第18話 追放者の楽園
マリジア群島の中で一番大きい島、ヌーカ島に上陸した
続いてパラも、クルーザーの鍵を指先でくるくると回しながら船を降りてくる。
見える限りの範囲、島は砂利の浜辺くらいしか平らな場所が無く、あとは鬱蒼と木々が生えた急峻な斜面ばかりで。とてもここに人が住んでいるとは信じがたい。
「さてと、手荒い歓迎が来ますよ〜」
パラが呟いた直後、そばにあったボロボロの掘っ建て小屋から人が出てきた。四十代くらいの男性だ。
「懲りずにまた来やがったな、軍の若いの。何度も言っているが俺らはお前らに協力なんてしない。とっとと帰りやがれ」
険しい表情を浮かべ、強い口調で言い放つ。
こちらはまだ一言も喋っていないのに。
そんな強面の男性に対して、パラは全く物怖じせずに笑顔で話しかける。
「いやぁ、そうカリカリしないで下さいよサルモーネさん。この超絶美少女のパラちゃんがわざわざ来たんですから、ちょっとはもてなしてくれたらどうです?」
「フンッ。内地の人間に茶を出すような余裕が無いことくらい、分かってるだろうに」
「ですよねー」
サルモーネはかなりくたびれた見た目をしている。髪は伸び切ってしまっているのか後ろで束ねるようにしていて、服も相当着古したものなのかほつれが目立つ。生活に困窮しているのは明らかだった。
「ほら、早くどっか行け。お前の話はもう聞き飽きた」
「あっちゃっちゃっちゃ、違うんですって。今日はとっておきの可愛い子連れてきたんで。付き合ってくださいよぉ」
「あ?」
引き止められてより一層不機嫌になったサルモーネ。目が本気だ。
凪沙は半ばパラに背中を押される形で一歩前に出る。
「こ、こんにちは……」
とりあえずまずは挨拶を。
怖がっているのがバレバレの引きつった笑顔を見せる凪沙に、サルモーネが見下したような視線を向ける。
「あの、私、
深々と頭を下げる。
しばらくして顔を上げると、サルモーネとばっちり目が合った。
私と同じ、碧い瞳。
向こうも同じ色の眼をしていることに気付いたらしい。顔を覗き込んでくる。
「……お前、オセアーノか」
フードの下から僅かに見える銀髪で確信したのだろう。
凪沙はこくりと頷いた。
「はい。私もあなたと同じ銀髪碧眼の人間です。ただ過去の記憶が曖昧で、十年前のこととか何も知らないんですけど……」
確かに凪沙とサルモーネは同じ特徴をもっている。だが、同じなのはそれだけで。この島に逃げてきて、過酷な日々を過ごしてきたであろうオセアーノの長きにわたる苦しみを私は知らない。境遇はまるで異なっている。
だから本物のオセアーノを前にして、自らのことをオセアーノと名乗るのは憚られた。
それでもサルモーネは、凪沙を同族として認めてくれた。
「まさか
「正確にはオトさんに頼まれただけで、騎士軍の皆さんに受け入れられた訳では」
「でも少なくとも、そこの青いのには受け入れてもらえたんだろ? 俺はそれだけでも驚きだ」
隣でパラが「青いのじゃないわパラキャントゥラス=ヒパタスです!」だの何だのと喚いているが、サルモーネは気にせずに続ける。
「ま、お前の話なら聞いてやらなくもない。ナギサと言ったか? 中に入るといい。茶は出せんがな」
「ありがとうございます……!」
苦戦すると思っていたが、案外すんなりと話を聞いてもらえそうだ。
島に到着する寸前にパラからざっくりと伝えられたミッション。それは遠洋遊撃隊が行っている隣国との航路開通作戦への協力を取り付けること。
フロリダとの合意によって
つまりは『ピンチになった時に一緒に戦ってくれないか』、という交渉である。
サルモーネが掘っ建て小屋の扉を開けると、ギギーッと軋む音がする。
「古い家ですまないな」
「いえ。お邪魔します」
彼に続いて凪沙も中に入る。
すると小屋の隅で少女が壁に背を預けるようにして体育座りをしていた。太ももの辺りに目を落とし、何やら細かく手を動かしている。よほど集中しているのか凪沙の存在にはまだ気が付いていないようだ。
