第9話 イー

 雛菊が地図上で指し示した場所へ向かった。辿り着いた時には雨は上がっていた。

 そこは山のてっぺん、溶岩石がゴロゴロと転がっていてマーブルを下ろすスペースが無かったので、マーブルは浮かせたまま英俊が砂を操ってみんな――この場にいる、心臓が動いている人間のみを地面に降ろした。というのも到着するなり律と雛菊は飛び降りて、紬は羽を広げて飛び立ったのだから、英俊の力は必要なかった。

「こんなところなら、人に被害は無さそうだな」これ以上、エンジュの傷ついた顔を見たくなかったフランクは愁眉を開いた。

「あの洞窟の中よ、私と紬はここで待ってるわ」雛菊は意味深な言い方をした。

「え!ちょっと待って、その言い方はあの洞窟に入りたくないって言ってるように聞こえるんだけど⁉︎」動揺のあまりフランクの声がうわずった。

「フランク、大丈夫だよ、俺が先に行って見てくるから」律は躊躇いもなくずんずん洞窟に入っていった。

そう言われても1人で危険な場所に行かせられないと思って、英俊は警戒しながら後を追った。

 尻込みするフランクを横目でチラリと見た白鶴は、鼻で笑って洞窟に入った。

 口許をピクピクと引きらせて、白鶴に怒りを向けたフランクは、蘭に背中をグイグイ押されながら洞窟に入って行った。

 犀星はその2人の後を崖から飛び降りるつもりで意を決して追った。

 先頭を歩く律は、暗い洞窟の内部を妖術を使って明かりを灯し照らした。

 6人が洞窟の最奥さいおうに辿り着くと小さな鳥が隅にうずくまり、ブルブルと身を震わせていた。

 律はよく見ようと数歩近づいた。「ああ、嘘だろう!イーだ。イーに間違いない、よしちょっと離れよう――入り口まで走れ!」

 律の慌てた声に恐れをなしたフランクは全速力で走った。息せき切って1番先に洞窟から飛び出す。「ちっちゃい鳥に見えたけど何で走らなきゃならないんだ!」

 一緒に走って出てきたというのに、律は全く息を切らしていなかった。平然たる態度で答えた。「威嚇の鳴き声が尋常じゃない、あんな近くで聴いたら1ヶ月は耳が聞こえなくなってしまうんだ」

