第12話 過去からの来報 1

 翌朝5時に目が覚めた英俊は、局長の増田海星に会議への出席を求めるメッセージを送った。

 眠っている律を抱きしめて、今日の予定を頭の中で整理した。

 早朝、会議を開くこと、そこで昨夜つかんだ情報を話さなければならないが、ITTの部長が今回の事件に絡んでいるとするならば、とんでもない衝撃がIBAIを揺らすだろうし、彼の功績を知っている者のほとんどが、信じられないと思うだろう。

 未だに自分も信じられないくらいだ。ただの奇妙な偶然と言った方が信じられる。

 大八木朔の身辺を調査するとなると極秘で事を進めていかなければならない、オフィスで仕事をするよりは、結界を張った会議室で仕事をした方がいいかもしれないと考えた。

律が起きたら会議室を1室押さえることを、頭の中のやることリストに書き留めた。

 鍵のかかった情報もあるかもしれない、それは局長権限を行使してもらわなければいけないなと思い至って、こんな時は局長という立場に同情するしかないと増田局長を気の毒に思った。

 もしも本当にIBAIの人間が事件を起こし、死者まで出たとなれば矢面に立たされるのは局長だろう。

 引き続き駆け落ちした打田琉人と日夏茜の行方を追うことと、その2人の間に産まれたであろう子供の捜索にも、時間を割かなければならないと英俊は考えていた。

 この事件の鍵は未だ見つからないこの家族にあるのは明らかだ。

 両親が子を道ずれに無理心中したのかもしれないが、駆け落ちが成功したのにそんなことするだろうか?

 やはり、両親の顔から子供の顔を推測して、顔認識にかけてみよう、子が養子に出されたという可能性も無きにしも非ずだ。

 頭の中で思考を転がしていると、英俊の腕の中で律が身じろぎして目を覚ました。

 英俊は律の頭にキスして起き上がり、コーヒーを注ぎに行った。「朝飯は日曜に買っておいたフリーズドライでいいか?」

「うん、いいよ」律はコーヒーを受け取りシャワーブースに向かった。

 英俊もスチームクッカーにプレートを2人分セットしてから律の後をついて行った。

 このスチームクッカーはフリーズドライ食品をセットするだけで、まるで出来立てのような食事が手軽に楽しめるという便利調理器だ。忙しいビジネスマンや朝はてんやわんやになりがちな家族家庭に人気の調理器で、一家に一台必ずあると言っても過言ではない。スーパーにも食品会社が競って販売しているフリーズドライ食品が大量に並ぶ。

 英俊はいつものように体を洗ってやったり、髪の毛を乾かしてやったり律の世話を焼いた。そしてそれを楽しんだ。

 スチームクッカーにセットされていたフリーズドライのパンと、スクランブルエッグにベーコン、それから律が苦手なブロッコリーはふっくらと美味しそうに仕上がっていた。

 英俊はテーブルに朝食を並べて座り、テレグラフィーを弄りながらパンを齧った。「7時に局長がオフィスに寄ってくれるらしい」

「今回の事に大八木朔が関わってると思う?」律は2杯目のコーヒーをカップに注いだ。

「分からない、偶然という可能性もあるが、亡くなった7人が働いていた旅館の1人息子だったんだから一通り調べる必要がある――律は疑ってるのか?」

「うんちょっとね、俺はなんかあの人苦手っていうか、負の感情が強すぎて居心地が悪いんだよ」

「ふーん、そんな風に思ったことないな、冷静沈着な人ってイメージだな。大八木朔を犯人だと言い切れないのは、彼が妖術使いじゃないからだ。地獄の門を開けたり、幽霊武士を操るなんていくら優秀な部長でも無理だろう?」

「それはどうかな、あの人と握手したときに感じたけど霊力強そうだよ。術さえ知っていればできないことないと思う」

「そうなのか?」英俊の頭の中で疑惑の種が芽吹いた。

「うん、だからちょっと気になってたんだ。何でITTにいるのかなって、捜査官とか妖術使いになれそうなのに」

 ITTの責任者という立場は大きいが、捜査官や妖術使いの方が花形だ。捜査官になる為には4年間アカデミーに通わなければならない。そして卒業試験に合格した者しか捜査官になることはできないし、妖術使いに至っては、12歳の頃から妖術学校に入学し、修行を積んだ言わばエリートだ。

 ITTで働いている技師たちは皆、アカデミーにも妖術学校にも通っていない一般人だ。よって霊力を使うことができない。そうなると当然給料にも差が出る。

 英俊は首を捻った。ITTで働いている大八木朔はどこで霊力を身につけたのだろうか?

