第2話
「見たまえ、これを」
悦雄は、社長室の壁一面に掛けられた賞状の数々を指さした。ガラス張りの棚には、数えきれないほどのトロフィーや楯が収納されていた。
「すごい数の賞状とトロフィーですね……」
「名前を良く見てごらん」
ひかるは額縁の賞状や棚に入っていたトロフィーを一つ一つ確かめたが、そこには全て『カドヤ建設』や『平井桂子』の名前が入っていた。
「彼女は単に優勝するだけでなく、賞金を全て会社に寄付してくれるんだ。賞金は十万円から、多い所では百万円出しているところもある。うちらみたいな零細企業にとっては結構デカいんだよね」
「だから、あの人には頭が上がらないんですね」
「そうさ。彼女は町の人間から『カドヤの歌姫』って云われてるんだよ。うちの会社のPRにも繋がっているし、それがきっかけで仕事をもらったこともあった。彼女はちょっと傲慢な所があるけれど、会社にこれだけ貢献している以上、誰も何も言えないんだよ」
悦雄は自分の机の上から一枚のカラー刷りのチラシを取り出すと、ひかるに手渡した。
「来月、年に一度の町民カラオケ大会があるんだ。桂子さんは去年まで九連覇しているし、今回も優勝してぜひとも十連覇を達成してもらわないとな。ひかるちゃんには色々迷惑かかるけど、桂子さんのためにも、そしてわが社の利益のためにも、我慢してほしいんだ」
悦雄はそう言うと、ひかるはため息を付いた。このままでは誰も自分の味方になってくれない……そのことが何よりも辛かった。
ひかるは事務室に戻ると、桂子の前で深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、カドヤの歌姫さん」
桂子は横目でひかるを睨みつけながら、歯を出して大笑いした。
「社長から色々聞かされたでしょ? 私はこう見えてもこの会社に貢献してるのよ。あなたは私の分の仕事をがんばって、会社に貢献してちょうだいな」
桂子はそう言うと、声を上げて大きなあくびをした。
結局ひかるは、入社初日にも関わらず、たった一人で会社の事務全てをこなすことになった。
時計の針は、いつの間にか終業時間の五時を指していた。ひかるはひたすら書類を点検していたが、桂子はいつまでも帰ろうとせず、横でひかるの様子をずっと伺っていた。
「残業するの? 大変ねえ、新人さんは。ま、仕事に慣れてないから、仕方が無いよね」
「……どこかの誰かさんが、何もしないからでしょ? 」
「ふーん、口だけは一丁前ね。アイドルを途中で投げ出してきたくせに」
「そういう桂子さんはどうなんですか? こんな片田舎でカラオケ大会荒らしみたいなことして。ちゃんと歌手デビューして、正々堂々と芸能界で勝負すればいいじゃないですか?」
ひかるは相も変わらず嫌味を言う桂子の態度に我慢できず、挑発するかのような言葉を投げかけた。
「私、こう見えても昔、歌手だったんだけど。ちゃんとレコードも出してるわよ」
桂子は表情一つ変えず、ひかるの言葉に逆上することもなく、淡々と答えた。
ひかるは驚きのあまり、片手で口を押さえながら桂子の顔を見つめた。
「マジですか? 申し訳ないけど、信じられないです」
「へえ、信じてくれないんだ。まあ、こんなふてぶてしいおばさんを見ても、そう思えないわよね」
桂子はそう言うと突然立ち上がり、ひかるが処理していた書類の上に片手を付いて、真上からひかるを見下ろした。
「ひかるさん。これから一緒に、私の家に来てくれるかしら」
「だ、だって、まだこんなに書類が残って……」
「それくらい明日でも出来るでしょ? ほら、今すぐ帰る支度して。駐車場で待ってるから、すぐ来なさいよ」
桂子はかばんを手にし、がに股で歩きながら玄関へと向かっていった。
「どこまで自分勝手なんだろ、あの人本当に歌姫なの?」
ひかるはあまりの腹立たしさに片手で髪をかき乱したが、「会社の利益のためにも、桂子に何を言われても我慢しろ」という悦雄の言葉が脳裏をよぎり、渋々と帰る支度を始めた。
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