 その時洞窟の奥から耳をつんざくような高い音が響いた。

 英俊は耳を押さえた。それでも頭が割れるような感覚に顔を歪めた。「あれが鳴き声なのか?楽器を鳴らしたような音だな」

「イーは400年前に絶滅したはずだ。5本の尾っぽから精力剤が摂れる。そのせいで乱獲されて絶滅してしまったんだ」

「復活したのは言うまでもなく、エンジュの力ね」紬と一緒に待っていた雛菊は耳栓を取って言った。

 それをフランクは指摘した。「あ⁉︎ずるいぞ、自分たちだけ耳栓しやがって、知ってたなら俺たちにもくれよ」

「だって2つしかなかったんだもの、ごめんなさいね」雛菊は片目を瞑ってにっこり笑った。

「IBAIに防音がしっかりした部屋はあるか?」律が訊いた。

「地下のラボに防音室があります。使わせてもらえるよう局長に頼んでみます」蘭はテレグラフィーを操作してメッセージを送った。

「それじゃあ、考えるべきは、イーを怖がらせることなく連れ帰るにはどうしたらいいかだな」律は腕を組んで考えた。「確かイーは蜘蛛を食べるんじゃなかったっけ?」

「そうよ、まさか餌付けでもするつもり?」呆れ顔で雛菊が訊いた。

「うん、こんな標高の高いところに蜘蛛なんていないだろうから、きっと腹を空かせてるはずだ」

「じゃあ一旦下山して蜘蛛を捕獲しに行くとするか」英俊が言った。

「私たちはここで見張っててあげるわ」雛菊と紬を残して全員イリデッセントクラウズに乗り込んだ。

「あれって蜘蛛を捕まえるのが嫌だからじゃないのか?」遠ざかる雛菊と紬に手を振りながらフランクが言った。

「よく気づいたなフランク」大げさに褒めそやした言葉で、白鶴はフランクを嘲笑ちょうしょうした。

 フランクは口を尖らせ、白鶴が言った言葉を無視して椅子に座った。

 山の麓に着くと律は口笛を吹いた。その音にうじゃうじゃと虫が集まってきた。

「うわっ⁉蜘蛛じゃない虫まで集まってきちゃったけど、どうすんだ?」フランクは足をじたばたさせて虫が体に這い上がってこないようにした。

「悪いけど蜘蛛だけより分けてくれ」律はしゃがみ込み、蜘蛛を素手でつかみ上げて、証拠品袋の中に入れた。

 じたばたするフランクに英俊が言った。「おい、虫ぐらいで騒ぐな、ちょっとじっとできないか?蜘蛛が逃げてしまうだろうが」

「俺は都会育ちなんだ!湖のほとりで育ったお前と一緒にすんな!」

 大の大人たちは熱心に30分ほどかけて蜘蛛を追いかけ捕獲していった。一番多く捕獲したのは犀星だった。

「犀星の意外な才能だな」犀星の手に握られている証拠品袋の中で蠢いている大量の蜘蛛を英俊は覗き込んだ。

「昔から虫取りは得意で」犀星は照れて顔を赤くした。

「それに比べてフランクのそれは何だ?たったの3匹かよ」蘭は呆れた。

「俺の周りに蜘蛛がいなかったんだ」フランクは腕を組んで顎を突き出した。

「いなかったんじゃない、お前がじたばたするから逃げたんだろうが」白鶴はフランクの背中を肘で小突いた。

「だって虫が体を這いあがってきたら気持ち悪いだろう」フランクはまぐれで捕まえることができた3匹の蜘蛛を見た。自分なんかにつかまったこいつらは大間抜けだと思った。

 洞窟の前まで、英俊たちが大量の蜘蛛を持って戻ってくると、雛菊と紬は椅子に座りテーブルに並んだお菓子を食べながら、優雅にピクニックを楽しんでいた。

 苦々しい顔をしたフランクは文句を言ってやろうかと思ったが、雛菊から労いの言葉とバターケーキをもらってご機嫌になった。「でもどうやって持って来たんだ?」

「袋に入れてきたのよ」キョトンとするフランクを見て雛菊はその顔の意味を飲み込んだ。「そうか、今のIBAIは異空間を使わなくなってしまったんだったわね、忘れてたわ、この袋は異空間に繋がってて沢山物が入るのよ」

「それが使えるほど霊力の強い人間がいないんだ」英俊はIBAIのトップチームを率いる主任捜査官として胸を張って仕事をしてきたつもりだが、律や雛菊との力の差をまざまざと見せつけられて、今は自身を失くしかけていた。

「その術は昔から一部の人間にしか使えなかったよ。他人に悪用されないようにと思って俺が難しくしちゃったんだ。もう少し簡単に使えるように改良してみるよ」肩を落とした英俊に律が言った。

 その一部の人間の中に、律がかつて心から愛した人も入っているのだと思うと、英俊は悔しさと嫉妬心が湧きあがってくるのを感じた。

「だけどこの蜘蛛をどうやってイーのところまで持っていくんですか?」蘭は律に訊いた。

「俺が行って木箱の中に入ってくれるよう手なずけてみるよ、そうすれば鳴き声を聞かずにIBAIまで連れて帰れる」

蜘蛛の入った袋を全部持って、洞窟に入っていこうとする律の前に英俊は立ちはだかった。「それは賛成できない、木箱に入る前に鳴き声を上げられたらどうするんだ、聴力を失うかもしれないんだろ?今律の聴力に問題が起きたら困ったことになる」

