第13話 過去からの来報 2

 午後14時、再びオフィスに全員が集まった。

 ニヤニヤ笑う英俊を蘭は小突いた。「気味の悪い笑いを今すぐやめろ、じゃないと蹴り飛ばすぞ」

 蘭の腕をツンツンつついた。「なあ、もうヤちゃったのか?突っ込まれたか?」

「下品なことを言うな!お前に教えるつもりはない」いつも自分に恋人ができるたびにからかってくる英俊に、蘭はいい加減うんざりした。

「英俊は子供だな」英俊と蘭の間に挟まれて座っている律は、自分を通り越してつつきあっている2人が可笑しかった。

「何だよ俺は立派な大人の男だぞ、何度も証明してやっただろう?」英俊は律の尻を撫でて誘うような視線を向けた。

 蘭は英俊の頭をバシッと叩いた。

「いてっ!何だよ昼間っから盛ってるお前も似たようなもんだろう」英俊は口を尖らせて立ち上がった。

「俺は盛ってない!盛ってるのはお前だろうが」蘭も立ち上がって英俊の胸小突いた。

 蘭の隣に座って愉快そうに見ていた蛍雪は割って入った。「お2人ともそこまで、私が蘭に盛ったんです」

 涼しい顔をして、とんでもない発言をした蛍雪に全員言葉を失った。

 蘭が蛍雪を睨みつけた。「何で言うんだよ!」

「あれ、いけませんでした?私は蘭を自慢したいですよ」蛍雪は蘭の肩を抱いた。「もう会議を始めましょう」蛍雪はむくれている蘭と一緒に座った。

 英俊は元気そうな蘭を見て胸を撫で下ろした。自分の出自が事件にかかわっているかもしれないという激しく動揺する事実を、蛍雪がやわらげてくれているらしく、このタイミングで2人がくっついてよかったと思った。

 大八木部長は事件に何かしら関わっていると英俊が明言したところでざわついた。

「疑わしいというだけで証拠はない。どうやって地獄の門を開けたり幽霊武士を操ったのか、どこかで妖術を学んでるはずだ。誰かから学んだのならそいつの名前を知りたい、本から独学で学んだのだとしたら、どんな本でどこの店から買ったのかを知りたい。それと事前に現地に行って偵察をしているかもしれない、大八木朔が使えるマーブルの履歴を確認する、実際に術を使った形跡も必要だ。事件と結ぶものを全て知りたい。

 ITTの部長を叩くんだ、中途半端に挑めば逆に俺たちが叩かれてしまう。確かな証拠が欲しい」

「では、私たちが妖術使いを当たりましょう」蛍雪が言った。

「よろしく頼む、じゃあ俺たちは本屋だ」

「術を使った形跡、マーブルの履歴は俺と紬で調べるよ。そういうことには鼻が利くからね」鼻をトントンと触った。「犀星もついてきて」律は犀星に向かって言った。

「はい!」自身がついてきた犀星は、もっと経験を積みたいと勢い込んだ。

自分が関わった大事件解決の報告を祖父にしたい、早く一人前になって、黒岡軍最後の精鋭部隊で、旅団長を務めていた曾祖父の墓前に手を合わせたい、そして高祖父柳澤伊織の名に恥じない人物になりたい、その一心だった。

「決まりだ、くれぐれも慎重に。大八木朔を調べていることが本人の耳に入れば逃してしまうだろう」

 英俊が会議を終了しようとしたところで、蘭は止めに入った。「ちょっと待ってくれ、みんなに知っていてもらいたいことがある。琉人と茜の子供の顔を推測して顔認証にかけたところ、俺がヒットした。間違いかもしれないけど知っておいてもらいたい」