 英俊と律は紬を連れてエンジュを迎えに行き、イーに餌をやった後、エンジュと別れてオフィスに向かった。

 英俊は松倉チームと共同で使っているラウンジにスクリーンを設置した。

 フランクは大きな欠伸をしながらコーヒーカップを持って、ラウンジのソファーに座った。

白鶴は相変わらず年末の旅行の予定をテレグラフィーに書き込んでいた。

蛍雪はニュースを見ている蘭にコーヒーカップを渡し隣に座った。

 紫雲チーム、松倉チームが揃ったところで、増田海星がラウンジに入ってきた。

英俊は増田海星に謝った。「局長、朝早くにお呼び立てして申し訳ありません。至急許可が必要なんです」

「気にするな、どうせ健康のためだと言って妻に早朝からたたき起こされるんだ。昨日の報告書はここに来るまでに読んだ」海星はフランクが持ってきたコーヒーを受け取って、目を覚まそうとするかのようにゴクゴク飲んだ。そして少し舌をやけどした。

 英俊はオフィス全体をプライバシーモードに切り替えた。ガラスは一瞬で曇り外からは中の様子が伺えない。音も完全に遮断され会議の内容が外へ漏れることは決してない。

 英俊はスクリーンに逸朔の写真を映した。「彼は〈城田市〉の旅館うつ田の1人息子でした。父親の打田琉人が失踪した3年後、母親の悠莉は自殺、その後の逸朔の消息がつかめません」英俊は海星に訊いた。「局長、彼に見覚えはありませんか?現在38歳のはずです」

海星は少年の写真をじっくりと見た。「そうだな見覚えはないと思うが――でもなんか引っかかるな」

「昨日ずっと見続けたせいか何となく見覚えがある気がしたんです。それでたんなる思いつきだったんですが、親戚の名前と照らし合わせてみました」英俊は大八木東吾と祐夏の経歴をスクリーンに出した。「大八木東吾は琉人の兄嫁の弟です。そして大八木朔の養父です」英俊は大八木朔の写真を少年逸朔の写真の横に並べた。

 全員が驚きざわついた。

 海星は拳を自らの頭にコツコツと当てた。「偶然ということもある」

英俊が言った。「はい、ですが偶然かどうかを調べる必要があります。ITTの部長の経歴を調べるには局長の許可が必要です」

「調べるよりほかないだろうな、分かった、許可する。だがこのことは外に決して漏れないように」

「分かりました。それと局長、念のため大八木部長に見張りをつけたいのですが」新たな事件を起こされることは絶対に阻止しなければならないが、調べていることに感づかれて逃亡される可能性もあると英俊は考えた。

「それは私が手配しておこう。これは頭が痛くなるな、ただ彼には地獄の門を開けたり、幽霊武士を操ったりすることは不可能だろう、妖術使いの私にもできそうもないぞ」海星は立ち上がった。

 律は2人の話しに割って入った。「術さえ知っていれば海星君にもできるよ。大八木朔にもできると思う。どこで鍛えたのか知らないけど彼は霊力が強い」

「律さん、ますます頭が痛くなりそうだ」

頭を抱えてオフィスを出て行く海星を律は気の毒そうに笑った。

 英俊は指示をだした。「引き続き琉人と茜、それから子供たちの捜索を続けてくれ、俺は大八木部長を調べる」

「手伝いますよ、責任は2人で背負ったほうが軽くなるかもしれない」蛍雪は英俊ににっこりと笑いかけた。

 英俊は声を落とした。「蘭が好きだからって個人的に調べたいんじゃないだろうな」

「違いますよ」蛍雪のこめかみがぴくぴくと動いた。

 蘭はひそひそと話している2人を不思議そうに見た。

 蘭と目が合った蛍雪は咄嗟に目を逸らした。正直図星だった。蘭にやたらとベタベタ触る朔が気に食わなかった。自分がそう思っていることに今まで気づいていなかったが、エンジュや律に指摘されたとたんに意識し始めてしまった。

