第2話 南東へ

 30分後、戦闘服を着た黒づくめの集団は気を引き締めてマーブルに乗り込んだ。

 英俊はパネルにフライングボールをセットした。これで強い霊気が発せられた地点までマーブルが連れて行ってくれる。

 長距離を移動するために作られたマーブルの中は、8個の椅子と2つのテーブル、1つのベンチとカウンター――カウンターの戸棚には飲み物や軽食が入っている――が設置されていて快適に過ごせるようしつらえてある。

フランクはこのマーブルに〈IRIDESCENT CLOUDS〉と名付けた。

 持ち前の運動神経で捜査官になれたフランクは、大人しく待つということが大の苦手だった。「どのくらいで着く?」

 蘭はもしもの事を想定して、テレグラフィーで父親にメッセージを送った。送ったのは週末一緒に釣りへ行く予定の確認だった。未来の話をすれば無事に帰って来られるような気がした。

「そんなの分かるわけないだろう。フライングボールがどこへ向かってるのか分からないんだから」

 フランクはテーブルに突っ伏した。「――暇だ!」

 本を読んでいた英俊が本から顔を上げた。「まだ乗ってから20分くらいしか経ってないぞ、3時間ぐらいかかる旅だったらどうするんだ。お前も読書してみろ」

「嫌だ、そんなちっちゃい字読めるか!俺は映画化を待つ!」

 後ろの席に座っている白鶴が身を乗り出した。「それなら俺の年末の予定を話して聞かせてやろうか?」白鶴はフランクが聞きたがらないと分かっていて言った。

「絶対に嫌だ!お前の惚気話し聞くくらいなら死んだ方がマシだ」

「右に同じ、そんな話ここでしないでくれ、胸くそ悪くなる」蘭が言った。

「何だよ、自分たちが幸せじゃないからって、幸せな俺を妬むなよ」白鶴は嫌味ったらしくニタニタと2人を小馬鹿にしたように笑った。

 蘭とフランクが同時に言った。「妬んでない!」

「でも幸せじゃないのは事実だろう、蘭もフランクも恋人いないじゃないか」

 フランクが得意顔をした。「俺は恋人いるぞ」

 蘭は冷たい視線をフランクに向けた。「恋人って豆腐屋の子か?遊びだって言ってなかったか?」

「遊びでも恋人は恋人だ!デートする相手もいない蘭と一緒にするな」

「デートする相手がいないんじゃない!その気になればできるけど、俺は遊びの相手は作らない主義なんだ!」

 英俊はこの騒がしい3人を、マーブルから突き落としてやろうかと本気で思った。「お前らのデート相手の話しなんか聞きたくない、俺は本を読みたいんだ。ちょっとは静かにできないのか」