 蛍雪は蘭の手の甲をそっとさすった。

 立っているのがやっとだった蘭は蛍雪の存在が、助けになってくれて足に力が戻ってくるのを感じた。

 蘭が養子だというのは、秘密でも何でもなく皆が知っていることだったが、さすがにこの情報には全員驚きを隠せなかった。

 各々しなければならないことをするため、行くべき場所へと戻っていった。

 ラウンジには英俊と律が残った。

 英俊は律に近づいた。「これからどうする?」

「この呪符の切れ端に残ってる気配をたどって、同じ人間が書いた呪符を探してみる。上手くいけばこの呪符の下書きが見つかるかもしれない。練習を何回かしてるはずだろ?」

「それが見つかれば証拠になるな」英俊は律の髪に触れた。「くれぐれも気をつけてくれよ。あいつが妖術を使えるってことを忘れるんじゃないぞ」

「うん、分かった気をつけるよ」律は犀星と一緒に炎馬に跨って空をかけた。その後を紬が羽を羽ばたかせて追いかけていった。

 律は鼻を効かせて気配を探りながら、馬を操って目的地へ向かわせた。

 2人と1匹は30分後、草が鬱蒼と生い茂り、何年も人が住んでいないであろう山の中の廃屋に降り立った。

有効な証拠の保全のため、事件に関する場所を捜索するときは、レコーダーのスイッチを入れ録画をしなければならない。

犀星はポケットの中から小型のレコーダーを取り出して空中に飛ばした。これで犀星たちの周囲を常に360度、録画してくれる――もちろん律の発明だ――そして廃屋の所有者をテレグラフィーで検索した。

「この建物の所有者は――一ノ瀬蘭さんです」

「そんなことだろうと思ったよ」玄関には結界が張られているようだった。恐らく朔がやったのだろうと律は思った。「結界が張られてる、犀星、解いてみろ」

 犀星は、呪符をドアに張って慎重に印を結んだ。

パチパチと火花を散らして結界が解けた。

律は犀星の腕を拳で小突いた。「よくやった、随分上達したな」

 犀星は照れて頭を掻きながらドアの取っ手を掴みゆっくりと引いて開けた。「長い間誰も住んでいないみたいですね」

 2人は玄関ホールを抜けて部屋に入った――リビングのようだ。ソファーとテーブルだけが置かれている――部屋の中は長年の埃がわずかな家具を覆っていた。

 律は1階をざっと見まわしてから2階へと上がった。階段は朽ちてきていて、誰かが板を張って補強した後があった。

「住んではいないけど、ここを使ってはいたようだ」

 一番手前の部屋のドアを開けて中に入った。

 ダブルサイズのベットが一台あるだけだった。かけ布団は見るからに古そうで、触ったら最後、ボロボロに崩れてしまいそうなほどだった。

犀星はクローゼットを開けてみた。「服がいくつか掛かっていますけど、どれも数十年前からここに掛かったままでいるようです」

「うん、このベットルームは長年使われてないみたいだな、他を見てみよう」

 廊下の奥へ進み、隣の部屋のドアを開けて中に入った。

 部屋の中央にベビーベットが一台、隣にはカウチが置いてあった。「子供部屋だな――」

 犀星の頭にこの家は蘭の生家なのでは?という考えが浮かび、口を開こうとしたが、律は人差し指を口にあて何も言わないよう指示した。レコーダーが作動している時に余計なことは言わないほうがいい。

 犀星はまたクローゼットを開いて中を慎重に探った。慎重になったのは朽ち果ててしまいそうなほどボロボロだったからだ。先ほどのクローゼットと同様数十年前からそこに置かれているであろう、ベビー服や毛布がしまわれていた。