昨晩は眠れないほどに蘭の事を考えたが、答えは出なかった。蘭は友人で、単に友人を取られる気がしているだけだ、所有欲が働いてしまっているだけだと自分に言い聞かせ、頭を切り替えた。

 目を逸らされた蘭は、いったい何の話をしていたのだろうかと益々気になった。

 英俊と蛍雪は会議室をプライバシーモードに切り替えて検索を開始した。

「養子になる前は鍵がかかってるな、局長に言って鍵を開けてもらおう」英俊は増田海星にメッセージを送った。「ところでいつから蘭の事が好きなんだ?」英俊はニヤニヤ笑った。

 唐突な質問に蛍雪は動揺して、飲んでいたコーヒーを吹き出した。「違いますよ、私は蘭の事をそんな風に見たことはありません」

「ふーん、素直じゃないな」

 蛍雪が反論しようとしたところで海星から、鍵を開けたという知らせが届いた。

「お、鍵が開いたぞ、さて何が出て来るかな。やっぱり実の両親は打田琉人と悠莉だ、それ以外は何もないな、なんで鍵なんてかけてるんだ?両親を知られたくないのかな?」

「父親が駆け落ち、母親が自殺とくれば同情されること間違いなしですからね、大八木部長はプライドの高い人です、同情されることを嫌ったのでしょう」

英俊は揶揄った。「蛍雪君、トゲがある言い方だね」

「だから、違いますって!」蛍雪は苛ついて拳を握った。「妖術学校の入学者の名簿を調べてみましたが、大八木朔の名前はありませんね、念のため打田逸朔でも調べてみましたが空振りです」

「独学ってことなのか、それはそれでスゲーな」

「もし大八木部長が今回の件に関わっているとしたら、動機は復讐ですよね。父親を自分や母親から奪った7人が許せなかった」

「そうだな、小さな逸朔君からしたら突然、父親が自分と母親を捨てて女と駆け落ち、あげく母親に無理心中させられそうになったんだ、恨みたくもなるよな。お前は大八木部長がやったと思うか?」

「ええ、筋が通りますから」

「だよな俺も大八木部長で間違いないんじゃないかって気がしてるんだよな。エンジュが霊力を発揮したタイミングを見計らって事件を起こし、罪を隠そうとしてるように思うんだ。それって内部を知るやつじゃないとできないことだろう?」IBAIの局員が――しかも部長が逮捕なんてことになったらIBAIはめちゃくちゃ叩かれるだろうし、主任捜査官として記者会見に出席しなければならないなと思うと英俊は胃がキリキリと痛んだ。

「なあ、蛍雪、主任捜査官変わってくれないか?」

「嫌ですよ、記者会見に出たくないからでしょう?私だってあんなものできれば遠慮したいですよ――いつから計画していたんでしょうか?エンジュが天界から落とされたのは好機だったはずです」

「ITTの部長になれば人を個人的に捜索するのは簡単だろう。そのためにITTの部長を目指したのかもしれないな、だとすると少なくともIBAIに入局した時には既に計画していて、機会を窺っていたのかもしれないな」

「――気の遠くなるような計画ですね」

「それだけ恨みが強かったのか、執念深い性格なのかもしれないな、じゃないと最年少でITTの部長になんてなれないだろう、そのうち市長選にでも出るんじゃないかって噂もあるらしいぞ」

 英俊のテレグラフィーが検索を終了した。「何の検索です?」蛍雪が訊いた。

「琉人と茜の顔から子供の顔を予想して検索をかけてみたんだ。あんまり正確じゃないから期待はできないんだけどな。引っかかった者を28から29歳で絞って、更に出生証明書が無い者で絞り込むと、お!13人に絞れたぞ」やっとつかんだ手ごたえに、はやる気持ちを押さえながら英俊はスクリーンに情報を映した。

