26話 すれ違う心

「好きって……」


ようやく絞り出せた言葉はそれだった。


未だに理解が出来ない。

夕陽は俺が好きだと言った。

そしてそれがであれば、わざわざ口に出して言う必要もないのだろう。


もし彼女の好きがなら。

自分に正直になるという理由で言ったのだとしたら。


俺は、何て返したらいいんだ……?


「ごめんなさい。急にこんなこと言われても困りますよね」

「いや、えっと……」

「私は自分の、留衣君への好意に正直になるために言ったんです。でも、出来るなら……留衣君と付き合いたいなって」

「…………」

「もちろん、今すぐに答えを出せとは言いません。でも、いつになってもいいので答えを聞かせてほしいんです」


夕陽の目は真摯に俺を見つめている。


彼女は本気だ。

そもそも、遊びでこんなことを言うような人ではない。


俺が好き。

俺と付き合いたい。

どうしてと思わず問い質したくなってしまうが、彼女はさっき俺の人間性に惹かれたと言ったのでそれ以上聞き出すことは出来ない。

それに、これ以上彼女に話させるのも野暮というものだろう。


でも……。


「……今週末、体育祭があるだろ。その終わりに、言うよ」

「分かりました。じゃあそれまで待つことにします」

「ごめん」

「こっちがですよ。わざわざ時間をとって悩ませてしまってすみません」


くるりと振り返って窓を閉めた夕陽は、そのあと教室の引き戸を開けて再度こちらに笑顔を見せる。


「返事、待ってますから」


そう言って教室を後にする彼女に、俺は何も言えなかった。


「……どうして」


どうして、夕陽は俺を好きだと言ったのだろう。

夕陽の相談に乗ったのだって、夕陽が俺に相談したいと言うから乗っただけだ。

自分のことのように話を聞いたのも、そのあと言葉をかけたのも、頼られたから助けなければと思ったから。

俺の人間性が関与しているとは、自分では思えなかった。


俺には何もない。

突出した能力も、慈愛に満ちた心も。

でも夕陽が俺を頼ってくれたとき、嬉しかった。

何もない俺は、そこで生きる意味を見出だせると思った。


でも……見出だせなかった。

夕陽が俺を好きになったのなんて、きっと助けられたから一時的に俺が綺麗に見えているだけ。

俺の能力や魅力なんか関係ない。


あの時から俺は何も変わらない。

頭の良さも、運動神経も、優しさも。


全部、駄目なままだ。


「――留衣?」


声が聞こえてきた方向に視線を向けると、そこには引き戸に手をかけたこころがきょとんとした表情で俺を見ていた。


「こころ……」

「こんなところで何してるんだ? 留衣がなかなか来ないから、思わず探しに来ちゃったぞ」


こころは言いながら俺の方に歩み寄ってくる。


「お前、俺を待ってたのか?」

「それは、まぁ……一緒に帰りたいと思って」


僅かに言い淀みながら頬を赤く色づけるこころ。

なぜそんな反応をするのかよく分からないが、待たせていたのなら申し訳ないことをした。


「ごめん、待たせて。すぐ制服に着替えるから、ちょっと待っててくれ」


急いで制服を取りに戻ろうとすると、こころが「なぁ、留衣」と俺の名前を呼んだ。


「どうした?」

「なんかあったのか? 顔が暗いぞ」


こころの指摘に、俺は思わず目を見開いてしまう。


「こんな空き教室にいるのもおかしいし、来るのが遅かったのもきっとなんかあったからなんだろ?」

「それは……」


肝心なときに限って嘘がつけない。

何もないって言えばそれで済むのに、こころを思うとどうしても言うのが憚られてしまう。


「話したかったら、聞くぞ?」


優しく微笑むこころを見ると、何故か心を痛む。


正直に話すことが出来れば一番いいのだろうが、きっと夕陽はそれを望まないだろう。

それに俺が夕陽に告白されたことをこころが知れば何をするか分かったものじゃない。


何も話さないわけにもいかないし、ここは一つこころに聞いてみることにしよう。


「なぁ、こころ」

「なんだ?」

「お前は、誰か異性を好きになったことはあるか?」

「へっ!?」


まるで爆発するように頬を一気に染めたこころは、そんな素っ頓狂な声を上げた。


「ど、どうしていきなりそんなことを?」

「ふと気になってな。それで、どうなんだ?」


まぁ、こころのことだからある程度は予想がつく。

色恋沙汰に全くと言っていいほど縁のない彼女だから、誰かを好きになったことはないだろう。

物心がついてからは、誰かを好きになることも出来なくなってしまっただろうしな。


俺は幼馴染に何を質問してるのだろうと自分に呆れていると、しばらく黙っていたこころがやがて口を開いた。


「……ある、ぞ」

「そうなのか?」


思わず目を見開いてしまう。

てっきりないとばかり思っていた。


「あぁ。……今も好き、だし」

「そ、そうなのか!?」


あのこころが、誰かを好きになっている!?

誰にも興味を示さないあのこころが!?


「こ、声が大きい」

「ご、ごめん。でも、まさかいるとは思ってなくて。……あの、教えてくれたりはしないか?」

「えっ?」

「だって気になるだろ。幼馴染に好きな人が出来たりでもすれば、応援したくもなる」


それに、こころだったら尚更だ。

ようやく他の人に心を開けるかもしれない。

そうすれば、彼女はきっと前に進める。


過去から抜け出すことが出来る、と影のかかった気持ちが少しだけ晴れやかになったが、それと相反するようにこころの顔は俺を睨みつけていた。


「ど、どうした?」

「……バカ」

「はっ?」

「いいから、早く着替えてこい」


そう言うと、こころはぷいっとそっぽを向いてしまった。


何かこころの癪に障るようなことをしただろうか。

多少デリカシーのないことを言ってしまったのかもしれないが、それにしてもここまで怒るだろうか?


疑問符で頭が埋まった俺は、とりあえず着替えるために教室出るのだった。

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