 蘭とフランクは睨みあったままだったが、英俊は怒ると怖いことを知っていたので、懸命にも黙ることにした。

 マーブルが突然ガクンと止まって、下降し始めた。

 フランクは助かったと思った。退屈すぎて死にそうだと思っていたので、神に感謝するほど喜んだ。「おっ!着いたか!よかった近くて」

 英俊たちはマーブルを降り、森の中の、草が鬱蒼と生い茂る場所に立った。

そこは開けた場所だったが、夕刻に差し掛かろうとしている森の中は日が傾き、木の影が大きく伸びていて薄暗い。

 その背に鋭く輝くグレイブを背負った英俊は、剛鉄製のハンマーを手に持ち、辺りを警戒した。「気をつけろよ何があるか分からないからな」

 森の中から鳥がさえずる音が聞こえてくる。ひんやりとした秋の風が英俊たちを包んだ。

 すぐに何かが襲い掛かってくると思っていた蘭は、拍子抜けして言った。「何かあるか?俺には何も見えないし、何も感じないぞ、犀星はどうだ?何か感じるか?」

 蒼白な顔をした犀星は、異象を見逃したら大変なことになると思って精一杯神経を集中させた。「……何も感じません」

 怪訝に思った白鶴が英俊を見た。「英俊、フライングボールが間違えたんじゃないか?」

 その時英俊たちの足元で何かがうごめいた。

「足元だ!」英俊が叫んだ。

 飛び退く間もなく全員、何かに足をつかまれた。

「これは何なんだ!」フランクは何に足をつかまれたのか確認しようと、鬱蒼とした草をサバイバルナイフで刈り始めた。

「フランク、あんまり顔を近づけるな、喰われたらどうする」しゃがみ込んでいるフランクに蘭が注意した。

 フランクが唐突に起き上がった。「大丈夫だ、俺たちの足に絡みついてるのは蔦だ。で、なぜか動いてる――蔦って動くのか?」

 剣を手に持ち、弓を背に背負った白鶴は、なんて馬鹿な奴なんだと思い、憐みの表情を浮かべた。

「フランク、蔦がひとりでに動くわけないだろう」

 フランクは照れて頭をかいた。「悪い、俺が知らない動く蔦があるのかと思った。とりあえず切ってみるか、抜け出せるかもしれない」

 きんの特性を持つフランクが、金の玉を胸ポケットから取り出した。瞬く間に形を変えた金の玉は、白く光るノコギリとなって蔦を切った。

 もくの特性を持つ誰か、もしくは妖の仕業ならばこれで抜け出せるはずだ。

すると突然、蔦がフランクの足を空中に持ち上げた。

「わあ!」フランクが宙吊りになってしまった。

「犀星!これは妖術だ!術解きをしろ!」英俊が犀星に命令した。

「はい!」犀星は慌てて印を結び、英俊たちの頭上に陣を浮かび上がらせた。その間も蔦が蠢いて英俊たちの足をギリギリと締め付けている。

 次の瞬間、陣が吹き飛んで意識を失った犀星は、ばたりと後ろに倒れた。

 英俊は犀星を連れてきたことを早速後悔した。フランクの言う通り、助っ人を頼んでいれば今頃は抜け出せていたはずだ。やはり犀星には荷が重すぎたようだと思った。

「なあ、頼むよ早く降ろしてくれなきゃ俺の頭が馬鹿になる」宙吊りのフランクは懇願した。

 白鶴がひそひそと言った。「フランクがあれ以上馬鹿になったら困る」

「だけどいったいどうやって抜け出す?蛍雪のところの妖術使いを呼ぶか?」蘭が言った。

 妖術使いが気を失うなんて大失態だ。それを他の妖術使いに知られたら、犀星は立ち直れないかもしれないなと英俊は思った。最悪、妖術使いを辞めてしまうかもしれない。

「犀星には気の毒だが、そうするしかないだろうな、これでまた犀星は笑い者になるぞ」

 英俊がテレグラフィーで蛍雪に連絡をとろうとした時、頭上から誰かが声をかけてきた。

「おーい、君たち大丈夫か?すぐに術を解いてやるから動くなよ」男はパチンと指を鳴らした。

 英俊たちの足に絡みついていた蔦が、するすると離れてあっという間に森の中に消えていった。

 宙づりになっていたフランクは地面にしたたかに尻を打ち付けた。