「おいクロイ、客人だ。敷くもの寄越せ」
「え〜、客人ってどうせいつものあのうるさい子でしょ?」
「それもいたが連れて来てはない。早くしろ」
サルモーネに催促され渋々と顔を上げた少女は、私のことを見るなりびくっと身体を震わせた。そして右手に持っていた筆の先をぴしっとこちらに向けて言う。
「誰よその女! 普通に可愛いんだが!?」
声優さんのような甘い声。ショートカットの銀髪は毛先をゆるく遊ばせていて、つぶらな碧い瞳は宝石のようにきらきらとしている。
この過酷な絶海の孤島には似合わない子だというのが第一印象だった。
「こんにちは、亀有凪沙です。今日は私が交渉に来ました」
凪沙が挨拶すると、少女も慌てて立ち上がって挨拶を返す。
「あっ。こ、こんにちは。クロイッソーネ=ペーシェパッラです。どうも」
人見知りなのかどぎまぎした様子で、ぺこぺこと何度も頭を下げる。
「今日はよろしくお願いしますね、クロイッソーネさん」
「はい! あともし良ければなんですけど、クロイって呼んで下さると……」
「分かりました。じゃあ私のことは凪沙って呼んで下さい」
「っ、ありがとうございます……!」
なぜかちょっとだけ嬉しそうに笑ったクロイ。
しかしすぐにサルモーネの視線を感じたのか、すんとした表情に戻る。先ほどまで自分が使っていた座布団を手に取ると軽く払ってから凪沙の足元に置く。
「これ、使って下さい」
そしてクロイは座布団の無くなった元いた位置に再び体育座りをすると、画用紙を太ももに乗せて筆を走らせ始めた。
「変わった奴だが別に悪い奴じゃないんだ。仲良くしてやってくれると助かる」
サルモーネの言葉に、凪沙は大きく頷く。
「はい。クロイさんとは、むしろ友達になりたいくらいです」
きっと同年代の女の子などこの島にはいない。だからいつもああやって、一人で絵を描いて過ごしているのだろう。もしも追放なんてされていなければ、学校で勉強して放課後に友達と遊んで、楽しい青春の日々を送っていたはずなのに。
でも凪沙が友達になりたいと思ったのは決して同情からではない。純粋に気が合いそうだと感じたからだ。本当にただ友達になりたいと、そう思ったのだ。
「っと、少々話が逸れたな。本題に入ろうか」
隅っこの壁際で黙々と絵を描くクロイを横目に、凪沙とサルモーネは小屋の真ん中で向かい合うように座る。
「で、交渉の内容は? どうせあの青い奴と大して変わらんだろうが」
それを言われてしまっては切り出しにくいが、交渉官になった以上はしっかりと役目を果たさなければならない。ぎゅっと拳を握り、口を開く。
「やっぱり航路開通作戦に協力してもらうのは難しいですか?」
サルモーネが深いため息を吐き、場が重苦しい雰囲気に包まれる。
「……ああ、残念だが難しいな」
「理由を訊いても?」
「ここにいる人間は全員、軍の奴らを憎んでいる。いや、オセアーノ以外の全ての奴らと言ってもいいかもな。だから仮に俺が首を縦に振ったところで、お前らが求める戦力は集まらない。下手をすれば化け物を前に同士打ちなんて笑えない展開にだってなり得る」
なるほど、断る理由は仲間のことまで考えてのものか。ならば。
「じゃあ、サルモーネさん個人ならどうです? 協力してもいいかなって、ちょっとでも思ってたりしません?」
その問いに、彼は虚をつかれたような反応を見せた。
今までパラに訊かれていなさそうな、新しい角度からの質問。平行線を辿る話し合いにおいて、必要なのは相手の考えを理解した上で発想を転換させること。
「でも、それって意味があるのか? 俺一人が加わったところで何にもならないだろう」
「今はそこまで考えずに、単純に協力してもいいかどうかを答えて下さい」
「んー、そうだな。協力か……」
腕を組み、しばらく考え込むサルモーネ。
静寂の中、クロイの絵を描く筆の音だけが小屋の中に響き渡る。
「……まあ、断る理由は無いかもしれないな」
「本当ですか!?」