「俺の耳は修復できるから心配しなくていいよ」

「本当に元通り修復できるのか?少しも悪くなることはない?」

「無いよ」律は心配で顔を曇らせた英俊の顎を撫でた。

 英俊は律の唇に自分の唇を軽く触れ合わせた。「分かった、でももし、危険だと思ったら無理はせずに諦めて出て来るんだぞ。自分の身を守ることを優先してくれ、いいな」

「分かった、ちゃんと無事に戻って来るよ、約束する」律は安心させるように英俊の手を握った。

 1人洞窟の中に入っていく律を英俊たちは見守った。

 それから30分ほど経過して、焦れた英俊は洞窟に入ろうとして、後ろ襟を雛菊に掴まれた。

「何考えてるの、あなたは行っちゃダメ、大人しく待ってなさい。鳴き声が聞こえてこないのは順調にいってる証拠、律は突飛な行動をする人だけど無茶はしない」

 英俊はなかなか進まない展開に唇を噛んで耐えた。

 それから更に20分が経過したころ、洞窟の中から律の姿を捉えることができた。ずっと律が心配でおかしくなりそうだった英俊は、やっと大丈夫だと自分に言い聞かせることができた。

「律、無事か?イーは木箱に入ってくれたか?」英俊は律の体をギュッと抱きしめてその感触に安堵した。

 悪魔である自分にはこの程度の事、全く危険はないというのに酷く心配する英俊を律はクスクスと笑った。「大丈夫、無事入ってくれたよ、今頃地獄は大騒ぎだろうね、イーの鳴き声で鼓膜が破れた奴らの耳を、死出虫が大急ぎで修復してるんじゃないかな――急いでIBAIに戻ろう」

 律はイリデッセントクラウズに全員が乗り込んだのを確認して、IBAIへ向けて動かし速度を目一杯上げた。


 道中自分の服の中から虫が這い出てきて、大騒ぎしたフランクはげっそりしていた。

「どうも松倉主任、もう昼を過ぎているというのにスーツに皺ひとつない、素晴らしい!きっと虫なんか這い出てきたりしないんでしょうね」涼しい顔をして立っていた蛍雪を見てフランクは当てこすった。

 うちのチームだけで対処できそうだ、局で待機していてくれと蘭から連絡を受けて、待機していた蛍雪は地下のエアポートで、紫雲チームを出迎えようと降りてきていた。

「フランクはどうしたんです?」蛍雪は蘭に訊いた。

「虫が怖かったんだって」

「はあ……虫ですか……」蛍雪は今一状況が飲み込めず首を捻った。

 地下のラボに向かうと、局長の増田海星と、ITTの大八木朔が待っていた。

「局長、ラボを占領してしまってすみません」英俊が言った。

「鳴かれたら困るからな致し方ないだろう。だがずっとこのままというわけにはいかないから、どこかに防音室をもう一つ作る必要があるな」

「いや、その必要はないよ。天界からエンジュを迎えに来る天使に託せばいい。このまま地上にいても種族が増えることは無いし、絶滅した経緯を思うと天界に行った方が安全だろう。エンジュを連れてきてくれる?」防音室に一人で入った律はイーを木箱から出してやった。

 内側が灰色の布で覆われている防音室を、英俊たちは外の小窓から覗き見た。

 部屋の中をグルグルと飛び回ったイーは律の頭の上に止まった。蜘蛛を1匹袋から出して食べさせた。

 あの蜘蛛を取る為に、フランクは奮闘したんだなと蛍雪はようやく理解した。「翼がコウモリのようですね、この小さな鳥の鳴き声が破壊的とはなかなか面白い」

「律さんが言うには大きくなると1mくらいにはなるらしいよ」蘭はテレグラフィーでエンジュについている妖術使いたちに、エンジュを地下のラボまで連れてくるように指示した。

 お腹がいっぱいになったイーを、頭から降ろして律は防音室を出た。

「朝と夜の2回俺かエンジュが餌をやりに来ればいいだろう」

 エンジュが妖術使い4人に護衛されながらラボに入ってきた。エンジュの姿は10歳くらいの少女から18歳くらいの女性に変わっていた。

 フランクはその若く美しい女性に見惚れた。

 律はエンジュを手招きした。「今度は命を生み出したみたいだよ」

不安そうなエンジュの顔に期待がよぎった。「どんな命?」

「自分で確かめてみるといい、おいで紹介する。約400年前に絶滅してしまったイーだ」

 エンジュは律の隣に立ち小窓から中を覗いた。イーは視線を感じて、地面に伏せていた頭をひょっこりと持ち上げ、エンジュを見つめた。イーはトコトコと歩いてきてエンジュの前までやってくると、首を左右に傾けながらエンジュを観察した。

