第14話 奪還作戦
律はスピードを上げてイリデッセントクラウズを飛ばした。そこへ1匹の蝶が並走した。海星から言われて、渋々力を貸すことに同意した葵は、律の気配を追ってついてきた。
律はイリデッセントクラウズのドアを開けて蝶を中に入れた。
「やあ、久しぶりだね、緊急事態なんでちょっと力を貸して欲しい」
人に化けた蝶の肌は白く透き通っていて、流れるような髪は薄紫色で、まるで天女のようにとんでもなく美しかった。彼女は裾を引きずるほど長い衣を纏っている。葵は律にコクリと頭を下げて頷いた。
白鶴はテレグラフィーで蛍雪に状況を知らせた。
血相を変えた蛍雪は「後を追う」とだけ言って通信を終了した。
英俊のテレグラフィーからホリーの声がした。「紫雲捜査官、もう少し西へ移動してください」
方角を英俊は微調整した。蘭をさらわれた英俊は怒りに燃え滾っていた、頭にあるのは、どんなことをしてでも無傷で助けなければということだけだった。
でなければ蘭の事を何よりも大切に思っている養父母に顔向けができない。蘭が捜査官になることを反対した養父母に、自分が絶対守ると断言し、説得したのだから必ず連れ帰らなければと歯を食いしばった。
英俊の焦りに気づいた律は、英俊の硬く握られた手を優しく包み込んだ。「まだ異象は起きてないし、俺が蘭の気配を探せないってことはまだ生きてる。大八木の目的が何にせよ、暴かれてしまった今となっては蘭を長く苦しめようとするだろう、だからまだ時間はあると思う。奪い返そう」
英俊は律を抱きしめた。「ありがとう……」
ホリーが報告した。「蘭さんのテレグラフィーが止まりました。場所は〈城田市〉の廃業しているホテルの敷地内です。住所を送ります」
「ホリー助かった。この礼は必ずする」英俊は送られてきた住所をマーブルに入力した。
「お礼だなんて、気にしないでください。今晩は夜勤ですから何かあればいつでもどうぞ」ホリーは通信を切った。
犀星は住所を検索した。「元々は〈旅館うつ田〉があった場所ですね。うつ田が廃業してからすぐに大手のホテルに買い取られましたが、4年前に廃業しています」
いつもならこういった情報を検索するのは蘭の役回りだ。英俊は検索しろと言ったことは1度も無かった。すぐに検索するのは蘭のきっちりした性格のせいだろう、それを見ていた犀星は覚えていて無意識に真似たのだ。まだまだだが若者が一人前になっていくのを見るのは気分がよかった。
英俊はイリデッセントクラウズを25階建てのホテルの少し手前で止めた。ここからならホテルの様子を窺えるが、ホテルからは死角になっていて発見されることは無いだろう。
「紬だと大八木に気が付かれてしまうだろうから、葵、偵察してきてくれないか」律が言った。
葵は蝶に姿を変えて飛び立った。
「その間に奪還の計画を練ろう」英俊は建物の縮小サイズをテーブルの上に映し出した。
律はホテルを見て縮小図を指さし説明した。「心音が聞こえるのは3階の北東側、2人いるようだ。両方とも脈は正常」
それを聞いてマーブルの中に一気に安堵の気配が満ちた。
「ここで何をしようとしてるんだ?」フランクは疑問を投げかけた。
白鶴が答えた。「俺たちが来るのを待ってる。来てほしくないならテレグラフィーを途中で捨てるはずだ。そうしなかったのは蘭を追いつめるために俺たちを利用する気だろう」
律は同意した。「うん、道理にかなってる。さすがは腹黒白鶴だな」
「何だって?腹黒⁉」
「そうフランクが言ってた」
白鶴はフランクを睨みつけた。怒鳴り散らしたいところだが、今はそんなことをしている暇はない。「フランク、お前後で覚えとけよ、蘭を取り返した後で叩きのめしてやる」