「予想通りです、長年使われていませんね……」蘭のために両親が揃えたのだろうかと思うと、悔しさと悲しさが混じった複雑な感情が犀星の胸に広がった。

「2階は何もなさそうだ犀星、1階に降りてみよう」犀星の気持ちに気が付いた律は、優しい心を痛めている犀星の肩に手をそっと触れた。

 太陽が西へと傾き、1階は大きな窓から日の光りが差し込んでいた。

 簡素ではあったが過ごしやすそうなリビングと、使い勝手のよさそうなこじんまりとしたキッチンの隣には、4人掛けの木製のダイニングテーブルが置かれている。

 家具はどれも安価なもののようだったが、落ちついた色合いの趣味のいいものだった。

 ダイニングテーブルにはテレグラフィーや本が整然と並べられていた。どこもかしこも埃だらけなのに、ここだけ埃が綺麗に拭われていた。

「ここは最近誰かさんが掃除して使える状態にしたみたいだな」

 誰かさんと律は言ったが、犀星にもその誰かさんが、大八木朔だということは言わなくても分かっていた。

 その他の部屋やバスルームも見て回って、この家に異常が無いか確認し終えた律は、ダイニングテーブルの上に並べられている物を調べることにした。

 テーブルに並べられていた個人情報の書類を律は手に取った。「犀星、テレグラフィーで被害者の情報を出してくれ」

「はい、分かりました」犀星はテレグラフィーを操作して被害者情報を出し、律に向けて差し出した。

 その書類は、全てワニに喰われて亡くなった3人と、幽霊武士に切り殺された4人、合計7人の経歴と合致した。「律さん、これで7人と事件の繋がりが証明されましたね」

「うん、でもこれで、この建物の所有者と事件も繋がってしまった……蘭は無実だってことを証明しなきゃならない」

 喜んだ犀星だったが、1分もしないうちに沈んでしまった。

 犀星は積み上げられた本の1つを手に取った。「この本見たことがあります。妖術学校の図書室にあったものと同じだ。禁術書です。鍵のかかったガラスケースにしまわれていて、読むことを禁じられていたので内容は知りませんが、先生の話では自分や他人の命と引き換えに願いを叶えられる術や、他人を呪い殺す呪文が書かれているそうです」犀星は好奇心が抑えられず、読むことを禁じられていた本をパラパラとめくってみた。「でも読めませんね、なんて書いてあるんでしょうか」

律は犀星が持っている本を覗き込んだ。「古代文字だな、これは悪魔との取引をまとめたものだ。俺たち悪魔と取引すれば必ず見返りを要求される。それは大抵――人の命だ、俺たちにとって人の魂ほど魅力的なものは無いからな」

 言葉の恐ろしさと律の淡々とした声が酷くちぐはぐに聞こえ、ゾッとした犀星は、手に持っているのが怖くなって、そっと本をテーブルの上に置いた。

「さすがですね、古代文字も読めるんですか」

「うん、昔の術書は古代文字で書かれていることが多かったからね、今ある術書のほとんどは俺が翻訳して黒岡軍が書き直したものだよ。この中に地獄の門を開く術が書いてあるんじゃないか?」律は古い本を慎重に1ページづつ確認した。目当てのページに辿り着くと、トントンと指先で叩いた。「ほらここだ、地獄の門の開け方が書いてある」律は他の本も手に取った。「こっちは召喚の術だな。これを使って幽霊武士を地獄から召喚したんだろう。古代文字を読むための解読書もあるな」

「用意周到ですね、ずっと計画していて時が来るのを待っていたんでしょうね」膨れ上がった憎しみの感情を感じ取ると犀星は身震いした。

「犀星、霊力を保つんだ。負の感情に引っ張られては自分を見失ってしまうよ」

「はい、大丈夫です」犀星は本や部屋から伝わってくる負のオーラを締め出して、子供の頃飼っていたラブラドールのオーギーを思い描いた。心の安穏を保つために犀星はいつもこの方法を使う。

 律は書類箱の蓋を開けた。一番上に置かれた写真立てを手に取った。古い写真が一枚収まっていた。

 この家の前で、30代前半の男性に肩を抱かれた20代前半の女性は、赤ん坊を抱いて写っていた。

 男性は琉人で、赤ん坊を抱いている女性は茜だ。2人とも蘭にとてもよく似ていた。

「琉人と茜の子供は蘭で間違いなさそうだな。腹違いの弟とはいえ、自分から父親を奪った女の子共を許せなくて、罪を着せるつもりかもしれない」律は犀星に調べるよう命令した。「この家の前の持ち主の名前を調べてくれ」

 決定的な証拠があってはここが蘭の生家であることを誤魔化せない。朔はそれを分かっていてここに写真を仕込んでおいたのだ。律は無性に腹が立った。

 犀星は言われた通り検索した。検索結果を読み上げる。「椋本むくもと琉蓮りゅうれんという人物です」

「その名前を英俊に送って調べてもらって」

「はい、分かりました。琉人と琉蓮ですか、琉人の旧姓は小椋おぐらです。近い名前にしたんですね。過去の本当の自分を忘れないためでしょうか」

「だろうね、逃亡生活は骨身にこたえる。縋るものが必要だったんだろう」律は書類箱の中を探った。「この家が蘭の生家で間違いないだろう。そのことも英俊に知らせておいて。ますます蘭にとって不利な状況になっちゃったな」