「痛!ケツ打った!俺のかわいいケツが……ああ痛い」情けない声で喚きながら、フランクは英俊たちのところへ戻ってきた。

 英俊たちを助けた紺色の着物を身に纏ったその男は、銀色の長い髪を風になびかせて木の枝の上に立っていた。

 日の光りを浴びたその姿は、この世のものとは思えないほどに美しかった。

 紫水晶色の瞳、肩に1匹の燕を乗せている。

何度も読み返した文献通りのその姿に、蘭は夢でも見ているのかと思った。「律……律さん」

 律は木の上から飛び降りてきた。「うん、そうだ律だ」肩に止まっている燕を指さした。「こっちは紬、俺の相棒で妖だ。俺を知ってるのか?」

 英俊が答えた。「知ってるもなにもあなたは伝説の番人ですから、私は紫雲英俊です。そこで固まっているのが一ノ瀬蘭、彼はあなたに憧れてるんです」

「俺に?物好きだな」自分に会ったことが固まるほど嬉しいだなんて変わった男だなと律は思った。

「それからこっちが朱鷺田白鶴、落ちたのがフランク・ブルーテール赤羽、全員IBAIの捜査官です。それと、そこで気を失ってるのが榎木犀星、妖術使いです」

 律は気を失ってる犀星に近づいた。「ああ、俺の術を解こうとしたんだろう、馬鹿だな、俺の術が人間に解けるはずないじゃないか」

 フランクは尻をさすりながら訊いた。「どうして蔦に術をかけたんですか?」

 律は犀星に霊力を送りながら申し訳なさそうに言った。「鳥を捕まえて食べようと思ったんだ、そしたら君たちが捕まってしまった。ごめんね」

 家柄だけは立派な22歳の未熟な犀星が英俊は心配だった。「犀星は大丈夫でしょうか?」

 律が思った以上に犀星の状態は悪かった。「彼、霊力が弱いね。俺の術の反動が大きすぎて耐えられそうにないな、近くにいい医者がいるからそこまで連れて行こう」

「では我々のマーブルで行きましょう」英俊は犀星を抱え上げた。

 律はマーブルに乗り込んで見まわした。「わあ、このマーブルはよくできてるね。行き先は33‐373、130‐931って入力して」律は椅子に座って椅子の材質を撫でた。「滑らかだな、もしかして絹か?」

「そうです、黒岡ですから特産の絹を使っています」英俊はマーブルの中を見てまわって、はしゃいでいる律を少年のようだと思った。悪魔だと言われても恐ろしさなど欠片も感じられなかった。

「懐かしいな――」遠い昔のかけがえのない日々を律は思い出した。

 イリデッセントクラウズは滑らかに山の上を飛び、山奥の小屋の前に降りた。

「ここだ、ついてきて」マーブルを降りた律が先導した。

 英俊は犀星を肩に担ぎあげて律の後をついて歩いた。小屋の裏手に回るとブロンドの女が何かを釜茹でしていた。

 律はその女に声をかけた。「雛菊ひなぎく、久しぶり」

雛菊が釜を混ぜながら顔を向けた。「あら、律、久しぶりじゃない、どうしてたのよ」 

 雛菊がブロンドの長い髪を肩に払うと、彼女の大きな胸が白い着物の中からこぼれ落ちそうになっているのが見えた。くびれた腰に巻かれた赤い帯は、ぷりんと突き出したお尻を強調している。作品の見事な出来栄えに男たちは心の中で賞嘆した。

「放浪してた。鳥を捕まえて食べようとしたら、人間が捕まっちゃって大変なことになった。診てくれ」

 雛菊は大笑いしながら言った。「じゃあ人間を食べちゃえばいいじゃない」

「俺は人間を食べたりしないんだ。君も彼らを食べないでくれよ」

 フランクは2人の不穏な会話に身震いがして、まさに今釜の中で人間が茹でられているのでは?俺たちも釜茹でにされて食べられてしまうのではと恐ろしくなり、数歩後ろにジリジリと下がった。

「律さん、なんで食べるとか食べないの話をするんです?」

「ああ、雛菊は天狐てんこだ。食べると言っても肉体じゃなくて精気だよ。だからって喜んでこの体に飛びつこうなんてしちゃ駄目だぞ。特に唾液には触れないように、こいつの唾液には長寿の効果があるからな、300年位生きちゃうぞ」

