第17話 乙姫の言うことは絶対
アーシムが隊舎から外に出ると、ちょうど戻ってきたロンボと鉢合わせになった。
彼は相当急いできたようで、危うく勢いそのままに衝突されるところだった。
「おっと悪い。準備してすぐ行くから、アーシムは先に行っててくれ」
そう声を掛けられて、アーシムは「いや」と言葉を返す。
「僕もナギサと会ってから行くから、そんなに慌てなくていいよ」
「そうか。じゃ、また後でな」
頷いたロンボは、ひらひらと手を振ると隊舎の中へと駆けて行った。
アーシムが指揮を執る遠洋遊撃隊は、最も近い隣国であるカイビトス公国との航路を一刻も早く開通させるべく年末も休まず任務に当たっていた。オト女王とフロリダの話し合いがまとまった後は強力な
だが六日前の十二月三十日、大きな問題が発生した。アーシムが乗る帆船よりも遥かに巨大な蛸型の海異が艦隊の行く手を阻んだのだ。
その異次元の大きさ故に帆船の砲撃は効かず、ソードスキルで直接斬りかかろうにも八本足で妨害され近づくことさえ許されない。あの場は撤退するほかなかった。
そして今日、再び巨大蛸型海異の討伐に挑む。
今回の戦力はアーシム率いる遠洋遊撃隊だけではない。本来は王都内の警察的役割を担うロンボ率いる王都警衛隊の精鋭も作戦に参加する。いわば
しかし、それでも苦戦する可能性の方が高かった。最悪の場合、犠牲者が出ることだって考えられる。
だからアーシムは、戦いに赴く前にナギサと話をしておきたかった。
城の二階に上がって、彼女の部屋の扉を叩く。
「…………」
返事がない。部屋に居ないのだろうか?
もしかしたら音に気が付かなかっただけだったかもしれないので、もう一度扉を叩いてみる。
「ナギサ、いる?」
「…………」
どうやら不在らしい。
「う〜ん、どこに行ったんだろう? 外には出てないはずだけど……」
するとそこへ掃除道具を持ったデルフィーノが通りかかった。
扉の前で佇むアーシムを見つけると、使用人である彼女は深く頭を下げてから話しかける。
「ナギサ様でしたら部屋には居りませんよ」
「どこにいるか分かります?」
「詳しくは聞いておりませんが、陛下はナギサ様に仕事を与えたとおっしゃっていました」
「ナギサに、仕事!?」
アーシムは階段を駆け下りて、玉座の間へと向かった。
「オト女王、一体どういうおつもりですか!?」
扉を開けるなり大声で詰問するアーシムに、一人黙々と書類仕事をしていたオトはびくっと身体を震わせた。
「きゃっ、びっくりした……。そんなに怒ってどうしたのよアーシム? 蛸退治に行ったんじゃなかったの?」
冷静さを取り戻した女王の問いに、僕は畳み掛けるように続ける。
「記憶喪失のナギサに仕事をさせるなんてあり得ないです。しかもこんな辛い時期に。今はとにかく彼女に無茶をさせるべきじゃない。早く取り止めさせて下さい」
攫い波のせいで記憶を無くして、忌まわしきオセアーノだと国民から蔑まれて。現在もなお苦難を受け続けているというのに、その上無理やり仕事をさせられて。
どうして何の罪も無いナギサばかりが苦しまなければならないのか。
もうこれ以上ナギサに嫌な思いをさせたくない、辛い出来事に遭ってほしくない。
ナギサにはただ、笑って楽しく、幸せに生きてほしい。だから。
「なぜ今だったんです? オト女王はどうしてこの時期に、仕事を任せようなんて思ったんです?」
彼女の心が弱っている今、オトはなぜ試練を与えるような真似をしたのか。アーシムには分からなかった。
「……ナギサはどこに? 連れ戻してきます」
ここで怒っていても仕方がないと、僕は感情を抑えつつナギサの居場所を訊いた。
それに対してオトは、冷たい雪白の瞳でこちらを見据えたまま言った。
「連れ戻すのは無理よ。だって今頃はマリジア群島に着いた頃だもの」
「マリジア群島って……。あのマリジア群島ですか!?」
「ええそうよ」
信じられない。僕は言葉を失ってしまう。
マリジア群島。世界が海に沈む以前はマリジア・ディディオ山脈の尾根だった場所。王都からは五十海里以上も離れていて、むしろ蛸型海異の出現地点までの距離の方が近いくらいだ。
もちろん連れ戻せないことも問題なのだが、問題はそれだけじゃない。マリジア群島は王都から追放されたオセアーノの生き残りが住む一大拠点になっている。王都で市民に迫害されて、海で海異に襲われて。多くの仲間を失いながら、それでも生き延びた人たちが暮らしている島だ。彼らはオセアーノ以外の人種に強い恨みと憎しみを抱いていて、過去に共闘を願い出た時は僕らへの敵意を隠そうともしていなかった。
そんな攻撃的な人たちに囲まれて、果たしてナギサは大丈夫だろうか?
心優しい彼女がそんな環境に耐えられるだろうか?