 律はエンジュの手を引いた。「君のことが気になるみたいだ。中に入って挨拶してみよう」

 律に手を引かれてエンジュが防音室に足を踏み入れると、イーはすぐに近づいてきた。

エンジュがイーに向かって手を伸ばすとイーは、躊躇いがちにエンジュの手の下に頭を入れた。エンジュはその頭をそっと撫でた。

イーはエンジュを受け入れたようだった。

 エンジュの喜んでいる顔を見て、律は悲しい出来事が続かなくてよかったと心底思った。「明日の朝、餌をやりに来るけど、一緒に来るかい?」

「ええ、私も一緒に来たいわ」

「うん、分かった。今日は疲れただろうから少し寝かせてあげよう。明日は少し遊んであげて」律はエンジュと一緒に防音室から出てきた。

「ここの警護に人手が必要だな」局長が言った。

「では俺が手配します。先にオフィスに戻ってる」蘭は予定表を作るためラボを出て行こうとした。

 蛍雪が申し出た。「蘭、私も手伝いましょう。各方面に顔が効きます、近隣の支部から応援に来てもらえないか、頼んでみましょう」

「助かるよ」

 蘭について行こうとすると蛍雪を局長は呼び止めた。「蛍雪待て、先週のワニの一件で市民の間に動揺が広がっている。なのでチーフだけでミーティングを開く。伝えるべき事実と、今はまだ伏せておくこと、市民への対応を共有しておきたいと思ってな、蛍雪と英俊は今から30分後、カンファレンスルームに集まってくれ」

「分かりました」英俊と蛍雪が同時に返事をすると局長は、ラボを足早に出て行った。

「では私が手伝おう、私も支部には顔が利くからね。私のオフィスに行こうか」朔は蘭の肩に手を置いた。

「部長、ありがとうございます。お手をお借りします」最年少で部長に昇進した朔の事を尊敬していた蘭は、一緒に仕事ができる僥倖ぎょうこうを喜んだ。

ウキウキした様子でラボを出て行く蘭を蛍雪は目で追った。


「じゃあ、俺とフランクと犀星で報告書を書いとくよ」白鶴はエンジュの両手を握って、尻尾を振っているフランクを小突きながら一緒にオフィスに向かい、その後を犀星がついて行った。

エンジュは不思議そうに蛍雪を見た。「どうして難しい顔をしているのですか?」

「え⁉私難しい顔をしていましたか?」

 自覚していない蛍雪をエンジュがクスクス笑った。「恋人が嬉しそうに他の人について行ってしまったので不機嫌になった。みたいな顔をしています。彼はあなたの恋敵?」

「あ!それ聞いちゃう?実は俺もずっと聞きたかったんだよね、でも誰にも言ってないみたいだからさ黙ってたんだ。この際だから聞いちゃおう」律はいたずらっぽく笑って蛍雪に訊いた。「蘭と蛍雪は付き合ってるの?」

「ええ⁉まさかそんなわけないじゃないですか⁉どこからそんな発想が出て来るのですか?」

「だって、蘭は蛍雪の事をちらちら見てるし、蛍雪は必ず蘭の横に立つだろう?」

エンジュが付け足した。「今だって、嬉しそうにしている蘭さんと部長さんが一緒に出て行く後ろ姿を、面白くないといった感じで不愉快そうに見ていました。私には部長さんに嫉妬しているように見えましたよ」

 英俊は顔を真っ赤にしている蛍雪の背中をバシバシ叩いた。「やっぱりそうだろう?お前ら両想いじゃないか。薄々そんな気はしてたんだ」英俊は涙を流すほど笑った。「早く告白しろって蘭を焚きつけてたんだけど――2人とも拗らせちゃってるな」

「ちょっと待ってください、勝手に話を進めないで、私は蘭の事を友人として心配しているだけで、恋愛感情なんて全くありませんよ。もう、変なこと言わないでください」動揺した蛍雪はそそくさとラボを出て行った。

