第3話
桂子は大きな身体には似合わないほどの小さな軽自動車を運転しながら、細い林道を進んでいった。ひかるは後部席で周りを見渡しながら、一体どこに連れていかれるんだろうかと不安が募っていった。
「着いたわよ。さ、降りて」
ひかるが車から降りると、いかにも昔ながらの農家という感じの、平屋建ての一軒家が目の前にあった。
「ここが桂子さんのお家ですか? すっごく広いお家ですね」
「でしょ? 私以外は誰も住んでないけどね」
「え? 独り暮らし……? 」
「まあね。一応、パートナーはいるけど」
「ふーん……彼氏とかですか? 」
「あ、カーリー、ただいま。お留守番ありがとう」
すると、緑色の目を光らせながら、灰色の大きな猫がしっぽを逆立てながらひかるの目の前を早足でよぎっていった。猫は「ゴロゴロ」と声を出しながら、桂子が差し出した両手に身を預けていた。
「両親もいない、旦那もいない、彼氏もいない。でもいいの。この子が私のかけがえのないパートナーなんだから」
桂子は猫を抱き上げると、そのまま玄関の中へ入っていった。
両親らしき老夫婦の写真の置かれた仏間を通り過ぎ、さらにその奥にある小さな部屋にたどり着くと、桂子はひかるを手招きした。
「おいで、あなたに見せたいものがあるから」
ひかるは桂子の手招きに誘われるままに部屋に入ると、壁には緑色のノースリーブのドレスをまとった若い女性の写真が飾られていた。
「これって、まさか……」
「そうよ、若い頃の私だよ。今のあなた位の歳の頃よ」
若い頃の桂子は体型はふくよかだったものの、肌が綺麗で目鼻立ちが整った美人だった。
「これも見てくれる? 」
桂子は本棚から一冊のアルバムを取り出すと、ひかるに投げて渡した。
ひかるは慌てて両手で受け止めると、写真を一枚一枚丁寧に目を通した。
ミラーボールが光る下、大勢の観客が桂子の歌に聴き入っている写真、たくさんの花束を手にテーブルを回りながら歌う桂子の写真……。
「古い写真でしょ? 二十代の頃、新宿のキャバレーで歌った時の写真よ」
「え?キャバレーで唄ってたんですか? ライブハウスやホールじゃなくて? 」
「売れなかったし、小さな事務所に所属してたからね。キャバレーやナイトクラブ周りばかりしていたわよ」
桂子はしゃがみこむと、大きなレコードジャケットを取り出した。
「今の子はレコードを知らないもんね。せっかくだから、今からかけてあげるね」
桂子は黒くて大きな円形のレコードを、箱型のプレイヤーにかけた。しばらくすると、雑音が交じりながらも、哀愁を帯びた美しく艶のある歌声が流れ出した。
「知ってる?
「これ、桂子さんの若い頃の声? 」
「そうよ。良い声でしょ? 今もちゃんと出せるわよ」
そう言うと、桂子は胸に手を当てて、レコードの声に合わせながら歌い始めた。
「上手い……」
桂子の歌声は、レコードから流れる若い頃の声と変わらぬ艶やかさがあった。
「どうして辞めちゃったんですか? せっかくこんなに上手いのに」
「……どれだけ一生懸命歌っても、何枚レコードを出しても、世間からは全然認められなくてね。生活も年々苦しくなっていったから、両親が介護が必要になったのをきっかけに、引退してこっちに帰ってきちゃったんだ」
桂子はレコードジャケットを見つめながら、物憂げな表情でつぶやいた。
「私も同じようなものかもしれません。アイドルって言っても、地下アイドルだったから」
「地下アイドル? 地下鉄とかで歌ってるの? 」
「ち、違いますっ。テレビとかでないで、ライブとかイベントだけで活動してるアイドルって言う意味なんですっ」
「なあんだ。じゃあ、私と同じだね」
桂子とひかるは目を合わせると、お互いを指さしつつ大笑いした。
「ね、これで一応、私がプロの歌手だったことがわかったでしょ。もう夜も遅いし、送ってくわよ」
帰り道、何も見えない暗闇の中、桂子は何も話さず一心不乱にハンドルを握って運転していた。
ひかるは桂子の運転の邪魔をしてはまずいと思いつつ、どうしても気になることがあり、横顔を覗き込み、様子を伺いながら小さな声で尋ねた。
「ねえ桂子さん。歌手は引退したのに、どうしてカラオケ大会には出続けているんですか? 」
「……歌手を辞めて両親の介護をして、その両親がいなくなって途方にくれてた私を救ってくれたのが、今の社長だから。私なりのやり方で、社長に恩返しをしたいのよ」
桂子はそう呟くと、急にだまりこくってしまった。
「でも、もうそれも無理かもね」
「え? どうしてですか? 何か……あったんですか 」
ひかるが問いかけたところで、車はちょうどカドヤ建設の玄関前に到着した。桂子は後部座席のドアを開けると、ひかるの手を強引につかんだ。
「着いたわよ。ほら、早く降りて! 」
「ちょ、ちょっと。桂子さん! 」
ひかるを車から降ろすと、桂子はそそくさと車のエンジンをかけ、あっという間にひかるの元を遠ざかってしまった。
ひかるの最後の問いかけに答えることも無しに。
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