フランクは舌を出して不満を表した。「蘭が傷つくことってなんだろう?」
律はハッとして術書のページをめくった。「そんなの決まってる。君たちが自分のせいで死んでしまうことだよ」木箱にしまわれていた試し書きの呪符と本を律は照らし合わせて考えた。「ここにある呪符で人の命を奪うものは4つある。1つに絞れないか考えてみるよ」
そこへ蛍雪たちを乗せたファイアフライが到着した。
「どうなってます?蘭は?」生きた心地がしなかった。いつも穏やかな蛍雪にしては珍しく殺意が湧いていた。ずっと気に喰わなかった大八木朔の首を鞭でギュウギュウと締め上げてやりたかった。そうすれば少しは気が晴れるような気がした。
黒い瞳の律がものすごいスピードで術書のページを繰り、考えを巡らせている横で英俊は蛍雪に状況を説明した。
葵が偵察から戻ってきて律に報告した。「人間が2人、1人は椅子に座って眠っていました。もう1人は苛立っているようで部屋の中を歩き回っていました」
「苛立ってるなら強行突入は危険だね、何かしら作戦を立てて大八木の気を散らせる必要があるだろう」律が言った。
英俊は縮尺サイズのホテルを見て、気づかれずに近づくにはどのルートが最適か侵入経路を探した。
「蘭の身の安全が最優先だ、あくまでも目的は蘭の奪還で、大八木の確保は二の次にする。蛍雪それでいいよな」
「ええ、賛成です」怒りと不安に駆られている蛍雪は、冷静になれと自分に言い聞かせた。注意が散漫になっていてはへまをやらかす。後悔しても後の祭りだ。
「もしも大八木が何かしらの術を使うとしたら――これじゃないかな」律は本のページを開いて見せた。「殺意で人を支配するものだ。目の前にいる人全員に意味もなく激しい殺意を起こさせる。君たちがとり憑かれたように目の前で殺し合いを始める、何もできずただ見ていることしかできないとしたら蘭は、無力な自分を憎み続けるんじゃないか?」
「それが自分を苦しめるためだとなればなおさら――」怒りに震えた英俊は、拳を手のひらに跡が残るほど握りしめた。
「殺しちゃってもいいなら、葵の稲妻でバーベキューにしてやることもできるよ、それなら一瞬でかたが付く」律は提案した。
冷静に言われた究極の選択に全員、全身が粟だつのを感じた。
気さくで、人好きのする律はどこか儚げで、守りたいと思わせるような見た目をしているからつい失念してしまうが、彼は冷酷無慈悲な悪魔なのだ。
英俊が答えた。「できれば生きて捕らえたい。今ある証拠が全て蘭を示している。潔白を証明するためには真犯人の自白が欲しい。それに、IBAIの部長が罪を犯し、その逮捕の時に死んだとなっては隠蔽があったと疑われかねない。亡くなった人たちのためにも、裁判を受けさせたい、そうすることで遺族は一区切りがつけられると思うんだ」
IBAIの事を気に掛ける英俊は真の捜査官であり、捜査官であることを誇りに思っているのだ。そんな彼だからこそ自分は愛おしく思うのだろう。そして英俊が喜ぶなら手を尽くしてやりたい、亡くなった人や遺族にその心を痛め、寄り添おうとしている英俊の優しさに目を奪われた。
「滑稽だけど、術にかかったふりをして近づくってのはどうかな?蘭は窓側にいて大八木が出入口をふさいでる、建物の中、外どちらから近づいても蘭の安全を確保する前に攻撃されてしまう。それなら術がかかったふりをして、蘭の包囲を固め安全を確保したところで大八木を取り押さえる」
「術がかかったふりなんてできるんですか?」フランクが訊いた。
「術をはじく呪符を書くから、かからないようにすることはできる――かかったふりは演技力が必要だね、しかも一か八かだ。大八木がこの術をかけて来る保証はない。残されている試し書きの呪符の種類からすると、これが一番可能性としては濃厚かなと思う」
英俊は蛍雪を見た。「俺はこの可能性にかけていいと思う」
蛍雪はホログラムのホテルを見つめ、顎に手を当て頭をフル回転させて考察した。「――分かりました。それ以上にいい案が思いつきません。それで行きましょう」
「いざって時は俺と葵に任せて、大八木を五体満足で引き渡すことはできないかもしれないけど、蘭に傷1つつけさせたりしないから」正直、自分が今すぐに乗り込んで行って、朔の首を切り落としてやりたいところだったが、英俊の言い分も理解できたので、それは奥の手として取っておくことにした。
フランクは五体満足じゃない状態を想像して身震いした。「えっと、律さん――それすごく怖いんですけど」
でかい図体のフランクが縮こまっているのが可笑しくて、律は愉快そうに口角を上げた。
律は書き殴った呪符を一枚ずつ全員に渡した。「肌身離さず持っていて、それとこれ以上ないくらいの、偽の殺意を準備しておいてね、まあ既にみんな大八木に殺意を抱いているようだから、気を揉む必要はなさそうだね」英俊から手渡された小型のテレグラフィーを腕にはめて耳にイヤホンを押し込んだ。「一灯と犀星はここで待機させて、大八木が逃げた時に備えて、後方支援をしてもらったほうがいいと思う。じゃないと妖術使いが本気で戦ったらあのホテル壊れちゃう。ふざけた作戦だけど死人が出たら笑えないでしょう?」
「それもそうだな」英俊は動きを確認した。「一灯と犀星はここで待機、他は3階まで非常階段を上がる。すぐ右が対象の部屋だ。俺と蛍雪が先頭に立ち、まずは大八木の説得を試みる。術をかけるしぐさを大八木がしたら行動開始だ。本気で戦いながら蘭を包囲する。タマル、雪歌、空吾は北西の角を、白鶴、フランクは北東の角、俺と蛍雪で中央、蘭と大八木の間に入る。そこで大八木確保だ」
「確保は俺に任せて。他の術を使ってこないとは言い切れないし、俺と葵で動きを封じる」
英俊は律の言う通りだと思い同意した。「分かった。確保は律に任せる。少々手荒になってもかまわないぞ。目に物見せてやれ!全員準備はいいか?このクソったれから蘭を取り戻す!テレグラフィーをオープンにして常に全員の声が聞こえていること、例外はなしだ!」
マーブルを出て建物に近づいた英俊は、全員に見えるよう手で突入の合図を出してビルの壁に沿って素早く動いた。
非常階段の入り口には術のかかった錠が備え付けてあった。コードを打ち込み解除する仕組みになっている。
英俊は解読が得意な白鶴かタマルに任せようと思ったが、律が術を解いてあっという間に鍵を開けてしまった。
「――さすがだ」
「ありがとう、何度言われても嬉しくなる言葉だね」律は全員を中へ通すと最後尾からついて行った。
英俊たちは3階まで非常階段を音を立てずに駆け上がった。
グレイブを手に持った英俊はドアの左側に、右側についた蛍雪は鞭を確かめるように撫でた。
英俊は蛍雪に頷いた。蛍雪がドアを開け2人は中へ飛び込んだ。
椅子に縛られ、猿轡を噛まされている蘭はくぐもった声を出した。「ダメだ!来ちゃダメだ!これは罠だ下がれ!」
朔は落ち着いた様子でゆっくりと英俊たちを見た。「ようこそ紫雲捜査官、松倉捜査官、そろそろ来る頃だと思っていたよ」
英俊は逮捕の手順通りにことを進めた。「大八木朔、あなたを逮捕します。容疑は地獄の門を開け多数の人間の殺害、炎馬及び炎の武士を操り多数の人間を殺害。あなたには黙秘権があります。あなたの供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられる場合があります――」淀みなく英俊は『権利の告知』を全て暗唱した。「大人しくついてきてもらおうか」