大きな進展に興奮のあまり前のめりになる凪沙に、サルモーネは若干体を引いた。
「確かに俺は協力しても構わないと思っている。だがさっきも言ったが、俺一人じゃ大した戦力にはならない。その辺はどう考えている、ナギサ?」
「それは後で考えます。まずはサルモーネさんとの交渉を成立させることが重要なので。それで、サルモーネさんは協力してくれるってことでいいんですよね?」
「ああ、そうだ」
やったー! 言質取った! と思い切り叫びたくなる気持ちを抑え、冷静に話を進める。
「では、詳細について説明しますね。航路開通作戦に協力してほしいとは言っても、別に全ての行程に参加してほしいわけではありません。もし万が一、強い海異に襲われた時に助けに来てほしいんです。応援要請があった時に駆け付けてくれれば、他は何も望みません」
凪沙の説明を聞いたサルモーネは、なぜか訝しむように眉を顰めた。
「ナギサはこの内容を初めて聞いた時、どういう印象を受けた?」
「印象、ですか?」
質問の意図が分からず、首を傾げる。
「今の説明をそのままの意味で受け取るなら何も問題はない。けどな、過去に散々酷い仕打ちを受けてきたオセアーノからすると、つい深読みしてしまうんだ。俺らをおとりにして、軍の奴らだけ逃げる気なのではないかと。犠牲になれと、代わりに死ねと、そう言われているように感じてしまう」
「そんな、はずは……」
ない、とは言えなかった。
オセアーノだから。私もそれだけの理由で殺されかけた。ならば命の危険がある状況で、軍の人たちがオセアーノを盾にして逃げない保証がどこにある。
遠洋遊撃隊の指揮官はアーシムだが、もしも大多数の部下がオセアーノを嫌っていたならば、いくら彼が反対しても数の暴力で無理やり押し切られてしまうだろう。最悪の場合、アーシムもオセアーノの味方と判断されて捨て駒にされる可能性だって否定できない。
嫌な想像が浮かび黙り込んでしまった凪沙に、サルモーネが口を開く。
「ナギサは俺らの仲間だ。だからお前の言葉に嘘は無いと信じている。でも今回だけはすまない。この条件では協力することは不可能だ」
せっかく上手くいきそうだったのに。膠着していた交渉を成立させるどころか破談にしてしまった。クルーザーで待っているパラに何て報告しよう。
「……お時間取らせてしまってすみませんでした。今日は失礼します」
俯いたまま立ち上がり、帰ろうと扉に手をかける。
するとその時、ずっと静かに絵を描いていたクロイがいきなり話しかけてきた。
「えっ!? ナギサちゃんもう帰っちゃうの?」
その声に振り向くと、駆け寄ってきたクロイが凪沙の腕にがっしりとしがみついた。力を込め、離そうとしない。
「まだ描き終わってないのに〜。せめて完成するまで待ってくれん?」
「ごめんね、また遊びに来るから」
「え〜、ウソだ〜。それ絶対来る気ないやつじゃん」
ジトっとした目でこちらを見つめるクロイ。
社交辞令を完全に見透かされている。どうしよう……。
「おいクロイ。ナギサをあまり困らせるな。仕事で来てるんだ、仕方ないだろう」
サルモーネがそう宥めながら引き剥がそうとするも、ぴったりとくっついたクロイはやだやだと駄々をこねるばかり。
凪沙も振り解こうと軽く抵抗してみたが、それも逆効果で。見た目は非力そうなのに、意外とパワーがある。
交渉は失敗に終わった。もうここにいる意味はない。
けれど別にタイムリミットがあるわけでもないし、王都に戻ったところでどうせ部屋に引きこもるだけ。だったら。
「う〜ん。じゃあもうちょっとだけ、ここにいようかな」
凪沙はもうしばらくの間、ここに留まることを決める。
待ちぼうけさせているパラにはちょっとだけ申し訳ないけれど。
「わ〜い!」
「迷惑を掛けてすまない」
それから凪沙はクロイの絵が完成するのを待ちつつ、サルモーネと他愛もない世間話に花を咲かせた。
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