「300年!」面食いのフランクは雛菊の美しさに目を奪われた。だけど300年も生きてしまうわけにはいかないなと非常に残念に思った。

「長生きしたくなったら言ってね」ふさふさとした4本のしっぽを出して雛菊は妖艶に微笑んだ。「その人間をここに寝かせてちょうだい、診てみるわ」

 英俊は肩に担いでいた犀星を下ろして、言われた通りテーブルの上に横たえた。

 雛菊は煙が立ち上る香炉をゆらゆらと犀星の体にかざして隅々調べた。「――あんまりよくないわね、でも大丈夫2時間くらいで目を覚ますと思うわよ」

「よろしく頼むよ」律が言った。

「どんな治療を施すんだ?」英俊が訊いた。人間の医者ならまだしも、天狐を信じて良いものかどうか悩んでいた。

「教えられないわ、天狐の秘術なの」雛菊が意味ありげに答えた。

「というよりは聞かないほうが身のためってことだよ、犀星の事は雛菊に任せて大丈夫だから、俺たちはマーブルに戻って待機しよう」

 律に促された英俊たちは、渋々イリデッセントクラウズに戻った。

 律は椅子に座り無意識に生地を撫でた。視線を向けられることに耐えられなくなり言った。「そんなに俺をみつめないでくれるかな、ちょっと居心地が悪くなってきたよ」

「すみません、あなたを研究していて、ずっとお会いしてみたいと思っていたので、嬉しくてついジロジロ見てしまいました」蘭は夢にまで見た律が目の前にいることを現実だとは思えなくて、律を凝視してしまっていた。

「俺を研究?君は変わってるね」研究されるほど奥深くはないだろうと律は思った。

 鼻息を荒くした蘭は身を乗り出した。「あなたを研究している人は多いですよ、軍を統一した立役者ですし、マーブルやテレグラフィー、ライフラインに至るまで、その他いろんな物を発明して、便利な世の中にしたのはあなたですから」

「そうかな、そう言ってもらえると嬉しいな」律は発明が好きだったので、自分の発明を便利だと言われたことが嬉しかった。

 英俊はここに来た事情を説明した。「律さん、我々はあなたを追ってきたんです。昨夜未明に南東の方角で強い霊気が発生しました。それで調査のためにフライングボールを使ってここまで来たんです」

「え!俺は何もしてないよ」律には全く心当たりが無かった。

 英俊は律に嘘をつく理由があるだろうかと訝しんだ。「ですがフライングボールは律さんのところに辿りつきました」

「なんでだろう――紬ちょっと探してきて」律は肩に止まっていた燕をマーブルの外に出した。

 燕が上空を2周旋回して律の肩に戻ってきて、チュピチュピと鳴いた。

「――紬は何も見つけられなかったみたいだ、異象は起きてないようだね。それじゃあフライングボールを見せて」

 英俊はフライングボールを律に渡した。「どうですか?何か感じます?」

 律はフライングボールの匂いを嗅いだ。悪魔は鼻が効く。僅かな異象の匂いでも嗅ぎ分けることができる。「死者じゃない、だけど生者の気配も感じられない、魂の匂いがしないな、俺以外の番人かもね」フライングボールを英俊に返した。「行かないほうがいいよ。誰だか分からないし危険だ。君たちの仲間を気絶させちゃったお詫びに、俺が行って対処してきてあげる」

 蘭はこんな千載一遇のチャンスを逃してなるものかと意気込んだ。「いいえ、律さん!お供させてください!律さんから学びたいことが沢山あります。我々はIBAIの中でも指折りの優秀なチームなんです。黒岡軍の精鋭部隊に負けない自信があります」

 律の手をつかんで熱弁をふるう蘭を、恥ずかしく思って英俊が引きはがした。「それに、調査を命じられてきたので、行って何が起きているのか確認する必要があるんです、番人と戦うつもりはありません。確認がしたいだけなんです」

「そういうことなら、一緒に行ってあげるよ」

「ありがとうございます」英俊は律の協力が得られたことに胸を撫で下ろした。律以外の悪魔が出て来たとしても全員生きて帰れる最強のアイテムを手に入れたようなものだ。

 白鶴は蘭の興奮した顔が可笑しくてたまらず、ずっと笑っていたせいで、表情筋が痛くなってきてしまったところで笑うのをやめた。

「ところで律さんはどうしてこんな山奥にいたんですか?」

「招き猫を封印してからちょうど100年が経ったから、そろそろ成仏できるかなって思って黒岡に向かってたところだ」

フランクは一瞬何のことか分からなかったが、そういえばIBAIに入局したての頃、レクリエーションで見たことがあったと思い出した。「招き猫って、あの裏山の祠に祀られてるやつですか?」