 犀星は、暗号化回線で英俊に内密にメッセージを送った。これで英俊以外がこの情報を目にすることは絶対に無い。

 写真の下には呪符が数枚入っている。一枚を律は手に取った。「別次元を行き来する通行証か、確かにこれがあれば地獄に行って帰って来られるな――かなり危険な賭けではあるが――サルコスクスを使役しに行ったってことだろう」律は箱の中の呪符を見た。「召喚の呪符もある、十分な証拠になるだろう。犀星、ここに異象物採取班を呼んでくれ、ここにある物の回収、それから敷地内を掘り返して調べる必要があるだろう――この敷地から遺体の気配がする」

 蘭の両親が今も生きていて、事情があって育てることが難しかったのか、それとも、死んでしまっていたから蘭を育てることができなかったのか、どちらがより蘭に安らぎを与えられるのか、律も犀星も分からず、ただ小さな憂いと、大きな怒りを感じた。

 犀星は何も言うことができず、無言で異象物採取班を呼び、英俊に証拠が見つかった事と、遺体が出るかもしれないことを暗号化回線で報告した。

 到着した異象物採取班に現場を引き渡すと、写真と呪符が入った箱を持って律と犀星はIBAIに戻ってきた。

 犀星は律と別れ、本を調べている蘭たちに術書のタイトルを伝えに行った。

 律は英俊に目で合図し、英俊のオフィスに入った。英俊も続いて入りオフィスをプライバシーモードに切り替えた。

「遺体があるって?」

「うん、蘭の生家だろうってことを考え合わせると、遺体は蘭の両親だろうね、俺が思うに2人の居場所を突き止めた琉人の妻悠莉が、2人を殺して埋めたんじゃないだろうか。2人を殺害する動機を持つ者は彼女以外いないだろう?」

 英俊はデスクの端に腰かけた。「大人2人を殺すとなると彼女1人では無理だろう、当然誰かの手を借りたんだろうが、悠莉が亡くなってるんじゃそっちは調べようがないな」英俊は眉間の皺を揉んだ。蘭が事件に巻き込まれていくのをただ黙って見ているわけにはいかいと思いはするものの、打開策が浮かばず手を拱いているだけの自分に腹が立った。

 律は英俊に箱を渡した。「呪符と写真が入ってる。蘭が生まれた時の写真じゃないかな。家の名義が蘭になっていることと、その箱の中身からすると、万が一殺人が露呈してしまった時に備えて、罪を蘭になすりつけようとしているように俺には見えるんだが」

 英俊は箱を開けて写真を手に取った。蘭のぱっちりとした大きな瞳と、僅かに口角の上がった口元は、母親のものを受け継いでいるように見えた。そして輪郭は父親のものを受け継いだのだろう。すっと尖った顎が写真の中の人物を若々しく見せていた。疑う余地なく写真の人物は蘭の両親だった。

「だけど蘭が7人を殺す理由が無いだろう」

「おそらく動機をでっち上げる準備もしてるんじゃないかな」

「蘭を恨んでるんだろうな。母親から夫を奪っていった女の子供で、蘭ができたから父親は出て行ってしまった。蘭に父親を取られたようなものだ」冷静になって考えれば蘭に咎めが無いことは一目瞭然だが、今の大八木は冷静な判断など不可能なのだろうと、英俊は残念に思った。

 律が付け加えた。「そして母親が自殺した。人を殺してしまったことに耐えかねて気が触れたんだろうね」

 英俊は立ち上がって蘭を見た。「蘭に伝えなきゃな」兄代わりとして育ってきた自分は、蘭にとって家族みたいなものだ。少しでもショックをやわらげてやりたいと思うが、実の両親の遺体が出るかもしれないなんて言われたら、どんなにこちらが気を回したところで、その衝撃は計り知れないことだろう。

 オフィスのドアを開けて英俊は蘭を呼んだ。2人で話したほうがいいと思って律は蘭と入れ違いにオフィスを出た。

 しばらく英俊のオフィスで何かの話しをしている蘭を、蛍雪は気になってチラチラと見ていた。蘭の顔には何の感情も現れていなかったが、英俊の表情からは悪い話であることが伝わってきた。