 スクロールしていく英俊の手が止まった。「――蘭だ」

 スクリーンには蘭の写真と経歴が映し出されていた。

「まさか!何かの間違いでは?顔の予想は不正確ですから」

「――そうか?蘭は養子だ、親父さんが森の中で、蘭の花を栽培してるときに捨てられていた赤ん坊を見つけて連れ帰ったんだ。蘭は今28歳だ」英俊は呆然とした。

「結論づけるのは早すぎます。何故琉人と茜は子供を森の中に残して行ったのでしょうか、説明がつきません」蛍雪は蘭を守らなければと咄嗟に思った。

「一理ある。駆け落ちするほど愛し合っていた2人が子供を捨てるとは思えない」

「でしょう?これは一旦保留にしましょう。何か進展があった時に再検討すればいい。蘭には知らせないほうがいいでしょう。動揺するといけません」

「なあ、蛍雪、俺も蘭を守りたいよ、お前と同じようにな、俺にとって蘭は弟みたいなもんなんだ。蘭にはまだ知らせない、けど調べは進める」珍しく慌てている蛍雪の沈んだ顔を見た。「そんな顔して本当に好きじゃないって言えるのか?蘭に会う時はその顔するなよな」

 英俊に背中を思いっきり叩かれた蛍雪は少しせき込んだ。「私は蘭をただ――分からない、自分の気持ちが分からない」蛍雪は天を仰いだ。「蘭が毎日笑顔で『おはよう』って言ってくれることに癒されるんだ。蘭が他の誰かと仲良くしているのを見るとイライラする。君の事も何度蹴り飛ばしてやりたいと思った事か」蛍雪は痛々しい笑いを漏らした。

「おい!俺を蹴るなよ!俺と蘭は兄弟みたいなもんなんだって」

「……でも私はゲイじゃない」

「俺だってゲイじゃない、でも両方いける。男女の違いなんてほとんどないぞ、突っ込むところが違うだけだ。人としてどう思うか、自分のものにしたいって思ったらそれは恋なんじゃないか?」

 蛍雪は手で顔を覆って、ため息をついた。

 会議室のドアを叩く音がして、英俊がドアだけプライバシーモードを解除すると、律がひょっこり顔を出した。英俊はドアを開けて律を中に入れた。

「検索が終わったよって言いに来た。でも何も見つからなかったよ」

「そうか、ありがとう。こっちはちょっと進展があった。ここだけの秘密にしてくれるか?」

「うん、いいよ」

「琉人と悠莉の顔から子供の顔を予測して検索したら蘭がヒットした。蘭は養子だし28歳だありえないことじゃないが、森の中に捨てられていたところを保護されてる。琉人と茜が何故、子供を森の中に置き去りにしたのかってことが腑に落ちない」

「おお、なるほど、それはなかなかの急展開だね。俺は誰にも言わないけど、英俊は蘭に伝えた方がいいんじゃない?」

 英俊は律の肩を握った。「ダメだまだ伝えられない、もっとはっきりしたことが分かるまでは黙っているつもりだ」

 律は英俊の手を宥めるようにそっと叩いた。「自分だったらどう?分かった時点で伝えてもらいたい?それとも後から知らされたい?」

「それを言わないでくれ、蘭を守りたいんだ」英俊は肩を落とした。

「それって守ってることになる?隠されてたと知ったら蘭は、殻に閉じこもってしまうんじゃないかな、今真実を知ったとしても同じように蘭は傷つくと思う、傷つくことを避けられないなら、側にいて支えてあげられる方を選ぶべきだと思うな」

「確かに律さんの言う通りです。私たちが隠し事をしたと知ったら蘭は怒りますよ」蛍雪は苦渋の決断をした。「今話しましょう」

 律は英俊の悲愴な顔を両手ではさんで唇に唇を重ねた。「英俊が傷ついたら俺が慰めてあげるね」

 英俊は律をギュッと抱きしめた。「ありがとう、頼りにしてる」

 琉人と茜の子供が蘭だったとしたら、恐ろしく仲の良いあの家族にひびが入ってしまうのではないか、大きな溝となってしまうのではないかと思うと心配で心が沈んだ。

 自分にしてあげられることがあるなら何でもしたいが、あの家族を守るためには何をすればいいのか見当もつかなかった。自分が酷く無力な存在に思えて吐き気がした。

 蘭に会議室まで来るよう英俊は伝えた。

 すぐに蘭が会議室のドアを叩き、蛍雪はドアを開けて蘭を招き入れた。

「何か分かったのか?」蘭は促されるまま椅子に座った。

 蛍雪は蘭の肩に手を置いた。「進展なのかどうかまだ分からないんです。話し合った結果、君には知らせておいた方がいいと思ってね」

「何だよ俺に知らせておいた方が良いことって」蘭は英俊を見た。

「琉人と茜の顔を元に、子供の予測をして顔認識にかけたんだ。それで蘭がヒットした」

「え……俺?」

「親父さんが赤ん坊のお前を森の中で保護したのが29年前だ。森の中にいた経緯は不明だがありえない話じゃない」

 蛍雪は精一杯の優しい眼差しで包み込むように、混乱した瞳の蘭と目線を合わせた。「蘭、まだはっきりとしたことは分からないし、子供の顔を予測したものだから正確とも言えません。今から気に病む必要はありませんよ」