「あれは絶対恋する男の顔だった」律が言った。

「俺もそう思う」英俊は律に同意した。

 慌てて出て行く蛍雪の後ろ姿を、エンジュは雛菊と紬と一緒に愉快そうに笑った。

 ミーティングが終わって、白鶴とフランクと犀星が手分けして書いた報告書を読んだ後、英俊は〈ラフター〉に寄り、食料を調達した後で律のところへ向かった。

 会議室には律とエンジュと雛菊と紬とフランクがいた。

「フランク、お前はなんでまだいるんだ?終業時間はとっくに過ぎてるぞ」英俊がフランクに冷たい視線を送った。

「大勢で食べた方が飯はうまいだろう?だから飯が来るのを待ってた」フランクは歯を見せて笑った。

「お前が買いに行けよ!なんでお前の分まで俺が買ってこなきゃならないんだ、ちゃんと金払えよ」

 フランクはぶつくさ言う英俊の手から食料を受け取った。「ちゃんと払うからさ、みんなで楽しく食べようよ」

 賑やかなテーブルを囲んで食べる食事は、フランクの言う通り確かに美味しいと律も感じた。英俊の家族と食べた食事も、遠い昔に黒岡軍の兵士たちと食べた食事も、同じように美味しかった。

 そんなことを思いながら、悪魔になって600年の間、紬と二人きりの時間が多かった律は人間の儚い命を悲しく思った。

 英俊と律は食事とワインを少しばかり飲んで、いい気分で部屋に戻ってきた。

 英俊は部屋に入るなり律をドアに押し付けて唇を奪った。貪るようなキスに律は溺れた。

お互い着ているものを競争するようにはぎ取った。

 律は英俊に帯を引っ張られながら笑った。「ハハッ!何だか俺たちいつも余裕が無い気がするんだが、これは一体どういうことなんだろうか」

「それだけお互いを欲しているってことだろう。早く律が欲しい……俺だけに溺れてくれ」

「うん、俺も早く英俊が欲しいよ」律は英俊をベットに押し倒し、彼を自ら自分の中に招き入れ、ゆっくりと腰を動かして英俊を味わった。

 突然の快感に英俊は暴発してしまわないよう、目を瞑って自分を落ち着かせた。

 不意に英俊は体勢を入れ替えて律から抜き出ると、肌に手と口を這わせて全身を愛撫した。

「律、愛している。今までこんな気持ちを抱いたことはない、本気で好きになってしまった」英俊の声がかすれた。「他に愛する人がいるのは知ってる。生きている人間の中で俺が一番になれたらそれでいい」

 律は英俊の首に手を回して微笑んだ。「俺も愛してる。英俊が一番だよ」

 英俊はゆっくりと律の中に身を沈めた。律の白くてほっそりとした首筋にキスをした。

 縋るような告白に英俊は、自分で言っておきながら嫌気がさした。律が『一番だ』と言うしかない状況で答えを求めるなんて、自分はいつからこんなに情けない男になってしまったのかと自分を嘲った。

 自分への怒りと、瞳に涙を溜めて乱れる律の姿を見て、強い淫情に駆られた英俊は激しく律を高みへと追いやった。律は英俊の背中に爪を立てて答えた。

 律が頂点に昇り詰めると、英俊も律の中で果てた。

 律は息を切らしている英俊の背中を、彼の不安を取り払うように撫でた。「誰よりも大切な人だよ。愛してる」

 愛おしさでたまらなくなった英俊は、律の唇に優しく深いキスをした。

 しばらく律を抱きしめ、この幸運に酔いしれていた英俊は、起き上がってグラスにワインを――律の事をよく分かっていたので並々と注いで律に手渡した。「エンジュが最初に成長した朝、毛玉が現れた。その夜にワニが町を襲った。同じパターンだとすると今晩何かが起きるかもしれないよな」

「パターンがあるとすればね、そうなるかな」律はごくごくとワインを水のように飲んだ。

 英俊は律の手を引っ張って立たせた。「シャワーを浴びてから寝よう、フランクじゃないけど、森の中を蜘蛛を探して這いずり回ったおかげで、なんだか体が痒い気がする」

 律はからからと笑った。「そうだった、イーの為に虫をどこからか調達してこないといけないな」

「それはもう別の捜査官に任せるか、害虫駆除業者にでも頼もう。俺はもう嫌だ」虫だらけの場所に身をおく自分を想像してしまって、英俊は体のあちこちを掻いた。

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