30話 夕陽とこころ

「――さっきぶり、ですね」

「あぁ、そうだな」


 放課後、俺は再び屋上へとやってきていた。

 そこには夕陽がいて、別れる時と変わらぬ微笑みを浮かべている。

 だが俺は、それに笑顔を返すことは出来なかった。


「いきなり、聞いてもいいですか? 話したいことはこの間たくさん話させてもらいましたし」

「……分かった」


 心臓がうるさい程に鳴り響く。

 目の前にいるのが好きな人で、その告白を受け入れるのであればここまで緊張することもないのだろう。


 でも、俺はもう決めたんだ。

 だから……。


 鼻から息を深く吸って、そして吐き出す。

 そして言った。

 端的なその一言を。


「……ごめん」


 瞬間、夕陽は柔らかな微笑みを自虐的な苦笑へと変えた。


「理由を……聞いてもいいですか?」

「直前まで、たくさん悩んだ。夕陽となら付き合ってもいいかもしれないと思ってたから。でも――」

「こころさんを選んだんですよね?」


 俺の言葉を遮る夕陽の声に、思わず苦笑を浮かべてしまう。


「やっぱり、分かっちまうか」

「さっき留衣君は言いました、私となら付き合ってもいいかもしれないって。それって、今は私のことを異性として好きではないってことですよね?」

「正直に言うと、そういう目で見たことは今まで一度もなかった」

「だったら自分が好きな人を選ぶのは当然のことです。増してや幼馴染ですもん。留衣君が好きになる人なんて、私が知る限りこころさんくらいしかいません」


 夕陽はそう言っているが、俺はこころに対してもそういう目で見たことはなかった。

 こころは単なる幼馴染。

 そんな風にしか思っていなかった。


 今でも「好き」という感情がどういうものなのかはよく分からない。

 この感情が果たして「好き」という感情なのかは分からない。

 でも、その感情を抜きにしてでも俺は俺の傍にいたいと言ってくれたこころの傍にいたかった。


 それと、こころを選んだ理由はもう一つある。


「……なぁ、夕陽」

「なんですか?」

「少し、こころについての話をしてもいいか?」

「こころさんの?」


 目を見開いてきょとんとしている夕陽に、俺は「あぁ」と相槌を打つ。


「この前、俺に夕陽は『母親しかいないこと』を話してくれただろ?」

「はい、確かに話しました」

「比べるつもりは全くないけど、こころには母親も父親もいないんだ」

「えっ?」


 突然の告白に呆気にとられる夕陽。

 自分が置かれている状況でも稀なのだから、そんな反応になってしまうのも仕方ない。


「それは、どうして……」

「死んだんだ。こころを、車から庇って」

「死んだ……?」


 血の気を引かせる夕陽の様子を見ながら、俺はゆっくりと話しだす。



 その日、俺の家族とこころの家族とで遊園地へ遊びに行ったこと。


 こころはそのことがよっぽど嬉しかったらしく、酷く気分を高揚させていたこと。


 それが行き過ぎてしまって、うっかり道路に飛び出してしまったこと。


 偶然にもその時に車がやってきてしまって、青ざめた顔で立ち尽くすこころを庇うようにこころの両親が車に轢かれたこと。


 そして、それを俺が見ていたこと。


「そんなことが……」

「こころが人と関わるのを拒むようになったのも、ミス・アンドロイドと言われるようになった所以ゆえんである無表情も、全部そのことがあってからなんだ」


 昔のこころは、あんな男勝りな口調じゃなかった。

 あんな無表情じゃなかった。


「夕陽と付き合えば、こころは文字通り一人になる。あいつを一人にはしたくないから、夕陽の告白を断ったのもあるんだ」

「……そうだったんですか」


 他言するような話じゃないかもしれない。

 でも、夕陽には俺がこころを選んだ理由の全てを知って欲しかった。

 彼女なら誰かに話すようなことはしないだろうし、だからこそ言ったのだ。


「ごめん、同情を誘うような話をして」

「謝ることじゃないですよ。それに、その話を抜きにしても、留衣君はこころさんを選ぶんですよね?」

「あぁ、そうだな」

「なら、私は素直に引き下がります。元々、可能性が低いことは分かっていたんです。……だから」


 夕陽の声が震えだす。

 顔が苦しそうに歪んで、瞳は悲しそうに揺れる。


「……ごめん」


 今の俺に、彼女を慰める権利はないから。

 だから俺は、謝ることしか出来なかった。

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