だけどお前の話を聞いているうちに、まだ希望はあると、帰れる未来があるのかもしれないと。少しだけ光が見えた。それに、こうしていがみ合っていても何も始まらない。現状を変えたければ自分から新しいことをするべきだと、お前には教えられた。だから軍の奴らに協力すると決心出来たのはお前のおかげだ。ありがとうな」

「いえっ、私は別に、何も……!」


 王都での生活について軽く話した記憶はあれど、現状を変える方法などというそんな大層なことを言った覚えはない。

 私はふるふると首を横に振る。


「フンッ、人は記憶が無くなると謙虚になるのか? 全く、ナギサはオセアーノらしくない。だがお前はそれでいい。己の信念を曲げずに、そのまま真っ直ぐ進んでいけ。女王に、軍の奴らに、国民どもに、お前のそのオセアーノの矜持を見せつけてやれ」


 この時、ずっと怖い顔をしていたサルモーネが初めて微笑んだ。

 信念と呼べるほどの強い意志は私には無いかもしれないが、これでようやくオセアーノの一員になれた気がして何だか嬉しかった。


「ナギサちゃ〜ん、置いてっちゃうぞ〜!」

「おじさ〜ん、何してんの〜?」


 クルーザーの窓からパラとクロイが大声を上げる。気が付けば出航の準備はすでに終わっていた。

 ここからは時間との勝負。一刻も早くアーシムたちのところへ行かなければ。

 凪沙とサルモーネが急いで船に乗り込むと、パラはすぐさま抜錨し離岸すべく舵を切った。


 四人を乗せた船は夕闇に包まれつつある海を波を立てながら進んでいく。


「待っててください、アーシムさん」


 祈るように見つめる針路の先。太陽が沈んだばかりのまだ茜色の残る空に、巨大な化け物の影が姿を現した。

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