 オフィスから出てきた蘭は無言で、建物の外へ出て行った。まずいことが起きたのだと悟った蛍雪は急いで追った。

 英俊はチームを集めて進展を伝えた。

 全員にとってきつい事件になるだろうなと律は思った。

 皆一様に暗い顔をしていた。何せこの5年の間、同じオフィスを共有していた仲間の蘭が、実の両親を見つけたと同時に亡くしたかもしれないのだ。落ち込まないわけがない。

 小柄で生真面目で、素直じゃない蘭を嫌う人間などこのフロア―にはいなかった。

 タマルは立ち上がって報告した。「現役の妖術使い、IBAIに所属している人も含めて、民間で妖術使いをしている者、それから引退又は追放された妖術使いにも範囲を広げ、金銭の授受に的を絞って、銀行口座、又は不釣り合いな額の買い物をした者がいないかを調べています」

「分かった。そのまま続けてくれ、蛍雪が戻るまでタマルが主任代理だ。自分の判断で動いてくれ」

「分かりました」タマルは着席した。

 次にフランクが立ち上がって報告した。「術書のタイトルが分かったんでそれを売った店が無いか調べたところ5件見つかった。残念ながらキャッシュで払ってるから買った人間が誰かまでは分からなかった。これから本屋に行って買った者が誰なのか俺と、白鶴が行って確認してくる」

「いいだろう。今あるのは蘭に不利な証拠ばかりだ。大八木に繋がる証拠を見つけ出さなければかなりまずい状況になる。必ず引っ張り出して檻に閉じ込めるんだ。仲間を傷つけられたまま黙ってはいられない、俺たちを怒らせたことを後悔させてやる」英俊が解散を告げると、それぞれに怒りの表情を湛えていた。

 普段穏やかな瞳のフランクまでもが、怒りを湛えているのを見て律は、よほど蘭はこの面子に愛されているんだなと思った。

 何が何でも守らなければという思いで団結している彼らを羨ましいと思った。自分のために必死になってくれる人は何人いるだろうかと考えた。

 しばらくして蛍雪が戻ってきて英俊に声をかけた。「蘭は実家に帰りました。自分を保護したときのことをお父様に聞きたいそうです」

「蛍雪、蘭に危険が及ぶと思うか?護衛を付けた方がいいだろうか」

蘭から事情を聞いていた蛍雪は答えた。「蘭を犯人に仕立てようとしているからには殺しはしないでしょう。それに蘭は護衛を嫌がるでしょうね」

 異象物採取班が押収してきた――古代語で書かれているので、読めない英俊に解説していた――本から律は顔を上げた。「それなら海星君に葵を貸してくれるよう頼んでみたら?」

 律が誰の事を言っているのか分からず英俊はぽかんとした。「葵って?聞いたことないぞ」

「俺が使役してる蝶の妖だよ、海星君のおばあさんの芽依ちゃんに付いていたはずなんだけど、俺のところに戻ってこないから、海星君のところにいるんじゃないかな」

 英俊はテレグラフィーで局長を呼び出した。「局長、蝶の妖で葵ってご存じですか?」

「ああ、私の孫のところにいるよ、それがどうかしたか?」

「今ある証拠が示している犯人は蘭なんです。真犯人は真相が暴かれることを想定して蘭を陥れる小細工をしているようです。蘭の身に危険が及ぶ可能性は低いかもしれませんが、万全を期したいと考えています。蘭に護衛を付けたいんですが、多分蘭は拒むでしょう。そこで局長にお願いがあります。葵を貸していただけないでしょうか」

「なるほど、葵に見張らせようということだな」

「そうです、それなら蘭に気が付かれずに護衛できると思うんです」もし護衛がバレたとしても、律に憧れを抱いている蘭なら、律が使役している蝶の妖を受け入れるだろうと英俊は思った。

「分かった。葵にIBAIに来てもらえるよう頼んでみよう」海星は通信を切って、目に入れても痛くないほど溺愛している孫娘に連絡した。

 そこへタマルがオフィスのドアをノックした。「見つけたかもしれません」タマルはスクリーンに情報を映した。「津田つだ賢澄けんと、9年前にIBAIを退職しています。犯罪グループから捜査の情報と引き換えに、金銭を受け取っていた罪で告発され、2年服役した後出所しています。5年前口座に多額の現金が振り込まれています」