「え⁉裏山に祀ってる⁉」

 蘭は焦っている律を見て少し不安になった。「はい、鬼岩の近くの祠に祀られています。鬼岩は律さんが以前、黒岡を襲った鬼を鎮座させたものだと資料に残っていますが、律さんが祀ったんでしょう?」

「違うよ!それは大変だ。あれは黒岡軍のお堂にいたはず、毎日経を唱えてないと異象を起こしちゃうんだ」

「え⁉」全員が驚いて目を丸くした。

英俊も招き猫のことはうっすらと記憶にあるだけだったので、どんな余話だったか思い出せず眉間に皺を寄せた。「あれは俺がIBAIに入った時からあそこにあります。それに局長も何も言ってなかった。局長をご存じですか?増田海星と言います」

「増田……奏多かなた君と芽依めいちゃんの孫か!……そうかあの小さな海星君が局長をしているのか」律は嬉しそうに笑った。「それにしても奏多君、ちゃんと招き猫のことを伝えてなかったのか」招き猫のせいであんなに奮闘させられたのに、忘れられてしまっていたと知り律は肩を落とした。

「おじい様が亡くなったのは局長がまだ学生の時でしたし、当時の人たちは新しく組織したIBAIの運営に奮闘しなければなりませんでしたから、うやむやになってしまったのではないでしょうか」英俊は伝達ミスを申し訳なく思った。

 律は昔一緒に戦った奏多が亡くなったのは、随分前だったなと思うとちょっと悲しくなった。「そうか、もうそんなに経っちゃったんだな、時が経っていろんなことが変わってしまうのをちょっと寂しく思うけど、立派になった海星君を想像したら嬉しく思うよ」

 フランクは思い出して律に言った。「そういえば鳥を捕まえようとしていたんですよね、腹減ってます?スナック菓子とか菓子パンしかないんですけど、何か食べますか?」

「ありがとう、でもいらないよ。悪魔はお腹が空かないんだ。食べなくてもいいんだけど、黒岡は鶏が美味かったから、ここに来たら鶏が食べたくなってね、黒岡軍の飯は今でも忘れられないくらい美味かったな」律は思い出したらよだれが出てきた。「今もあそこの飯は美味いか?」

 期待に膨らんだ律のキラキラした目に見つめられて、フランクは気まずげに目をそらした。「いやー、俺はなるべく食べたくないかもしれません。体に良いのかもしれないけど薄味で、ヘルシーなものばかりだし、なんだかパサパサしてて、紙を食ってる気分になるので」

「そんな……飯を楽しみにして来たのに……」律には逃げて行く焼き鳥の幻影が見えた気がした。

 英俊が笑った。「でも美味い飯屋がありますから、黒岡に戻ったらお連れしますよ、美味い酒もあります」

「酒か!それはいいな楽しみだ」酒と聞いて律は上機嫌になった。

 2時間が過ぎた頃、雛菊が英俊たちを呼びに来た。「治療が終わったわ、そろそろ目を覚ますわよ」

 雛菊は治療がしやすいように意図的に眠らせていた犀星に、燃やした薬草の煙を吸わせることで覚醒させた。

 犀星はゆっくりと目を開けた。「――先輩方、僕は、えっと……何があったんです?」

 律は犀星を覗き込んだ。「大丈夫か?ごめんね俺の術の反動で倒れちゃったんだ」

「2時間ほど眠っていた。律さんと天狐に助けてもらったんだ」英俊は犀星が目を覚ましたことに安堵した。

「天狐⁉︎」学生の頃、授業で妖狐は怖いものだと教えられていた犀星は血相を変えた。

「落ち着いて、天狐は何もしてないよ君を治療しただけ、唾液には触れて無いから心配ない」テーブルの上から転がり落ちそうなほどに驚いている犀星を律は落ち着かせた。

「律さん?」伝説の悪魔を目の前にして犀星は自分の目を疑った。

「そうだよ、律だ、君は妖術使い?」

「――はい、そうです」倒れてしまったことが恥ずかしくて犀星の声は小さくなった。

「それなら術が強力だって気が付いたはずだ、なのに手を出すなんて命知らずにも程がある、こんな危険なことはしちゃ駄目だ。天狐が近くにいたからよかったけど、そうじゃなかったら君は命を落としていたよ」