「断ったら?」
「断らないほうが身のためだ」
「紫雲捜査官、君は弟のように思っている蘭を助けたくてたまらないのだろうね、私もね最初は彼と仲良くなれたらと思っていたのだよ。なんたって血を分けた兄弟なのだからね」
「じゃあ何故こんなことを?」
「私がIBAIに入局したのは、父を奪った使用人たちを見つけるためだった。まだ9歳だった私は当時の事をよく覚えていなくてね、従業員の名前が思い出せなかったのだ。だからIBAIの力を借りて探すことにした」
「あなたがIBAIに入局して17年ですよね、今まで待った理由は何ですか?」蛍雪が訊いた。
「さすがに何の根拠もなく、異象の気配もしない古い失踪事件の関係者を探ることができなかったのだ。だから部長になるまで待つしかなかった。ITTの部長になればアクセス権が格段に広がるからね。誰の断りもなく調べることができるというわけだ。あいつらはすぐに見つかったよ。私から両親を奪っておきながらのうのうと生きてやがった」
「蘭をどうやって見つけたんだ?こいつとお前を結ぶ根拠は何もない」自分たちを皆殺しにするつもりなら、きっと全て白状するだろうと思った英俊はこっそりとレコーダーを作動させ会話を記録していた。
「それは本当に偶然だった。ITTの部長職に就任する前、厳しい身辺調査が行われた。調査結果を見て弟がいることに驚いたよ。てっきり死んでいるものと思っていたからね」まるで世間話をしているかのような軽快な笑い声を朔はあげた。「父があの女に産ませた子供だろうとすぐに気づいた。しかも同じIBAIに所属している捜査官だというじゃないか、なんという偶然だろうね。神の悪戯なのかもしれないな。当然調査結果は闇に葬った」
今まで冷静沈着な態度を崩さなかった朔が落ち着きを失い、敵意を感じさせる物言いに、英俊は自分の目の前にいる男はいったいどうしてしまったのかと思った。「父親は探さなかったのか?」
朔は不気味に笑った。「探したって無駄なことは分かっていた。ずっと前に母が殺したのだ。私もその場にいたから知っている。あの日母は私を連れあの貧相な家を訪れた。手土産を持ってね、2人がそこまで愛し合っているなら離婚に応じると言った母の姿は凛としていて美しかった。あの女は泣きながら謝り、私に弟ができたのだと、いつか一緒に遊んでやってくれと言った。そして母が持ってきた手土産の羊羹を切り分けた。私は母から決して羊羹を食べるなと言われていた。何故なのかそれまで理解できずにいたが、羊羹を食べ息を詰まらせた2人を見てようやく理解した。母は最初から2人を許す気はなく、殺しにきたのだと――2人が息絶えると、私は地面に穴を掘って父を埋めるのを手伝った。それで母は心を病んでしまった――いや、ずっと前から病んでいたのだろうね、もがき苦しむ2人の姿を、顔色一つ変えずに眺めていたよ」
「あなたは孤児になり親戚に引き取られた。蘭も同じように両親を失い養父母に育てられた。立場は同じじゃないですか、赤ん坊だった蘭に罪はないでしょう?」弁解もせず黙秘もしない、こんなに素直に自分の罪を告白するのはおかしい、大八木朔には逮捕されるという選択肢はないのだろうと蛍雪は気づいた。そうなると説得は無理だ。
朔は絞り出すように吐き捨てた。「同じではない!……蘭と仲良くなりたかった。それで私は蘭について調べたよ。私と同じではないことはすぐに分かった」朔は蘭に憎々し気な顔を向けた。「君は愛されて育っていた。優しい両親に頼りになる兄貴分、大勢の友人、私には与えられなかったものを全て手にしていた」