「――でも可能性はある」蘭は考えがまとまらなくて、手のひらで目をギュッと押さえた。

 その手を蛍雪は繋ぎ止めるようにしっかりと握った。「大丈夫、私たちがついています」

 蘭は蛍雪の肩に頭をもたせ掛けた。「ダメだ俺……考えがまとまらない」

 動揺している蘭を落ち着かせようと蛍雪は、そっと蘭の体に腕を回して背中を撫でた。

 律は英俊を促して外に出た。「2人だけにしてあげよう」

「あいつら進展するかな、どこまでいくかな、もしかして抱いちゃう?」期待に胸をふくらませた英俊は、ちょっと覗いてみたい気分になった。

「もう、冷やかさないの!」会議室の中を覗こうとする英俊の体をグイグイ押した。「ほら行くよ!飯を食いに行こうよ。俺腹減った」

英俊は時間を確認した。「そろそろ昼か、何食いたい?」

「肉!」

「いいね、牛丼を食いに行こう」

 英俊と律は連れ立って黒岡の街に向かった。

 蛍雪の匂いと体温が蘭を少し落ち着かせた。「俺さ、実の両親のことをあんまり考えたことないんだ。血は繋がってないけど、ちゃんと俺には両親がいた。だから捨てられてたって聞いても不思議と悲しくなかったんだ。だってそのおかげで今があるって思えたから」

「君たち親子はどこの親子よりも仲がいいからね」

「うん…… 琉人と茜は死んでると思うか?」

「分からない――けど、私には琉人と茜が赤ん坊を捨てていく人たちだとは思えない」

 事故か事件か、何かがあって両親は死んでしまった?だから自分を育てることができなかったのだという事実を、蘭はどう受け止めたらいいのか分からなかった。「蛍雪、俺どうしたらいいんだろう」

 涙にぬれた瞳を向けられて蛍雪はたまらなくなり、蘭の唇にそっと唇を重ねた。

 目を丸くしている蘭を蛍雪はクスッと笑った。「どうやら私は君の事が好きなようです。多分ずっと前から、最近やっと自覚しました」蘭の頬を撫でた。「蘭は私の事が好きですか?」

 蘭は跳ねるように立ち上がった。「何言ってんだよ、俺は……男だぞ」

「分かっています」

「じゃあなんで――俺とお前はずっと友達だった」

 立ち上がって蘭と向かい合った蛍雪は、手を握って指を絡ませた。「そうですね、だけど君への気持ちに気づいてしまった、もう後戻りはできません。君の気持ちを聞かせてもらえますか」

 握られた手が熱くて、蘭は首まで真っ赤だった。「――好きだ」

「良かった」蛍雪は視線をそらして下を向いた蘭の顎を、そっと撫でて上を向かせた。唇を触れ合わせ深く濃厚なキスをした。

 蘭は夢心地だった。ずっと憧れていた人とキスしているなんて信じられなくて、体が浮いてしまいそうなほどフワフワとして、官能的なキスに酔いしれた。

 潤んだ瞳に上気した頬、濡れそぼった唇、どれもこれも愛おしいと蛍雪は思った。「すごくかわいい」

「俺は男だ!かわいくなんかない!」蘭はムッとした。

「これは失礼しました」蛍雪は愉快そうに口角を上げた。素直じゃない彼は実に楽しい、見ていて飽きないなと思った。

 蛍雪は蘭のひたいに唇で触れた。「お昼にしませんか?お腹が空いたでしょう?」

「チョコレートがある」

「チョコレートはご飯じゃありません。ちゃんとしたものを食べに行きましょう。蘭はほっとくと食生活が散々になりますから、これからは私が管理しますよ」

「……必要ない」口ではそう言ったが、毎日一緒に食事ができるということなのだろうかと思うと嬉しかった。

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