45話 幸せ

 店内に入ると、落ち着いたチョコレート色が視界を埋め尽くす。

 壁や机、椅子などは全てウォールナット材で統一されているらしく、照明も薄暗くついていて、まさに穴場という雰囲気を醸していた。


 店員に案内されて店の隅にある席につくと、目の前にいるこころは視線をキョロキョロとさせる。


「すごいお洒落なカフェだね」

「あぁ。やっぱり写真で見るのと生で見るのは違う」


 街の喧騒から切り離されたこのカフェは、落ち着いた色と照明、そしてお洒落なBGMで俺たちの心を鎮めてくれた。

 こころの視線が戻ってきたところで、俺はテーブルに立て掛けてあったメニュー表を広げて彼女に見せる。


「何頼む?」

「あっ、ありがとう。うーん……じゃあ、私はこのボロネーゼにするかな。留衣は何にするの?」

「俺は……このハムサンドが気になるから食べてみようかな」

「分かった」


 コクリと頷いたこころは顔を上げたが、やがてどんどんと強張っていく。

 そうして申し訳なさそうに俺を見た。


「……ご、ごめん。留衣、注文してくれる?」


 きっと彼女はまた、自分から他人に声をかけたかったのだろう。

 前回は何とか声をかけられたものの、今回は勇気が一歩踏み出なかったらしい。

 だが、一回だけでも自分から他人に声をかけられたのは彼女にとって大きな一歩で、それだけでたくさんの収穫があった。


「分かった、任せとけ」


 俺はドヤ顔で返すと、「すみません」と手を上げる。

 やがて店の奥から伝票とボールペンを持った店員が一人出てきて、俺たちの前に立った。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「ボロネーゼとハムサンドを一つずつでお願いします」

「ボロネーゼとハムサンドを一つずつですね、畏まりました。少々お待ち下さい」


 そう言って店の奥に戻っていった店員は、十分くらい経った後にボロネーゼとハムサンドを届けてくれる。

 こころの目は綺麗に盛られたボロネーゼに釘付けだった。


「美味しそう……」

「だな。早く食べよう」


 こころがフォークを手にして、合掌する。

 それに倣うように俺も合掌した。


「いただきます」


 挨拶をして、まずはボロネーゼを食べるこころを見てみる。


 目をキラキラと輝かせたこころは、フォークでボロネーゼを巻き取ると、ゆっくりと口の中に入れた。

 数回咀嚼そしゃくして目を見開くと、テンションのかかった顔がへにゃりと崩れる。


「お前、本当幸せそうに食べるよな」

「だって、本当に美味しいんだもんっ。留衣も食べてみる?」

「いいのか?」

「もちろん、この美味しさは共有しなきゃ損だよ」


 今までより一段階声のトーンを上げたこころは再びボロネーゼを巻き取れば、「あーん」と言って俺に差し出してくる。


 ……なんか、だいぶ前にもこころにあーんされたことあったよな。

 ふと思い出して意識してしまう俺だったが、前よりも羞恥は感じずにむしろ嬉しい気持ちを感じながら差し出されたボロネーゼを口に入れた。


 パスタはもちもちとしていて、ミートソースによく絡んでいる。

 ソースも中にあるひき肉からしっかりと旨味が出ていて、気づけば次々と口へ運んでしまいそうな味をしていた。


「どう?」

「これ、すごく美味しいな」

「でしょ? これを食べちゃったら、なんか戻れなくなっちゃいそう」

「分かるかもしれない」


 今までボロネーゼを食べるとしてもレトルトだったため、こんなにも本格的なものを食べてしまったら、レトルトでは物足りなく感じるかもしれない。

 そう感じてしまうくらい、美味しかった。


 ボロネーゼを一通り味わった俺は、続いてハムサンドにかじり付く。

 程よくトーストされた食パンは食べた時の音が気持ちよく、中からハムとチーズが溢れ出してきた。

 如何にも「食べている感」を味わえて、添えてあるフライドポテトも塩加減が丁度いい。


「美味いな」

「ねぇねぇ、私にも一口ちょうだい?」

「あぁ、いいぞ」


 俺からハムサンドを受け取ったこころは、食べかけのところに歯を立てて齧りつく。

 そうしてまた幸せな表情を浮かべた。


「美味しい……」

「本当、幸せそうだな」

「とっても幸せだよ。こうして美味しいものを食べられてるのもそうだし、それを留衣と共有出来るのも……幸せ」

「……俺も、おんなじ気持ちだ」


 笑みくずれるこころにそう言われて、俺も自然と笑みを浮かべる。


 普通なら照れ臭い言葉でも、もう照れ臭くは感じない。

 それは、彼女の言葉を真っ直ぐに受け止められるようになったからだろう。


 こころが、好き。


 その気持ちが膨れ上がると、噛みしめるために照れ臭さを感じる余裕なんてなくなってしまう。

 だが同時に内から湧き出る欲望を抑える余裕もなくなってきて、俺は思わず身を乗り出してこころにキスをした。


「っ――!?」


 唇と唇が一瞬だけ触れる、そんな軽いキス。

 顔を真っ赤にして目を見開いたこころを尻目に、俺はポテトを摘みながら言った。


「ほら、ハムサンド返してくれ。こころも、早く食べないと冷めちゃうぞ?」

「え、えぇ……?」


 いろんな感情が混ざりあった複雑な表情のこころは、とりあえず俺にハムサンドを返すのだった。

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