「よく見つけましたね。では津田の自宅に乗り込むとしましょうか。締め上げますよ」凶悪な笑みを浮かべた蛍雪はチームを引き連れて出て行った。

 術書に書かれていることを解説してもらっていた英俊は憤慨していた。「何で人の害になるような術を考える奴がいるんだ?」

「それは人間の永遠の課題だね、他人よりも優位に立ちたい、他人が持っている物が欲しい、自分にはそれだけの力があると誇示したい、そしてちょっとした好奇心」

 英俊は嘆じた。「人間ってつまらない生き物だな」

「そう?世界が発展するのは、そういった人間の欲があるからじゃないかな?悪いものを世に解き放つ反面、良いものも世に解き放っている。この100年で随分と世界は発展したと思うよ」

「悪いものは解き放ってくれるなと言いたいが、まあ仕方がない、それが弱き人間だってことなんだろう――この中から次に大八木が何をするのか見当をつけたいけど、これだけ術があるんじゃお手上げだな」

「全てに対応しようと思ったら時間がかかる、エンジュがいる間を狙ってるだろうから、もうそんなに時間はないよね」律は何が起きてもいいように犬を呼んでおいたほうがいいだろうかと思案した。

 そこへ冴えない顔をしたフランクたちが戻ってきた。「確認が取れたけど問題がある――買ったのは蘭だ」

「何⁉︎そんなことあるはずがない」英俊はフランクから渡されたテレグラフィーを受け取った。そこには本屋で本を買う蘭の姿が映し出されていた。

「店の防犯カメラの映像だ、5件とも蘭が映ってる」白鶴は手のひらを上に向けて、何がなんだかさっぱりわからないという仕草をした。

 英俊は振り返って律を見た。「他人になりすます術はあるか?」

「そんな術は聞いたことない。でも方法がないわけじゃないよ。シェイプシフターって聞いたことある?」

「架空の生き物だろう?」英俊は子供の頃に映画で見た記憶があった。

「シェイプシフターは実在するよ。トカゲの妖が変異したもので、本当に上手く化けるからその存在を知られていないだけなんだ。俺も片手の指で数えられるくらいしか会ったことがない」

「そいつなら蘭に化けられるのか?」英俊が訊いた。

「うん。妖も人に化けるけど、そっくりとまではいかない。でもシェイプシフターなら本物と見分けがつけられないくらい完璧に化けられると思う。シェイプシフターを探すのは至難の業だけど、もし取り引きしたのなら、証が大八木の体にあるはずだよ。彼らは仕事の依頼を受けるとその代償に生殖器を取っていく。まあ要するに睾丸が無くなってる――」痛そうだなと思った律は不快そうに口元を歪めた。

「まさかそれって……食べるとか言わないですよね?」自分の股間を押さえたい欲求にフランクはかられた。睾丸を引きちぎられるところを想像して、苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「うん……食べる。彼らにとっては滋養になるらしい」

 気分が悪くなりそうな話に、英俊は握った拳を口元にあてた。「想像したくはないな、けど一応証拠にはなる」

 白鶴が言った。「そこまでして蘭を陥れたいってことはかなりの恨みだよな。あいつまだ帰ってきてないのか?呼び戻したほうがよくないか?」

 蘭が出て行ってからそろそろ2時間半が経つ、そろそろ連絡してみようかと英俊が思っていた時、英俊のテレグラフィーが鳴った。表示を確認すると局長からだった。

「何か感づいたらしい、大八木が尾行を撒いて姿を消した」

 英俊の胸に警鐘が鳴った。「分かりました。蘭を探します」

 すぐさまフランクは蘭のテレグラフィーを呼び出したが、呼び出し音が鳴るだけで応答はなかった。「――ダメだ、出ない」

 英俊はITTの新人ホリー・ウィンターにテレグラフィーをつないだ。気が急いていて呼び出し音が鬱陶しく感じた。早く出ろと歯の隙間から絞り出すように吐き捨て、テーブルを指でコツコツとつついた。「ホリー、頼みがある。誰にも知られないように蘭のテレグラフィーが今どこにあるか探してくれないか」

 英俊のただならぬ雰囲気に気づいたホリーは、急いで蘭のテレグラフィーから発せられるシグナルを追った。「IBAIから南西の方角に移動していますね。速度からするとマーブルに乗っているようです」

 英俊は走り出した。「後を追う。方角を指示してくれ」

「分かりました」

 全員が英俊の後を追って駆け出した。地下のエアポートに着くと転がるようにしてイリデッセントクラウズに乗り込んだ。

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