とにかく不安で、心配だ。
「ナギサを、どうしてそんな所に……」
拳を強く握りしめ、苛立ちを噛み殺すように呟いたアーシム。
女王は握っていたボールペンを机に置くと、おもむろに椅子から立ち上がる。
そしてアーシムのすぐ目の前まで近づいてきて、口を開いた。
「あなた、何か勘違いしてるんじゃないかしら? 私はナギサの希望に沿っただけ。強制した訳じゃないわ」
「ナギサの、希望?」
彼女が自ら女王の仕事の手伝いを望んだと? そんなことあるはずが無い。
疑いの目を向けるアーシムに、オトは感情の無い声で淡々と言葉を並べる。
「彼女は自分がこの世界に来た意味を探していた。だから私は彼女がその答えに近づけるように支援した。これは間違ったこと?」
ナギサがこの世界に来た意味。女王は時々、こういう難しい言い回しをする。
言葉通りに捉えれば、彼女は別の世界から来た人間、この世界の人間ではないということになる。けれどオトが言いたいのは、生まれてきた意味とか人生の意味とか、きっとそういうことなのだろう。
でもナギサの生きる意味を決めるのはナギサ自身でありオトじゃない。
それに何より、ナギサが悩んでいるのなら与えるべきは厳しさではなく優しさだ。遠く離れた場所、しかもマリジア群島なんて危険な場所に一人でいたら、彼女の心はすぐに壊れてしまう。
「……やっぱり連れ戻してきます。オト女王は、絶対に間違っています」
希望に沿っただの支援だのと聞こえのいいことを言っているが、結局女王は他人を駒としか見ていないのだ。
呆れた僕は玉座の間を後にしようと踵を返す。
「ちょっと待ちなさいな」
扉に手をかけたアーシムを、オトが背後から呼び止める。
「何です?」
振り返ると、オトは冷たい月の白の眼でこちらを真っ直ぐに見据えていた。
色も感情も光も無い、虚無の瞳。
今までに見たことがない冷酷な表情に、アーシムは思わず動きを止める。
「アーシム=アタロー大佐。女王の名において命ずる。重要海域に棲息する巨大海異を討伐せよ。これは命令であり、逆らうことは許さない」
「っ!」
人でなし。僕は心の中で女王を強く罵った。
ここで権力を振りかざすのか。
冷徹ではあるけれど慈悲のある人だと思っていたのに。まさかそういう非道で卑怯な手段を使うとは。見損なった。
「返事は?」
「はい」
「それじゃ、気を付けて行ってらっしゃいな」
本当にこちらのことを心配しているのかも分からない真顔のまま、胸元で小さく手を振って見送るオト。
アーシムはそんな女王を横目で睨んで、玉座の間から退出した。
オトへの怒りとナギサへの不安を抱えたまま王城を出ると、すぐ目の前に停泊していた水上バイクのけたたましいエンジン音が鳴り響いた。
「おいアーシム早く乗れ! 出航の時間まであと五分も無いぞ!」
「えっ、もうそんな時間? ごめん」
バイクに跨がるロンボに手招きされ、僕は慌てて彼の後ろに飛び乗った。
直後、アクセル全開で急加速。城門を抜けると勢いそのままに大通りに出て、軍港へと急ぐ。
「結構長引いたな。あのオセアーノの子と何かあったのか?」
エンジン音に掻き消されないよう、ロンボが声を張り上げて訊く。
彼は昔から怖いくらいに察しがいい。問題や困ったことがあると、すぐにこうやって気にかけてくれる。
「実はナギサには会えなかったんだ。それでオト女王とちょっとね」
「ほう? 女王様がその子におつかいでも頼んでたのか?」
「おつかいというか、仕事。ナギサは今、マリジア群島にいるみたいなんだ」
「は? 今お前マリジア群島って言ったか? 聞き間違いじゃないよな?」
エンジン音が邪魔をして会話しにくいのは確かだが、決して聞き間違いではない。
「何だってそんな所に? まさか、あの子も追放されたのか……!?」
考えを巡らせて導き出した結論に、はっとしてハンドルを取られかけるロンボ。
バイクが大きく蛇行し、隣を航行していた舟(ゴンドラ)と接触しそうになる。間一髪だった。
揺れが収まるのを待って話を再開する。
「ううん、流石にそれはないと思う。オト女王にも何か意図はありそうだったし」
あんな強硬手段を使ってまでアーシムの行動を妨害したオトだが、今までずっとナギサのことを気にかけていたのも事実。それに女王は一度たりともオセアーノの追放を容認したことなど無い。だからオトのあの説明に嘘は無かったのではないかと感じている。
では女王の真意は何かと聞かれてもそれは分からないけれど。
「だとしてもやっぱり心配だよな。本当は今すぐ助けに行きたいんじゃないか?」
「もちろん一刻も早くナギサのところに行きたい。でもオト女王に海異を倒してこいって命令されちゃったから」
「命令?」
「うん。だから今は海異を討伐することだけに集中しようと思う」
この国の最高権力者であるオトの命令は絶対。背くことなど許されない。
アーシムには海異を倒す以外に選択肢が無いのだ。
「……そうか。だったらあんな蛸の化け物なんかさっさと倒して、あの子を迎えに行ってあげようぜ」
「そうだね。倒した後なら命令違反にはならないもんね」
軍港に到着したのは出航予定時刻の一分前。
ロンボとアーシムはバイクから岸に飛び移ると、駆け足でそれぞれの帆船へと向かった。
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