「お前の父親は医者で裕福に育てられただろう、何を
誰もが憧れる学費がバカ高い名門校――高校の頃は1年間留学までしている――に通っていた。有名な家庭教師に教わったことも何度かあったらしい、おかげで成績は常に上位。大学も一流の大学に現役で合格。さらには容姿が優れていたこともあって、キャンパスボーイにまで選ばれていた。さぞモテたことだろう。そして優秀な成績を収め卒業後、IBAIの試験を歴代トップで通過。37歳でITT部長を最年少で就任。経歴だけ見れば誰もが感嘆するだろう。
捜査官養成所で泥の中を這いずり回り、教官から叩きのめされていたことを思うと英俊は嫉妬した。
朔の顔が僅かに歪んだ。「愛されずに育つ気持ちが分かるか?養父は高圧的な人で、許されていた行動は自宅と学校の往復のみ、自宅に帰れば文字通り椅子に縛り付けられ、永遠とも思えるほどに勉強をさせられた。養母はいかれていると言うしかない。私を管理したがった。着る物、食べる物、食べる時間、食べる量、髪の長さまで測られたよ、少しでも伸びると切られるのだ。気が触れた理由は分かる。2人には病気で亡くした息子がいたのだ。それを受け入れられず、私をその代わりにした。今も彼らの呪縛から逃れることができない。なのに蘭はどうだ?私とは正反対ではないか、憎かったよ君が心底憎らしかった」
自分は恵まれているのだと蘭にも分かっていた。養子の自分を実の子のように可愛がってくれた優しい両親に、ふざけた兄代わり。今も兄妹のように仲のいい学生の頃のラクロス部の連中。何かあると皆が駆けつけてくれる。そして今も命がけで救おうとしてくれている仲間がいる。蘭の目に熱いものがこみあげてきた。
ずっと黙って聞いていた蘭が呟いた。「そんな時エンジュが舞い降りてしまった」
「好機だと思ったね。やっと運が巡ってきたと、すぐに行動に移した。律が気づくのではないかという不安はあったが、この機会を逃したら運は二度と巡ってこないと分かっていた」
「ワニに殺された人の中には、お前と関係ない人もいた」英俊は朔に軽蔑の眼差しを向けた。
「それは大きな誤算だった。使役しているつもりだったんだが暴走してしまった。私は憎しみに苛まれているが化け物じゃない。巻き込まれた人のことは本当に気の毒に思っている」朔は肩を落とした。
権利の告知はした。レコーダーは機能している。英俊はこのまま自白を引き出そうとした。「蘭の両親が住んでいた家を買い取り、蘭の名義に書き変えたのもお前だな」
「もしも罪が露呈したときの保険が必要だった。私は捕まるわけにはいかなかったからね、全ては弟がやったこと、私は気の毒な兄。そしていずれはIBAIの局長になるつもりでいるからね。私ならこの国の大統領にもなれそうじゃないか?そう思うだろう?」朔はからからと笑った。
こんな思い上がった奴に誰が投票するというのか、国民を馬鹿にするなと英俊は思った。長年こいつの本性に気が付かず立派な人だと思っていた自分の間抜けさに腹が立った。「蘭の姿に化けて本屋へ術書を買いに行くよう、シェイプシフターに依頼したのもお前だな」
朔は観念したように口角を上げた。「それもバレてるのか――やっぱり律さんは脅威だったな――私の筋書きはね、実の両親を殺した犯人を、蘭が討ったように見せかける。そして取り押さえにきた君たちと戦闘の末、全員が命を落とす。いい筋書きじゃないか?そう思うだろう?」朔は印を結び呪文を唱えた。
イヤフォンから犀星の緊張した声が流れた。「行動開始」
ドアの外で待機していた面々が打ち合わせ通りに力の限り互いを攻撃した。
キレるほどに怒ることが苦手なフランクも、今は大八木朔に激昂していたので、白鶴を憎き大八木だと思って剣を振るった。
