カドヤの歌姫
Youlife
第1話
「ひかる、何時までも寝てるんじゃないよ! 」
「眠いよ……まだ寝てたいんだけど」
「あんたはもうアイドルじゃないんだよ。カドヤ建設の社員なんだから、自覚を持ちなさいよ」
「母さんが私の知らない所で、勝手に社員にしたんでしょ? 」
「私の親戚がたまたまカドヤの社長だったから、落ちぶれたあんたのことを見兼ねて雇ってくれたんだよ。さ、ご飯食べて早く行きなさい! 」
「もう、勝手なんだから! どいつもこいつも」
ひかるはブツブツと不満を言いながら、ハンガーに架かっていたカドヤ建設の制服を引きはがした。白いブラウスに紺のベストとスカートという、典型的な事務服という感じだった。
「うわ、ダッサいの。こんなおばさん事務員みたいな服、着たくないよ」
ひかるは中古で買った軽自動車を運転し、自宅からさらに数キロ山奥にあるカドヤ建設へと向かった。到着すると、作業衣をまとった現場作業員たちがすでにトラックに土嚢を積む作業をしていた。
「河内さんとこの娘さん?」
作業員の一人がひかるに気づき、興味津々に近づいていた。
「東京でアイドルやってたんだって? 何で辞めて帰ってきたの? 」
「いや、私、その……」
「売れなかったからだよな? 言わなくてもわかるよ。そんな簡単な世界じゃなさそうだもんな。ハハハハハ」
作業員は笑いながらトラックに戻っていった。どうやらひかるの前歴は、既に社内に広まっているようだ。ひかるは伏し目がちに、会社の玄関のドアを開けた。
「ひかるちゃん?」
眉のつり上がったいかつい顔をした中年男性が、作業服のポケットに手を突っ込んだまま玄関に立っていた。
「社長の
「よろしくお願いいたします」
「君には事務の仕事をしてもらうからね。ひかるちゃんならきっと出来るよ」
「でも、足を引っ張らないか心配です」
「大丈夫。そんな難しい仕事はないからさ。ただ……」
悦雄はそう言うと、事務室の一番奥を指差した。そこには、恰幅のよい中年女性が座っていた。女性は椅子にもたれながら片方の手で団扇をあおぎ、もう片方の手でスマートフォンを握りしめてふんぞり返っていた。ふくよかすぎる体格に、制服のベストやスカートは今にもはち切れそうに感じた。
「あそこに座ってる人……
「どういう……ことですか? 」
ひかるは悦雄の言葉に首を傾げながら、奥にいる桂子の所へ近づいた。
「すみません、河内ひかると言います。よろしく……お願いします」
ひかるが頭を下げると、桂子はスマートフォンから目を離し、ひかるの全身をじっくりと見定めるように眺めた。
「ああ、あなたがアイドルを辞めて、うちに来たひかるさんね。よろしく」
桂子は鼻で笑いながらそう言うと、再び下を向いてスマートフォンをいじり始めた。
机の上には、未処理の請求書や町から受注した工事の書類が山のように積まれていた。どこから処理すればいいのか、一目見ただけでは全然わからなかった。
「すみません。私、今日入社したばかりで、書類をぱっと見ただけでは何が何だか全然わからないんです。一緒にやって頂けないでしょうか?」
すると桂子はスマートフォンを机に叩きつけて立ち上がり、鬼のような形相でひかるの前に顔を近づけた。
「そんなの全部、昔のファイルをあさればわかるでしょ! 」
そう言うと桂子は棒のように太い脚で机を蹴り上げ、ひかるに背を向けて座り込んだ。さすがのひかるも桂子の態度に腹が据えかね、両手で椅子を投げつけるように動かして立ち上がった。
「ちょっと、いくらなんでもそんな言い方はないんじゃないですか? 」
ひかるが金切り声で怒鳴ると、桂子も顔をしかめてひかるを睨みつけた。
その時、事務室の奥から全速力で悦雄が駆け寄ってきた。
「ひかるちゃん、気持ちはわかるけど落ち着いてくれ! 桂子さんの機嫌を損ねることはしないでほしいんだ」
まるで頼み込むかのような口ぶりで、悦雄はひかるを説得し始めた。
「どうしてですか? どうしてそんなにこの人をかばうんですか」
「こっちに来たまえ。教えてあげるから」
悦雄はひかるの目の前で小さく手を振って、そっと手招きした。
ひかるは怒りが収まらないまま、事務室の奥にある社長室へと入っていった。ひかるの背後では、桂子が不気味な笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます