21話 一緒に寝る

「――おかえり、留衣」


 晩ご飯が終わり食器の後片付けを手伝ったあと部屋に戻ってくれば、そこでは一足先に部屋に戻っていたこころがベッドに座って出迎えてくれた。


「おかえりって言うほどでもない気がするんだが、色々と」


 言いながら、俺は勉強机の椅子を引いて座る。


「気にするな。私が『おかえり』って言ったらお前は『ただいま』って言ってたらいいんだ」

「何だそれ、夫婦でもあるまいし……って、顔が赤くなってるぞ。大丈夫か?」

「だ、大丈夫だ! 気にしないでくれ!」


 こころの顔を覗き込もうとすれば、何やら焦ったようにそっぽを向いて声を荒げるこころ。

 ちょっと目を離した隙に顔を赤くしていたものだから本気で心配してしまったが、彼女の様子見る限りは大丈夫だろう。


 にしても、どうしていきなり顔を赤くしたりしたんだ?


「る、留衣にお願いがあるんだが!」

「急にどうした」


 視線をそのままにぎこちなく言葉を発すこころに思わずツッコんでしまう。


 さっきから彼女の挙動や何やらが色々とおかしい。

 目では確認できないだけで本当は体調が悪かったりするのか?


 やっぱり心配していると、彼女はギチギチと音がなりそうな程にぎこちなく俺の方に体を向け熱っぽい瞳で俺を見上げる。

 その姿がやけに魅力的に見えてしまって、無意識の内に吸い込まれそうになった。


「ど、どうした?」


 少しでも彼女の瞳から気を逸らすために口を動かすと、彼女はどこか照れ臭そうに喋り始めた。


「お、覚えてるか? 小さい頃、私がクマのぬいぐるみを抱いていないと寝られなかったこと」

「あぁ、そういえばそんなこともあったな」


 こころは小さい頃からよく俺の家に泊まりに来ていた。

 たまにクマのぬいぐるみを忘れてしまったとき、こころは泣き叫びながら俺に縋ってたな。

 最初は彼女の涙をどうしていいか分からなくて俺も泣いてたけど、回数を重ねるごとに冷静になって最終的には「俺を抱いて寝ろ」って言ってたっけか。


 思い返してみればなかなかに恥ずかしいことを言っていたと悶えてしまいそうになるが、あのとき隣で気持ち良さそうに寝ていたこころの顔は今でも覚えている。


 懐かしい話だと頬を一瞬緩めるが、同時にあることに勘づいてしまう。

 それを確信に変えるため、俺はこころにとある質問を投げかけることにした。


「あの、一つ聞いてもいいか?」

「な、なんだ?」

「お前、今もあのクマを抱いて寝てるのか?」


 顔を強張らせて顔を俯かせたこころはしばらくの沈黙の後、コクリと頷いた。


「だ、だから、一緒に寝てほしいんだ」

「寝てほしいって言ったって、俺のベッドはシングルサイズだ。昔なら一緒に寝られたのかもしれないが、今はちょっとの寝返りすら打てないぞ」

「そ、それでもいいから! ……私、留衣に抱き着いてないと、寝られない」

「っ……」


 すぼまる肩。

 不安げな表情。

 震える瞳。


 あの日から何もかも変わってしまった彼女だが、今この瞬間の彼女は小さい頃と何ら変わりなかった。

 小さくため息をつくと、俺は彼女に背を向けながら押し入れからもう一つ枕を取り出す。


「留衣……?」

「言っておくが、本当に寝返り打てないからな。覚悟しておけよ」

「……ありがとう」


 背中にかけられる先程よりも少し明るくなった声に、俺は既視感を覚えて口元を緩めるのだった。



         ◆


「……やっぱり狭いな」

「だから言っただろ、覚悟しておけって」


 現在は夜の十時。

 俺はいつも夜更かしをしているのでこの時間に寝るのは何年振りかといった感じで久々なのだが、彼女は規則正しい生活を送っているらしい。

「もう寝るぞ」と無理矢理ベッドに引きずり込まれたのもあるが、俺自身雨の中走ったのを原因に体力を消耗していたので大人しく布団とこころを身にまとっていた。


「でも、すごく懐かしい。安心する」

「そ……そうか」


 彼女は安心できたようだが、俺は全く安心できていない。

 腕には心地よい柔らかさの山々がむにゅむにゅと押し付けられているし、彼女からは何やら甘い匂いがするしで大変だった。


 やっぱり年頃の男女で一緒の布団に入るものではない。

 自分も知らないもう一人の自分が出てきそうで恐怖すら抱いていた。


「ごめんな、いきなり一緒に寝たいなんて言って。狭くて寝づらいだろ」

「まぁ、確かに寝づらくはあるけど、でも一緒に寝たいんだったらしょうがないだろ。これくらい我慢するさ」

「ありがとうな」

「まぁ……なんだ、変に寝返ってたらごめんだけど」

「ん? あぁ、私だってそれくらい我慢する」


 きょとんとした表情で声を上げたこころはその後、何か納得したような物言いで言葉を続けた。


 正直に言うと、俺はそこまで寝相が悪いというわけではない。

 だが、この世には万が一が存在する。

 一応保険はかけたつもりだが……いざ万が一が起こったら意味ないんだろうな。


「……もう、寝るな。今日は色々と本当にありがとう」

「あぁ、おやすみ」

「おやすみ」


 ニコッと優しく笑みを浮かべると、こころは俺の腕に顔をうずめた。


 ……やっぱり最近、彼女の言動にドキドキすることが多くなっているような気がする。

 今までこんな気持ちになることはなかったのに、どうして今になってこんな気持ちになっているのだろうか。

 というかそもそもとして、この気持ちは一体何なのだろうか……?


 疑問がまとまりそうに感じなかった俺は思考を切り替えて万が一が起こったときの言い訳を考えようとしたが、近くに感じる彼女の存在のせいでそれすらまともに考えられなかった。

 悶々とした気持ちを抱えながら、今はとにかく寝入ることだけに集中するのだった。

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