なかなかやるなと思った白鶴も負けてなるものかと、日ごろのうっ憤を晴らすように水を帯びた剣で応戦した。
一番激しく戦っていたのは言うまでもなく英俊と蛍雪だ。ビルが壊れそうだと律は心配になった。
蛍雪の体を真っ二つにする勢いで、轟音を立ててグレイブを振り回す英俊と、鞭で英俊の体を打ってやろうとする蛍雪は互角だった。2人は攻撃の力を一時も緩めることをしなかったので、ビルの床や壁がとばっちりを受けた。
全員は本気で戦いながらも確実かつ、即座に持ち場についていった。それは完璧に連携の取れた無駄のない動きだった。この2チームの息はピッタリで、もう少し鍛え上げれば最強のチームになるのではないだろうかと律は思った。
律がいないことに朔が気づいた時にはもう遅かった。
全員が持ち場についたのを確認すると律は、葵に合図を送った。室内にひらりと舞い込んだ一匹の青紫色の美しい蝶は、大八木に向かってほんの少し電流を流した。大八木の体はびくりと震え、まるで雷に打たれたかのように一瞬、大八木の意識が遠のいた――
気が付いた時には、瞳の色を黒々とさせ漆黒の闇に包まれた律が、朔の瞳を覗き込んでいた。朔の腕を術が使えないようにするため、あっという間に背中にねじ上げた。
律は朔の耳元で囁いた。「じっとしていてね、この腕――犬に食わせてもいいんだよ」
口元はゆったりと口角を上げていたが、その漆黒の闇を思わせる瞳はどこまでも凄艶でゾッとするほどに美しく、残忍だった。朔はその瞳から視線を逸らすことができなかった。
朔に向かって牙をむいている3頭の犬が喉を震わせ、うなり声を低く吐き出した。
英俊は律が纏う雰囲気に底知れない恐怖を感じて身震いがした。律は規格外の悪魔だ、だから人間と同じ空間にいることができるが、これが悪魔の本来の姿なのだ。
律が朔を取り押さえたことで、憤怒の形相で朔を見た英俊たちは、互いを攻撃しあう手を止めた。たった一人になるまで殺し続けるはずだと思っていた朔は、訳が分からないといった様子で見返した。
「そういうのすごく傷つくな。俺に術の効力を奪うことなんてできないと思った?甘く見てもらっちゃ困る。君の魂胆はお見通しだったってことだ」律は朔の腕を捩じる手に、少しだけ力を込めて朔の顔を歪ませると満足した。
フランクが蘭の拘束を解いてやった。
「フランク、ありがとう、何か薬を打たれたみたいでな、まだ頭がボーっとする」蘭は少しふらつきながら立ち上がった。
蛍雪は腰を支え抱き寄せた。「仲間ですからね、当然です」
英俊は律にねじ上げられている朔の手首に手錠をかけた。「権利はさっき読み上げた。当然理解しているな――あなたをこれからIBAIに連行します」
朔をフランクに引き渡すと、英俊は蘭の体を力いっぱい抱きしめた。
「俺はお前がいなかったら駄目なんだ。明日何時に起きてどこへ行ったらいいのかも分からない、俺が捜査官としてやっていけてるのは、お前が俺の手綱を握っていてくれるからだ。もう二度と俺の前から姿を消すんじゃないぞ」
「うん、ごめん……」蘭は肩に頭をもたせ掛けてきた英俊の頭を撫でた。
英俊は蘭の顔を両手でバチンと挟んだ。
「何するんだよ、痛いだろ!」ジンジンする頬の痛みから蘭は、英俊の絶対的な愛を感じて微笑んだ。
英俊は大きな声で笑った。「ざまあみろ、これで相子だ。さあ帰るぞ。お前の親父さんとお袋さんに俺は何て言い訳したらいいんだ?きっと袋叩きにされる」
ぶつくさ文句を言う英俊の後を、律は笑いながらついて行った。
英俊と蛍雪が破壊し、見るも無残にボロボロになってしまった壁と床を一瞬振り返ったチームは――英俊と蛍雪を決して怒らせないこと――と心に誓った。英俊たちは犀星と一灯が待つイリデッセントクラウズへ戻った。