「すみません……」律に怒られて犀星は落ち込んだ。IBAIの前局長だった祖父に顔向けできないと思った。

 律は犀星の肩を叩いた。「分かればいいよ」天狐に向き直った。「雛菊ありがとうな、礼はするよ何して欲しい?人間の精気以外で頼む」

 少し考えた雛菊は退屈していたので丁度いいと思った。「そうね、番人対決を私も見たいわ、私もあなたたちについて行っていい?」

「ああ、もちろんいいよ、雛菊がついてきてくれるなら心強い」律は手助けしてもらえると思って喜んだ。

「私は力を貸さないわよ、番人の対決が見たいだけだもの」

「眼ぐらい貸してくれたっていいだろう?頼むよ」

「気が向いたらね、ちょっと待ってて、出かける支度をしてくるわ」雛菊は持っていく荷物をまとめるために小屋に入っていった。

 英俊たちと律はイリデッセントクラウズの中で雛菊を待っていた。

 フランクがカップにコーヒーを注いで律に渡した。

「律さん、さっき雛菊は『番人対決』と言ってましたよね。律さん以外の番人が何かしたかもしれないことを何で知ってたんでしょうか?俺たちがさっきここでしてた話しを、どこかで聞いていたのかな?」

 律はカップを受け取った。コーヒーの香りを、胸いっぱいに吸い込んで幸せな気持ちになった。「天狐は千里眼を持っているんだ、だから隠し事はできないよ、心の中まで見透かしてしまうから気を付けてね」

 マーブルに雛菊は乗り込んだ。「酷い言い草ね律、心までは覗かないわよ、体をちょっと覗くだけ、今日は沢山の雄が見れて楽しいわ」

 フランクは思わず股間に手を当てた。

「フランク、今更隠してももう遅いよ、みんな千里眼で丸裸にされちゃったみたいだ」律は声をたてて笑った。

 犀星は赤面した。気を失って台に寝かされていた時、ずっと見られていたのだろうかと不安になった。

 フランクは顔を赤くして抗議した。「人権侵害だ!」

「あら、そんなに恥ずかしかった?立派なものを持っているんだからいいじゃない」

「何でお前らは何も言わないんだ!」フランクは冷静に見ている英俊たちに怒鳴った。

「裸を見られたからってそんなに大騒ぎすることか?」白鶴はのんびりと椅子に座ってフランクを笑った。

 一笑に付されたフランクは不貞腐れて椅子に座った。

 雛菊は大きなカバンをドサッと椅子に置いた。

「そんなに沢山の荷物、何が入ってるんだ?」律が訊いた。

「女は荷物が多いのよ」蘭が差し出したコーヒーを雛菊は断った。「ありがとう、でもいらないわ。人間っておかしい、どうして苦いものを好んで飲むのかしら」

 午後19時、英俊たちは南東へ向かった。

 1時間ほど移動したところでイリデッセントクラウズが降下した。

 地面に着くと律はマーブルを出た。「みんなはここで待っていて、俺が先に行って何があるか調べて来るから、紬もここで待ってろ」

 燕は律の肩から飛び立ち、人間に変化すると雛菊の隣に座った。

 黒地に赤い椿の花が咲く着物を纏った彼女は、16歳くらいの女性で、黒い髪が真っすぐに腰のあたりまで伸びている。色白の顔に伏し目がちな瞳が愛らしい。

 律に待てと言われたが、不安にかられた英俊は外に足を踏み出そうとした。

 雛菊は英俊に背中を向けたまま言った。「私なら外に出るのをやめておくわね」

 英俊は足をひっこめた。「何故だ?」

「地獄の炎に焼かれたくないからよ。律は人間が好きだから決して傷つけないけど他の番人は違うわ、あなたたちなんて虫ケラのように焼き殺されてしまうわよ」

 英俊たちはやきもきしながら、岩のくぼみに入っていった律を見守った。

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