「ちょっと、両親に連絡を入れて来る」そう言って、蘭は離れて行った。
英俊は蘭の背中に向かって呼びかけた。「ああ、好きなだけ話してこい」
蘭は英俊に手を振って答えた。
最後部の鍵がかかるエリアにフランクは朔を押し込んだ。そのエリアは囚人を連行するときに使われる簡易の檻だ。室内は狭く、大人3人が立って入れるだけのスペースしかない。閉所恐怖症の人ならあっという間にパニックに陥るだろう。最高レベルのセキュリティーシステムが備え付けてあるドアには、小窓が設けらていたが、中の様子が窺えるようになっているだけで、それ以外に外が見えるような窓はついていない。
これ以上朔の声を聞いたら殺してしまいそうな気がしたので英俊は、防音システムを作動させた。どんなに叫んでも外に声が漏れることは無い。
少し目を赤くした蘭が戻ってくると、イリデッセントクラウズとファイアフライは、並んでIBAIへ向かった。
律が蘭に言った。「手を出して、少し治療をしよう。怪我はしてない?」
蘭は両手を律に差しだした。「はい、痛むところはありません、ちょっとボーっとするだけで。IBAIに戻る前にビールを飲もうとバーに立ち寄ったんです。飲み終わる頃に誰かがぶつかってきて、何か嫌な感じがしたんで応急キットを取りにマーブルまで走ったんですが途中で気を失ってしまって、そこからの記憶がありません」
「さっき何か薬を打たれたようだと言っていたね。妖術や魔術の
「律さん、ありがとうございます」ゆっくりと流れてくる霊力に、薬の効き目が薄れていくのを蘭は感じた。
フランクは犀星の肩に腕を回した。「お前ちびっただろう?」
犀星は顔を赤くした。「ちびってませんよ!」
犀星の頬をフランクはツンツンとつついた。「正直に言えよ、絶対ちびっただろ、『行動開始』って言った時、めちゃくちゃ緊張してたもんな」フランクは犀星の口調を真似した。
「そんな変な声出してません!」犀星は口を尖らせた。
真面目な顔で白鶴が言った。「それに関してはフランクに同意する」たまらず失笑した。「よく似てる……」
「白鶴先輩まで!からかわないでくださいよ!僕は真剣に状況を把握しようとして精一杯頑張ったんですから」犀星は腕を振り回して必死に訴えた。
可笑しくて笑いすぎた律は瞳に浮かんだ涙を拭った。「うん、犀星はよく頑張ったよ」
フランクは犀星の頭をくしゃくしゃにした。「お前は俺たちの可愛い弟分だからな、からかう特権がある。覚悟しろ」
「……はい!」自分をチームの一員だと認めてくれたのだと理解した犀星は、喜びではち切れんばかりの笑顔をこぼした。
「いやーそれにしても、こんなへんてこな作戦が本当に成功するなんてな」フランクが言った。
律が答えた。「他人よりも優位に立っていると思っている人間ほど、操りやすいものはない。彼は自分の能力に驕りたかぶっていたからなおさらだね、自分の目を欺ける者はいないと思っていたんだろう。企てが失敗するとは露ほども疑ってなかったんじゃないかな、こっち側には俺がいるんだから、作戦なんて必要ない、ただ攻撃してくるだけだくらいに思っていたんじゃない?」
「なるほど、その時に術を使えば一掃出来ると考えたのか」白鶴が言った。
律は不愉快そうに鼻を鳴らした。「悪魔をも操れると考えるなんて馬鹿げてるけどね」
「そのおかげで、この前代未聞の作戦が成功したってわけだな――報告書になんて書こうかな」英俊は悩ましい新たな問題に頭を抱えた。
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